境界亭日乗「喉芸あれこれ」(1)
今までの日乗で書いて来た声質や発声がらみメモは(1の前)に収録
内容 | (1) | (2) | (3) | 備考 |
五木ひろし御園座一ヶ月公演 | 15,800 | 9,400 | 4,800 | 1部が芝居、2部が歌のステージ |
佐久間良子主演御園座 大奥 | 14,000 | 8,500 | 4,500 | 芝居のみ |
新春花形歌舞伎 | 14,000 | 8,500 | 4,500 | 坂東三津五郎 中村橋之助など |
御園座1日(短期公演)石川さゆり | 10,000 | 6,000 | 3,000 | 通常コンサート価格だろう |
今井美樹 国際フォーラムA | 7,500 | 全席指定 ニューミュージック料金 | ||
EXILE さいたまスーパーアリーナ | 7,800 | 全席指定 JーPOP料金 | ||
C.アズナブール 国際フォーラムA | 20,000 | 15,000 | 往年のポップスシンガー | |
D.ギャレット オペラシティ | 6,500 | 5,500 | 4,500 | 若きヴァイオリニスト |
CATS 人気ミュージカル | 11,550 | 9,450 | 6,300 | c)3,150 |
鈴本演芸場(新宿。末廣亭もほぼ同じ) | 2,800 | 2,400 | 2,400 | 一般、学生、シニア |
映画ロードショー | 1,800 | 1,600 | 1,100 | 一般、高・大生、小・中・シニア |
★数日前に第30回日本アカデミー賞発表があった。ハリウッド映画不調の一方、日本映画がすこぶる元気復活だ。昨年は年間400本の映画が出来たとか。足繁く映画館に通う人々が多く、総興行額は相当なものだろう。昔の音楽産業は豆腐業界と同じ規模の売上だったような記憶があるが、今はどうなっているのだろう。
…そんなことでエンタテインメントの料金が気になってきた。あたしはシニアだから映画なら1,100円で観れるが、肝心の演歌歌手の公演やステージはとても自腹じゃ高くて観には行けない。追っかけファンたちの財力が羨ましい限りだ。まぁ、貧しい年寄りのあたしにとっては、寄席料金までが許容範囲だろうなぁ。劇場だと当日売りの3階席立ち見がC席半額で入れたりして、自腹の場合はそんな観方をする時もある。中高年を主対象にする演歌・歌謡曲だが、この料金は裕福中高年層対象、あるいは超マニア世界のような気がしないでもない。ここからいろいろな事が見え、考えられるような気もする。その一つは…演歌の低迷が叫ばれていても、不滅の秘密がここにもあったりするんですね。
おっとぅ〜、玉三郎の篠山紀信撮影で50万円の写真集が出るとさっ。
<2月13日(火)>
藤あや子さんの喉
私、元はソプラノのきれいな声だったんです。民謡時代に「甲」の声を出さなくてはいけませんから、その練習で声を潰したんです。病院に行けば「唄っちゃダメ、しゃべっちゃダメ」という言うけれども、先輩方は「今もっと出さなければダメよ。さぁ、唄えぇ〜」と言う。唄うしかありませんから唄って、3回くらい声を潰しましたね。だから今は、どんなことをしても潰れない声になりました。演歌歌手に転向してからは、低音が出ないのでポップス系のヴォーカルセラピーの先生、オペラの先生にもついて発声、呼吸法をかなり勉強しました。最近では二葉百合子先生について歌謡浪曲もお勉強させていただいています。…3月21日発売 『無情の酒』 を聴くと中低音が実に良く、高音の張り上げも鮮やか。また表題曲の「ギター演歌ヴァージョン」も収録されていて、これはミュージシャンの演奏と同録で、唄い方を変えた歌唱を披露。声質良し、喉遣い多彩。なかなかの表現力です。あたしは「色気」より、その「喉」が好きだなぁ。
<2月12日(月)>
司会付きと自前バンド
あれは誰のステージだったか、いわゆる“大物”歌手で、歌の合間に司会(芸人)が入って客を笑わせていたのにはビックリしてしまった。あれじゃ雰囲気台無しじゃんと。あたしは五木さんとさゆりさんのステージ取材中心。それ以前はニューミュージックやロック系取材で、彼らは新人でも司会者付きライヴなんてやらない。たどたどしくも、それで会場とのコミュニケーションを交わし、会場の気をコントロールする術を覚えて行く。昨日のテレビで「綾小路きみまろ」特集があって、彼が司会をしていた森進一さんや伍代夏子さんのコメントが紹介されていたが、「歌の合間にあれをやられたんじゃ、歌手はたまんねぇ〜な」と思った。カラオケで司会者付きと、自前バンドで司会者なしステージの歌手とは、余りに大きなクオリティーの差があるのではないか…。自前バンドを抱える経費は莫大だろうが、これで初めてライヴだろ。カラオケでもいいからせめて自分のMCでステージを進行させたらいいのになぁとも思って、そう言ったら「あらっ、私は営業に行けば5回も着物を着替えるのよ。司会者なしではとても出来ません」と某着物歌手に言われてしまった。それじゃ歌ではなく着物ショーじゃないかと思った。自前バンドを持つ演歌・歌謡曲歌手が何人いるか指を折って数えてみた。
<2月9日(金)>
都はるみさんも長山洋子さんもポップス、洋楽志向
共に着物で唄う演歌歌手だが、はるみさんはEXILE、BIGIN、平原綾香などJ−POP好き。長山さんは演歌歌手以前に洋楽カヴァー曲をリリースしていたこと、津軽三味線のサウンド性から洋楽、サウンド志向。共に「江戸音曲には興味がない」とおっしゃった。意外だった。一方、端唄や俗曲にいい味を出し、ステージで女義太夫、浪曲、落語、講談と日本芸能の巾を広げているのが石川さゆりさん。面白い対比です。
<2月6日(火)>
都はるみさんの「うなり」
新曲『風雪夫婦花』の歌唱は、当然「はるみ節」。その歌唱記述は稀ゆえ、ここでじっくりきいておこう。
「17歳の時に唄った『涙の連絡船』や復帰後の初シングル『小樽運河』では“うならない唱法”で唄っていますよ。でも『風雪夫婦花』は私の十八番歌唱にぴったりの楽曲です。まず、この言葉は<どの方向の声>がいいのかしらと考えます。それによって声の出し方、言葉の触り方をいろいろ変えています。そして“うなり”を具体的に説明すれば、唄い出しの♪こぉ〜こで逢ったが…の「ぉ」(「こ」の母音)を響かせ「が」で溜め、♪ひゃぁ〜くねんめぇ〜と各母音をポポッと上げて走らせているのかなぁ。五木寛之先生にこう言われたことがあります。
…唄い尻を上げる人・下げる人がいるが、はるみさんは上げますね。それはきっと持って生れたものでしょう…と。私は母から譲り受けたものだと思っています」
歌唱説明は語るも書くも至難。都はるみは、これらを喉の奥で上下に響かせ、時に抜いてと多彩に発声している。この辺は同い年の五木ひろしとちょっと似ている。興味深いエピソードをもうひとつ…。
「引退後、新人をプロデュースしていた時に<うぅうぅ〜〜わっ!>(音が向うから来て反対側に飛んで行く感じ)という練習をよくさ
せたものです。言葉を勢いよく飛ばす練習。お腹から声が出ていないと飛んで行かない。これが出来るようになると、小さい声でも言葉と心を遠くに届けることが出来るようになりますから…」
市川先生は都はるみに音域の巾、特に高い声が出るよ う熱心にレッスンしてくれたとか。今もデビュー当初のキーを保っている。そして新曲にもある巻舌。
「先生が“はるみの巻舌はいいよなぁ。僕は一番好きだぁ”とおっしゃって下さった。
でも私はこれも無意識です。人から指摘されて“そんなぁ”。でも聴き直してみれば入っているんですね」(爆笑)。
ラ行に巻舌あり。またフッと力を抜いて優しさの表現もあったりと実に多彩。新曲人気に3拍子の心地良さもあろう。(以上、書きかけの原稿一部より)
<1月18日(木)>
古今亭志ん朝の魅力。
まず声。声はいい。ずば抜けてよかった。最高の美声だとは言わないが、聴きやすい声だった。基本は高目だが、低音の要素をふくみ、中高音域でまるく整った声だったから、線が細くなることもなく、ペラペラと安手になることもなかった。安心して感覚をゆだねられる快い響き。
そして調子のよさ。ダイナミックなパワーとなめらかなタッチとが、はやめのテンポに乗って調和していく。はやいが、リズムがしっかりしていたから、とりとめなく流れ去ってしまうことがない。言い換えれば、聴く人を置きざりにして飛んで行ってしまうことはない。
しかも息が長い。文字に直せば、句読点が少ない。ことばがぶつ切れになることがなく、たちまち聴き手を引き込んでしまう。句読点の少なさを抑揚の変化や、そこから生れる“志ん朝節”のメロディーで補っていく。
(長いからこの辺で引用をやめる※「志ん朝の高座」文:京須偕充より)
<1月17日(水)>
悲しいほど美しい声であった。高い響きのまま夜の雪からこだまして来そうだった。
これは川端康成「雪国」書き出しの「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」に次いで有名な?駒子ではなく葉子の声の表現。坂本冬美『雪国〜駒子 その愛〜』を聴いた。力を抜いて六・七分ほどの歌唱で艶歌に挑戦している。ここで原田悠里『天草の女』インタビューでサイトアップしなかった「地声」の箇所を改めて紹介したくなってきた。「地声で中低音をいかに響かせるかがこの歌の勝負どころですから、逃げずに挑戦しました。クラシックのソプラノを例に挙げるまでもなく、高音域は訓練でいくらでも出るようになりますが、地声の歌唱はとても難しいんです」
川端さん、高い響きは誰にだって美しく聴こえるんです。地声で艶を出すってぇ〜のが難しいんですよ。
朝日夕刊「演劇」欄 の「華岡青洲の妻」にこんな箇所があった。(1)死に行く青洲の妹小陸にかけるせりふは悲痛そのもの。抑制しているが、新派のうたいせりふの効果が出ている。(2)強い声音のせりふは若い時の覇気を表現出来るが、その後の苦悩や成長を出しきれていない。
<1月11日(木)>
小泉文夫・團伊玖磨「日本音楽の再発見」の「3−日本の歌の声をどうつくるか」より要点抜粋。
小泉 森進一の歌い方は、義太夫とか新内のテクニックですね。
團 聞いてみると低く感じますが。ピアノのキーで探ってみると「襟裳岬」のいちばん高いところは加線(五線譜に足りない分を付け加えた水平線)の一本のAフラット(志寿太夫クラスのたいへん高い音)で、これは素人では出ません。でもあの人の新内風は下のほうに共鳴音がある関係で低く聞こえるのです。
小泉 布施明の歌も聞いた感じでは普通の音域で歌っているように聞こえるけれども、じつは高い音を出していて、真似て歌おうとしてもできませんね。しかしそれが浄瑠璃の太夫さんの歌うのを聞くのと同じ体験を与えてくれる。声のテクニックが、ふるわせ方からなにから、ほんとうに清元によく似ている。
團 発声というものは、もっとその国の言葉、生活環境、風土、思想、あるいは民族の骨格、そういうあらゆることが加わってできてきたものです。NHK「新春オペラコンサート」を見たのですが、これは自分の生活環境も歴史も顔も肉体も、すべて忘れて歌うわけです。(と日本のオペラ歌唱を否定して…)
<1月9日(火)>
芸能浅間神社 花園神社は通り道だが、そこに芸能浅間神社があるとは知らなかった。昭和48年刊「新宿の散歩道」をひもとけば昭和3年に富士信仰の富士塚を本殿南側に築いて浅間神社を祭った。本殿改築ん時に縮小されて境内東北隅に移された…とあった。「芸能」とついたのは何故だか、何時だかは書かれていなかった。藤圭子の『夢は夜ひらく』の歌碑があった。
<1月8日(成人の日)>
錆 荷風さん「妾宅」2題。再読したらこんな箇所にあたしのマーカーがあった。「中音の音聲(のど)に意気な錆が出来た」。
江戸音曲 江戸音曲の江戸音曲たる所以(ゆえん)は時勢のために見る影なく踏みにじられて行く所にある。時勢と共に進歩して行く事の出来ない所にある。然も一思いに潔く殺され滅ぼされてしまふのではなく、新時代の色々な野心家の汚らしい手にいぢくり廻されて、散々慰まれ辱しめられた揚句、嬲り殺しにされてしまふ痛ましい運命。それから生ずる無限の哀傷が、即ち江戸音曲の眞生命である。
<1月5日(金)>
含み心 「長唄は小唄に較べると万事上品でございますからね。含み心でおうたいなさい」。この「含み心」がわからねぇ。さてと…。
三味線 「汀さん、あなたは三味線を習いたいとおっしゃるけれど、三味線だけを習うってことはないのですよ。三味線は小唄端唄、長唄清元常磐津などの唄から浄瑠璃の伴奏なんでござんすからね」。
(以上、宮尾登美子「菊亭八百善の人々」より)
<1月3日(水)>
鯨と芸 浅草で、こんな看板を見っけた。
<06年12月16日(土)>
原田悠里さんの「音色」論 私の場合はクラシックをやっていましたから、どうしてもボリュームで勝負をしてしまうんです。小技ではなくて大技でね。デビュー25周年の旅は、そこ(小技)を埋める旅だったんです。
く音色>と<地声>と<コブシ>ですね。えっ!1月1日発売「天草の女」は音色が多彩だと…。あなた、うれしいことを言ってくださいます。それが本当ならば、私、もの凄くうれしい、満足だわ。音色というのは…、あの
「歌は心で唄う」と言いますが、心では歌えないんですよね。「音色」で唄わなければ歌は伝わらないんですよ
。心が音色に変わって行くってことが<心で唄う>ってことなんです。いくら心で思っていても、心では唄えません。言葉にしなければ思いが相手になかなか伝わらないように、歌手はそれを心を音色に変えなければ心は伝わらないってことです。心がなければ唄えないけれども、心が音色で代弁してくれなければ伝わらないんですね。心がいっぱいあって、その心の色を声として伝えて行くってことなんだと思うんです。
<06年12月8日(金)>
「寒声」(かんごえ) 某の原稿で「寒声」という言葉を教えてもらった。謡曲、浪曲、読経、詩吟(瞽女、行司も含め)などで声を鍛えるための寒中の稽古事、発声練習。喉から血が出るほどやって声を作る訓練とか。これはまた季語にもなっている。あたしにはまだ知らない言葉がいっぱいあります。
<11月14日(火)>
三門忠司さんの「新内」稽古 『男の燈台』を取材。目下オリコン演歌チャート2週連続1位。テイチク移籍5年目。※うれしい話を聞いたんで、ここに収録。
…2年前から新内のお稽古をしているんです。新内は高音中心ですが男の三味線は普通一本。でも僕は三本(一本より半音三つ分高い)でお稽古しているんですよ。三本は結構きついです。なぜ三本かと言うと、中村美律子さん(お稽古の1年先輩)と二人でいつか舞台で「新内流し」をやりたいから。みっちゃんが手拭ほおかぶり、僕が頭にちょいと乗せる置手拭きで花道から「新内流し」で出てくるってぇのが夢で。粋でしょ。師匠も二人にそれをやらせたいんです。
「忠さん、三本でお稽古しておけば、みっちゃんとやれるよ」
ってワケなんです。僕が本手(ほんて)を弾いて、みっちゃんが上調子を弾いて…。最初は高い声が出なかったんです。♪え〜え〜って。それがやっている間に♪え〜え〜(インタビュー室で大音声)と出るようになった。新内は裏(声)も遣うんですが、お陰で今までより高い声が出る、きつかった音が楽に出せるようになってきた。
「あぁ、60歳を超えても頑張れば開発できるんだ」と思いましたね。今、お稽古しているのは粋で高い「二上がり新内」
「師匠、いくらなんでもこれは俺には出ないわ」
と言ったんです。
「忠さん、出なくてもいいから、やっている間になんとかなるって」
で、やっていたら手が届くようになってきた。
男が持つのは中棹で、女性は上調子の細棹。男がツンと弾くと、女性がチャラランって弾く。
♪ツン・チャチャ・ツン・チャララン・ツン・チャチャ…。
この高い所を女性が弾くんですね。この間、美律子さんの大阪リサイタルがあって「一日遊びに行かしてもらいます」と言ったんです。そうしたら本番3日前に電話があって
「忠さん、私、三味線弾くねんけど、ステージから呼ぶから一緒に弾はへん」
で当日、師匠と三味線を弾いているみっちゃんが
「こんなん弾いていますとウズウズしている人が来てまんねん。忠さん、上がりぃ〜な」
「はいはい」って。僕が「さのさ」を弾き、美律子さんが唄う。「さのさ」のアンコに婦女系の男女の台詞を入れて。
「忠さん、今度は私が三味線弾くから都都逸やってぇ」
普通では面白うないから即興で… ♪今日のみっちゃん特別きれい(はぁ〜)お客酔わせる美律子節
ってやったんですよ。そしたらお客さんが喜んでくれましてねぇ。普段は♪きょおぉ〜のぉ〜って、普段出さない高い声ですからお客さんシーンとして、みっちゃんの手も止まって。…ややして「忠さん、なかなかいいなぁ〜」
僕らの世代でも「都都逸」や「新内」をリアルタイムで知らないんだけれどもお芝居や映画で観ていて、子供の頃にはラジオで流れていたかしら…。でも30代40代の方になるともう
「新内?そんなこと僕らはシンナァ〜イ」
ですものね(爆笑)。江戸前の文化ですね。津軽の太三味線は若い方が結構やられているんだけれども…。小唄、長唄、新内、都都逸、端唄…ね。粋なイナセな江戸の文化なのに、なんでみんなやらないんだろうて。関西の僕らがやっちゃおうって。僕らが通常唄っている歌とは、声の遣い方、まわし方が違うんですけれども、どこかにそういう匂いが活かせるんじゃないかと。そういう気がしますね。貴重な芸なんですから…。美律子さんに
「今に追い着いてみせまっせ」
「ふふふ〜ん、そうはさすかいな」
っていいライバルです。そういう事を含めて芸を磨く、歌の世界を広げるというか、まぁ、勉強していてマイナスにはならないだろうから。新内の師匠もこう言ってくれます。
「忠さんの新内は本格的だからどこに出ても恥ずかしくないからね」
去年の暮のディナーショーでお稽古始めてまだ1年だったんですが新内をやったんです。美律子さんが1年目の暮に自分のお店でやりましたから。追いかける身の僕は、クソッ、俺も1年でやりたいって頑張ったんです。「三味線三年・琴三日」と言いいます。撥が手に収まるまで1年、2年してまぁ弾ける、ちゃんと弾けると言えるのは3年からと言われるているです。うん、頑張りますよ。
(以上語ったままの未構成。いい話でしょ。こんなんを聞くとあたしはうれしくなっちゃう。中村美律子はオリコン11月6日号にあたしの原稿が載っている)