●生活編●

定住者にはない無駄と苦労を承知の…週末暮し。
知恵を出さぬと、うまくは生きてはいけない

都会じゃ味わえない歓びがあれば、予測不能の大変化もある

島で乗り継いだ中古車、10年で5台。 知恵がなければ生きてはいけない

 先に島へのアクセスの大変さを語ったが、島に着けば着いたで、島の車を持っていないと生活が成り立たない。10年間で乗り継いた中古車5台。軽ボックス、ジムニー、軽ボックス、ダットラ、そして今は軽乗用車。何と2年に1度乗り換えている。所詮、塩害で長持ちはしない。車検があり、修理があり、廃車費用もかかる。無駄だなぁ〜と思う。
 そこで知恵を出す。ジムニーは島から遥か南の島(タヒチ)に移住するカップルから10万で譲り受けた。ダットラは車検切れをタダで入手した。そしていま乗っている軽乗用車は斜め前のロッジと共用で費用は折半。両家の島滞在がバッテングすれば、島の友人から車を借りればいい。10年で5台目にして、やっと理想の形を得た。
 でもこれだけでは問題解決には至らない。港には車を放置出来ない(塩害と長期駐車違反で)から、ロッジに置くしかないのだが、これでは不便なんである。さぁ、ここからがパズルだ。島に着いたらど〜する。帰りはど〜する? 最初は車の保管場所を普通に我がロッジにしていたが、島に着いてタクシーがつかまらないとお手上げだ。帰りが、なお困る。出帆(船)、フライト(飛行機)時間帯はタクシーがかき入れ時だから呼んでも来ないし、時間は迫る・・・。さらに久し振りの島となれば、その間ずっと車を使っていないわけだから、バッテリィー上がりで動かぬことも多々・・・。
 で、10年目に辿り着いた答は、島の友人に預かっていただき、ほどほどに乗っていただくこと。島の友人は一切の費用なしで、もう1台が使えるし、エンジン回していただいているから車の調子もすこぶる良く長持ちする。で、着いた時は友人宅までタクシーかバスで行くが、帰りは送っていただくか、港か空港に置きっぱなしで、あとで回収していただく。皆さん、それぞれに工夫しているようでございます。

※2002年末、6台目の4駆1ボックスになった。今度、これで裏砂漠に行こっと…。

※車の共同所有はカーシェアリングと言うとか。スイスやドイツが先駆で、日本でも現在浸透中。主目的は地球温暖化防止(排気ガス減少)と交通渋滞減少だろうが、使う側に立てばすこぶる経済的。島にも共有レンタカー的なカーシェアリングが各観光ポイント毎に配置なら観光客も使い勝手がいいだろうに…と思うが。




ロッジ・オーナーは訪ね来る客人毎に、観光スポット案内が義務化して、こりゃ〜イヤですねぇ。

 大島ロッジに招待したお返しに、河口湖の別荘に招待されたかかぁの報告は、まず周辺観光スポットの話し。オルゴール館、風穴、ハーブ園…。大体が高額入場料を取る。
「そんなとこぁ〜、行ったことがあるだろうが・・・」
「でも、一応見たいって人もいるから…」
 で、訪客毎に、観光スポットを案内させられるオーナーのうんざりした顔が浮かんで来た。大島も然りで、何回かに1度は友人知人同伴で島に行くし、お盆休みやゴールデンウィークには何組かのグループが入れ替わりで訪ねて来る。我がロッジのリピーターはいいが、大島初めての中高年グループが訪ねて来ると、まずは島内観光ガイドが義務化する。三原山はいいとしてリス村、郷土芸能館、郷土資料館、火山博物館、貝の博物館など有料観光スポットがちと困る。こちとら何度も見て見飽きているから、入場料払ってまでも観たくない。
「さぁ、面白いから楽しんでいらっしゃ〜い」
 とお客を入場させて、アッシらは車のなかで寝て待っていたりするんでありますなぁ。リス村なんか面白いもんだからなかなか出て来やしねぇ〜んだ。待ちくたびれて車の中でしっかり眠り込んじゃったりして、グーグー気持ち良く寝ていると車の窓をガンガンと叩かれたりすんですね。
 島の方、他の別荘オーナーたちは、こんな時、ど〜しているんでしょうかねぇ〜。




都会では考えられない、金を出さずに食する歓び。 これを知ったら自給自足の生活にエスカレートする…

 都会では金を出さなければ、口に入る物は絶対に手に入らない。が、島では初心者でも自然の恵みを採取し、食することが容易に出来る。これはもう歓喜もので、磯に行けばシッタカ(めっかりの大きいヤツで利島のような形をしている)、セセリ(岩にピタッと貼り付いている)は取り放題で、潜って運がよければトコブシ、サザエ。釣り竿を出せばアジ、ムロアジ、メジナ、ブダイ…。ロッジ周辺には明日葉が至る所に自生しているし、タラの芽もある。ささやかな庭ながらニラ、イタリアンパセリ、ピーマンがあり、ハーブもさまざま育っている。三原山のてっぺんまで一気に飛んで行けるような激辛タカノツメ(大島特有種?)もびっしりと実をつけている。
 うまくすれば朝はシッタカやセセリでダシを取ったミソ汁(貝を水から煮て、沸騰したら味噌を入れる。特にセセリからは良いダシが出る。一度でなく数度煮直すと、濃厚な磯汁になる)に、釣った魚の塩焼き。昼はタラの芽と明日葉の天麩羅そば。夜はローズマリー風呂で温まって、釣った魚のべっこう漬け丼と収穫した野菜の炒め物。明日葉の煮だし水で割った焼酎を飲み、友人からいただいた薪でストーブを楽しむ。
 イヤ、この歓びを知ったら、もうエスカレートするね。今度は庭にナス、キュウリ、トマト、トウモロコシを植えようかしら(5月の連休頃にドッと苗が出まわります)。魚は干物や燻製にまでチャレンジしたいし、いや、いっそ近所に畑を借りて農業の真似事をしましょうかしらってぇ〜気になって来るンであります。あと何年で年金がもらえて、もういっそのこと島に定住して、自給自足の生活に入ろうかしら。いや年金だけじゃ足りねぇ〜から、シルバーセンターで週2日ほど草取りなんかで働かせてもらってさ…なぁ〜んてことを、無理だとわかっていながら夢に見たりする。




癌も克服、朝鮮人参を越える長生きの薬草… 驚異の明日葉がロッジ周辺の至るところに自生。

 これは理学・医学博士、故・後藤迅幟著の明日葉の本(ハート出版 定価750円)のタイトル。まさに不老長寿の薬草が島には至る所に自生している。明日葉の貴重要素はゲルマニュウム、ビタミン12、葉緑素、ミネラル。これで驚異の効果を発揮だと書かれている。同書には明日葉で病気を克服した体験談が多数紹介されていて癌が、糖尿病が、更年期障害が、アトピーが治ったと文字通り驚異の効果がたくさん紹介されている。
 この驚異の明日葉が、わがロッジの庭まわりに踏み潰すほど自生しているンだ。食さぬわけにはいくまい。混ぜご飯、ゴマ合え、おひたし、そして必ず食べるのが天麩羅。特に夏はソーメンに明日葉の天麩羅が逸品でわが家の定番。もっと健康になりたいと思った時には、焼酎の明日葉煮汁割りがいい。近所の奥さんなんて肌も若返りたいってんで、煮汁を風呂に入れて明日葉の匂いをプンプンさせている。三原山の土産屋に行くと、明日葉を“
チン立ち草”の名で売っている。それだけ効くってこと。“チン”を期待なら明日葉の根を、朝鮮人参よろしく焼酎漬けして飲むのがいいかも。
 某宅でご馳走になった
三原山砂漠で採集の明日葉は逸品だったなぁ〜。アッシら素人は近所に生えてる明日葉の若く柔らかい葉のみを選んで食すのだが、この日の明日葉は太い茎まであって、これがなんとアスパラにも似た美味ではないか。聞けば火山粒を掘り起こしての茎からの採取とか。きっと玄武岩粒に育まれてゲルマニュウムの含有率が高いせいかもしれない。ただし三原山砂漠での採取はマムシもいるので用心深くとか…。
 われら夫婦がこの歳で元気なのは、明日葉のおかげかもしらん。さ、今度島に行ったら明日葉をもっとたくさん食べようっと!

※木イチゴの若葉が、ちょっと明日葉の若葉に似ている。「さぁ〜さ、これが元気になる明日葉だ」と言いつつ、間違って木イチゴの若葉を何人もの友人に食わせていた時期がある。みんな、うめぇ〜なぁ、と言って食べていた。反省…。



島のスーパー行けば、愚妻の「高〜い、高〜い」の声がこだまする。

 ケチなわれらは島での買物は極力控えているが、食材のスーパー通いは欠かせない。で、かかぁ〜の大声が店内にこだますることになる。
 「高〜い、高〜い!」
 より安く、より良くなければ東京の店は生き残れないし、こちらも安ギャラの稼ぎで安く、良くを求めなきゃ生きっちゃ〜行けねぇ。そんな過当競争に揉まれた東京の物価に比して、島はかくも高いのだ。本土からの輸送費が入っていることを加味しても島は高い。で、大勢でバーベキューとなれば安くて旨い肉を東京から持参したりする。(東海汽船では冷凍食品を預かってくれるし、今は高速艇で1時間45分で、そんな心配せずに簡単に持参出来る) 必要生活物資は東京で安売りの際に買い込んで、溜まればクロネコヤマト便で島の営業所止めで送っておく。
 でも島でのお奨め店もある。仲間がお経のように…
「タマゴは○○、魚は「イワトシ」、野菜は○○、弁当は○○、肉は「肉よし」…」
 と唱え、おい、ちょい待てと書き付けた。あそこは養鶏場を持っているから、あそこは漁師から直接だから…の裏が取れたお薦め呪文で、島で生活するならこれを覚えるっきゃない。
 東京の在住地近辺はラーメン、昼の食べ放題ランチ、デパ地下共に激戦地。話題のユニクロは歩いて数分、旨い蕎麦屋もある。バイクちょい乗りで安売りの黒潮市場、ドンキホーテ、 100円スーパー、釣具の上州屋、ホームセンター島忠、家電やコンピュータ関連のビッグカメラがあり、気が向けばネパール、エジプト、インド、タイ、韓国、イタリア、フランス料理と食の世界旅行も出来る。改めて大島移住は出来ないかなぁ〜、と思ったりする。
 でも島一番の至福のご馳走があって、これは泉津のM氏宅の歓待。毎回突然の訪問だが、行く度に心のこもったもてなしの、他ではちょいと口に出来ない「地のご馳走」が出て来て、申し訳なく年3回ほどの訪問に止めているのだが…。



坪1万円を100坪共同購入し一人はコンテナ、一人は手作り小屋で
快適週末大島暮しを実現した友人。やれば出来るんです!


 タマゴは○○魚は○○…の呪文を教えてくれたのは島通いの仲間Bで某誌エディトリアル・デザイナー。彼は島の友から坪1万円で100坪の地を友人H夫妻と共に購入。彼はそこに東京から運んだコンテナを設置し住居とした。この費用が全60万円。H夫妻は元大島の小学校教師で今は共に新宿区の学校で教えているが、島に来ては同地でコツコツと手作りを続け、ついに窓板を開けてつっかえ棒で支えるキューバかジャマイカの海岸べりに建つ小屋風の素敵な家を完成させた。
 全費用を二人組で割って一人100万円強か。中古車買う金額で、立派に土地持ちロッジ持ちの週末大島暮しを実現である。土地購入と同時に電気は引いたが、坪1万円の遠隔地ゆえに水道をひくのは費用が莫大すぎて断念。飲料水は近所から運んで何とかなるが、困ったのは用便用水。長い間、野グソだったが、ついに独力で雨水利用による浄化漕設置で水洗トイレも完成させた。
 わがロッジ近辺にはン千万の別荘が数々あるが、彼らが島に来るのは年に数回で、それに比し100万強で土地持ちロッジ持ちを実現した彼らは、ほぼ毎週末の島通いで皆勤賞もの。誰よりも島暮しを謳歌しているのであります。
 もし、このHPを読んで島暮しを思い立った方々のために土地相場を簡単に紹介すれば、坪2万から5万と言っておきましょうか。2万の地は未造成、5万は市街地。いかがです、建ててみませんか。もっと安価に島暮しを実現したいなら、借家がいいかも。家賃3万くらいでありそうですが、こればっかりは島民の紹介がないと借りられないかも…。アッシにジムニーを売ってタヒチに移住した日本人男性・フランス人女性のカップルは、元町に2軒長屋の1間借家を、それは素敵なエスニック・インテリアにして暮していた。


※H先生夫妻は、その後、野増の海を望む別天地にキットログを建てた。冬の西風が心配な地だが、絶対に人が入って来ないプール付き秘密基地風広大地で、大島通ならではの極上の週末ロッジ暮しを楽しんでいる。えぇ、あのジャマイカ風ロッジも健在で、贅沢にも「2荘」暮しである。大島のツキンボ列伝、ロッジ自作ノウハウ等のコンテンツでユニークなサイトを立ち上げたいの構想もあり、大いに期待です。えぇ、H先生夫妻が誰だかわかっている方は、会う度に「センセ、早くホームページ作ってぇ〜」と煽りましょう。



ロッジ暮しは、何故かDIY(Do It Yourself)がやりたくなって来る…
イス、ベンチ、チェスト、各種棚を作って、さぁ、今度はベランダの大仕事が待っている

 木造ロッジというのは、不思議に「DIY」を誘うもんです。ロッジ完成と同時に電動のドリル、カンナ、サンダー、糸ノコ、丸ノコ …などコツコツと一応の大工道具を揃えて、子供時分にやった木工作業復活です。材木は「丸久」で購入。まず最初に挑戦したのがカウンター上の吊り棚。棚板支える横板に、玄関にでも飾りたい「Squat」の大彫刻を施しましたね。雨が降って外遊び出来なかった時の手なぐさみで、コツコツと深彫りしたんです。次が海岸から石を運んで庭を平らにしての石垣作り。石の間にヘビが入り込まぬようにコンクリで丁寧に埋め固めました。コンクリを練ったなぁんてコトは、きっと大島ロッジを建てなかったら一生涯やらずに死んだかもしれませんね。東京で不要になった黒塗装のスチール棚を考えもせずに持ち込んだものですから、あぁ、これは似合わないってんで、杉板で被って縦型のカントリー・チェスト風に仕上げた。扉の左に星、右に月の切り抜き装飾。オイルスティンを塗り込みました。大工の哲っちゃんがプレゼントしてくれたぶ厚い自然木の座りテーブルに、長い足を繋いで椅子テーブルに改良。イスはすべてDIYも店で買った組み立てカントリーチェア。ブルー系で塗装して、サンダ−で色を落す凝った仕上げ。ここまでやると自信と欲が湧いて来て、今度は家具作りに挑戦です。王様の椅子(1.5人分の大きさで、胡座がかけて、背もたれが扇型のスペシャル・チェア)、5人は座れる大型背もたれ付きベンチ、さらにテレビ台を兼ねた横大型チェスト。小物では台所の調味料ボックス、各所に各種棚(本棚、飾り棚など)。
 えぇ、都会じゃ電動工具やトンカチの音は近所迷惑で出来ませんが、島では朝からブルルン、トンカン・トンカンと一心不乱。一時は日曜大工をやりに島に来る、みたいなほど凝ったもんですが、必要なものが一応出来れば木工は中断…。残された大テーマは、二階ベランダを壊して、一階床と同じ高さでベランダを出したいと思っているのですが、アタシ、このごろ、働くのイヤなんですぅ。誰か安くやってくれないだろうか…。


ちょっとだけ外食ガイド。…が結局は近所のロッジの方々と集っての酒宴となる。
皆さん酒豪でアッシが一番先にオネンネ


 わが家には名シェフのかかぁがいて、おまけに金がねぇ〜から滅多に外食しない。が、島が初めての客人が来ると、きまって「駒」(現在、休業中)にお連れする。伊豆諸島の古い民家を移築した建物が数棟建つ味わい深い風情、地物のメニュー、加えて安価で<星三つ>のお店。
 「駒」には忘れ得ぬ感動体験がある。数ヶ月振りに訪れた折り、前回つり銭を間違えたからと37円を返却してくれたんだ。こんな正直、昨今接したことなく、涙がちょちょ切れた。「駒」の味にはそんな誠意もこめられているんです。
 若者がドッと来た時は、わが名シェフの手をわずらわせることはない、彼等は質より量だから焼肉食い放題の「ビッグ」に連れて行く。ここのカレーは島一番。浜の湯で夕陽を堪能した後は「南島館」か「かあちゃん」がいい。共に島ならではのメニューが揃っている。が、「かあちゃん」はオヤジが漁師の関係か閉店時間が早く、「南島館」は呑兵衛島民の溜まり場で入れぬことままなり。客人が多数来ていて、この両店に入りっぱくれてキッチンガーデンのニラで餃子百個作ったことを思い出した。
 そんなこんだで、結局はわが家で近所のロッジ仲間も一緒に大勢で食事〜飲み会のケースが一番多いかも。持ち寄りのおかずとお酒で、皆さん酒豪。一番早く寝るのがアタシでございます。




夜ともなれば、この世で1軒…の静謐な地だったが、
今では定住者あり。借景の防風林なぎ倒し奇をてらった家も建つ。
住環境の変化は予測不可で明日の保証なし。

 当初はロッジ周囲に他の家もなきゃ〜、人も車も通らぬひっそりした環境だったから、ダイビングから戻ればフルチンで水浴びし、夜ともなれば漆黒の闇に全裸女子が走ったりしたもんだが、今はもう人目もはばかる賑やかさだ。防風林を抜ける道を行き交う車も多くなり、近所に定住者が出たから新聞配達だのの車も見かけるようになった。
 で、後から家を建てる家は、最初の家の電柱から電気を敷くから、我が家の前はもう電線が蜘蛛糸状となって、おまけにそこに本物の蜘蛛が糸を張るから、もう海も山も見えやぁ〜しない。そう言えば絶え間なく「ホーホケキョ」と鳴く鳥のさえずりも少なくなったし、庭先で遊んでいたリスも望遠鏡でしか見えなくなっちまったぁ。
 大手デベロッパーが管理するような別荘地じゃないから、環境は思わぬ展開で激変すンであります。畑をやるからと家の前に牧場からもらった牛糞を山積みにする野蛮なヤツがいる。えぇ、ベランダで飯でも食っていれば、ソレに群がったハエが口に入って来る有り様だった。その野蛮なオーナーがどこかに消えて、今度はその地にどこぞの誰だろうか、鳩小屋をおっ建やがった。なぁ〜んでそんなことすんのよぉ〜!(
ソヤツはその後、鳩ごと引き払ったが、平成15年現在、鳩小屋は放置されたままで朽ちかけている。ひでぇ〜ヤツがいたもんだ)。
 さらには、その空き家をスナックに改装して数ヶ月間営業して消えたヤツもいる。アタシんとこに来て、大きな飾り舵輪を「それ、いいなぁ〜、いいなぁ〜」と余り繰り返し言うものだから「いいよ、あげるよ」。で、オジさん、店たたんだならアレ返ぇ〜してくれよの気持ちだが、何処の誰だか分からねぇ〜。知らぬ間に車が放置されていたこともあった。ここは廃車置き場じゃね〜と怒鳴ってみたが誰の車かわからず埒があかぬこともあった。その車は斜め前ロッジ前にあって、同家がとうとう「不審車あり」と110番したら、お巡りさんは中に死体でも入っているみてぇ〜に、おずおずと車の検査を始めたもんだ。さらには、海側は防風林だから他の家が建ちませんヨ〜、で買った地だが、われらが私道から重機を出入りさせて防風林をなぎ倒し、奇をてらいましたとばかりの大きな家が建ち、なぜか防風林標識も移動されている不思議…。今また、海岸から入り口に塩工場だかの大掛かりの工事も始まっている。
 10年間の変化である。これから10年でどう変わっていくんでしょうかねぇ〜。苦虫を噛み潰した思いで、今後の変化を楽しみにしているんでございますよ。



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