小早川秋声の作品集
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戦時中、画家は画材のために絵を描いた、軍部の強制があったなどと言われているが、それは私(白石)が調査した限り間違っている。画材が豊富に購入できたわけではないが、申請することによってある程度入手することは出来た。 画家は戦時中でも自由に表現したし、軍部もそれを問題などしていない。陸軍から記録画を依頼された画家が、「わしはそんなもん描けんよ」と言うことはざらにあった。 それどころか、よろこんで「戦争記録画」のため、戦地に赴いた画家は多かったし、軍は彼等を佐官、将官待遇として厚遇した
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作品名:余燼
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作品名:太原にて
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作品名:万歳
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作品名:寺内寿一閣下
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作品名:いくさのはなし
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作品名:浄魂 制作年1939年頃 製作技法:絹本着色、84×106 所蔵場所:京都霊山神社所蔵 山元春挙追悼作品展出品 敵陣4〜500mの攻撃発起位置から横隊に散開して突撃発起位置まで攻撃前進する。この画は突撃発起位置に接近している場面であろう。兵士はヘトヘトである。敵軍は陣前に対する火力集中射撃を開始したようだ。だが前進を止めない。その動きがよく表現されている。 解説 松村 劭様 |
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作品名:戦友を弔う 画集「聖戦画譜」より。 |
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作品名:吹雪に立つ 画集「聖戦画譜」より。 |
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作品名:虫の音 画集「聖戦画譜」より。 |
作品名:日本刀 制作年:1939年 製作技法:紙本、155×173 所蔵場所:日南町立美術館蔵 この作品は、昭和14年「聖戦美術展」に出品された作品と言われているが、それは間違っている。当時の画集を見ると、日本刀の向きが違っている。(その作品は現在確認されていない) 画面左上の2色の色面は、多分、何らかの漢詩(藤田東湖の「正気歌」だと考えられる)が画かれていたのだが、戦後、時流に合わなくなったため、和紙で上から貼られたものだろう。 白石敬一 |
作品名:國之盾 制作年:1944年 製作技法:紙本、151×208 所蔵場所:日南町立美術館蔵 この作品は、陸軍省より天覧のため依頼されたものであったが、受け取りを拒否されたという話が残っている。 作品を見に来た第16師団の師団長と部下が、この作品を見て、直立不動で敬礼したという話も残っている。 秋声の死後、遺族により京都霊山護国神社に奉納された。 白石敬一 |
作品名:出陣の前 補足説明:モデルは寺内大将閣下と思われます。 制作年:1944年 製作技法:紙本 129×91 平安遷都1150年奉祝美術展出品作品 所蔵場所: 日南町立美術館蔵 この絵にも、もう一点同じ構図の絵が現存する。 モデルは秋声と交友のあった寺内元帥だという。 絵の右下にあるリプトンのカンは秋声のもので、(茶道具を入れていた)戦後も秋声の自宅で見かけられたという。 白石敬一 |
作品名:戦いのあと 制作年:昭和10年代 製作技法紙本 181×119 |
作品名:護国(御旗) 制作年:1934年 製作技法:紙本 196×246 昭和11年文展出品作品 |