20世紀の美術について。

 美術評論家の木下長宏氏の文章がとても参考になったので、ムートンエチケットの歴史を理解するためにも有益であったので、引用させていただく。
 「フォービズムやキュービズム、未来派、ダダイズム、シュールレアリスム。20世紀はたくさんの絵画運動を生み出した時代だった。その運動にはつねに名前がつけられ、20世紀の後半には、抽象表現主義、ポップアート、ミニマリズムなどがつづいた。
 こんなにつぎつぎと流派が生まれたのは、画家たちが一つの方法に満足できなかったからだ。18世紀までは、なにを描くかさえはっきりしていればよかった。19世紀に入るとどのように描くかが問題になった。20世紀の半ばには、その方法が出尽くした。
 その結果、20世紀後半は、「どのように」ではなく「なぜ描くのか」が問題になってしまったのだ。こうなると問いは次の問いを生む。そもそも、「なぜ、絵画は絵画でありうるのか」も問題になってくる。
 アンディ・ウォホルは、もう描かないで、ポートレイト、漫画などを写真に撮ってシルクスクリーンに刷り上げた。そして、森村泰昌は自分の顔写真と名画を合成し、コンピューター処理して製作する。
 ある対象を見つめて感じ取ったことを、絵筆を駆使して一つの作品に仕上げる作業には、まだ絵を描く主体としての自分はあった。「絵を描く自己とはなにか」も問いとして成立しえた。
 描くことを放棄すると、描く自分を問う意味も変質する。21世紀の現代は、自己が一つの自分を確保できなくなって拡散分裂し、絵筆を動かして自画像を描くことは魅力を失った。
 自己は自由に再生産され、現代の芸術家たちは「描く」という営みから離脱していく。再び自画像を必要としない時代を呼び戻し、新しい「自己証明」の方法を探す旅が始まっているようだ。