山本譲二『名もない花に乾杯を』
〜月刊「ソングブック」05年5月号掲載〜

移籍6年“幸せ演歌”定着で、55歳ならではの味わいも増し…

男性カラオケファンに火をつけた譲二の優しさ、カッコ良さ。
移籍第 1弾 『花も嵐も』 から始まった“幸せ演歌”も 早11作、6年目。
同作は 2月1日発売。初動セールスは終わり、今後は男性ファンに唄われて、根強く浸透して行く時期へ。
男性ファンに贈る“譲二・男気トーク”

 えぇ、今もはっきり覚えていますとも。テイチク移籍が決まった直後の NHKの楽屋でした。プロデューサーが「これで行きます。ちょっと聴いて下さい」。
♪ンタタタ・タァ〜ン 花も嵐も…。
 最初ですから『みちのくひとり旅』のような楽曲を持ってくるのかなぁ、と思っていましたから、ちょっと驚きました。よく聴けば、僕はまぁ、試行錯誤しながらほとんども曲調を唄って来たと思っていたが、それは僕が今までに唄っていなかった楽曲だったんですね。さすがテイチクさんだ、と思いました。
 イントロから大空がワァ〜と広がるような気持ち良い歌で、唄っていましたら
「譲二さん、10万枚行きました」
 なお一生懸命唄っていたら
「20万枚突破しました」って。
 あぁ、凄い会社に移籍させてもらったなぁ〜と、ハイ。
 これもハッキリ覚えています。移籍ん時に飯田社長が、こう言ってくれたんです。
「テイチク演歌陣の兄貴になって欲しい」
 って。ハイ、眼ん中、涙ぁ〜溢れてしまいました。凄い社長です。
 新曲『名もない花に乾杯を』も力まずナチュラルに唄っています。かなり淋しい詞なんですが、ウジウジせずに譲二らしく唄ってもらった方がいいから、僕はマイナーで作るね、と弦先生。皆、僕の持てるものをどう引き出そうか真剣に考えて下さっている。お陰様で山本譲二の“幸せ演歌”というのが確立されたかな、と思っています。
 加えて、1割いたかいなかったかの男性ファンが一気に4割に増えて、これには僕が驚いた。コンサート会場でひと目で分かるんです。また男性のお客様が聴いて下さる姿形がいいんです。こうグッと腕を組んで眼を閉じて聴いている。で、良ければ唄い終わると同時に、立ち上がらんばかりに力一杯の拍手を下さる。旅に出ますと…「『花も嵐も』大好きだ。『おまえと生きる』たまんねぇ〜」 よくこう話かけられます。ありがたいですね。でも怖いっちゃ怖いですよ。常に真剣勝負になって来ますからね。
 考えてみれば50代の最初に“倖せ演歌”に巡り合ったんです。これは 30代では唄えんでしょ。結婚し家族も持って、いろんな事に出くわしながら歳を重ねて唄える楽曲ですね。
 子供たちは上が高3で、今度は大学です。下は中2で共に女の子。女房とはそもそもから数えると、もう 31年…。夫婦もんを唄っても違和感なく受け入れられる歳になったんですね。
 上の子は今日、卒業旅行だってんで友達 4人と安いツアーを見つけてハワイに行ったばかり。先日、卒業式に行きましたら、今は皆、デジカメを持っていますから僕をバシャバシャ撮るんです。それを娘が見ていて「お父さん、凄い」って。タマにはそういうのを見せておきませんとね。ウハハハッ、尊敬されません。
 ポニーキャニオン時代に『みちのくひとり旅』『旅の終りはお前』『奥州路』がヒットして他がなかなか売れなかった。それで歌い手は“ひき出し”をいろいろ持っていた方がいいと言うんで、まぁ、色んな形の歌を唄ってきましたが、モノにならない。悩んだ時期もありましたが、突然に『浪漫』が売れたんです。ここで、諦めちゃいけないってことを学びました。で、テイチクがまた新たなひき出しを創って下さって、それが形になって来た。やはり諦めちゃいけないってころですね。
 “幸せ演歌”はその年齢、その声も合って来ての出会いだと思います。若い時分の声を聴くと荒い、棘がある。それが自分で言うのもヘンですがまろやかになって来ているんです(笑)。エッ、特に中低音が良くなって来たとおっしゃる。ありがとうございます。中低音が良いと、高音域もよく聞こえますからねぇ。
 その意でも、まだまだこれから。何しろ僕には素晴らしいお手本が目の当たりにいますから。ハイ、オヤジ(北島三郎)は今 69歳で、劇場公演を年間4ヶ月もやっている。そんなオヤジを見ていると、僕なんてまだ守りに入るなんてとんでもない、グリグリ行くゾって気になってきますね。
 先日、オヤジがこう言うんです。
「俺は若い時分、俺の歌を聴いてくれって気持ちだったが、山本、それは違うんだ。花道をこう出て行くとワッと声援をいただく。これで疲れも飛んで役に没頭出来る。北島三郎の歌が唄えるんだ。山本、お客さんがパワーをくれて唄わせて下さるんだよ。わかったか…」
 ってね。えぇ、こういう偉大な先輩がいますんで、僕も甘えるワケにはいかない。 いつか僕も劇場の1ヶ月公演をやりたい、いいオリジナル・アルバムを創りたい…と追うべき夢がいっぱいあります。そう、最も力を入れているのが作詞作曲です。
 これは未だ生きていた父さんに、かつて言われたことを想い出してなんです。
「楽屋でなぁ、横になっていたり、マージャンをしたりは見っともない、良くないと父さんは思うんだ。ギターで作曲したり、詞を書いたりした方がいいんじゃないか」
 と。亡くなって5年も経ってから、そんな言葉をフと思い出すんですよ。ヨシッ、本気で詞曲を作ってみようと思っています。僕には「琴五郎」というペンネームもあるじゃないかと。エッ、覚えているって。そう『夢街道』『関門海峡』。剛速球の男気炸裂の涙チョチョ切れるほどいい曲だったと…。ウワァ、覚えていてくれるだけでうれしいねぇ。で、そんな歌をいつかまた創ってみたいんだ。(談)


山本譲二 『高杉晋平』
●平成19年「ソングブック」3月号掲載原稿●

潟Wョージ・プロモーション第1弾。故郷の幕末の英雄…高杉晋作を腰据えて熱唱。
その歌唱も新たに、またタイムリーな船出です。
山本譲二のトークは大人気。ここではその語り口そのままに…熱きトーク再現で紹介です。


山本譲二、この度、独立しました。
明日に向かって、唄って唄いまくります。

 
去年10月4日、オヤジ(北島三郎)が芸道45周年パーティーで突然こう言いました。
「山本は来年“のれんわけ”をします。これからは一人で頑張って行きます」
 オヤジの背を見ながら、一字一句聞き逃してはならぬゾと緊張していました。それから年が明けるまでに何度かオヤジに会いました。こう言われました。
「いいか山本。お前が光っていないと、俺も光っていられないんだ。頑張るんだ…」
 そう、これからは俺が下を向けばスタッフも下を向く。常に明日に向って進んで行かなければ…。そして応援して下さる皆様方には頭を下げて…。これからは良い事・悪い事のすべてが自分に戻ってきます。
 山本、2月1日で57歳です。今は会社設立や体制固めで煩雑な仕事が多いけれども、一日も早く歌に集中できる環境を得て、唄って唄って唄いまくりたい気持ちでいっぱいです。だって山本譲二は歌が好きで、唄うことしか能がないのですから…。僕はオヤジのように 70歳までは唄えないだろうから、これから10年は必死で頑張ります。理想を言えば、その間に明日の原石をも見つけ磨いて、世に送り出せたらいいなぁとも思います。

期せずして第1弾は故郷・山口の幕末の志士
…憧れの“高杉晋平”でスタート!!


 独立第1作が、故郷の幕末の英雄『高杉晋平』です。皆様によくこう言われます。
「独立最初の歌が故郷の偉人の歌で、原点に戻ってのスタートですね」
 と。でもそれは違うんです。実は一昨年の半ばに平成19年の一発目は“高杉晋平”と決めていたんです。僕は子供の頃から彼が好きでした。ひ弱だった僕を鍛えるべく、父が僕に野球の特訓をしてくれました。その場所が近所の日和山公園で、高杉晋平像の下だったんです。弱音を吐くと、父はいつも高杉晋平の逸話を話してくれたものです。 吉田松陰の教えを得、明治維新の実現に向けて幕末を炎のように生きた男…。それでいて酒好きで女好きで、三味線が好きで、いつも歌を唄っていた。享年 27歳…。
 えっ、新曲『高杉晋平』はいつもの譲二節ではない。コブシを抑えて溜めて唄っていると…。ハハッ、そうかも知れません。実はこの歌をどう唄っていいのか分からなかったんです。どう唄ってもしっくり来ない。再度のレコーディングでなんとか形になったかなと聴き直してみれば、オヤジだったらこう唄ったかな、という仕上がりだったのです。約 30年間オヤジにぴったりと付いて来て、その歌唱が身に染み込んでいるんですね。
 そしてもうひとつ、日和山の高杉晋平像は大地にスックと立って、刀を握り締めて小倉城を睨んでいます。こう唄っていますと、不思議なことにあの像が浮かんできて、いつもの山本譲二ではない歌唱になってきます。不思議、面白いですね。
 山本譲二は、子供時分にいつか歌手になれたら高杉晋平を唄いたい、と思っていました。彼は日本の改革を目指して闘いました。僕もこの独立を機に今までの山本譲二ではダメだ、僕の中の何かを改革して行かなければ…と思いました。その意もあっていつもの歌唱とはちょっと違っているのかもしれませんね。今、山本はこの歌をヒットさせて、僕を育ててくれた故郷に少しでも恩返しができたら…と思っています。

山本譲二の改革は、昨年から始まっていたのかも…。
昨年の4作から、そして今!!


「山本、これからは雨にも打たれるぞ、風にも飛ばされるぞ」
 とオヤジに言われました。僕はこの日に関係なく、少しずつ自身の改革を始めていたのかもしれません。昨年はテイチク移籍と同時に始まった“幸せ演歌”が『名もない花に乾杯を』で 6年目11作目で、ここから新たな挑戦をしています。昨年2月の『風鈴』は、軽いタッチの慕情演歌。8月発売『新宿の月』はしっとりした名曲です。歌手を夢みて上京して4年…。東京に負けた、新宿に負けたと思いつつ、這いつくばって生きてきた自分がこの歌の中にいます。これまた原点の歌です。
 そして“譲二さんと所さん”の『二度惚れの女』。えっ、カップリング『親不孝の唄』も良かったと…。実はどっちを A面にするか迷っていた時に、吉幾三がフッと来て「どっちがいい?」と訊いたらこっち…で決まったんです(爆笑)。
 そうこうしているうちに12月にNHK「みんなのうた」の『ねっこ君』をリリース。えぇ、今はどこへ行っても“ねっこ君”です。子供番組の歌ですが、大の大人から“あの歌はいいねぇ。唄って下さい”と言われています。
 そして今、『高杉晋作』です。彼が日本の夜明けを夢見ながら頑張ったように、僕も明日のジョージ・プロモーションの夢に向って走り出します。でも初年度は地道にコツコツが肝心と思っています。これからはロビーに出て握手をしながら自ら CDも売りたい。ファン倶楽部もしっかりした体制で、応援下さる皆様と心を通わせたい。一生懸命に営業もします。コツコツ・コツコツと…。

『高杉晋平』
07年1月24日発売
作詞作曲:津島一郎
編曲:末吉時雄
C/W『残侠しぐれ』



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