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2月

2月24日 It's automatic♪

 話をしていると、「この人は本当に何も知らないんだなぁ・・・」と痛感させられることがある。近しい存在の人であれば、「バカか、おまえは!?」などといってアドバイスするし、逆の場合だったら苦言を呈してくれればいいんだけど、そうじゃない人だと時間の無駄なので「そーだよねぇー」とかいってお茶を濁す。
 最近、それはちげーんじゃん??と思ったのは、「ワタシが自分で思ったから、ワタシがそうしたいんだから、ワタシが・・・」云々ということを真剣に主張してる人を見かけたとき。いやいや、それはちがうな。ワタシが(一人で勝手に)なにかを思うのでは、決してない。ワタシが(外界からの働きかけにより)そう思う(もっといえば、半ば強制的に「思わされる」)のだ。

 だって、そうじゃん??外が晴れているから、晴れ晴れとした気分になるわけだし、すばらしい作品にふれるからこそ、感動できるわけで、一人でナミダをながすやつなんていない。ナミダをながすのにも「哀しい、楽しい出来事があった」からこそ、「なにか」を思い出したからこそあふれたわけだし。

 英語だと、このあたりの表現方法はもっとハッキリしていて、I was disappointed at the news.というふうに、ちゃんと矢印が←左向きになってそれが表現されている。つまり、受動態になっているっていうことなんだけど、感情を表現するのに基本的に受動態を用いるという知識は、中学生、少なくとも高校生なら習っているハズの基本的事項なんじゃなかろうか??(ニュースが主語になった場合は右向き)


 宇多田ヒカルの歌にも

一人じゃ孤独を感じられない
だから for you


 ってあるじゃない?「for you」より有名な「automatic」にだって

ひとりじゃ泣けない rainy day

 という部分があるのだ(ヘンな部分ばっかり引用してるけど)。「ワタシがワタシがー」などといっている人っていうのは、世界にワタシしか存在しないとでも思っているんだろうか??まぁ、これはちょっといいすぎだとしても、まわりの人々や物事があるからこそ、自分はあるんだなぁ、つていうスーパースペシャルに単純でバカバカしい話だと思うんだけどなぁー。

 そうそう、「automatic」の構成はみんな「彼(外界)がなにかをするから、ドキドキする(感情が動かされる)」という展開になっているので、歌詞カードを読み返してみては??だからこそ、「オートマチックに」そう思わされるんだし。


 その人の一挙手一投足を見れば、人となりがわかるっていうのは、べつに何ら不思議なことじゃないと思う。言葉遣いだって同じことで、「バカっぽいしゃべりかた」もあれば、「上品な語り口」もあるってことだし。感情や感覚が(自分一人のチカラによって)動いていると勘違いしている人は「かわいそうな人だなぁー・・・。だれか注意してあげればいいのに・・・」と思う。



 そういえば、会話なり議論なりを成立させることが仕事のハズの国会においても状況は似たようなものみたい。

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民主・中田氏が外務省答弁に怒って質問放棄 衆院予算委

 「情けない。国会は議論がかみ合わない以前に会話が成立しない。私、質問やめます。ばかばかしい」23日の衆院予算委員会で質問に立った中田宏氏(民主党・無所属クラブ)が、外務省機密費(報償費)問題で「答弁は控えさせてほしい」と繰り返す河野洋平外相や外務省幹部の答弁に腹を立て、質問を途中で打ち切って引き揚げた。
 何も明らかにしない政府答弁に怒った野党議員が質問を中断して審議ストップ――かつては国会でよく見られた風景だったが、「本当に帰ってしまったのは前代未聞」(衆院事務局)だという。中田氏分の残り約40分間、予算委は休憩になった。
 機密費の中身ばかりでなく、報道された外務省内規の存在にも口をつぐむ外務省に対しては、野呂田芳成予算委員長も「事実かどうかは返事できますか」と促したほどで、中田氏の「開示された情報をもとに議論するのが民主主義の前提」との主張にうなずく議員は多い。ただ「質問放棄」は、与党から「懲罰にすべきだ」との声が出るなど物議をかもした。(01:41)

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・asahi.comより






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