喉芸あれこれ(1の前)

歌の品 人間の声は化粧もできんし、衣装も着せられん。しかし歌う時とか芝居をする時、または嘘をつく時に、人の声は化粧もすれば変装もする。この時に品性が出るもんたい。上手く歌おう、いい人に思われよう、喝采を博そう、そういう邪念が歌から品を奪う。おうちの歌は位が高かった。欲も徳もすぱっと捨て切ったような潔さがあった。(なかにし礼「長崎ぶらぶら節」の一節)。

声質を書け 若い時分、「アーティストの原稿を書くのに、声質について書かねぇバカはいねぇ〜だろ」と洋楽系S専務にひどく怒られたことがある。C.ウィルソンがどこかで書いていた。「レモンとオレンジの味の違いを書きなさい」。声質について書くのは、それに似てとても難しい。

小説「長崎ぶらぶら節」には、愛八の声質・歌唱描写がなかった。 声質表現を求めて小説を読み返したが、「歌の品」以外に声質表現が一切なかったんでショックだった。執拗に探してみたら、愛八復刻CDライナーノーツでなかにし礼はこう書いていた。…三味線の弾き語りでとつとつと、なんの飾りっ気もなく歌っていた。私はこの声と歌に衝撃に近い感動をうけた。それはその人の歌にあるなんとも言えぬ清潔感である。たった一人の人間が、全人格をさらけだして歌っている。丘の上の陽のあたる場所で歌っているようにみえるのだが、うしろが断崖絶壁で風が吹き荒んでいる。歌うことの喜びとともに悲しみがあり、歌以外に生きるすべを知らず潔くてこだわりがなく、いっさいを捨てた透明感。不幸の影をおびた美であった。

荷風さんの声質・歌唱描写
1) まださほど白髪は目立たぬけれど、勇吉の額にはえぐったような深い皺が彫み込まれたこの頃、いよいよ沈痛な調子を帯びて来たその声柄(こえがら)、いよいよ凄惨な錆びと渋味を添え出したその節廻しには、折々の温習会(おさらい)などへ行って聞く人たち、一人として覚えず嘆賞の声を発せぬものはない。(「新橋夜話(松葉巴)」)

2) 鐘―エエばアかり― という一番高い節廻をば枯れた自分の咽喉をよく承知して、巧みに裏声を使って逃げてしまった。(「深川の唄」)

声の行方、歌の両極 菅谷規矩雄がこの題名でこう書いていた。…歌は、声である(中略)― 歌の一方の極には、まさに肉声が、あくまで身体・生理に密着して、存りつづけようとする。他方の極では、ことばが、声から訣れようとしている。歌の声をふりすてたときに、ことばは文学となった。(中略)。 結論めいたことをいうなら、歌と文学(詩)とは本質的にべつのもの、無関係であるとかんがえるにいたった。(中略。うたうことが好きだがノドをつぶした私事を書いて) いまでは、うたおうとしても思いどおりに声がでることは、まずない。そこがシロウトとプロとを分ける点であろう。要するにトレーニングのもんだいである。声を、身体・生理のレヴェルからいかに離陸せしめ、仮構たらしめるかに、歌うことのはじめが、そして究極がある。(昭和50年11月刊「現代詩手帖」特集=歌謡)

三上寛 声をきたえよ!声を!もっと声を!あらゆる声は革命的であり、声こそ言葉なのだ。そして声はそのまま宇宙でもある。(昭和52年9月刊「現代詩手帖」特集=うた「声というものは不思議なものなんだ」) フフッ、よくわからない。若い時分、あたしは三上寛となぎら健壱の対談をやってもらった記憶がある。

川本三郎 明晰な認識活動の表現形式が「言葉」だとすれば、精神活動の中の下位の部分――情緒的なもの、気分的なものといった。いわば内的世界における“辺境”――の表現が「声」なのである。(出典は三上寛と同じ「声・その未知なるもの」より)

再び歌唱の品 五木さんの新曲を聴いた。改めてあたしはこう書くことにしたん。“歌唱の品”はよく「てらいのなさ」をもって言われるが五木艶歌(えんかではなく“つやうた”)の場合は芸が珠玉になっての“品”だろう。それは渋味・錆味がたっぷりと効いた顔料で描かれた日本画のよう。他の歌手には到達できない領域…。

んまっ ・・・こんなんを書いている人がいるんですよ。「譬えてクラシック音楽が女の<顔>の部分であるとすれば、演歌が女の<アソコ>の部分である。知識や教養や化粧の仕方でどこまで<顔>が変わるものなのかは見当もつかないが、真逆<アソコ>が知的になろうとは思えないのである。つまり演歌とは着飾ったり整えたりすることのできない部分であり、大衆的であり…(中略)…。従って、演歌は、艶歌でも怨歌でも炎歌でもまして応援歌でもなく、ひとすじ生きざまを演ずる歌、演歌なのである」。(昭和52年刊「現代詩手帖」特集=うた 山本博道「燃えよ演歌、恋の柵」より)
夜会 
朝日夕刊「ステージ」は小倉エージの中島みゆき「夜会」レポート。あのユニークな声質・発声・歌唱についての記述はなぁ〜んもなかったぁ。あたしなら…下からストレートに喉の奥に当てて響かせる得意な声音と発声は時におどろおどろしく…とでも書きましょうか。

藤圭子 …の声はけっして美しくない。オーソドックスな美声からはとおい。かすれ声である。かすれ声ではあるが、森進一や青江三奈のそれとはちょっとちがう。かすれ声が基調になっているが、金属的な倍音がはいる。それが声の美的統一と調和をこわし、いかにも泥くさい。(「日本の随筆・演歌 新藤謙著「ふるさと喪失者の怨念」より)※倍音:その音の周波数の倍の(1オクターブ高い)周波数の音ってことでいいんでしょうか?

演歌の分析・七つの項目 
演歌をどういう面から分析するかということで、七つの項目を立てました・・・ 第一はリズム、二番目は音階、三番目がアクセント、四番目がディナーミック(強弱法)、五番目はコブシ、メリスマとかヴィヴラート、六番目に発声法、七番目が歌(歌詞)の内容。「冬樹社刊 小泉文夫「歌謡曲の構造」より)

香西かおりのユスリ 「♪いまも〜のところ、最後の♪捨てに〜のところの微妙な揺れがいいね、切なさが出ている」「わかるぅ。“揺れ”じゃなくて、これは北の民謡によくある“タテユレ”なんです。“ユスリ”とも言います。デビュー当初の2年間、聖川先生の“唇に言葉を乗せて”という歌謡曲の歌唱指導をみっちり受けてのデビューでしたが、これは民謡出身の私ならではの技…」。そしてこうも言った。「私の声は、哀しみ声なんです」。

堀内孝雄 明日、4月26日発売の35周年記念シングル『不忍の恋』をインタビュー。堀内さんには5日に茨城県水海道で逢っている。で、インタビューである。言葉頭に強いアクセントで、ワンワード毎にスタッカート風に切っている。またはブレスしている。これを溜め気味に唄えば体言止めかショートセンテンスのハードボイルド風味になる。リリシズムが漂って来る。前作『ふたりで竜馬を…』はそれ。今度は女歌。基本歌唱は同じだが今度はソフトに、時に抜いて女心を語っている。誠に稀有な歌唱法「堀内節」である。

「そそり」と監事室 池波正太郎の本を読んでいたらこんなんが出てきた。…「千秋楽の“そそり”をきっとやるとおもったので、私は監事室で舞台に見入りながら、「又五郎さん、きっと、何かやるぜ」と傍のプロデューサーに言った。「そそり」は、千秋楽に役者が、しゃれっ気を出して、思い思いに、おもいがけぬいたずらや演技をする。それをまた客も、芝居の関係者もうれしがるのである。…とあった。これは池波さんが「剣客商売」を自分で脚色・演出で帝劇でやった時の話で、小兵衛役・中村又五郎さんが女武芸者の三冬に饅頭を差し出すシーンで団扇ほどの大せんべいを差し出すいたずらを紹介。ネットで「そそり」を検索すればピンクサイトの「そそり勃つ」ばっかりだったんで、舞台用語サイトで調べ直せば…歌舞伎用語で煽る、浮かれさすの意から、そうした浮かれ騒ぐような演出のこと。そそるように歌うことを(そそり節)という。…とあった。五木さんやさゆりさんの芝居でも千秋楽ではそんないたずらをするのだろうか。(そそり節)ってぇのにも興味がわく。あたしは千秋楽を見たことがない。まぁ、初日からしばらくして舞台が落ち着いた頃に「監事室」からの取材が多い。

神野美伽さんの活舌 自身の歌唱ポイントは「唇、舌、歯」で活舌(滑舌)を大事にしていると。大阪育ちは「行くでえ〜」など語尾が流れて「いくぜ」のような「ゼ」が言えない。韓国語を勉強したら、普段使わぬ口周りの筋肉遣いで、逆に日本語発音の勉強にもなった。生前の松尾和子さんには「逢えなくなって〜」の「っ」に勝負をかけている・・・と教えられたなど。発声とは別の「口まわり」の歌唱の大事さを語った。

★8年前に日高正人『想い人』に、あたしはこんなコピーを書いていた。
 長渕作品ならではのアコースティックギターの響き…。
 日高の一語ごとに噛みしめた武骨なヴォーカルが、不器用に楽曲を刻んで行く。
 ワンコーラスからツーコーラスへ・・・
 それは次第に丸太からノミ一本で彫り出す荒削りの仏像のような味わいを漂わせる。
 一語づつ、溢れるあたたかさ。土の匂いもする。
 清らかな磁器に比し、いびつでザラザラした縄文土器にも似た味わい。
 今まで歌をきれいに仕上げてきた日高正人が、
 自身の風貌そのままのヴォーカルを得て、とてつもなく大きな存在感を発揮している。(略) 
 …こんなに大きな濃密な女歌、今までになかった。
 ヴォーカリスト・日高正人が、巨人のような存在で聴く者を優しく、温かく、包み込む…。
 「やったね、日高の兄ィ!」
 長渕剛の声が聞こえてくるようだ。


芸能界メモ ターンテーブル 「芸能界ってぇのはターンテーブルなんだよ。中心にいれば何でもないんだが、外側にいるといつポ〜ンとはじき出されるかわかんないんだ」(72歳にして、大俳優にして…長門裕之)

「手だれ」があれば「喉だれ」もあるのかと思ってしまった 昨夜のこと、くたびれているのに本を読んでいて気になった言葉を20ほどノートにメモした。今朝はまず「手だれ」を調べた。ネット辞書(角川が多い)ではヒットせず、手許の岩波「国語辞典」にはちゃんとあった。角川の「古語辞典」にもあった。「手練」でネット辞書検索したらやっと「手だれ」が出てきた。ははっ、それから国語辞書と古語辞典とネット辞書の比較が始まった。面白くなって厠も我慢して言葉調べに熱中した。なぜ「手だれ」を調べたかと言えば、歌の上手いのに「喉だれ」が遣えないかと馬鹿な事を思ってのこと。えっ、源内さんは「マラだれ」だって。そう、源内は女より美形好き(ホモ)だったんだ。美人は女で、美形は男。今は女にも美形を遣うが、これは間違いなんですね。

<石川さゆり『かもめの女房』を分析する>
(メモ:さ1)女の凄愴な過去
 を暗示して「それだけのはなしだ」と切り捨てる“女が唄う男歌”の音を今日入手する。「今度のは凄いです」とスタッフがこっそり言う。そんな事は詞をみればわかる。歌謡曲に稀にみる凄い詞だもの。きっと戦慄…の音をもらった足で、それに比し「ほろりとあったかい」大川栄策さんの取材を2時から。家に戻れば五木会報の色校正と「ソングブック」のMOが届いている。昨日休んだせいだ。今日の仕事は4件で、ひとりではこなせない。
(メモ:さ2) ♪何があったか あいつも言わ こっちも訊か〜 この楽曲は口語体の「ね」が非常に印象的なフレーズで、しかもサビにも遣われている。この「ね」は助動詞の否定を断定する「ない」が崩れたものだろう。「言わない」〜「言わねぇ」〜「言わね」。東京下町言葉では「言わねぇ」であるが、東北弁では「言わねば…」のようによく遣われるようだ。作詞は吉岡治で山口県出身?。お国言葉ではなく、主人公の男を東北出身者にしたのだろうか。いや、北海道でも「言わね」と言うのか?最後の♪それだけのはなし〜 この「だ」も口語っぽい。この口語っぽいフレーズをどう唄っているか? 最初の「ね」は単音のスタッカートで唄って、二番目の「ね」はちょっと「ねぇ〜」と唄っている。「だ」は「だぁ〜」と母音重視で唄っている。
(メモ:さ3) ♪心の傷も あああ 背中の傷も… これまた凄い詞だ。武士なら向こう傷は名誉で、背中の傷は恥。だが「女の背中の傷」となれば尋常じゃない刃傷沙汰。逃げる女を追って後ろから切りつけた男がいたってことだろう。軽い色事なら、男の背中の傷は女が爪を立てた痕。あたしは知ら、そんなんが癖の女がいるんですよぅ。ではそこをどう唄っているか?「心の傷も」は吐き出すように、「背中の傷も〜」はちょっと哀愁が漂っている。そして転調したかの感じで、ガラリと雰囲気をかえて♪それだけのはなしだ と落としている。
(メモ:さ4) 出だしのメロはちょっと、あの名曲を思わせる。ワンフレーズずつブレスを入れるように言葉を重ねているからだろう。だが新曲は5・7・の定型ではなく5・5・5・5〜の韻の重ねで、これにメロディーをつけるのは大変だったと思う。それだけに印象が強い。この歌唱をあたしは堀内孝雄の時に書いたんだが、ハードボイルドのショートセンテンス文体に似ているから、「ハード・ボイルド歌唱」と名づけている。
(メモ:さ5) 全体的には、かつてないほどに腰を落として(土俵入り効果か)タメた「ハードボイルド歌唱」。そうした展開のなかで自在の声の音色、向き、硬さを変化させている。タイトルんとこは、ガラッと声の出所まで変えている、最後のフレーズもまたそれまでの9行詞のすべてを振り払うように唄っている。
(メモ:さ6) 何度も聴いていると、熱唱で放たれる唾がヘッドホンに浴びているようかな、生の息遣いが迫ってくる。
(メモ:さ7) ハードボイルド風おとぎ話で男の矜持が前面に出ていたが、2コーラスに入るとにわかに可愛い女も見えてきて、ポピュラリティーを増してくる。男唄だが女唄でもありますよ、と唄っている。聴くだけではなく、男も女も唄える楽曲でもありますと誘っているようだ。男なら「高倉健」を気取って唄ってみたい。女なら…
(メモ:さ8) バグパイプ風、アイリッシュ・ヴォイオリン、そして海外系パーカッションをフィーチャー。音は無国籍。
(メモ:さ9) 35周年の足音が聴こえる…99枚目のシングル。
(メモ:さ10のま1) 吉岡さんの詞が上がった時の感動。浜さんのメロディーが上がった時の感動。それはアレンジが決まった時にもあって、いざ本人が唄って…と。そういう感動がずっとつながって出来上がった歌なんです。物作りの素晴らしい体験があった。それは本人がチャレンジ精神を持っていたからこそで、そこに関わった誰もが新たな挑戦に心血を注いだってことでしょう。
(メモ:さ11のま2) 職業も過去も不祥。それを断ち切った歌ですから、聴き手も歌い手もイマジネーションが膨らんでくるんです。ディテールの省略で、歌に大きなスケールが生れています。
(メモ:さ12のま3) 言葉のニュアンスは、声色の変化で表現されることが多いんです。この辺は独壇場じゃないかなぁ。それは見事なものですよ。
(メモ:さ13のま4) 手軽な歌もいいけれども、こういう斬新で奥行きの深い楽曲がないと流行歌のバランスがとれません。先達がいい歌を創る闘いをしてきて、その上に胡坐をかいていたらダメなんです。我々も先達に負けないような物作りをしていかないと後が続かない。さらに言えば、こうした楽曲がヒット(浸透)してこそ歌謡曲の成熟があると思っています。
(メモ:さ14のま5) 「カラオケのための歌」という構図がおかしいんですよ。この歌の詞やメロディーをじっくり聴き込んで唄ってみれば「歌ってこういうものなんだぁ」「歌はこう唄うものなんだぁ」ってことが分ってくると思うんです。さらに言えば「歌謡曲はかくあるべき」みたいなところまで分ってもらえたら、それが本当のカラオケなんだと思います。その意でもいい歌が出来たと思っています。

山口ひろみと志ん朝 山口ひろみを昼にテイチクで取材。その前に大友浩「花は志ん朝」を読んでいたら「声と口調」の記述に6頁も費やしていてうれしくなっちゃった。次の言葉が飛び交っていた。…理性の抑制を知った声、ダイナミックレンジの広さ、甲(かん)と呂(りょ)の使い分けの巧みさ、声の射程距離、見事なフレージングさばきと頭の弱拍、喉の奥でタンキングするように発音するアウフタクト(アップビート、アフタービートの意か?)効果など。…そうだ、前回に山口ひろみに取材した時のこと「師匠(北島三郎)に、大ホールの後ろの席に届くように唄いなさい」と指摘されたとかの話題があって、これは声の芸の射程距離のことなんだと、と今わかった。その本にはこれはむろん声量ではなく「声の力」。「音の空間と言語空間のパースペクティヴが高いこと」と難しく書かれていた。

「一語一語の粒立ち」と長保有紀 昨日の続き…。志ん朝は「言葉の粒立ちがいい」と書かれていた。歌手の場合は単に発音がいいだけではなく、一語一語にいかに艶や色や気の生命を注ぎ込むかが勝負。昨日の山口ひろみも師匠・北島三郎にそこをみっちり指摘されつつのレコーディングだったという。「時分の花」から「本当の花」を目指し始めた感がある。志ん朝はまたブレスも素晴らしいと書かれていた。息の長いフレーズの印象があっても、それを支えているはずのブレスが残らないと。ブレス音がはっきりとマイクに入る林家三平と対照的であると書かれていた。今日は息苦しいほどにブレスを残している長保有紀さんの取材。前回彼女に取材した際に活舌の話から「私は舌が長いんです」と言った。三平師匠も長そうだった。

ブレスと母音重視と力みの艶歌 「ヘッドフォンで聴いているとブレスが強くて、耳許で身もだえを聴いているような濃密な4分間だった」「ふふっ、ちょっとエッチがいいんですよぅ。あたしはブレスも表現のひとつだと思っているから。それに私は舌も長いし、鼻もあんまり良くないし(爆笑)」ここからしばらく歌謡曲・演歌のエッチぽさ必要に関する議論白熱。して今度は「あなたは今も大阪暮らしで関西弁をしゃべっていませんか」「あらっ、ど・どうしてわかったの。その通りよ」「母音化してまわしているもの」「ええっ、どういうこと」「唄いだし♪残る未練を〜をのこる…と唄うなど。これ関西弁の特徴」「しらんか〜」「ねっ、みんな母音化している」「あら、いやぁだぁ〜」「で、しっとり艶歌だけれど、半分は力んで唄っているでしょ」「そう、これは色で言えば赤い(情念が)艶歌と解釈したから」「それら全部が長保流、長保の芸」「そうかもしれない。移籍してから自由に唄わせてくれて、私流が濃厚になってきた。お陰で移籍3作すべてクラウンでヒット賞をいただいています。でも、変な質問ばっかり。そんな訊き方をする記者さんは他にいませんよ」「ははっ、もう隠居だから、ワンコーラスで何回ブレスしたか数えたり、ちょっとスローで聴いたり…。閑だからたっぷり遊んでっからここに来たんですよぅ」「あんた、カップリング聴いてくれた」「ううん、入っていなかったもの」「これ聴いて。『私の彼はおいも屋さん』」「おぉ、こっちはブレスとってんじゃん」。…ながくなんので、この辺でやめます。

世阿弥(ぜあみ)「風姿花伝書・第一 年来稽古條々」 
12、3歳は「時分の花」。
17、8歳は「重大な転換期。声変わりにより第一の花を失う。姿形も腰高になり、見た目の花も失う」
24、5歳は「当座の花。初心の賜物に過ぎないのにまことの花と取り違う心が真実の花を遠ざける」
34、5歳は「盛りの絶頂。ここで究めることができなければ先が難しい」
44、5歳は「よい脇のシテ、後継者を育てておくこと」
50有余は「麒麟も老いては駑馬に劣る」とは言え、老骨に残る花の証はある」。

世阿弥は室町時代。今の歌手なら 30代では未だ若く、40代〜50代が面白い。石川さゆり48歳。五木ひろし58歳。これからとっかかる「ソングブック」表紙デザインの坂本冬美は確か39歳。昼頃に原稿アップ予定の長保有紀は確か47歳…。編集部には若い歌手のインタビューはお断り、と申し出ている。

奥義 花を知るということ、すなわちこの道(能)の奥義を究めることとなる。時分の花、当座の花などは人の目にも見える。それらは芸より出で来る花で、やがてまた散り失せる時が来る。まことの花は「心」だから、咲く道理も散る道理も「心」のままである。さすれば名望も消えることはない。花は「心」、種はわざ(芸)である。花を知りたくば、まず種(芸)を知ること、究めること。「花は心、種は技」である。(世阿弥「問答條々」よりあたし流意訳)。最近「花」が気になります。最近読んだ本は「花は志ん朝」「花に背いて眠る」だもん。

奥義の続き 花は万木千草四季折々に咲くから、その時を得て咲き、散るゆえに珍しく、面白く、愛でられる。常住せぬから花なのだ。「花=面白い=珍しい」は同じ心である。芸をさまざまと究め尽くせば、その時々に合った芸を取り出すこと、工夫を得れば、季節の花が咲くのを見るごときである。そのためにも十体(あらゆる芸種)を心得るべきである。十体を得た人が、その中に工夫を加えることで芸は百色(ももいろ)にも亘る。また十体より大事は、年々去来の花を忘れぬこと。幼い頃の容姿、初心の時の技、油の乗った時分の演技、老年のたたずまいなど、その時代時代に自然と身についた芸をすべてを今、一度に持つことである。
以上の秘伝は他言禁止。秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず。(世阿弥「別紙口伝」よりあたし流意訳)。

の続きの続き 技巧についての口伝:いつもの同じ演出と音曲なので、ここはこういう風にやるはずだと人が思い込んでいる場面を、そこに住せず、心中の同じ振りではありながら、いつもよりは軽がると芸を嗜むんだりしてみる。音曲も同じものではありながら、なお工夫を廻らせ曲を彩り、声調を嗜み、われながら今ほど気に入ったことはないというほど大事に演じるのだ。(出典は上記と同じで我訳)。
※これはもう、五木さんやさゆりさんのステージ通り。例えば五木さんの先日の軽井沢サマーディナーショーでは、国府弘子ピアノでボサノバ・アレンジの『よこはま・たそがれ』、ジャージーな『待っている女』を聴いたばかり。ヒット曲はそれぞれ数十の編曲を持っていよう。これすなち、珍しさ=花なり。

野村曼齋 狂言は謡や舞という基礎訓練に立脚したセリフと仕草で成り立っている。ことにセリフは「二字目を張る」といって、文節毎の二音節目を強める。高低差のある抑揚を作り音楽性を持たせるのである。それが口跡・滑舌の良さと相俟って「美しい、はっきりとした日本語」を生み出す。狂言師はよく響く肉声で日本語を話すことにプライドを持ち、日本語のプロフェッナルを自負する人も少なくない。(中略)。(声は)解りにくくなった日本語を、音のイメージで想起させるための、語感を操ることができる。声の存在感、声のリアリティー。言葉の音楽性だけでなく、それを発するための息の当て方が重要である。能楽の世界では「ツメ、ヒラキ」といって「気を溜めること、解放すること」を一種の呼吸法のように扱うが、言葉を発するときにもあてはまる。(「狂言サイボーグ」より)

邦楽要点を数分で説明する 平安時代=貴族=雅楽。室町=武家=。シテ・ワキは能言葉。「羅生門」は飢え死にしそうなシテ役が盗人・老婆の衣装を剥ぎ取っても生きていこうという物語。ちなみに今はワーキングプア時代。働けど食えぬ、働き口がない若者が「この世に恐れるものはない」とばかりに老人を騙しても生きていこうとする悪がはびこったイヤな時代でございます。本題に戻ろう。雅楽や能の次が歌舞伎=江戸=町人となる。歌舞伎や浄瑠璃は三味線を取り入れたことで大流行。三味線伴奏の語り物が浄瑠璃で、ここから太棹の義太夫、中棹の新内常磐津清元へ。一方、三味線演奏で「遊女歌舞伎」〜「若衆歌舞伎」〜今の「野郎歌舞伎」となる。歌舞伎音楽の中心的存在が「長唄」。上調子の演奏で棹に枷をつけて高く調弦。細三味線で駒も軽く小さくバチも薄く軽い。これが江戸後期に庶民の間に「端唄」「うた沢」、さらに明治末に端唄をテンポよく軽快にして花柳街に「小唄」として流行った。

志ん朝の芸談(その2・客はイキたがってんだ) 志ん朝が弟子に言っている。「お前ね、いいかい。客は女と同じでイキたがってんだよ。お前たちはそこをそらしちゃうんだ。歌舞伎はそこを思い切りクサくやるから客がウォーとなる。そこをクサく出来なきゃいけないんだよ」。(★石川さゆりさんの各曲エンディングのクサさがそれ。イってイってと見得を切って会場が盛り上がっている。)
志ん朝の芸談(その3・長谷川一夫の“どけ”) 
志ん朝は長谷川一夫からも芝居を学んでいる。「花道を一緒に出る時に、長谷川先生が“どけ”という仕草をする。訊いたら、花道で客が見惚れるのは私の斜の姿・顔で、それを防ぐ位置に貴方が入ってくるからだと言う。長谷川先生はそこまで計算して演っているんだ」。(★望遠でステージ写真を撮ることが多いあたしは、スターを美しく見せようという配慮なし照明の多さにウンザリ。照明さんのレベル低過ぎです。これはマイク・ミキシング、PAスタッフはお抱え(自前)も、照明係は小屋スタッフ任せが多いからでもあろう。)
志ん朝の芸談(その4・長谷川一夫の“死んでろ”) 浅香光代さんが長谷川一夫と共演して挨拶もしてもらえずノイローゼ気味。相談された志ん朝がその芝居を観て気が付いた。「長谷川先生がかっこよく出てくる場面で、浅香さんも芝居をしているんだよ。それでは客の目が両方に行っちゃう。芸人は人が演っているときにも受けたがるが、死んでいなきゃいけない時もあるんだ」。浅香さんがそうしたら長谷川さんの機嫌は途端に直ったとか。(★逆を言えば、スターはそこまでスター意識が強いんだから、周囲の人たちは充分に気をつかわなければいけませんよってことでもある。)

インタビュー秘伝 総て名人方は余程、御機嫌のよいときでないと、向うから芸の話をきり出されることはなく、そこをこっちが何とかして引き出すのですが、それにはすでに丸いものとよく知っているものでも、わざと「あれは四角うございましたな」と、反対を言うのです。すると「イヤそやない、あれは四角やない、あれは丸いもので、こうこうしたものや」ということになってきてそれからまた次々と芸談が出てきます。(中略)これと反対に自分の知っている通り、丸いものを丸いといってしまっては、「そや」と一言で終ってしまって後は何も続きません。(明治前期の三味線方の初世鶴沢道八/「道八芸談」/芸能名言辞典より)※これは名人の技を得んとする秘伝だろうが、インタビューのコツでもありますね。へぇ、あたしの取材相手は名人ばっかり…。

二世河原崎長十郎 「自分の芸の初日を10日目にしています。初日があいても初日と思わず、これは稽古だぞ、油断するな、満足するなと自制して、10日経てばたいていの場合は技芸が熟しますから、その10日目、いわばそろそろ舞台で気がゆるみだす頃、自分ひとりで今日が初日と思ってやっています」(芸能名言辞典より)

都都逸 七七七五調の四句、二十六文字が基本形で、冒頭に五文字が付く「五字かぶり」と言われるものは三十一文字、和歌と同じ字数になる。別名「情歌」とも呼ばれ、男女の情愛を表した文句が多い。江戸時代の寛政年間、熱田町の「おかめ」と呼ばれる娼妓が二十六文字の唄の後に「ドドイツドイドイ、浮世はサクサク」と囃し文句を付けた。それが都都逸になって江戸に入ると、願人坊主が広めた。天保年間、その坊主が落語家の船遊亭扇橋の弟子になり、都都逸坊扇歌を名乗って寄席に出た。※石川さゆり『恋は天下のまわりもの』ん中に都都逸がある。♪紐でしばって 鳥籠に入れて 鍵をかけたい うちの人〜。♪何処にいるのよ 未来の夫 たぐり寄せたい 赤い糸〜 
新内、常磐津、清元 八代将軍吉宗の贅沢禁止政策に反抗して歌舞音曲を奨励した徳川宗春統治下の尾張で、宮古路豊後掾(みやこじぶんごじょう)が、同地で起こった心中未遂事件を脚色した出し物を上演して大当たり。「泣き節」と言われる哀調たっぷりの節と、扇情的とも言える芸風で心中ものを語り、江戸に進出して喝采を浴びた。これが豊後節。この人気を妬んだ浄瑠璃関係者の策謀で禁止処分。その後、豊後掾の流れをくむ鶴賀若狭掾が心中事件を作詞作曲し、門弟の鶴賀新内に語らせたのが新内節。同じく豊後節から派生の常磐津文字太夫が語ったのが常磐津節で、清元延寿太夫が語ったのが清元節。
さのさ 壮士演歌として流行した法界節が花柳界や寄席で三味線歌謡に発展した俗曲の一種。「さ」は様であなた。「の」は接続語。「さ」は「さぁ、どうですか?」で「あなた、どうですか」の意。文句がほとんど女言葉で綴られて「おんな唄」と言われ、低調子で語りかけるように唄わなければ情がつたわらない。※三味線の座り高座から三亀松がピアノ伴奏になって、弾いたのが久保田益雄。久保田の娘を三亀松がおしめを取り替えるなど可愛がり、その娘が後の江利チエミで、三亀松直伝の「さのさ」を披露する。(以上「浮かれ三亀松」より) ♪なんだ なんだなんだねぇ あんな男の一人や二人 欲しくば上げましょ 熨斗付けて あ〜ら とは言うものの ねぇ、あの人は 初めてあたしが 惚れた人 ハ さのさ〜。(今、これを上手に唄えるのは石川さゆり…)。

白足袋と素足 昨日届いた「カラオケファン」の中村美律子さんの写真は着物で横座りで素足だったんで、いろいろと考えて眠れなくなっちゃった。歌舞伎から落語まで芸人は白足袋だよなぁ。志ん生は白足袋を履いたら「はばかり」にも絶対いかなかったとか。(志ん朝:それから白足袋をはいちゃったら、絶対にはばかりに行かなかったです。これは高座にあがるもんなんだからというのでね。「世の中ついでに生きてたい」より)。あたしの母親は茶・華道師匠だったが生涯白足袋だった。遊女や辰巳芸者は素足。この辺の事たぁ諸説あるんだが、芸者の素足に比して、仲居や女将さんは色気を消すために白足袋だったと誰かの小説で読んだ気もする。あたしは居職みたいなもんだから紺や黒足袋が似合うんだろうなぁ。東京や関西では流儀も違うんだろうし…。酒を呑みながらそんなんをネットで調べていたら、白々と夜が明けてきた。まぁ、中村美律子さんの着物で素足は新曲が『下津井・お滝・まだかな橋』は遊女の唄だし、これでもいいんだろうな。崩した横座りだから素足でいいんかなぁ、と結論して寝ることにした。


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