色んな説があって何が本当なのか分からないのですが、間違いないのは、一人の男が一晩のうちに村人を三十人以上殺害したという事。数年前までは世界最高記録であった大量殺人事件。何度聞いてもそのつど凄いインパクトがあるし、色々語りたくなるです。・・・語る言うても、事件の概要(ほぼ人様サイトからの引用)を書くだけなのだけれども、興味のある方は以下をどうぞ。
日中戦争中の1938年5月某日。21歳(22歳との説も)の都井睦雄(都井睦夫との説も)が起こした事件。
山奥の農村。人々が寝静まった夜中に、一人の男が村中を駆け回った。その姿は、
黒詰め襟の学生服に、両足は軍事訓練に使うゲートルを固く巻いた。これは青年学校で軍事訓練用に買わされたもので、1、2度しか使用していない新品同様のものだった。そして、地下足袋に足を通した。鉢巻き状に巻きつけた頭の手拭いに2本の小型懐中電灯を取り付け、さらに、自転車用のナショナルランプをひもで首から胸に吊り下げ、さらに、別のひもで胴に固定し、暗闇の中で相手を照らし出すようにした。日本刀1振りと匕首(あいくち)2口を左腰にさしてひもでくくり、この上をさらに皮のベルトでしっかりと締めた。手には猛獣狩り用口径12番9連発に改造したブローニング猟銃を持ち、ポケットには実弾100発を入れ、弾薬、実弾100発を入れた雑嚢を左肩から右脇にかけた。まるで、2本の角が生えた阿修羅さながらである。
(無限回廊「津山30人殺し事件」より抜粋掲載)
厳密に想像プリーズ・・・・・・
黒詰め襟・・・ゲートル・・・地下足袋・・・日本刀・・・猟銃・・・ランプ・・・鬼の角・・・・
もうこれ以上語りようがないくらい、鬼気迫る姿だ。
本当にこの姿で村中を駆け回り、村人を殺害していったらしいのですが、殺人鬼という言葉は相応しくないような気がするです。もっと人間らしい感情が元にある、執念と怨念の具象化のような。人が恐ろしいと思う姿と行動をほぼ完璧に遂行したような気さえするです。これはワシが子供の頃に映画「八つ墓村(津山30人殺しがモデル)」を見て、怖いと思ったからかなのか、実際、世にも恐ろしい姿かたちなのか・・・。何にしろ至極日本的な風情の恐怖なのは間違いないですな。学生服にゲートルに日本刀。100%メイドインジャパン・・・・・・
外国で、残念ながらよく起こる。高校で銃乱射。オフィスで乱射。カフェで乱射。一人の男が短時間で何人もの人間を撃ち殺す。いわゆる大量殺人事件。何度もニュースで見たり聞いたりするけども「津山30人殺し」と通じるものがあるようで、実は全く違う犯行って感じがするです。大量殺人って加害者とは無関係な人が犠牲になる事があるし、加害者本人がそれでも構わないと思っているような、場当たり的な犯行ってイメージが強いのだけど、都井睦雄は、関係ある人間全てを抹殺する。と、綿密に計画を練って実行した大量殺人者。しかも真夜中に。真夜中に銃乱射って、あんまり聞かない。あくまでワシが知っている外国である多くの銃乱射事件は、まっ昼間で、犯人が何かしらの主張があるような「俺を見てくれ」みたいなイメージがあるです。実際は主張する事なんかないとしてもです。この事件では真夜中。それは、目立たず確実に全員を抹殺する、為。それだけ精神が正常だったという事なのかな?でも「人を殺す」という考えを持ち実行に移す段階で、既にどこかオカシイ気もするですが。
でも、都井睦雄も、本人の遺書の中で「うつべきをうたずうたいでもよいものをうった」とあって、実際、都井の私怨とは無関係の人も亡くなったりしてるようです。でも一番恨みが深いだろうと思われる人は殺されなかったりしてて、綿密に計画し冷静に行動しても、結局そうなってしまう殺人の愚かさみたいなのを感じるです。自殺をした都井ですが、後悔していたと、いや、後悔しない訳がない。絶対悔やんだと思うです。恨みの対象を殺せなかったなどの後悔であったとしても、満足して自殺したと思いたくないです。
それにしても、本当にあった事件だけど信じられないです。電話や電気が発達していないし、家に鍵を掛けるどころか窓や玄関を開け放して眠るような時代とは言え、信じられない。三十人を殺すって、それも一人で、猟銃や日本刀だけで・・・。現代では有り得ない。と、思いたいです。
凶悪な事件になればなるほど、殺された被害者の方々は本当に葬られ、人を殺した者が後々まで話される。こんな日記にまで登場してしまう。この事について申し訳ないけども、そういう作りだから仕方ないよな・・・それがニンゲン脳なのです。・・・わおっ!
ウ〜ン。映画の方で「八つ墓村」で語ればえかったな。