日本の作品
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ミッドウェー海戦 ミッドウェー海戦における日本連合艦隊の敗北の原因は日本の暗号解読が米軍に解読されていて日本の作戦計画の骨子が米軍に筒抜けであったことだと言われている。しかし、基本的な戦術において米軍が優れていた。 ニミッツ提督は増強したミッドウェー基地航空部隊(約150機)をもって日本連合艦隊を索敵・牽制・抑留し、その援護下で日本偵察機の行動半径の外側のミッドウェー北東に空母機動部隊(空母三基幹)を待機させておき、好機を補足して機動打撃しようと待ち構えていた。砂漠の狐ロンメルと同じ発想で”海の機動防御”である。 ミッドウェー海戦は6月4〜6日、最初にミッドウェーの基地航空部隊に喰いつかれた日本機動部隊への空襲から始まった。この好機に米機動部隊は日本の機動部隊を襲った。日本艦隊は、たちまち空母三隻が航行不能に陥り、空母一隻(飛龍)が奮闘して米空母一隻に報復したに過ぎなかった。 戦闘解説:松村 劭様 補足: この絵は、米軍の攻撃により飛龍が戦闘能力を喪失し、山口多聞提督が総員退艦を命じた様子だと思われる。山口提督は総員退艦を命じた後、加来止男艦長と空母「飛龍」と共に海へ永遠の眠りに付く。 総員退艦の際、部下達は山口多聞提督と加来止男艦長に退艦を懇願するが、二人はこれを拒否している。それならば帯同を部下達が求めると、二人は激しく拒絶したと記録にある。 山口提督は米機動部隊発見の報を知ると、積極的に攻撃することを艦隊司令部に進言するもこれを却下されている。二人の最後は、指揮する者が義務を果たす目的で武士道を貫いた美意識ではないのか。 補足:上岡 龍次 エピソード: アリューシャン沖でその悲報を聞いた角田少将は後に「山口少将を機動部隊の最高指揮官にしてやりたかた。山口長官の下でなら、司令として務めることが出来たであろうに・・・」と航空隊参謀だった奥村氏に語った。 エピソード:白石敬一 |
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作者名:北蓮蔵(1876−1949) 作品名:「提督の最後」 1943年制作 技法:239×300 カンバスに油彩 第2回大東亜戦争美術展出展作品 海軍作戦記録画 |
ルンガ沖夜戦
ルンガ沖の夜戦といえば、ガダルカナル島の奪回を目指す陸軍第二師団に物資を供給するために1942年11月30日夜、田中頼三少将の指揮する駆逐艦隊8隻が突入し待ち構えていたライト巡洋艦隊と海戦となり、戦果を挙げたものの補給に失敗した。 これより先、11月および夜14日夜に第11戦隊戦艦2、大巡2、軽巡2、駆逐艦14をもって第三次ソロモン海戦(ルンガ沖)を実施した。戦果は米巡3、駆逐艦7沈没、損傷は戦艦1、巡2、駆逐4、日本側の損害は戦艦2、巡1、駆逐艦3であった。 戦闘解説:松村 劭様 |
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作者名:清水良雄作(1891−1954) 作品名:「ルンガ沖夜戦」 1943年製作 |