永井荷風ノート(1)


<1‐1 初期作品:広津柳浪の影響を受けた習作作品
おぼろ夜 芸者内輪話。姉妹を吉原に売った母が十年振りに訪ねて来て堅気になってくれと頼む…。
烟鬼」 上海の鴉片(あへん)中毒患者「烟鬼」(エイコイ)の物語
花籠 結婚間近の友に花籠を作るが、友は父が仕える伯爵に結婚三日前に強姦されてしまう。
かたわれ月」 肺結核で別荘送りの若妻。若旦那は子孫作りにお部屋様を与えられるが夫婦は心中…。
濁りそめ 湯島の妾宅の小間使い・お糸は、贅に憧れ芸者になるが「女」になる辛い(水揚げ)夜を迎える。
三重襷」  仲働き・千代は物置部屋の病人・宗太郎を同輩の目を盗んで見舞っていたが彼は死んだ。
薄衣」  外妾お袖は妹・お小夜を同居させれば旦那と妹が深間に…。荷風得意の姉妹丼もの。
夕せみ」  強欲な叔父と奉公先の淫蕩な主人に苦しめられたお園は入院するも直りたくない…。
をさめ髪」 常盤津芸人・梅は義父に妾を勧められ、深間の役者に救援するもつれなく黒髪を切る。
うら庭」 実らぬ恋路に嵌る兄。それを嫌う妹だが、そんな男女の会話を聞いてから兄に同情する。
闇の夜」  契った女は親の借金がらみで盲目の三味線弾きに嫁いだ。再会した男はまた女に…。
花ちる夜」 若旦那は店を叔父に仕切られ、深間の奉公人・鈴の母が叔父に借金返済を迫られる。
四畳半」 お嬢様と使用人は共にいい人がいるが親の縁談に従う身。互いに嘆き合って心中する。
青簾」 清元師匠宅に集う男たちの粋な愉しみ。大岡昇平解説だと…31年秋、処女作「簾の月」を携えて、広津柳浪を訪ね門下生となった…とあるが?「簾の月」と「青簾」は同内容だろう。
小夜千鳥」 吉原の年期があけて帰って来たお玉だったが、田舎暮しが退屈でしょうがない…。
山谷菅原」 おいらん・小西施(こせし)が恋しい人を想って病死する…。
櫻の水」 懸賞小説が書けぬ書生が、これまた書けぬ書生に趣向を売る話。
新梅ごよみ」 荷風最初の新聞連載小説。廓内で開業医になるか義妹と結婚して楼を継ぐかを迫られる三二郎。彼を慕う小米は折檻されて、最後はみぃ〜んな死んでしまう。
いちごの實」 数頁のエッセイ風短編。
※以上、広津柳浪の影響は色濃かった初期作品郡。
<1‐2 初期作品:ゾライズムの影響後の作品>

野心」 荷風珍しく青年主人公の短編で、最初の刊行書。事業慾に燃える青年に母は不安を覚え、青年の妹に番頭を婿取りさせて財産を二分しようとするが、完成間際の建物が放火される…。現象学実存主義的会話もあって注目です。
闇の叫び」 赤新聞主幹・秀輔は女工が工場主に妊娠せしめられたのを聞き込んで「偽正義」を振りかざす。
地獄の花」 富豪邸に家庭教師として住み込んだ園子は、偽善仮面を次第に脱いだ周囲の人々に翻弄され…。
新任知事」 功名心と虚栄心にこり固まった似た者夫妻が、県知事になったとたんに病死する。
夢の女」 家庭の貧困から妾、州崎の遊郭へと転落して行くお浪の物語。
※妹・お絹の出奔などで虚脱した日々を過ごした後の、深川不動尊に行こうとして夕暮れの美しさに誘われるようして歩き出す情景は秀逸です。
夜の心」 和歌、水彩画、テニスの会に属し自転車を駆る幾枝は義兄と結婚、恋人とも付き合うことを決意する。※麹町三番町〜市ヶ谷見付〜大久保と疾走し、西向神社でデート。今のアタシに馴染み道で、これまた小説読みの楽しみ。
燈下の巷」 青年画家は妻と田園生活。友は人も羨む富豪の息子だが悩み多し。彼は父の後妻と銀ブラで手をつなぎ…。
すみだ川」 これは明治42年12月発表の「すみだ川」とは別の小説。ご隠居と数人の芸者。一人が心中話を語り出す。
庭の夜露」 夫は留守。二階窓に身を寄せれば、隣家の婚礼を控えた玉ちゃんの弾んだ声。我が恋を振り返って溜息ひとつ。

<初期作品所感>
※最初の作とも言っていい明治32年「おぼろ月」にして江戸風俗、風流を描き出すその文章の美しさよ、です。今やコンクリート・ジャングルになって東京では完全に無くなった懐かしい暮しが展開されて、何度も繰り返し読みたくなって来ます。そして、そんな風流の主役たちは花柳界や堕ちて行く女たち。その艶かしい息遣いまで伝わって来ます。明治時分の「下町ことば」もイキイキと再現されていて貴重。永井荷風さんは「あめりか物語」「ふらんす物語」以前から十二分に荷風さんなんでございます。脱帽。
※明治32年(1899)二十歳の作「おぼろ夜」(全集第一巻最初収録)の書き出しは以下。そもそもから後の荷風を暗示です。
 春ながら、朝は未だ肌寒い十時頃である。糸の様なる春雨の一時(ひとしきり)止まうとして、又蕭索(しとしと)と降籠(ふりこ)めた新道から、大通へ出やうとする角の、風呂屋の格子戸を戞然(がらり)と開けて、今磨き立ての顔美しく、連立って立出た二個(ふたり)の藝者がある。

※広津柳浪門下〜次第にゾラに傾倒〜木曜会(巌田小波主宰)…が、荷風さんの大雑把な文学歴だが、「木曜会」で仲間の前で朗読で自作発表…という慣わしがあって、美文はその為かとも思ったが前記「おぼろ夜」は明治32年1月作。木曜会加入は明治32年末か33年の春頃と推測されているから、その以前から荷風さんは美文センスがあったと言えそうです。

※「野心」あたりからゾラの影響を受けた作品が続きますが「ゾライズム」っぽい小説は、何だか荷風さんらしさが出ていず、無理に理屈付けているようで面白くありません。社会との絆を断って「それらはアッシとは関わりありませんゼ」とアウトローに徹してからの荷風さんが好く、この「ゾライズム」とかに影響された作品群は真っ当な世間との緒を絶つ過程だったと思いたい。ここから荷風さんはアメリカ、フランスへ旅立ちます。


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