天童よしみ
(オリコン5/21号入校原稿)

デビュー35周年。新たな自分らしさの追及へ
富士山で言えばまだ七合目。もっと上に登りたい

デビューから10数年の不遇時代を経て、今、35周年…。
メジャーよしマイナー調よし。演歌歌唱よしポップス系のストレート歌唱よしのオールマイティー。
昭和歌謡の継承も偉大な業績あり。
そして今“自分らしさ”の追求が始まった。
それはまた演歌・歌謡曲の明日を探る果てしなき道…。
“今は不遇だった時より厳しく辛いんです”。
そう語る天童よしみの眼は、新たなチャレンジに燃えていた。

6歳の『可愛いベイビー』から49歳の『なんで泣く』までの軌跡

― 35周年記念第1弾シングル『なんで泣く』に今の天童さんがいて、4月2日発売のアルバム『よしみコレクション〜歌心名曲選U〜』には6歳の天童さんがいます。
天童 父が録音して残しておいてくれた6歳の『可愛いベイビー』を収録です。
― たまらなく“可愛い天童さん”です。ここに原点がありますね。
天童 2曲目がザ・ピーナッツ『恋のフーガ』を“ふたり天童”でハモっていて、『ブルー・シャトウ』は三原綱木さんが“僕がやらないとあの微妙な味はでないよ”とギターとコーラスで参加下さっています。このアルバム・シリーズは 30周年にもリリースで、その最終曲は『テネシーワルツ』でした。華やかだった昭和歌謡曲が私の歌の原点だと思っています。
― 今のカラオケ中心層も、同じ音楽体験をしてきた。新曲『なんで泣く』に至るまでの歩みを振り返って下さい。
天童 テレビアニメ「いなかっぺ大将」挿入歌『大ちゃん数え唄』を唄い、翌年の昭和47年『風が吹く』で本格デビュー。十代半ばでした。
― しかし鳴かず飛ばずの10年余…。辛かった時代ですね。
天童 いえ、当初は歳も若かったから不安感はなかった。20代になってから状況が一向に変わらず焦り始めましたが…。
― 14年目にテイチク移籍です。
天童 あの日のことは今でもよく覚えています。東京には二度と行くこともない…と思っていましたが“新人の気持ちで心を新たに…”そう心に誓って、ひとり新幹線に乗ったんです。車窓から望む富士山がものすごくキレイでした。そしてデビュー曲の気持で取り組んだのが『道頓堀人情』でした。
― 等身大の詞で気持ちが入りましたね。
天童 はい、昨年1月発売の『いのちの限り』も等身大の詞で、2コーラス目の♪励まし続けた 母の声〜のところでファンの皆様も泣いて下さいます。
― これら楽曲はタメ、巻き舌、コブシ、ビブラートと演歌歌唱です。またシングルのカップリングにマイナー調の楽曲を収録するケースが多く、これもジーンと胸を打ちます。天童さんはメジャーの熱唱、マイナーのしみじみ歌唱の両方で感動に誘える稀有な存在です。
天童 ありがとうございます。
― その約10年後に『珍島物語』に出逢います。
天童 “天童さんは首を傾げているけれども、これは当たれば凄いことになる”そんな皆様の声に支えられ、スタッフ一丸になって悔いなくやった結果がミリオンセラーになりました。『道頓堀人情』と同じく一生懸命にやれば、きっと良い結果になる…。それが私の信条になりました。
― 『珍島物語』は、演歌歌唱ではなくストレートで唄っています。
天童 亡くなられた中山大三郎先生と実際に韓国の珍島物語に行ったことが、歌唱イメージを膨らませてくれました。この曲にコブシは似合わない。気持ち良くストレートに唄ってイメージが広がって行くんです。
― 演歌歌唱だけの歌手だったら大ヒットに至らなかった。その意でも天童さんならではの結果です。
天童 ♪霊登サリの〜の個所にもう一人の天童がいるようにダブらせているんです。70年代ポップスのようなメロディーもありまして、懐かしくも新しい感覚で響きました。

オールマイティーならではの苦悩“自分らしさ”の追求が始まった

― そこで再びアルバム『よしみコレクション』に戻りたい。60〜70年代の昭和歌謡曲を原点とする“ヴォーカリスト・天童よしみ”も大魅力です。ここに満ちる当時のポップス、GSカヴァーの天童世界も得難いものがあります。
天童 ポップス系ではない昭和歌謡曲の継承が10年の歳月をかけた「昭和演歌名曲選」シリーズです。第二十集で全320曲を収録しています。
― 平成6年には6枚ものアルバムを一挙リリースしている。
天童 毎日がレコーディングでした。“うろ覚え”が一番怖いですから、原曲を聴きっ放しの日々でもありました。
― 昭和演歌のすべてがここに収まっていると言っても過言ではない。また美空ひばりのカヴァー『夢歌〜天童・美空ひばりを歌う〜』だってアルバム3枚、 48曲をカヴァー。ちなみに石川さゆり『二十世紀の名曲たち』が同じく10年をかけて10集で111曲。五木ひろし『美空ひばりを歌う』が 12曲です。これら継承仕事は大偉業としか言いようがありませんが、その偉業があまりPRされていない…。
天童 そう思います。これからもっとPRして行きたい。3月3日・4日の中野サンプラザでの35周年記念リサイタルでは、3日の1部を美空ひばりさんのカヴァー、 2部を昭和演歌のカヴァーで構成。4日を自分のオリジナル構成でやりました。
― カヴァーには『車屋さん』もありますから、喉を絞めた小粋な歌唱も上手に唄っているに違いない。加えて民謡系あり浪曲系ありと、あらゆる歌唱を網羅で、天童よしみが大き過ぎて捉えどころがなくなってきます。
天童 ですから35周年は改めて“天童らしさの追求”です。食べ物屋さんだって専門店がウケる時代です。“この歌だったらやっぱり天童よしみ”という世界を確立したいと思っています。
― しかし“天童らしさ”の絞り込みでスポイルされる世界も惜しい…。しみじみ聴かせるマイナー調もいい味だし、メジャー演歌は独壇場、ポップス系のストレート歌唱、アジア系楽曲もまたよし。
天童 そうおっしゃって下さるのはうれしいんですが、私はまだまだ発展途上。音色だって“あぁ、この声はよく響くなぁ”という新たな好きな部分が生まれている一方、“ここに来ると嫌なんだよなぁ”という部分もあって、未だにうまく表現できないところもあるんです。そうした課題があるからこそ、ここまで続けられたと思っています。新たな音色と喉遣い、新たな課題…それらの先に必ず“天童らしさ”があるようにも思っています。

新たに見つけた音色と喉遣い。今、七合目からの飛翔が始まる

― その新たな音色、喉遣いを詳しく…
天童 低い音の響きと、高音をさらに上げた時の喉遣いですね。その両方が35周年記念シングル『なんで泣く』で出せたと思っています。これは羅勲児(ナ・フナ)さんの作詞曲で、コピーを唄い始めた頃から大好きな楽曲だったんです。ディレクターにあのような楽曲を…と何年も前からお願いしていたのですが、あのような曲は作れるものではなく“あれはあれ”と言うことなので、そのまま唄わせていただきました。韓国メロディーの哀切さ、そして今説明した低音の響きと高音の喉遣いも…。
― さらに詳しく。
天童 ♪泣くな なんで泣く〜の太字の部分が一番高い音です。特に最初の「な」が母音化して長音符で上がる部分は、民謡でも浪曲でも演歌でもなく、この歌の最も聴かせどころ。理屈ではない物哀しさが出せたかなと思っています。今までになかった響きです。そして2行目の♪たか が女ゆえ〜のがが最も低い音で、この響きも好きです。その意味では“天童らしさ”のひとつがここで出た…と思います。
― “らしさ”の追求は限りない。ひとつ出来ると、また新たな挑戦が広がる。それが芸の道…。
天童 ですからデビュー当初の売れなかった時期より、今の方がずっと厳しく辛いんです。自分を見つめ直し、改めて自分らしさを探さなきゃならない。加えて演歌状況もさらに難しくなって、どんな楽曲が当たるのか、時代がどう動いて行くのかも見えて来ません。
― その言葉には、歌唱的にオールマイティーであることの悩みと、女性演歌の雄としての責任感が感じられます。
天童 私を応援して下さるファンの皆様は“よしみちゃん、頑張ってここまで来れたんや。いろんなこともやり遂げたし…”。両親もこう言います。“夢が実現して、もういいだろう”と。でも私は欲深いんだと思います。富士山で言えばまだ七合目で、もっと上に登りたい。さらなる大ヒットも欲しい。このままでは、とても満足できません。
― 35周年というのは、今までの実績や体験を踏まえた上で、さて何を成すべきか…そんな節目の時でもありましょう。
天童 そうです。今までの経験を踏まえ上で、この年齢だからこそ出来ることに向かって挑戦して行きます。
― 具体的に…。
天童 低音、高音共に音域も広がっていますし、前述したように新たによく響く音も得ています。“間の妙”もわかって来ています。こうした歌唱・音色で新たな挑戦もありましょうし、一方ジャンル的には大正時代の童謡への関心、アジア系楽曲への関心、さらにはガラリッ変わって中南米音楽への興味もあります。
― まさに35周年は新たな旅立ち…
天童 武道館などの大きな会場をやってきましたから、矢沢永吉さんのようなライヴハウスツアー的なこともやってみたい。劇場公演のお芝居も大好きですし…。
― そうした挑戦のなかで“天童よしみらしさ”がより明確になってくる…。
天童 でしょうね。それが果たしてどこにあって、どう極めて行けばいいのか…。厳しく難しいですが、今は明日への挑戦に意欲いっぱです。
― 天童さんの明日にワクワクするような期待感が増してきました。ありがとうございました。(スクワットやま)



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