島倉千代子『ちよこまち』
作詞・作曲:山崎ハコ/編曲:安田裕美

歌手生活50周年を経て“島倉元年”。放送文化賞・受賞
♪何があっても めげないの  泣いても泣いても はじまらない〜
新曲『ちよこまち』は、『人生いろいろ』にも通ずる“人生開き直り”軽快楽曲で3月23日にリリース。
今年「島倉家〜これが私の遺言」を出版し、放送文化賞も受賞。“島倉元年”の祭りばやしが聞こえてきます。
元気いっぱいもメッセージをどうぞ…。


 島倉さんの新曲は、前々作『海かがみ』のボーナストラック『ちよこまち』のシングル・ヴァージョン。“お千代さん”が軽快テンポと祭りばやしにのって…
♪何があっても めげないよ
 なんだ坂こんな坂 わっしょいしょい〜
 と元気一杯に唄っている。ジャケットもご覧の通り、異例のライヴ写真。
「どうにか声も戻って、と言ってもまだ半分ですが、生きる勇気を得た大阪コンサートのライブ『ちよこまち』も収録して、ステージ写真を使わせていただきました。楽しそうでしょ、弾けているでしょ。カップリングは昨年末の紅白出場曲『人生いろいろ』です」
 『ちよこまち』誕生の、そもそもから伺ってみよう。
「私、当時辛いことばっかりで、書くことで涙をこらえていたんです。山崎ハコさんに連絡して、日々口ずさんでいた“何があってもめげないよ”という歌を作りたいの、とお願いしたんです。ハコさんがいろいろ私に取材して下さったんです」
 島倉さんは、その会話例をこう再現…
「昔は何を履いていたの?」
「赤い鼻緒の下駄」
 「で、何を着ていたの?」
「朝顔の浴衣しかなくてねぇ…」
 そんな会話からこの詞が出来たと言う。そして曲は…
「コーラスやダンス付きで楽しめる音楽がいいなぁ。そうしたらハコさんのご主人(安田裕美氏)がアレンジをして下さって出来たんです」
 山崎ハコとの出逢いを伺えば…
「ずっと前からファンだったんです。でも世界が違いますから逢えるとは思っていなくて、ラジオでずいぶんハコさんのことを喋っていたんです。そうしたら紹介して下さる方がいて…。前々作から曲を書いていただくようになったんです。ハコさんの音楽、凄く暗いでしょ。私より暗い人がいるんだぁ〜って。いつも下を向いて泣いている方なのかなぁ、と思っていたけれど、実際にお逢いしたら明るいんですよぅ(笑)。この曲には、そんな明るさが欲しかったんです。泣きながら笑っているような…」
 ちなみに“ちよこまち”は安田氏の発案で“ちよこ”と“小町”を併せた造語。
 島倉さんは、自身の辛い人生を今日まで耐えていたが、その余りの苦しさで書くことで逃れようと試みた。それがまとまって今春「島倉家〜これが私の遺書〜」(文芸社)として出版されたが、その最大の苦しさは、ストレスから声がでなくなったこと、と書かれている。生きる唯一の証で、生きる術でもあった声を失って、死を選ぼうとした島倉さん…。
「生きる道がぜんぶ塞がってしまったの。でも今は生きていて良かったなぁ〜と思っています。昨年秋に東京、大阪、名古屋、福岡でリサイタルを開催させていただきましたが、東京のNHKホール本番当日のリハーサルで、奇跡的に本来の 90%ほどの声が出たんです。66歳の声が見つかった後に、紅白歌合戦出場のお話もいただいて、うれしくて涙が止まりませんでした」
  8年振りの紅白復活。歌唱曲は17年前の楽曲で、紅白3回目歌唱『人生いろいろ』。
「ありがたくて、うれしくて…、唄い終わっておじぎをしてから“イェ〜イ!”と拳を振り上げてしまいました」
 そして本の出版、日本放送協会の放送文化賞の受賞、新曲リリース。
「去年はもう生きて行けないと思ったんですが、ここでまた私の命が甦ったんです。ですから今年は“島倉元年”。 67歳ですが1年生。まだ声は100%に戻ったワケではありませんが、マイペースで大好きな歌に携わって行けたらな、と思っています。無理をせず 50%で唄って、50%で生きて、えぇ、もう何があってもめげません。笑って生きていこうと決めたんです」
 目下は『人生いろいろ』などの最近の楽曲(とは言っても約 20年前)は無理せずにどうにか唄え、デビュー当初の『この世の花』『東京だヨおっ母さん』『からたち日記』などは 67歳の声ながらも、再び唄える幸せでいっぱいですと笑う。
 戦後歌謡曲が花開いた昭和 30年代を体現してきた貴重な存在。これからは昭和歌謡曲の素晴らしさを後輩に伝えていただきたい、と言えば…
 「とんでもありません。私が新人の頃は旅に行くとなれば板張りの三等車。列車のなかでひとりで着物に着替えたりしたもの。今はデビューすると同時にグリーン車で移動でしょう。何を言っても、もう伝えようがないんですよ」 
 と軽くいなされてしまった。しかし新曲『ちよこまち』に込められたメッセージは世代を超えてアピールしそうです。

● [島倉さんデビュー当時も思い出] 私はコロムビア一途。デビューは 16歳で『この世の花』。大型新人で売り出して下さったんです。まだラジオの時代。唄って・唄って…。でも売れない。半年経って「島倉はダメか」とささやかれた頃に売れ出したんです。私は手を怪我してから笑わない人間だったんですが、鏡に向かって笑顔の練習もして、絣の着物でがんばったんです。●ステージの『ちよこまち』歌唱は事務所の若者タレント・北風順平、村上ゆうき君がコーラスとダンスで参加。彼らの成長・活躍の島倉さんの元気の素になっていると言う。ジャケットは珍しいライヴ写真です

島倉千代子『それいけGOGO』
作詞・作曲:山崎ハコ/編曲:安田裕美

前作より一歩前進!声と表情に、張りと若々しさ復活。
ドレス &ハイヒールにも挑戦…


 昨年 3月発売『ちよこまち』に比し、新曲は一段と声が出ている。明るさと張りが戻ってきた。お顔を拝見すれば“何と言うことでしょう”、若さが漲っているようではありませんか。
「まぁ、それは何よりの言葉です。声が出なくなった数年前からお世話になっているヴォイストレーニングの先生も、初めてほめて下さったんです」
 人は歳と共に喉の筋力が退化する。トレーニングでその退化進行を遅くすると教えられたそうだが、それだけではあるまい。ストレスからの解放、体調万全。そして…
「そう、去年は声の調子が多少戻りましたからイベントもたくさんやりました。海辺や山ん中でも『東京だョおっ母さん』や『からたち日記』も唄いました。私の歌は野外で唄うなんて無理と思っていたのに。海辺イベントでは雷が鳴り激しい雨が降って、それでもいい感じで唄えたんです。お客様もよろこんで下さった。そうだ“うまく唄おう”などと思わず、好きで唄えば、心で唄えばいいんだ。自然体で唄うことが初めて出来たんです」
 かくして前作より一歩前進…と山崎ハコが書き下ろしたのが 3月1日発売の新曲。
「前作は♪何があってもめげないよ〜でしたが、今度は自ら前進して盛り上げて行こう、頑張って行こうという歌。それで心のまま唄おうとレコーディングに入ってみれば、キーも少し元に戻ってきていて…」
 そこまで言って、謙虚さがまた頭をもたげた。
「 51年の歌手人生で私が完璧に唄えたのは『この世の花』と『人生いろいろ』の2曲だけなんですよぅ」
 でも再び自信が戻る…
「そう、私の表情も今までは作った顔でしたが、今は心から自然に出て来る表情になっているんですね。そしてこの曲のリズムもまた自然です。新曲を車の中で流しつつ、街を行く人々を観察すれば皆さん、このリズムで歩いているんです」
  4月9日から開始の新構成コンサート・ツアーでは白いドレスに9pのハイヒール。今から履き慣れるよう特訓中とか。 68歳の果敢な挑戦は同年代の“星”となるに違いない。元気復活で、今度は品川育ちの江戸っ子の粋と艶にも期待したい…。

●元気になったが「今度は歌詞がなかなか覚えられなくて困っているの」と笑いながら告白。●カラオケのアドバイスは…「ドキドキ・ワクワクしながら心で唄って下さい」●森光子さんに逢うと「足よ、足よ、足さえ大丈夫なら幾つになっても大丈夫」と励まされるとか。「森光子さんが目標です」。ならば後、 20年は頑張っていただきましょう。

『それゆけGO GO』
作詞・作曲:山崎ハコ
編曲:安田裕美
C/W『そろそろり』



島倉千代子『おかあえりなさい』
「ソングブック」07年7月号掲載原稿

その声…明るくパワフル、艶も復活。自身を鼓舞する歌から…
団塊世代男性をやさしく抱き、慰労する新曲。
島倉千代子の新たな旅立ち…

古希を迎え…周囲の煩わしいことより自分を大事にしたいと思ったら、やさしい心が出てきました。これからは皆様に感謝の歌でお返しを…

回復した声と歌唱…。“元気復活”の記念すべき新曲

『ちよこまち』『それいけGOGO』と頼りな気な歌唱、自身を鼓舞する楽曲で健気に闘ってきた島倉千代子だが、新曲『おかえりなさい』を聴いてビックリ…。その声に明るさとパワーが甦り、艶艶さえしているではありませんか。まさに復活の感動作。しかも他者を大きな愛情で抱く優しさが満ちている。芸能が見る者、聴く者に幸せを与えるものなら、それをまっとう。完全復活高らかな記念すべき新曲だ。
 戦後の昭和歌謡曲を懐かしく想う世代にとって、昭和30年『この世の花』から活躍の島倉千代子の“元気復活”をよろこばぬ人はいないだろう。まずは戻った声を称賛すれば…
「私の声が出なくなったのは年齢的なものではなく精神的要因ですから、気持ちが落ち着き前向きになって声が戻ってきたのです」
 昭和13年生まれ。数え69歳で古希を祝せば…
「子供に戻ったのかしら…。私は今でも気持は高校2年生、16歳です。セーラー服で唄った『この世の花』当時と同じ気持ちです」
 話は子供時分の回想に飛ぶ…
「東京は品川で、七人家族で配給を受け取りに行くのが私の役目でした。よくサツマイモの配給があって…。私、だから今でもセーラー服とサツマイモが大好きなんです」
 その頃の話をもっと伺いたいが、歌唱専門誌で“復活した声”について詳しく訊きたい…。
「古希になって、周囲の嫌なことに煩わされるのはもうイヤ。自分のことを考えていいのじゃないか…そう思ったら心が軽くなったんです。その時にこの楽曲と出会って、私の心と歌が相乗効果的に良く反応しあって素敵な新曲が完成です。聴いて下さった方が“いいなぁ、僕も島倉さんにおかえりなさいと言って欲しい”って言うんです。だから“これはそういう歌なんですよ”とお返事しました」

団塊世代の頑張った男性方に感謝をこめて“おかえりなさい”

 インタビュー途中で、宣伝マンが完成したばかりのプロモーションビデオを見せてくれた。昭和30年の頃の島倉千代子の白黒写真。そして昭和史のニュース映像と歌唱映像が交互に流れて、最後に島倉千代子が駐車場のある家の前で“おかえりなさい”と微笑みます。昭和を家族や日本のために頑張ってきた団塊世代のお父さんたちへの感謝の歌と映像…。
「そう、頑張ってきたお父さんたちに今度は私が皆様のところに出向いてこの歌を唄いたいんです。もう声も身体も大丈夫だから野外でも山村でもお声をかけて下されば、どこにでも伺って唄いたい。それら活動からまた新たな出逢いも生まれるかも知れません。その意味では私の新たな旅立ちの歌でもあります」
 声について訊いてみた。
「実はバンド演奏で唄う仕事がありまして、急きょ自分のキーを調べ直したんです。そうしたらそれまでより半音、1音上がっていたんです。『この世の花』を半音上げて、『恋しているんだモン』を1音上げました。若い頃はもっと上でしたから、もっと上げてもいいかなぁと思っているところです」
 新曲レコーディングに当たっては、作家とヴォイストレーニングの先生一緒に島倉千代子のどの音が良く響くか…などを検討し、そこをさらに磨く練習を重ねたとか。そして作家は創作にとりかかった。
「この歳だから、愛とか恋とか不倫とかの歌はダメってお願いしたの。私、昔に不倫の歌があったんです。それを唄っている時ってとても悲しかったんです。そしてシンプルなメロディーとアレンジがいいなぁってお願いしました。だって私が本当に歌が好きで唄っていた時って、下駄屋のお兄ちゃんが弾いてくれたギターやアコーディオンひとつだったんですもの。そういうのが自分の歌だと思っていますから…」
 アップテンポの明るくカーンと抜けるサウンドに合わせ、その歌声も低音から高音まで明るく元気に実に良く響き渡っている。そして前作『それ行けGOGO』では家中に歌詞を書いて貼っていても覚えられない…とこぼしていたが、その肝心の歌詞覚えは…。
「前曲は未だに覚えられていないんですが、不思議にこの歌はすっと覚えられたんです。これは内緒ですが、前回は歌詞覚えが心配でお医者に行ったんです。“覚えるための薬や注射はないのですか”って。そうしたらお医者さんはこう言うんです。“そんなのがあれば自分で飲むよ”って。でもあるんですよぅ。私、発見しちゃったんです。受験生のサプリメントで、その名も“暗記の達人”。えぇ、飲みましたがそれが効いたかどうかは…(笑い)。まぁ、これは気持ちの問題でしょうね」
 ジョークも絶好調。最後に…
「歌手はいつも前向きに輝いていないといけませんね。歌がとっても好きな女の子でずっといたいと思っています」
 女の子のように輝いていた。

(キャプション)●ライブ活動も活発です。「昨年に続いて今年5月にも沖縄に呼んでいただきました。沖縄コンベンションホールで“島倉千代子コンサート 2007〜愛にありがとう〜”を行いました。8月22日には日比谷公会堂でのコンサート(開演午後2時〜と6時〜)も決定です。自分で書いた母親の思い出の朗読コーナーもあり、着物の早替りもあります。 1月にラスベガスに行ってショーを観て刺激されました。いろいろとアイデアを考えていますと胸がドキドキしてきます。お楽しみに…」

『おかえりなさい』
07年5月30日発売
作詞:友利歩未
作曲:杉村俊博
編曲:杉村俊博




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