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メモ
雑記あれこれ
6月28日 それはそれ、これはこれ。
北朝鮮に家族を拉致された人たちが国会だか首相官邸だかの近くで、北朝鮮に対する経済制裁を求めて座り込みをしているらしい。6月の最高気温を更新するような炎天下の中、さぞかし暑いことだろうと思う。ただ、こういうニュースに接する度に思うのだけれど、テレビや新聞にはもうちょっと伝達方法なり何なりを工夫する知恵はないのだろうか。
家族を拉致された人たちが活動するのは理解できる(家族会や救う会なんかの詳細は知らないので触れない)。自分の家族をわけのわからない集団にさらわれでもしたら、それは悲劇だ。そんな人たちが経済制裁を求めるのもわかる。だけど、一口に経済制裁といってもピンからキリまである。何キロかの食料を送れなくする、送金できなくする、海上保安庁の船を見回らせる、自衛隊の船を張り付かせる、等々。素人のぼくが一瞬思い浮かべただけでもこれだけある。実際にはもっとたくさんの選択肢と方法論があるはずだ。その中の、どれを、いつ、どのように、発動させるのか、発動するふりをするのか、発動しないのか、合計でいくつのかけ算をすればいいのかぼくにはわからない。
地震があった後に、テレビのリポーターが町の人にどうですか?みたいなことを聞く。ぐらぐらっと揺れて、本当にこわかったです、といったことを聞かれた方は答える。そりゃそうだ。地震なんだから、ぐらぐらっと揺れて、こわいに決まっている。最近の10代の乱れる性、なんていうような番組では、プライバシー保護のため顔にモザイクをかけ声を変えられた女の子が、あははは、と甲高い声で笑っている姿が映しだされる。自由奔放に好きにセックスをしたり、自分の身体を金銭に変換する人は昔からいる。今回に限らず、国会前の座り込みだっていろいろな人がいろいろな主張でしている。
ニュース番組や新聞や雑誌などのメディアは「事実」を伝えているのだろうか。そもそも「事実」ってなんなんだろうか。仮に「事実」があったとして、それを伝達する術はあるのだろうか。ぼくはテレビをあんまり見ないし、テレビをつけている時間はゲームをしているかDVDを見ているかのどちらかの場合がほとんどなんだけど、しばらく前からニュースは下手なリアリティー番組と大差ないような気がしてしまう。これでもマシな表現かもしれない。具体的にどう、と聞かれるとちょっとこまるのだけれど、なんだかNHKのニュースみたいに、これこれの事件が、いつ、どこで、どのように発生しました、という部分だけ伝えてくれれば、へぇそんな出来事があったのか、と思えるのだけど、なんだか妙な脚色というか物語性みたいなものをだそうとして逆につまらなくなっている気がする。
なにか一つ出来事があったとして、みんながみんなそれに関係するわけじゃない。また、する必要もない。経済制裁を全ての人が求めなければいけない理由もないし、地震が起きなかった地域の人が闇雲に心配してもしょうがない。誤解されないように付け加えておくと、経済制裁を求めてはいけない、なんてことをいっているつもりはないです。ただ、家族を拉致された人が経済制裁を求めることと、メディアがそれを伝えることと、実際に経済制裁が発動されるかどうかということと、ぼく(やその他の人たち)がどう思うかということは、それぞれ別のものだし、いっしょに混同するようなものでもない気がするのに、あたかも不可分であるかのように語られるのが不思議でならない、と感じているだけです。
不思議だなぁ。
9月6日 逆から読むと、69。
テレビでレアルの試合をやっていて、ついつい見てしまう。さすがは銀河系軍団だのなんだのといわれるだけのことはあって、フィーゴにジダンにベッカムにロベカルにラウールにカシージャスに・・・。あぁ、もう、数えだすときりがないけど、とにかくこのメンバーの歯車が見事にかみ合ったときはすごい試合をすると思う。ところで、12チャンではボインな女の子たちが秋葉原の街角で即席の水着撮影会をやって、どちらが多く写真を撮られるか(?)みたいなテリー伊藤が関わってるっぽい番組をやっていた。
うひょー、水着デスヨ、水着。ボインじゃのぅー。(*´д`*)と思いながら、レアルの試合と交互に見ていて、なんというか、こういう下心まるだしな感じがいいんだよなぁ、と思った。
自分がどう他人に見られたいか?といわれたときに、かっこよく!とか、かわいく!とか、若々しく!とか、そういうことでみんな必死こいてしのぎを削っている。少なくとも、そうしたことを念頭に置いてあれやこれやが消費されているように見える。
でも、ぼくはそういうことはあんまりどうでもいい。髪の毛に白いものが目立つようになったのであれば、あぁそう、と思うし、前頭部が後退してきたのであれば、ふーん、と思う。おなかがでてきたのであれば、すこしはへっこますように腹筋とかすると思うし、隣の駅まで歩いてみたりすると思う。なんだけど、たいていのことは夜に寝て朝に起きれば忘れてるし、三日坊主くらいでおわって、でもそれで落ち込むこともないと思う。
ようするに、むっつりスケベだと思われるくらいなら、ぼくはエロです!ボインがいいです!とここで声を大にして自分で宣言しておくので、そう判断してもらって全くもって、一向に、何ら、差し支えない、ということだ。
いや、他人からの視線を全然意に介さない、ということではないし、もちろんある程度の忠告は聞き入れる耳は持ちたいと思っているけれども、だからといって自分のペースを崩してまで他人の好みに従うつもりはないよなぁ、とボインな女の子たちとレアルの試合を見ながらふと思った。
だいたい、自分がエロであるとカミングアウトしたところで被るマイナスなんて、そもそもあるのかといわれれば、そんなもの無いに決まっている。そりゃ手鏡で女子高生のスカートを覗き込んだり、お風呂を覗いたりするような性癖があるのであれば、アンタそりゃやばいよ!となるだろうけど、残念なことにかどうか知らないけど、ぼくはそんな度胸(?)も勇気(?)も持ち合わせちゃいない。どうせフライデーとかフラッシュ、もしくはヤンジャンとかヤンサンにのってるグラビアアイドルの女の子を見て、ボインですのぅー♪とかいって鼻の下を伸ばしているのが関の山で、それ以上でもそれ以下でもない。
所詮、一般人がごくごくふつーにもっているであろう程度の性癖として、エロ本を読んだり、エッチなページを見たりするくらいのことしかしやしない自分が、それと同程度の人から「エロだー!」といわれたとしても、「え、じゃぁお前は?」というだけの話だしねぇ。そりゃ、すんごいエロい人はいるし、エロの師匠!と思ってるようなやつは、ホントにエロエロのどエロだけど、そんなやつに「まだまだエロ道を極めとらん!」といわれたら、「ははぁ、精進いたしまするー」としかいいようがないし。
ようするに、たしかにDeadorAliveのかすみとか、あやねはきれいだと思う。むかしのぺらぺらのポリゴンモデルから比べれば、すんごい肉感をもった「キャラ」としてそこにいるわけだし。でも、じゃぁXbox買うか?かすみちゃんブルー買うのか?といわれれば、いや別にそこまでは・・・という話でした。
てゆうか、なんだかんだいってエロゲーやったことないしね。いわゆるボーイズラブもののマンガはけっこう前に読んだことあるけど、別にはぁ、って感じだったし。
ところで、一体全体彼女たちの何人が「有名」になれるのだろうか??なんか、タレントってそういう意味では、とても切ないというか、はかない存在だよねぇ。
(´・ω・`)
ものおき
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