4月
4月 「Love論」
4月の最初のほうに「書こう!」と思ったんだけど、ずるずるとのびてしまったお話をひとつ。
新しくできた本屋をながめていたら、mという雑誌の「犬のいる生活」という大きなタイトルが目にとまった。「こりゃ、つかえるぜー」なんてホクホクしながら買ってはみたものの、たいしたことありませんでした。「(ちょっとだけ)有名人」みたいな人がでてきて、「犬と楽しく生活してまーす」とか、「人気の子犬」とか、そういう類の話がぱらぱらと続くだけ。
ぼくはこういう雑誌は大嫌いだ。「(上流というとおこがましいけれど)せめて中の上くらいにはすがりついてたいよなー」という人たちの欲望を相手にしている雑誌というのは、あまりにも中身がなさすぎるし薄っぺらすぎる。「徹底討論」といいながら見開き2ページで終わるAIBOネタなんて、まさに典型的な例だと思う。(あ、なので「ファッション雑誌」というのは、ぼくの中ではクソゴミ雑誌です。あれよかプレイボーイのほうが数百倍マシです)。
とはいってみても、誰もがcelebrityになれるわけじゃないんだから、「灰汁抜き」としてこういう雑誌も必要なんだろうなぁ、とは思う。「ちょっと上の生活」みたいなものを「実感としてではなく、幻想として抱かせる装置」は、どこからともなくニーズがあるんだろうし。なんだけど、それにしては見ているもののレベルが低すぎやしないかい??
こんなもん読むくらいなら、せめて「天皇家の御食材」を読みなさーい。もう、ねぇ、日本って国は、やーっぱり「階級社会」なのねぇー、なんてしみじみしちゃうから。なーにが、「デミグラスソースつくるのに一週間かけてます」だ!!どーせ、うちらは合成着色料にケミカルな保存料たっぷりぷりで、遺伝子も組みかえられまくって原型もとどめてないような”モ”とか”カ”の食材つかってるっちゅーの!!
そうそう、村上龍さんが日本代表がフランス戦でボロ負けしたことに関していーことをいっていた。
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日本代表は、5ー0の大敗など、気にすることはない。フランスチームは、戦術など関係ない、次元の違うサッカーを展開した。高い技術に支えられたシンプルなサッカーだ。一人一人の選手のパスは水を吸った芝の上でも正確で強かった。それを受ける選手のトラップも完璧で、前線の選手たちは足が速く、とくにアンリの足の速さは脅威だった。これから日本代表の選手たちは、肌で実感した体験を活かすべきだ。あれ以上の強いチームは世界にはいない。世界最高レベルとの距離をイメージできないと、世界最高レベルとの戦いをスタートすることができない。
『Physical Intensity 00-01』 14th roundより
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そーぉなのよねぇー。「いい映画」を知らない人には、「いい映画」を理解することは不可能なのよねぇー。そういえば、WindowsにくっついてくるMediaPlayer、あれの「視覚エフェクト」とかいうやつしか知らない人は、「CDといっしょに生成されるCGって、こんなもん」と思うだろう。だけど、マックのiTunesにあるやつを見てみると、「こんなもん」が実は、「(レベルの低い)こんなもん」だったことがわかるハズ(←たとえばヘンだけど、あの機能はよく使ってるし)。
こういう例はいくらでもある。パソコン然り、プロバイダー然り、服の素材然り、医療サービス然り。ようするに、「様々な多様性」の中で生活しているんだから、「差」があるのは致し方ないとして、どうせ見るのなら、上を目指せばいいのに、と思うのだ。いや、もちろん、人それぞれの生き方や価値観があるのはわかる。べつにみんなしてしゃかりきに上昇志向、なんて目指す必要はないと思う。
なんだけど、「いちばん上を知っているけれど、目指さない人」と、「いちばん上を知らないし、目指してもない人」というのは、たとえその二人が立っている場所が(結果的に)同じだったとしても、そのちがいは天と地ほどの開きがある、といえるくらいの差があると思う。そして、そのような(微々たるものかもしれないにせよ、存在する)「差」をわかってくれる人は、必ずどこかにいるのだと信じてもいいのだと思う。
・iTunesのページ。
4月18日 真実はどこに?
(下に書いたものの続きですが、内容的にはかぶってません)
先週のレポートが人気だったのかどうか知らないけれど、今週の週刊現代には「まだまだある!『ガス室送り』の子犬たちを救え」という記事があった。前回よりも写真の点数が増えているし、「放置犬300匹の凄絶『共喰い現場』」という記事もある(山梨県の山中に、捨て犬約300匹が集められている、通称『犬捨て場』と呼ばれる場所がある」というもの)。
すこし前に「MIB」という映画があって、内容的にはまったくもってたいしたことのない一本なんだけど、トミー・リー・ジョーンズが「情報を集めるのなら、ゴシップ誌だ」みたいなことをいうシーンがあって、ここだけは「あぁ、そうかも」と思えました。前回、今回と取り上げたネタを朝日新聞がやってくれるのか?といわれると、ちょっとびみょーな気もするし。
そういう意味でも、週刊誌っておもしろいなぁ、と思う。「プレイボーイ」なんて、すんげー無茶苦茶なことしかいわないけれど、まぁ、パラパラめくるくらいなら楽しめるし。それに、たまには「お!?」と思うようなこともあったりするのが、こういうジャンルのミソかもしれない。(たとえば??って聞かれるとこまるくらいに、たまーにしかないけれど)
そういえば、桶川の事件でもフライデーだったかフォーカスだったかは、ずーっと追っていて本にもなった気がする。
ようは中身なんだろうなぁ。
4月9日 「それが本音だったんですね・・・・・・ またしても現実の方をのみこむんですね あなたは心から平和を望んじゃいないんだ!」 ー「石の花」坂口尚ー
今日付けの週刊現代の緊急フォト・ルポに「この捨てられた子犬たちを『ガス室送り』から救え!」という記事があった。ようするに、ペットブームやら癒しムードやらで急増したペットたちが大量に捨てられ保健所へ送られた上で(なかには良心的なところもあって新しい飼い主を探してくれたりするところもあるものの)、多くは「ガス室」送りになってしまう、というもの。
すこしネットで調べてみたら、あるわあるわ。あまりにもヒットするので、そのすべてに目を通すことはあきらめ、(いつものように)すぐにつながるページ(JavaやPlug-inなんかを使ってないところ)のみいくつか見て回った。
その中でもいくつか興味深かったものをご紹介。
・ギュッと香川:ホットコラムのバックナンバーより
・佐賀新聞の96年度記事より(当該部分は下に引用させてもらいました)
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〈動物保護法改正の動き〉
犬や猫が捨てられて自治体によって処分されたり、動物実験に使われて不必要に苦しんだりしないよう、法的効力がない現行の動物保護法(動物の保護および管理に関する法律)を改正し、動物遺棄・虐待に対する罰則強化、動物実験の許可制の導入などを求める動きが強まっている。
世は空前のペットブーム。動物を単なる愛がんの対象としてでなく人生の伴りょや心の支えとする「コンパニオンアニマル」としてのとらえ方が増える一方、無責任な飼い主によって捨てられる犬猫や動物虐待も後を絶たない。
動物保護法の改正を求める諸団体は昨年十月に「動物の法律を考える連絡会」(事務局東京)を結成、毎月数回の会合を重ね、改正案要旨をこのほどまとめた。
動物遺棄・虐待の定義の明確化、罰則強化、調査・監視などのための査察制度、動物取扱業の許可制、動物実験の許可制―の五項目を掲げている。
事務局長の塩坪三明さんは「法的権限を持つ査察官制度がないことも原因だが、今の段階ではまず、どのようなことが虐待に当たるのか基準をはっきりさせることや、動物を粗末に扱うことはいたずらではなく犯罪なのだという意識を広めることが必要だ」と話す。
総理府によると、一九九六年度に全国の自治体で、窒息死させるなど処分された犬は約二十三万匹、猫も約三十万匹。
保護動物を捨てたり虐待することは現行法で「三万円以下の罰金または科料に処する」とされているが、該当者を特定することは難しく、適用されることはほとんどないのが実態。
また自治体から研究施設などに払い下げられ、動物実験に使われる場合も、ライセンス制や査察制度など動物実験を規制する法律は存在しない。
動物実験では、麻酔なしに足を繰り返しハンマーで打ち砕いてストレスを与えたり、声を出して鳴かないウサギの目に薬品を注入してつぶれていく様子を観察したりするなど悲惨な例が多い。
同志社大法学部の吉田真澄教授は、七三年の現行動物保護法制定は、捕鯨問題による日本バッシングや、動物保護法先進国の英国のエリザベス女王の訪日を控えての応急処置的側面があり「違反した場合の罰則はほとんどないのと一緒」と指摘。
「動物や動物保護法改正がかつてないほど注目されており活動は旬を迎えているが、動物愛護家だけでなくさらに多くの人の共感が得られるよう進めていくべきだ」と話している。
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以上、佐賀新聞より
・改正された動物愛護及び管理に関する法律はこちら。
うーん・・・・・・。大風呂敷を広げすぎて収拾つかなくなってしまっても困るので、ひとつだけいえることがあるとすれば、責任がもてないことはやっちゃいけない、ということなんじゃないかと思う。
ぼくの地元はどんどんとすたれていってる典型的な田舎町なんだけれど、その人口よりも多い数の犬や猫が毎年「処分」されている、というのは、ちょっとおかしいと思う。
4月1日 天賦の才を
手塚治虫先生の「犬傑作集」を読む。手塚作品の中で犬に関するものを集めた一冊。「ミッドナイト」はリアルタイムで読んだ記憶があるんだけど、それ以外の作品が書かれた頃は、ぼくは生まれてもいない時代。そんな昔に描かれた作品であっても新鮮な発見があるというのは、すさまじいパワーだ。
手塚治虫先生は、はっきりいって天才だと思う。それは、べつに絵心なんてものがカケラもないようなぼくがいうのではなく、藤子不二雄先生やそのほかの多くのマンガ家などなどがいってることからも明らかだと思う。
ぼくは藤子不二雄先生の「まんが道」が大好きで、それこそすりきれるまで繰り返し読んだ。そのなかで、手塚治虫先生の作品について描かれている部分は、とてもすてきな表現だと感じた。自分が好きなものを他人にすすめるときはこいう態度で臨むべきなのだ、ということを教えてもらった気がする(そのスタンスをいかせているのか、とても疑問ではあるけれど)。
それにしても、最近のマンガはおもしろくない。「最近の若いやつはー」なんて、くだを巻くのは好ましくないと思うけれど、自戒の念も込めてそういわせてもらう。「ハウツーもの」みたいなマンガばかりが増えていて、ちっとも「おれの世界をみてくれーーーっっっ!!!!」というような、おしつけがましさがない。「あぁー、ぼくはこんなに、こんなにもスケベで自堕落でサイテーなヒトなんですぅー」とか、「オナニーなんだか表現なんだか、きっと本人もわかってないんだろうなー」という作品こそが、本当におもしろい作品だと、ぼくは思うんだけれどなぁー。
べつに、知識の量を君に期待してるわけじゃぁないよ??という人が多くなってしまうのは、「情報化社会」のこまった面かもしれない。「そんなものは、みんなで助け合えばいーじゃん??」と思ったりもする今日この頃でした。
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