頭に瓶を載せてトンデーロを踊る赤いスカートの黒人の女の子
カホンとたたく黒人のおじさんの絵
ペーニャ・ハラナ ロゴマーク

ムシカ・クリオーヤって
どんな音楽?

 ペーニャ・ハラナで演奏している音楽は、ペルーの海岸地方の音楽、ムシカ・ コステーニャと言われる音楽です。さらに細かく言うなれば、その音楽は大別し て二つの音楽に分類可能です。ムシカ・クリオーヤとムシカ・アフロペルアナです。

 

◆ムシカ・クリオーヤ(クリオーヨ音楽)とは?◆

<目次>
クリオーヨってなに? / ざくっとムシカ・クリオーヤ / ムシカ・クリオーヤの種類

1:クリオーヨ(クリオーヤ)って何?
  ムシカ・クリオーヤとは、スペインからやってきてインカ帝国を征服し、植民地時代に土着化した白人の人たちの音楽を指します。その多くはスペインからの移民でした。このクリオーヨという言葉が、なかなかむずかしい言葉ですし、日本ではあまりなじみのない言葉だと思いますので、初めに簡単に説明したいと思います。もともと、クリオーヨという言葉は、新大陸で生まれた白人を指す言葉でした。植民地時代に、リマ副王領(今のペルー・ボリビアを指す地域)にスペインから移民した征服者たちの子孫は、常にスペインから派遣される官僚の下で働くことを強いられました。イベリア半島(スペイン本国のある半島)生まれか新大陸生まれか、ということが決定的に彼らの生活を決める要因となりました。少し乱暴ないい方をすると、スペイン人が、各地の植民地を点々としながら出世していくの横目に見ながら、リマ副王領でスペイン人に使われていた新大陸生まれのクリオー ヨたちに溜まった不満が、やがて中南米の独立を非常に早める結果につながったとも言えるのです。
 このクリオーヨという言葉は、やがて新大陸生まれの白人という意味から、彼らの住む地域文化や料理などにまで拡大して使われるようになります。そして20世紀に入り、山岳先住民がクリオーヨたちの住む海岸部に移民として大挙して流入してくると、アンデス文化に対抗する文化として、白人だけでなく、黒人をも含めた海岸文化を総称してクリオーヨ文化と呼ぶ傾向が強まっていきます。
現在、クリオーヨと言った時には、その文脈によってさまざまな意味が含まれますが、基本的には、海岸部に住む白人を中心とする人々を指すことになります。ちなみにフランス語でクレオールという言葉も同じ語源の言葉ですが、カリブ海で使われるこの言葉は、新大陸生まれの白人というニュアンスから完全に「混血」を指すように意味が変化してしまいました。ペルーにおけるクリオーヨという言葉にも「混血」という意味がないわけではありませんが、言葉としては、まったくちがった方向に発展したおもしろい例です。

2: ざくっとムシカ・クリオーヤ
  では、クリオーヨたちの音楽(ムシカ・クリオーヤ)とはどんな音楽なのか、簡単に見ていきましょう。
クリオーヨ達の音楽文化は、その移民元であるスペインの文化と、ヨーロッパのサロン音楽、奴隷として使っていた黒人たちの音楽、それからアンデス山脈の都市部で発達した混血音楽の影響を受けながら発達してきました。
スペイン音楽の強い影響としては、ファンダンゴやスペイン式オペラであるサルスエラなどが基盤となり、ヨーロッパの宮廷で流行ったサロン音楽からワルツ(バルス)やポルカ、マズルカなどが入り込み、黒人奴隷たちの音楽リズムや楽器を取り込みつつ、アンデス山岳先住民に端を発する混血音楽であるワイノやヤラビの影響を強く受けます。特に20世紀初頭まではヤラビはペルー全土でクリオーヨに非常に愛された音楽でした。
 細かい音楽の種類については次に譲りますが、クリオーヨたちは、ヨーロッパの音楽に憧れて庶民階層まで取り込みつつ、同時に黒人やアンデスの音楽的要素をどんどん取り入れながら「ペルー的な」大衆音楽を作り上げてきました。こうして誕生したムシカ・クリオーヤは、現在でもなおペルーを代表する音楽として、大きな音楽市場であり、文化遺産であると言えるでしょう。
クリオーヤ音楽の全盛期は1920年代から60年代までと言われ、この頃に名曲や名演奏家が沢山排出されます。80年代頃に入ると一度落ち込みますが、1990年代以降、黒人音楽との融合を進めながら、再びムシカ・クリオーヤは息を吹き返し現在に至っています。

 

3:ムシカ・クリオーヤの種類
 クリオーヨの音楽のほとんどは、踊りと密接に結びついています。音楽、歌、踊りの三者が、どれも深く結びつき、大衆音楽として成長してきたと言えます。そのため、ほとんどの音楽には、それぞれの踊りがあります。また、踊りのつかない歌曲なども、全て音楽形式や歌の詩の形式が厳密に決められた枠の中で作られてきたものです。というと堅苦しく聞こえますが、そのパターン性こそが、大衆音楽の重要な要素であったとも言えます。現代では、失われたその特性を、ペルーの大衆音楽では、今なお色濃く持っていると言えるのです。
ではクリオーヤ音楽の代表的な形式について見ていきたいと思います.

バルス Vals
  ムシカ・クリオーヤを代表する音楽。19世紀半ばにヨーロッパから伝わったワルツがペルーに土着化したもの。ワルツのゆったりとした三拍子が、狭い部屋で大量の人が踊るために動きが細かくなり、8分の6拍子的なノリも加わった独自のものへと発展していった。歌うためのバルスと踊るためのバルス(ハラナ)の二つの流れがあり、近年は黒人音楽の影響が強く現れる曲が作られ、人によっては、南米一黒いバルスと言う人もいる。

ポルカ Polka
  20世紀前半期に非常に好んで演奏された東ヨーロッパ起源の舞踊歌曲。ノリのよい二拍子のリズムに垢抜けた歌が乗り、フィエスタなどでの盛り上げ役として大いに演奏された。しかし黒人音楽が人気を呼び始める20世紀後半になると、ポルカは次第に演奏される機会を失っていった。

ヤラビ Yaravi / トリステ Triste
 ポルカ、バルスなどがムシカ・クリオーヤの中心的存在となる前には、ペルー全土で、アンデス先住民音楽ハラウィを起源とするゆったりとした歌曲ヤラビが好んで演奏された。この音楽は、ギターのゆったりとした伴奏にのせて歌われる静かな歌曲であった。また、ペルー北部では、ヤラビはトリステと名前を変えて演奏された。これは、ヤラビが哀歌としての側面を強く持っており、切々とゆったりと歌われる音楽であったためである。現在でもペルー北部では、トリステを、後半に黒人系音楽トンデーロをフーガとして伴いながらしばしば演奏される。

その他の音楽としては、ボレロ、タンゴなどもクリオーヨたちは好んで演奏していた。

 
Chabuca Granda
ペルー海岸部で最も世界的に
有名な伝説のシンガーソング
ライター。 超おしゃれです。
 
Eva Ayllon
ペルーでもっとも人気があると
いっても 過言ではない歌手です


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