奄美島唄継承の第一人者
朝崎郁恵『うたばうたゆん』
〜ソングブック8月号掲載〜

 振り返れば、いつの時代も沖縄発のロック系、民俗音楽系はミュージック・シーンの片隅を飾っていたもの。そして気が付けばアイドル系沖縄ポップスがメイン・ストリートに華々しく踊り出して7、8年。今は“モンパチ”はじめの沖縄ロックもパワー全開で、まさに沖縄系の百花騒乱…。そして突如、脚光を浴び出したのが元ちさとの奄美系ポップス。これに従って奄美の民俗音楽『島唄』にも注目が集まり出した。
 『島唄』といえば沖縄音階を採り入れたTHE BOOMの150万枚大ヒット曲の“ポピュラーソング”『島唄』のフレーズが口をついて出てますが、奄美大島『島唄』は悠久の歴史に育まれ、今はじめてそのベールを脱いだばかりの民俗音楽(民謡)。で、ここにも大スターがいました。奄美島唄継承の第一人者・朝崎郁恵さん。
 さぁ、奄美大島の古(いにしえ)への誘い…。


奄美島唄継承の第一人者・朝崎郁恵さんの悠久の歌声が高橋全のピアノと共に初フルアルバムで8月7日リリース(ユニバーサルミュージック)

プロフィール 奄美諸島で昔から唄い継がれてきた民謡(島唄)の第一人者。両親の影響を受け、10代で天才唄者として活躍。現在は東京を中心に後進の育成、また奄美島唄の普及活動に活躍中。1984年から10年連続して国立劇場で公演。1997年に高橋全のピアノとコラボレーションした『海美』で細野晴臣、ゴンチチ、友部正人、UAなどから絶賛される。今、元ちとせの大ヒットから奄美島唄に関心を寄せる若者たちから絶大な支持を得て盛り上っている。

 古代文化を色濃く漂わす『島唄』をその身体に秘め、その世界を語らんと眼を輝かす朝崎さんが眼前にいるのですが、インタビュー最初の言葉がなかなか出て来ない。それも然り、こちらの体内時計は慌しい現代社会に合わせて息苦しいほどのテンポを刻んでいて、片や悠久の時の流れの中からの微笑み。当方は日々が“演歌仕事”だから、例えば巣鴨地蔵通りにいて、ひょいとインカ帝国マチュピチュ遺跡にでも放り込まれたような戸惑いで、まずは体内時計をスローテンポにすべく、しばし奄美大島と島唄のお勉強…。
 奄美大島は鹿児島県の南海の秘島・屋久島や種子島と沖縄に挟まれた奄美諸島中の最も大きな島。昔は琉球の属島で、その後は薩摩藩の支配下で苦役に耐えつづけた歴史を有し、観光・産業的にも「ひたすら眠っている」(朝崎さん談)ような島。そこで古来より庶民の唄として歌い継がれて来たのが奄美島唄。独特の音階、旋律を有し、それらは集落ごとに微妙に異なる言葉と同じように多彩で、まさに無限の古典民謡…。
 さて、中村一村が描く南海の岸辺で夕陽に輝くアダンの果実が浮かんで来たところで、朝崎郁恵さんにインタビュー開始。まずは島唄継承の第一人者たるゆえんを探ってみると…
「昭和10年、加計呂麻島生まれです。島唄の研究に情熱を傾けていた父の影響で、子供の頃から唄って来ました。まだ電気もない時代に師について村々を巡って唄う、そんな教えを受けて25歳、昭和35年に主人の転勤で福岡に移住。昭和47年に東京移住。身体に染み込んだ島唄を今まで大切に守り抜いて来たんです」
 高度成長、列島改造、沖縄返還(今年、復帰30周年)、離島ブームに毒されることなく、さらに福岡、東京にあって発表の場も満足になかったことで、電気もない時代の、古代からの流れを色濃く残したままの島唄が、朝崎さんの体内奥深くに秘蔵されることになった。
「島にずっといて“島唄”を唄って来たら、他の方の島唄と競争したり、今風になったりで受け継いで来た形が変化していたかも知れません。身体に秘めていたからこそ、当時のままの島唄が残されたんだと思っています。きっと奄美の神様が私を使って保存させていたのかも知れませんねぇ」
 昭和57年、朝崎さんは奄美島唄朝崎會を主催して、その保存と普及に動き出し、昭和59年から国立劇場で10年間に及ぶ独演会を展開しますが、そこに集う人々は島を懐かしく思う奄美出身者ばかり。
「本土の人にも聴いていただきたいと思っていましたが、島唄は広がりませんでした。CDを出す、ライブをやっても“3曲が限界、あとはどう唄っても同じに聴こえる”と言われてショックを受けました」
 西洋音楽に完全支配された現在の音楽シーンにあって、日本古来の伝統を受け継ぐ島唄を一人でも多くの方々に聴いて欲しい、という思いと、そのために必要な洋楽器とのジョイント。朝崎さんの悩みと模索が続いて、平成7年のソロリサイタル「島唄幻想」で様々な楽器とコラボレーション。ここからピアノとの組み合わせに活路を見出します。
「どんな楽器と組もうが、本来の形を崩したら島唄ではなくなりますから、これは守り抜かなければなりません。で、ピアノをゆっくり弾いてもらうと崩さずに唄えるんです」
 平成9年、高橋全さん(ハンブルグ国立音大でチェンバロ、バロック音楽を専攻。その後チェンバロ、オルガン、ピアノ奏者として活躍)のピアノとキーボード伴奏をつけた3曲入りミニ・アルバム『海美』をリリース。同CDは北中正和、チチ松村、細野晴臣、UA…と音楽評論家、ミュージシャンからユーザーへ絶賛の声が広がった。5年を経た今も同インディーズCDを探し求める若者たちが跡を絶たない。
 そして今年6月、毎日新聞社刊でCD付写真集「うたばうたゆん」発売記念ライブが吉祥寺スターパインズカフェで開催され、ついに8月7日に初フルアルバム『うたばうたゆん』のリリースが決定。
 琉球音楽の明るさに比して、哀切感のある音階と旋律。年輪と土の匂いが漂う朝崎さんの声質が、独特のうねりをもって響き渡ります。そして演歌のコブシとは違う、島唄ならではの独特の節まわし…
「島唄の大きな特徴のひとつに、方言でマゲ、グインと呼ばれる節まわしがあります。これは言葉で説明し難いのですが上がる時、下がる時によく出て来る転がり(節まわし)ですね」
 とは言え、集落毎に微妙に変化する方言、旋律、節まわしで、これは朝崎さんのみが継承する“朝崎節”と言ったらいいのかも知れません。
 それは海のうねり、遥か大陸からの風を彷彿させ、原初的な人の営みの哀歓をも叫んでいるような唄声…。間違いなく、これは日本の唄の源流のひとつで、見知らぬ懐かしさを感じて心が落ち着き、感動の涙が満ちて来ます。
「これを後世に伝えられるのは、きっと私の世代が最後なんだと思います。元ちとせさんをはじめ、今、若い子の間で島唄を唄う方々が出て来ましたが、皆さん、もう島の言葉は使えないんです。私たちの世代ですら戦後の標準語教育で、島の方言を使えば水の入ったバケツを持たされて廊下に立たされたもんです」
 文化の画一化、全体主義は今も続いていて、グローバリズムの名の下に世界経済も一元化されつつある。ますます希薄になる地方や古来の文化。民俗系音楽が盛んな沖縄でも、すでに若者たちは沖縄方言を知らない…。
 ゆっくり静かなテンポで奏でられるピアノ伴奏と共に響き渡る朝崎郁恵さんの祈声にも似た歌声からは、そんな悠久の文化が失われようとする哀しさも感じられます。
「島唄を語り出したら二日も三日もかかってしまいます。CDが出来たら、ぜひ聴いて下さいよ〜、きっとですよ」
 朝崎さんは、そう言って握手を求めて来た。もう脂気も握力もないその頼り気ない手を両手で慈しみつつ握りしめ、涙が込み上げて来た。
 この涙は島唄の原初的な記憶を呼び覚ます懐かしさと、滅び行く文化の宿命を背負って闘う哀しさ。幸いなことに今!元ちさとの大ヒットによって、若者たちが奄美島唄に大きな関心と朝崎さんへ絶大な支持を寄せ始めているのだが…。
 唄好きの読者の皆さんのこと、声を発する・唄うという行為は、遥か古代文化から脈々と続くものだということに改めて気付いていただき、またアルバムには歌唱、節回しなどについても入念に解説されましょうから、ここから得がたい発見の数々があるかと思われます。ぜひ必聴アルバムの一枚としてお薦めです。(文:スクワットやま)

奄美島唄継承の第一人者・朝崎郁恵の島唄と、高橋全のピアノによる初フルアルバム。いにしえへ誘う懐かしさに、涙あふれます!朝崎郁恵『うたばうたゆん』8月7日リリース \3,059(税込み)

朝崎郁恵はじめ、若手の唄者を含めた8名、全15曲収録の島唄入門編とも言えるコンピレーション・アルバム。『アマミシマウタ』7月24日リリース ¥2,600(税込み)

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