12月
12月31日 memeはどこへ?
ふと気がついてみれば、もう12月31日。なんだかんだいって「21世紀はじめの年」もザ・エンドなんすねぇー。(むかーし「ぼくらの七日間戦争」でダンガーっていうのがありましたねぇ。おぼえてます??)
さて、だいぶん前に書いたものではないんですけれど、とりあえずビンラディン関連のネタをひとつすませておきます。
ところで、あの人って、そのまんま「ビンラディン」と呼ぶべきなのか、それとも「ビンラディン氏」がいいのか、もしくは、「ビンラディン容疑者」のほうがベターなのか、はたまた「残虐非道の悪魔」と呼ぶに相応しいのか、けっこう悩ましい存在じゃありません??まぁ、とりあえず、NHKにならってビンラディン氏、といことで今回は話を次へすすめますね。
で、その彼なんですけど、死んだーとか、国外へ逃げおおせたーとか、諸説飛び交ってますよね。ぼくみたいな一般ピープルに事の真相を確かめる術などありはしないんですけれど、ニュースなんかを見聞きしていて思うことがあります。
それは、あんまり追いつめないほうがいいんじゃないのかなぁ、ということです。
考えてもみてくださいよ。あの空爆だの誤爆だのっていうのは、いちおう「アメリカがやっているからー」とか、「あんなヒドイことをやったんだからー」ということが免罪符になっているように思うんですけれど、はたしてそれでいいのだろうか??と思うのです。
※えーっと、その、「報復の正当性」だとか、「国際法上の適法性」とか、「負の連鎖」とかいう問題を云々したいのではありません。あくまでも「見かけ」のハナシとして聞いてくださいね。
さて、ちょっと想像してみてください。もし仮にですよ、あのビンラディン氏が、たとえばシュワちゃんやハリソン・フォードだったとしたら??
そう、彼がシュワちゃんであれば、もう、まさに「ハリウッド映画の典型的なラストシーン」へ向かって突き進んでいる状況すよねぇ。それって、ちょっとマズイんじゃない??と思うのです。
「彼なりの理想をもち、過去に業績のある主人公が、以前は味方であった組織に、まわり四方八方を圧倒的な力の差で取り囲まれ、絶体絶命の危機にある・・・。」
まーさーに、「ヒーロー、大ピーンチ!!」なシチュエーションっす。これって、映画でいえば「ラスト15分前」の典型的な舞台設定ですもんねぇ。で、その後のシュワちゃんやハリソン・フォードはどうなるのかといえば、もちろん、「奇跡の生還!!」もしくは、「大逆転!!」をするわけです。そして、観ている側は「おぉぉぉー!」と興奮と感動のるつぼに陥り、カタルシスを味わう・・・。こんな筋書きの映画やドラマ、よくありますよね。
つまり、「悪役」がチカラでねじふせようとすればするほど、「ヒーロー」に心を奪われる観客は増える一方なのではないでしょうか。(だからこそ、映画やドラマでは「絶体絶命」の状況をなんとか演出ししようとしますもんね)
そして、勧善懲悪ものの典型例として、「ヒーロー」が生き残ったとすれば、完膚無きまでに「悪役」を叩きのめして物語はクライマックスを迎えて大円団。逆に、ノワールものまではいかないにしても、「悪役」が勝利を収めるパターンだったとしたら、「悪役」を憎む「ヒーローの意志を継ぐ者」が現れて、「悪の大王なんか、ボクがたおしてやるー」と復讐を誓って第二幕へ続く・・・。どちらにしても、よくあるハナシです。
でででので、ここでハナシを空想の世界から現実へと引き戻します。たしかに、ビンラディン氏がやったとされる行為は正当化されるものではないでしょう。その点について異論を差し挟むつもりは毛頭ありません。なんですけど、現状のアメリカの行動について考えてみると、戦術としてはオプションの範囲内なのかもしれませんが、戦略として考えた場合、非常にマイナスの面が大きいのではないでしょうか。ぼくにはそう思えてなりません。
だって、「ヒーロー」をやっつけることのできない「悪役」ほど疲れる商売はありませんもん。後に残るのが際限ない徒労感だけだったとしたら、これは、もう、救いようがないですよね・・・。(そして、それはベトナム戦争の時のようになりつつあるのではないか?とも思うのですが、これは蛇足です)
そりゃー、ブッシュも顔にガン(ちっちゃいやつらしいですけどね)もできるわなぁ、ストレスたまるべよ・・・。と思う年の暮れでした。(本当は一週間くらい前に書いたんですけどね・・・。ついでに、演じる側としては「悪役」のほうが楽しいんです。でも、舞台の上での「狂気」と現実のそれとは似て非なるものですものね・・・。)
・前回のユタヲの日記で書いた「裏口入学」はニュースになっていたT大学医学部のことじゃありませんよ。タイムリーなネタではありましたが。
というわけで、まったくもってイベント性もなにもない、ふつーのトップページのまんま年を越していくのでした。(たぶん。元気があれば、新年の挨拶くらいはできるかと思いますが、予定は未定です・・・。)
最後になっちゃっいましたけど、何かのご縁でこのページを知って足を運んでくだすったみなさま、たとえ一回でも二回でも三回でも、百回であったとしても、どうもありがとうございました!!24時間もしないうちに「来年」になってしまうことではあるんですけれど、今日の東京の天気のように、すかーっと晴れわたった年になってくれることを願って。
どうか来年もよろしくお願いします!!
12月21日 「このハナシはおもしろ・・・」じゃわかんないもんねぇ。
マーシーこと、田代まさし容疑者の事件のほうも気になるところではあるんですけれど、それより興味深いのがサッチーこと、野村沙知代容疑者の一件です。
ふつう、ヒトは年輪を重ねるにつれて視点の移動が行われると思うのです。それは大まかにいって「下の者に対する眼差し」だとか、「知識の伝承」だとかそういうことです。端的にわかりやすいのは「棺桶にまでカネを持ちこめるわけではない」という表現でしょうか。
つまり、ぼくがどんなにたくさんの情報を獲得したとしても、それを表出しない限り、これを読んでいるあなたに通じることはありえません。昨日、ぼくが九十九里浜の海辺で「まてぇー♪♪」と楽しくおいかけっこしたとしても、そのことをいっしょに遊んでいない友人や、ネット上でしかぼくのことを知らない人に伝わるかどうかは別問題であるのと同様に。
で、ふつーはそれだと「さみしい」ので、「ちょっとちょっと聞いてよー、昨日ねぇ・・・」と他人に伝達しようとするもんだと思います。(もちろん、おいかけっこなんてしてませんけどね)
そして、それは齢を数えるごとに明確に、あからさまに「さみしい」気持ちが強くなるものではないかと思います。けして越えることのできない自らの限界を強制的に通達されるというのは、思い知らされる、という表現では事足りないほどに、まさに筆舌に尽くし難い、過酷な瞬間のような気がします。ぼくはまだ20代ですので、先達の人々から見聞きしたぐらいしか知りませんけれども。
んーで、そうなってくると、「うちの孫はかわいいのう♪」とか「ポケモンはええのう」とか、そういう方向に進むハズ、なんだと思うんです。
かのブラピいわく、「ボクの友達が末期患者の世話をする仕事をしているんだけど、彼によると、死の床にある患者は、自分の財産や服やステイタスなどについては一切語らないというんだ。すべては愛する人や愛した人の話、または、きちんと自分をうち明けなかったことについての後悔だと。つまり、死を目前にした人間にとって、大事なことは愛だけ。」なんだとか。(週刊Dias025号より)
なんですけれど、サッチーはさにあらず!!
地元の方言でいうところの「わがもわがも」ということらしい。(和鴨じゃなかばい。「強引に我も我も、と押し進める様子」といったところでしょうか)
そういわれてみれば、毛唐の人たちはなにかっつーと「寄付」だの「慈善活動」に精を出しているように見受けられる(ビル・ゲイツしかり、ゴードン・ムーアしかり)。しかーも、年老いた、いわゆる「階級が上」の人々ってばけっこう熱心な感じ。それに比べ、我が日本では何度も職に就いちゃ辞め、職に就いちゃ辞め、数億円もの退職金ゲット。だがしかーすぃっ!!それが「世のため人のため」有効活用された、というウワサはとんと聞かれない・・・。
もちろん、「慈善活動」だの「NGO」だのが即「賞賛すべき善行」なわけじゃあない、なんてあったりまえです。ですけれど、たとえそうであったとしても、「ホットスポットにいる数多くの種を救うために(天文学的な額である私財のごく一部だとしても)資金提供する」ことが「世のため人のため」にならない、とは思えないのです。すこしであったとしても、動植物の生き延びる可能性が高まるかもしれないのであれば、それが売名行為であろうと、金持ちの偽善だとしても、やらないよりはやったほうがいい、とぼくには思えるのです。
ようするに、矢印がまがりなりにも外へ向いている毛唐と、なぜか内向きのままジジババになる日本人、なんていうと紋切り型すぎるくらい単純すぎますけど、その好例としてサッチーをみるとおもしろいんじゃないのかなぁ、と思うのでした。
ほら、なんだかんだいっても、ふつうは「生きること」に執着するもんじゃないですか??「もっと長く生きたい」って。その気持ちはわかるんです。だから別に、サッチーは悪魔だぁ、とかそういうことじゃないですよ。ただ、「宵越しの銭は持たない」なんてことまではいいませんけど、「カネは天下の回りもの」でしょう??もうちょっとくるくると転がそうよ。ねぇ、サッチー。
・久しぶりに銀幕夢物語のページを更新しました。ブラピさんネタです。そう、『スパイ・ゲーム』です。
・カネっていうのは、あるところにはあるし、ないところにはない。そういうもんですよねぇ。ユタヲの日記はおカネのハナシをすこし。
12月15日 微々たるものではあるんだけれど。
前回、「本屋さんも出版社さんも、もーちょっとヤル気だそうよ」みたいなことを書きました。なんつーか、こう「読みたくなる」とか、「読む人の気持ちを考えてみる」ことがなっちゃない、と思うんですよ。
たとえば、です。インタビュー記事とかって聞いている側の文字はゴシック体とか太字なのに、なんで、尋ねられている側の文字は明朝体とか細字なんでしょう??
ふつー、「インタビューされている側」のことを知りたいからこそ、読者はその記事を読むわけですよねぇ??ぼくなんかはそうなんですよ。対談なんかじゃあるまいし、質問してる側のことなんて多くの場合たいして重要じゃないんです。(いや、もちろん大切ですよ。なんだけど、太字にするような事じゃないだろう、ということがいいたいのです。)
だとしたら、太字にするべきなのは「語り部」ですよね??もしくは、まさに対談のように両方ともおなじフォントにするとか。
ほら、年の瀬も押し迫ってきているので、「今年を振り返って」とか、「来年の展望」みたいな特集が組まれる時期じゃないですか。ぼくはこういう特集が大好きなんです。で、「2002年のゲーム業界」というインタビュー記事を読んでいたら、任天堂とかソニーなどの「話したい側」が太字だったおかげで、とても読みやすかったのです。
なーんでだろ??と思ったら、そういうことだったのです。週刊誌や月刊誌なんかだと、ホント、質問してるほうが太字っていうのが多いんすよねぇー。「おめーのハナシなんざ、聞いちゃないっつーの!!」っていうのばっかりですもん。来年こそはなんとかしてほしいっす。
というわけで、ちょっとずつ来年にむけて、というか、もうちょっと更新しやすくするためにサイトの手直しをしています。別段たいしたものでもないんですけど、すこしずつ進めていますので、たまったものも多々あるんですけど、どうかどうかご容赦を・・・。
・ひさびさにオススメ!!を更新しました。で・す・がっ!!アタマにあるとおり、ピクミンもオススメちゅう♪
・たまってしまいましたけど、ちゃーんとユタヲの日記はつけているんですよ・・・。
12月11日 100年も前からわかっていること。
「IT革命で生産性が大幅アーップ!!」なんてウソウソ。光通信の時価総額が何兆円??アホじゃなかろうか、この人たちは・・・。ということを書いたページのヒットがよかった、というのは前にもいった気がする。
それはおいといて。「出版不況」も叫ばれて久しい。にゃんだけど、これまたおかしな話だ。世界で1億1千万部以上も売れたというハリーポッター、あれメチャ分厚いっすよ。フォントがちょっと大きめで、ルビがふってあるとはいえ、あれだけの量を小学生、中学生をはじめ、多くの人が読んでいるというのはものすごいことじゃないかと思う。
だいたい、インターネットにしろ、メールにしろ、基本的にやりとりされている情報は「文字」だ。そりゃ、FLASHを使ったアニメとかエロ画像(動画もあり)、MP3、エミュレーター、などなども飛び交ってはいるけれど、いわゆる人気のホームページや、掲示板なんかっていうのは、やっぱり文字が中心であることにかわりはないように思う。
すくなくとも、ぼく自身が求めているのは、とどのつまりテキストに何が書かれてあるのか知りたい、ということだ。
んー??「活字離れが進んでいる」??「本が売れなくなった」??
ウソやろー!!!!
おもしろなかけん、読まんくなった。
それだけやろ。本屋いってん。「なんね、これは?」とかゆう本が所狭しとおいてあって。まさに、「おいてあるだけ」なんやけど。こげなもんで金銭的対価ば要求するっちゃか??ちうようなもんばっか。そりゃ読まんくなろうもんて。そげなもんよかおもしろかもんがほかにもたくさんおるもん。
(ミソカスなもんもあるけど)すばらしか音楽はたくさんある。プッチモニ。の新曲の踊り、よかねぇー♪あの「L・O・V・E、LOVELY、やすだっ!」とかいうあたりのサルっぽか腕の振り、うまかねぇー♪「ミニモニ。ジャンケンぴょん」が年間トップテンに食い込んだ、ちゅーのもよか話やし♪♪
(ウンザリするんもあるけれど)感動する映画もたくさんある。「ムーランルージュ」は、もういっぺんゆうばってん、よか映画ばい。Yちゃんきろん二回も観にいきよーし、サントラまで買いよーし。「ハリーポッター」の映画も、よくぞまぁ、って思うごと出来がよか。
(プレステの行き詰まり感はあろうばってん)ゲームにだってよかもんはある。あの「ミニハムず」ば抑えてオリコン2位てマジね!?っていう「ピクミン」は何度やっても飽きん。こげなゲームしたことなかばい!おどろきばい!!たまげるごたばい!!!
というわけで、眠さのあまりインチキ方言になったけんど、ようするに、四六時中も好きといってるのは楽しそうではあるんだけど、そうもいってられないこの身の上なんだから、「いちにちはにじゅうよじかんです」という最低限度の決まり事の中でうまくやっていくしかにゃい。だとすれば、やることに優先順位をつけるしかないじゃーん。そうなりゃ、いきおい下位のものが上位のものにおしのけられるのは事の必定だべ。しかーも、「セーフティーネットが必要」とかいう議論をしているわけじゃないんだし。
本屋さんや出版屋さんなんかは、もうちょっと、こう「読んでください」とか、「買ってください」っていうサービス精神がないとダメだよなぁー。なんつーか、ハートマークがチュチュチュってなるくらいキスしてほしくない??いや、マジで。いろんな人がいってることではあるけどさ。
12月2日 予告編と本編の字幕は別物。
昨日はハリポタ君の上映初日。どこの映画館もずらーっと黒山の人だかりで、うわさにたがわぬ人気者のようです。ぼくは「(ホグワーツ魔法魔術学院を)退学なんて、死ぬより嫌よ!」という女の子、ハーマイオニー(Hermione)ちゃんが好きです。「死んじゃったら・・・」なんてことはいいません。かわいいから。ふぉっふぉっふぉ♪
・ユタヲの日記はジョージ・ハリソン追悼版。町田に「CloudNine」という古着屋というか、洋服の店があります。ぼくはそこで買った緑色のTシャツをいまだに着ています。なぜか??初めてアメリカへいったときに買ったのがジョージ・ハリソンの「CloudNine」と、Dead or Aliveのテープだったからです。(テープですよ!!CDなんかじゃありませんよ!!時代を感じるのぅー・・・。)
e-mail yutao70@yahoo.co.jp
© 2005 yutao