仏仏辞典を引くのが良いと知ってはいるけれど                                                          


仏語学習を始めて何年かすると、必ず先生が「そろそろ仏仏辞典を引くように」と勧めます。しかし仏語が外国語である以上、日本語のような実体感や透明感は無いわけで、単語の仏語による説明は却って混乱を招くように感じられるかも知れません。ついつい仏和辞典で済ませたくなるのも人情、と言いたいところですが... それでも覗いてみようという意欲が湧くように、仏仏辞典を引けばどうなるかという具体例を幾つか選んでみました。
 単語毎にまず Petit Robert にある説明を引用し、『小学館・ロベール 仏和大辞典』にある語義と対比してみます。

discours
Propos que l'on tient.
 『仏和大辞典』の語義の内、「発言, 談話」「空言, 駄弁」の二つに当ります。「演説; スピーチ, あいさつ」や哲学・文学・言語学等の専門用語の場合に比べて、この二つはどうもピンときませんが、"Propos ..." を見れば単純明快です。
 残念なことに、『仏和大辞典』のような語義の提示の仕方では、この語自体に「空言, 駄弁」という意味があるかのように見えてしまいます。しかしその例文として挙げられているのは、
  perdre son temps en discours
  Assez de discours, des faits!
  Tous vos beaux discours ne servent à rien.
の三つです。いずれの場合も、周囲の語群が「空言, 駄弁」のニュアンスを醸し出していると言うべきでしょう (もっとも Petit Robert でも、"Propos que l'on tient" の部分的な使用例として "opposé à action, fait, preuve" という項を設けてあることは確かです)。

visage
1) Partie antérieure de la tête de l'homme.
2) (Par ext.) Expression du visage.
3) (Par ext.) La personne (considérée dans son visage).
4) (Fig.) Aspect particulier et reconnaissable (de qqch.).
 1) 〜 3) は全て人間の顔が対象で、4) は比喩的用法です。
『仏和大辞典』には勿論この4つに対応する語義が並べてあり、figure, face, physionomie などと対比しての説明も加えてあります。
 しかし visage が人間の顔に限られるという注意がありません。日本語では、犬, 猫, 牛, 馬などについても「顔」と呼ぶことを意識しなかったのでしょう。
 この辺は、動物に接する時の心理的態度が、フランス人と日本人で異るのかも知れません。犬や猫の顔は tête です。

tentation
Ce qui incite (à une action) en éveillant le désir.
Tendance qui se manifeste alors.
 この語について『仏和大辞典』では、神学の場合を除くと、「誘惑, 欲望, したい気持, 魅力」「誘惑する品物, 心そそる物」「傾向」の三つの語義が掲げてありますが、全て上に引用した範囲に入ります。つまり「欲望を目覚めさせることによって、ある行いをするよう仕向けるもの」と「その際に表れる傾向 (性向, 性癖)」です。
 『仏和大辞典』の方で一つ気になるのは、わざわざ「傾向」という語義を立てたせいで、この語自体に「傾向」という意味があるかのように見えてしまうことです。例文として
  la tentation du protectionnisme dans les échanges
が挙げてありますが、その趣旨を敷延すれば、「貿易に関しては (どの国も) 保護主義を導入したいという誘惑に駆られる」です。それを「貿易における保護主義の傾向」と訳すのも一つの考えでしょうが、Petit Robert の説明の仕方からすると、飽くまで第一の語義「誘惑, 欲望,...」の例文として受け止める方が良いと思います。

scandale
1) Effet fâcheux, choquant, produit dans le public par des faits, des actes ou des propos considérés comme contraires à la morale, aux usages.
    Emotion indignée qui accompagne cet effet.
2) Désordre, esclandre.
3) Grave affaire qui émeut l'opinion publique à la fois par son caractère immoral et par la personnalité des gens qui y sont compromis.
 『仏和大辞典』の語義と対照すると、1) が一番目の「世間のひんしゅく, 悪評」に対応し、3) が三番目の「醜聞、スキャンダル; (汚職などの) 不正事件」に対応します。
 不幸な偶然と言うべきか、scandale の綴りが「スキャンダル」そのものであるために、つい 3) の意味しか無いと考えがちです。しかし 1) の方は "Effet ... produit dans le public ..." ですから、「スキャンダラスな事件」そのものではなく、「事件によって世間が受ける fâcheux, choquant な印象」を指すことが明確に示されています。敢えて 1) の例を挙げれば、
  Oh, le scandale ne me fait pas peur (Zola)

formel
1) Dont la précision et la netteté excluent toute méprise, toute équivoque.
    (Par ext.) Qui énonce qqch. d'une manière formelle.
2) Qui concerne uniquement la forme.
 Qui considère la forme, l'apparence plus que la matière, le contenu.
 この二つ以外は、哲学, 論理・数学, 法律上の語義です。
 「形式」という用語が作り出された当初は、formel を「形式的」と訳してピッタリだったのかも知れません。しかし現在では「形式的」が余りに「表面的で無内容」というニュアンスに傾いているため、formel を単に「形式的」と捉えているとどうしてもズレてきます。特に 2) の方は、「(価値判断とは無関係に) 形に関わる」と受け止めた方が、誤解の余地が少ないように思われます。

destin
1) Puissance qui, selon certaines croyances, fixerait de façon irrévocable le cours des événements.
2) Ensemble des événements contingents ou non qui composent la vie d'un être humain, considérés comme résultant de causes distinctes de sa volonté.
    (Par ext.) Ce qu'il adviendra de qc.
3) Le cours de l'existence considéré comme pouvant être modifié par celui qui la vit.
1) これはまあ神話の領域です。
2) うまいこと書いてあります。「運命」ってそういうことだったんだ、と改めて納得する。
 (拡大された意味) ...にその後起こること。
3) 面白いですよね。元々、自分の意志とは無関係に起こってくる、どうにもできない事の成り行きを指す語であったのに、「当人によって変更され得るものとしての存在の成り行き」をも意味する。

émotion
Etat de conscience complexe, généralement brusque et momentané, accompagné de troubles physiologiques (pâleur ou rougissement, accélération du pouls, palpitations, sensation de malaise, tremblements, incapacité de bouger ou agitation).
 『仏和大辞典』の語義の内、「感動, 感激, 動揺, 興奮」に当りますが、胸がドキドキしたり顔が赤らんだりなど、生理学的反応を伴う意識の状態を指します。
 但し、この語には別に sens affaibli もあります。

ombre
I. Espace privé de lumière
1) Zone sombre créée par un corps opaque qui intercepte les rayons d'une source lumineuse; obscurité, absence de lumière (surtout celle du soleil) dans une telle zone.
 ..........
II. Image projetée par un corps
1) Zone sombre reproduisant le contour plus ou moins déformé (d'un corps qui intercepte la lumière).
 ..........
 『仏和大辞典』では「陰」と「影」という形で、上の二つの語義が明確に区別されています。例文を見てもそれは明らかで、仏仏辞典を引くメリットの例に挙げる理由は無いのですが、上のような説明を読むと、正に「陰」と「影」の違いが意識させられます。

psychodrame (Larousse)
Situation dramatiquement tendue, révélatrice d'un conflit.
 『仏和大辞典』には「心理劇, サイコドラマ」という集団治療法のことしか書いてありませんが、新聞記事などに出てくるのは専ら Situation... の方です。

hôpital
MOD. Etablissement public, payant ou gratuit, qui reçoit ou traite pendant un temps limité les malades, les blessés et les femmes en couches.
 『仏和大辞典』では最初に「病院」と出し、最後の「比較」欄で「普通は公立の大病院を指す」などと注意しているが、 Petit Robert では現代用語としては公立のものと明記している。『仏和大辞典』の意図が良く分りません。

roulement/palier
二語とも様々な意味がありますが、『仏和大辞典』の [機械] とある項目に限ると、各々「軸受, ベアリング」/「軸受」しかありません。用例を見ても roulement と palier を入れ換えられるケースが幾つか載っているし、仏語になぜ二つの語が存在するのか良く分りません。仕事の準備をする度に、同じ意味なのかな〜... 違うものを指しているのかな〜... と疑問を感じつつ何年過ごしたか敢えて申しませんが、この記事を書くようになってから Petit Robert で引いてみたところ、roulement のある語義の用例として
 Roulement à billes : mécanisme destiné à diminuer les frottements entre des pièces roulant l'une sur l'autre, formé de billes d'acier insérées entre les organes flottants.
 また palier の語義の一つとして、
Pièce fixe supportant l'arbre de transmission d'une machine.
 つまり片方は回転部品の摩擦を減らす機械装置、もう一方は回転シャフトを支える固定された部品、というわけで明確に違います。言うまでも無く、現場ではフランス人の側にも混用があるでしょうし、日本語ではこの二つの概念を区別する用語は無いらしい。或いは技術者の頭の中で、暗黙の内に区別されている。となれば、取り敢えずどちらも「軸受」と訳していれば文句は言われない... 可能性が大きいのですが、技術用語の場合にも仏仏辞書を引いてみる価値があるという例です。

parc
語義の一つに以下のものがあります:
 Techn. Econ. Ensemble d'appareils, d'installations d'une catégorie donnée, dont dispose une collectivité.
 ある国、自治体、会社等が保有する、特定の種類の機械・設備の全体です。
 残念なことに『仏和大辞典』の対応項目では、「保有総数」と数に還元されてしまっています。ベースにしている Petit Robert を編纂チームが読み誤るなんて信じられませんが... 是非直ちに直して欲しい点です。

avionneur
Techn. Constructeur d'avions, et spécialement de cellules d'avions.
 Constructeur automobile が自動車メーカーであるのと同様に、「航空機メーカー」です。『仏和大辞典』にある「飛行機の機体組立工」は何なんでしょうね。仏仏辞書を引くと、こんな効能もたまにはあります。

zone de chalandise (見出語は chalandise)
Aire sur laquelle se trouvent les clients virtuels d'un magasin, d'une localité.
 つまり特定の店や商店街の「商圏」です。『仏和大辞典』の「(ショッピングセンターなどの車を締め出した) 商店街」は、一体どこからきたのか不思議です。

contreventement
Assemblage de charpente destiné à lutter contre les déformations.
 こういう技術用語は、仏仏辞典を見ただけで訳語を突き止めることはできません。正解は「筋交 (すじかい)、ブレース」で、日仏両語を Google で検索して画像を比べれば確認できます。
 面白いのは『仏和大辞典』の訳語:抗風設備、対風構です。検索しても、抗風設備なんて語は出て来ないし、対風構は出てくるが全然別のものを指しています。
 一体「抗風設備」はどこから来たのか知らんと考えている内に、恐ろしい仮説に思い至りました。この語の作りから日本語を造語したのではないでしょうか。contre に「抗」を当て、vent に「風」を当て、-tement の意を汲んで「設備」と付ける。「対風構」も同工異曲です。
 『仏和大辞典』は膨大な専門用語を丹念に収集して載せてあり、編集陣の努力には頭が下りますが、上の avionneur と同様、本気で対応する日本語を探さず当て字ならぬ当て語義でお茶を濁す例が、散見されます。
 iPad 版が出ている以上、オリジナルはデータ化されているわけで、iPad 版の修正は簡単にできるのではないでしょうか。

『仏和大辞典』は基本的に
 Petit Robert を包含した上で専門用語等を加えてあるようですが、1988年に出版されて以来、改定版が出ていません。そのため、Petit Robert の新しい版を見ると『仏和大辞典』には見当らない表現・語義が色々入っています。iPad 用のアプリとして買うと (iPad 活用法)、時々アップデートがあるので尚更です。気付いたものを幾つか挙げますと:

demi-teinte の言わば成句として、
   en demi-teinte : mélangé, incertain, peu affirmé.
   Bilan en demi-teinte, ni bon ni mauvais.

parachute の用例として、
   parachute doré : indemnité de départ négociée par un dirigeant qui accepte de démissionner, qui est écarté.

people
   Presse, magazine people, qui traite des vedettes, des personnalités (notamment de leur vie privée).
   Célébrités dont il est question dans ces médias.

sexy 日本語と同じ意味の他に、
   Plaisant, attrayant (hors du contexte sexuel).
   Une nouvelle maquette sexy.
そう言えば France culture のある番組で、"le Panthéon n'est pas le monument le plus sexy de Paris, mais…" などと言っていました。

se morfondre『仏和大辞典』では、特殊な用法を除くと「待ちくたびれる」です。ところが Petit Robert にはまず S’ennuyer としてあって、更に次が掲げられています:
   Etre plongé dans l'inquiétude et la tristesse.
念のため Grand Robert を引いたところ Se ronger en une longue attente とあって、『仏和大辞典』にある語義はこちらが根拠らしい。現代フランス語では意味が変ったのです。もっとも、
   Elle se morfondait à l’attendre.
となれば「待ちくたびれる」がぴったりなのでしょう。

少し原理的に考えてみる
言語学者の鈴木孝夫によれば、
「ことばというものは、混沌とした、連続的で切れ目のない素材の世界に、人間の見地から、人間にとって有意義と思われる仕方で、虚構の分節を与え、そして分類する働きを担っている」(岩波新書『ことばと文化』p.33)
 「人間は生 (なま) のあるがままの素材の世界に、直接ふれることはできない。素材の世界とは、混沌とでもカオスとでも言うべき、それ自体は無意味の世界であって、これに秩序を与え、人間の手におえるような、物体、性質、運動などに仕立てる役目を、ことばがはたしている」(同書p.40)

またソシュールの Cours de linguistique générale を受け売りすれば、一つの言語において単語の全体は意味やニュアンスの網の目を成している。そして様々な語の意味やニュアンスは、意味上の包含関係、類語、反意語等の形でお互いにせめぎ合っていると言っても良い。

そして言うまでもなく、意味の無い渾沌の世界に言語がもたらす秩序も、単語の全体が成す意味やニュアンスの網の目も、異る言語の間では微妙にズレています。従って、特定の文脈で単語 M をどう訳すべきか、仏和辞書の語義や例文訳を見てもしっくりしない場合は、同じ仏語の網の目に属する単語で書かれた語義を読むことで、ヒントが得られるかも知れません。また単語 M について、仏和辞書の示す語義や例文訳から読み取れる意味を並べてみても、それらを貫く本質的な要素が掴めず、単一の語としてイメージが定まらないこともあります。そういう時にも M の仏語による説明を読むと、M のカバーする意味範囲がはっきり見えてくることがあります。


追伸。「少し原理的に考えてみる」で引用した鈴木孝夫の説明から容易に想像できるように、一人の人間にとって母国語との関係は、外国語に対する関係とは本質的に異なります。この辺の事情に関心のある方は、拙文「早期英語教育への疑問」をご覧下さい。