石川さゆり、秋麗スペシャルトーク
〜さゆり倶楽部・会報:2001・AUTUMN〜

4月1日発行の会報に次いで、さゆりさんから…
ファン倶楽部の皆様へ熱いメッセージをいただいた。
明治座、新歌舞伎座を振り返ると同時に、
青山劇場の音楽会、そして来年の30周年へ向けての熱いスペシャルトーク

連日満員御礼の新歌舞伎座。大変更と日々手直しで…私も頑張った!
ファン倶楽部の皆様方も応援し抜いて下さって、共に迎えた千穐楽。

 秋も深まってまいりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。例年にない酷暑の夏が去り、この秋涼がホッと心の落ち着きを取り戻してくれます。 まずは、七月の新歌舞伎座・石川さゆり特別公演にあたって、皆様方のあたたかいご支援ご声援に、厚く御礼申し上げます。
 七月二十八日の千穐楽を迎えるにあたって、正直こう思ったものです。“あぁ、本当に厳しい一ヶ月間を遂にやり抜いたんだわ”と思った瞬間…、“あっ、違う。頑張ったのは私だけじゃない、ファン倶楽部の方々も何度も何度もいらして、本当に応援し抜いて下さった。今、皆さんと共に最後の舞台を迎えるのだ”と…。そう気付いて、ひとしおの喜びが込み上げて来て、心地好い充実感を覚えました。
 改めて、熱心に応援下さった皆様方に、御礼申し上げます。
 さて、五月の明治座その後からお話を始めましょうか…。「千年の恋」は明治座公演中にも何度も練り直しが入りましたが、お芝居に“これで満足”はありませんから、新歌舞伎座でも日々手直しで、さらには大変更もありました。そう、終盤のストーリーそのものが変わりまして、勝四郎さんがラストシーンで殺されちゃうのです。魔界の父が龍神となって出現し、その後に化身が大勢出て来まして、彼らに刺殺されてしまいます。勝四郎と千里姫は「ここは何処なのだろう」と、あの世ともこの世ともつかぬ世界に旅立ちます…。
 明治座とガラリッと違ったラストシーンになると同時に、全体的にテンポも出て来て、ずいぶん分かり易いストーリーになったと思います。
 劇中の3曲もかなり変わりましたし、オンステージで初披露の『あほかいな〜藤山寛美物語』も全面的に変更。もうあの曲がこうなって、この曲がこうなって…と、頭が混乱するほどでしたが、最終的にどの曲もグッと良い形になったと自負しています。
 これら新たな曲のステージでの披露、また収録などは未定です。と言いますのは、あのお芝居があっての歌だったワケですから、そうしたシチュエーションがなければ唄えないのでは…と思っています。また伝説シリーズのような構成は設けられた時に、初めて『昭和名勝負・炎の村上実篇』や『…藤原寛美物語』が唄えるのでは…と思っています。
 明治座から新歌舞伎座へ、私にとっては初めての長期公演続きで、当初は途中で飽きちゃわないかしらと思っていたのですが、日々とても楽しく面白く、とても良い経験になったと思っています。
 いつものコンサート活動ですと、ミュージシャンの方々のサポートはあるものの、基本的にはお客様に対して一人で歌って、しゃべっていているワケですが、お芝居は共演者とのカラミ合いがあって初めて成り立つワケで、“あぁ、こういうものだったのか”とか改めて認識すると同時に、そうしながら創り上げて行く舞台の面白さ、醍醐味を知りました。
 また共演の皆様は、通常の私の音楽活動では触れ合うことのない方々で、例えば踊りの世界、小舞台…と様々な世界の方々が集まって作った舞台で、それぞれのプロの入り方、見せ方があるんだなぁ、と感心すると同時に勉強させられました。
 お芝居を創り上げ、演じる楽しさは充分に分かりましたが、だからと言って、私にはやはり毎年の劇場公演は出来ないそうのないなぁ、と改めて思っています。と言いますのも、私はテンポがゆっくりしている上に、ポーンと与えられてハイ、わかりました、という調子ではお芝居は出来ないなぁ、と思うからです。 この辺の気持ちは、こんな例でも分かってもらえるかと思います。えぇ、板に上がって、舞台の幕が開て、お客様が来て下さっているのを見た瞬間から私のテンションは、もう終わるまで上がりっ放しなんです。終わらなければテンションは下がらないんです。劇場の方も、そこまで毎回・毎回全力疾走していたら、声が出なくなってしまう、バテて倒れちゃいますからと心配下さって「本当に抑えて・抑えて下さい」とおっしゃるのですが、私の中で抑える加減が出来ないのです。
 お稽古だって、開演前のリハーサルを欠かさずですから、お昼を食べる時間もない(爆笑)。ええ、私はそーゆーものだと思っていましたから。そうしましたら、劇場の方が「毎日リハーサルなさる方はいませんよ」(笑い)。それが劇場公演なさる方のやり方なのでしょうが、でも私にはそれが出来ない。器用じゃないのかも知れませんね。
 加えて私には毎年とても大事にしている青山劇場がありますし…。今後の劇場公演予定は1年おきかしらと、と思っているのです。
 あ、それともうひとつ、とても大事な事に気付きました。私は本当に素晴らしいブレーンの皆さんのサポートを得ているんだなぁ、と改めて認識したのです。作詞作曲の先生、演出、ステージング関係の方々…。優秀なブレーンによって、私は今、活かされているんだなぁ、だからこそ、いいモノが創れるんだなぁ、と改めて思いました。
 ですから、振り返れば肉体的には疲れましたが、とても楽しかった長期公演でした。えぇ、とにかくあの暑さのなか、皆様、毎日本当に良くお越し下さって、連日満席御礼で補助席まで出す活況でした。本当にありがとうございました。
 えぇ、ですから名古屋でもぜひ公演を、というお話もいただくのですが、そうなると年間3ヶ月になるわけですから、いくらタフでも、そこまでは出来ないなぁと思っています。まぁ、そのへんが私のわがままな、贅沢な仕事の仕方かしれませんが…。でもやるんだったら、先程も言いました通り手抜きはできませんから、本当に大変な事になっちゃうと思うのです。
 今回、“歌芝居”の言葉を表明しましたが、この言葉の意味は、歌の肉付けとしてお芝居がある…の意ですが、今回の経験を通して次に目指すべき形が、何となく見えて来たと思っています。何時になりますが、次回の劇場公開の時を、楽しみにお待ちいただきたいと思います。


初めて家を一ヶ月間も空けて…主婦さゆりさん大奮闘!
お嬢様も英国から帰国して、母娘で充実の夏休みを…

 明治座が、新歌舞伎座が終わって、待望の夏休みです。当初はスキューバ・ダイビングも、陶芸も…と思っていまして、娘に…
「ねぇ、どこかに遊びに行かない」
 と誘うましたら、
「やっと今、家に帰って来たばかりでしょ」
 そのひと言で、そうだなぁ、と。考えてみれば、家を1ヶ月も空けてしまうなんて、今までの私には考えられなかった事で、そう思って家のなかを見渡せば、あれもこれも…やらなければならない事が山のようにあって(笑)。で、部屋の片付けを始めたら、もう見るもの見るもの、すべて気になってきちゃって…(爆笑)。
 娘もまた、私の作ったご飯を久しく食べていませんでしたから、私の作るお家のご飯を食べたいと言う。自分は昼間は出掛けたりするのですが、夕飯時にはしっかり帰って来まして、しかもお友達を連れて帰ってきますから、ここは母として手料理でもてなさなければいけません(笑)。で、夕食が済めばお友達は帰って、後片付け…。何だ、私はお掃除とまかないのオバさんか(爆笑)。でも、それがね、とても楽しかったんです。
 子供のいる日本の家の普通の夏休みっていいもんだなぁ、と。親子で家で過ごした楽しい夏休みでした。
 その間に何本かのお仕事はありましたが、ひたすら母と主婦で家に居まして、歌手・石川さゆりをすっかり忘れてぇ、本当にゆっくりしたんです。今日だって…
「夕方からお友達が家に来て、一緒に宿題の総仕上げをするの。お母さん、何時に帰ってくるの」
「はいはい、急いで帰ってご飯を作ります」
 って…(爆笑)ですから、もうインタビュー終わりにして、解放して下さらないかしら(笑い)。


青山劇場の石川さゆり音楽会2001秋…は、文化庁・芸術祭参加が決定。
約100年余、現在の日本の歌謡曲が形成されるまでの足跡を綴ります…


 あぁ、とっても大事な青山劇場の音楽会についてのお話をしなければいけなせんね。今年は芸術祭参加が決定致しました。思い出せば、あれは確か20歳の時だったかしら…、約3時間半ものミュージカル、今竹取物語で芸術祭に参加したことがありまして…。えぇ、未だ劇団四季も定着していない頃でしたから、ちょっと早過ぎた試みだったと思っています。
 今回の音楽会テーマは「〜日本歌謡の源流を綴る」です。ちょっと仰々しいサブタイトルですが、そんなに難しい事をやるワケではなくて(笑)、日本の歌謡曲はどういう風に生まれ、どんな形を経て、今、私達が歌っている歌謡曲になったのだろうか…、この辺を歌で綴ってみたいと思っています。最初は例えばオッぺケペー節など社会風刺の歌が流行ったりしていて、そう、今思えばラップみたいな音楽だったのではないか。ね、こう考えると楽しいでしょ。さらに遡れば…
 ♪宮さん宮さんお馬の前に〜のトンヤレ節なんかもあって、これらが次第に今の歌謡曲の形に辿り着く…。その間にきっと、外国の影響もたくさん受けながら、いいメロディーが生まれたて来たのだと思います。
 明治33年がちょうど1900年ですから、今の歌謡曲の形になるのに約百年とちょっと経っていると思いますので、ここで改めれ歌謡曲の歴史を振り返るに良い機会じゃないかなぁ…と。そう、古賀政男先生も少年期に京城(現ソウル)でお育ちになって、言われるところの古賀メロディーは、その頃の影響もあって出来たメロディーで、日本の歌謡曲が育つ大きな要素のひとつになったとも伺っています。
 そんな両国の歌の関係は今も続いていて、現在も韓国系歌手の方々が日本で大変活躍されています。その意味でも、韓国と互いにいい刺激を交換しながら、音楽の交流をして行く事って重要だと思っていますから、今回の音楽会では韓国のゲスト・ミュージッシャンとジョイント・セッションもやってみたい。両国の音楽の融合も試みたいと考えています。
 さらに具体的に言いますと、阿久悠先生と吉岡治先生に詞を書いていただいて、ひとつのストーリーを男の側から見た場合の歌、女の側から見た場合の歌…その両方が揃ってひとつの世界に成るの試みなど、いろんなことにチャレンジしてみたいと思っています。きっと、今年の青山劇場での音楽会はおもしろい内容になりそうです。ご期待下さい。


『涙つづり』秋から年末へ大きく盛り上がります。早くも9月中旬に
演歌チャート1位、総合39位。そしていよいよ来年は30周年です


 暑かった夏が去って、いま再び『涙つづり』が動き出しています。(そう語った約10日後、9月17日付けのオリコン演歌チャートでなんと!1位に返り咲き、総合チャートでもひしめくJ−POPのなかにあって39位で上昇マーク付き)
 明治座初日の5月1日にリリースされ、一ヶ月後の七月に新歌舞伎座、加えて八月はほぼお休みさせていただきましたから、いつもの新曲露出に比して極端に少なかったこと。加えて、ここ最近になってやっと秋の涼風が吹いて、心が落ち着く季節になって、皆様の耳に届き始めた結果だと思っています。
 ええ、『涙つづり』は、ギンギンに暑い時に聴く曲ではないですものねぇ。この季節になって、ようやく皆様方に気持ちよく耳に入って行くのじゃないかしら。その意味で、秋から冬へ、また大きく盛り上がって行く楽曲だと思っていますし、私もレコード会社もその積もりでプロモーションして行くことになると思っています。
 はい、年内は『涙つづり』で頑張り続けます。皆さんにも石川さゆりの21世紀最初の年を代表するヒット曲に育ちますよう応援をぜひお願い致します。
 今年のリリース予定で、目下決定していますのは、来年の30周年の3月25日が私のデビューした日で、この日にオリジナル・アルバムを出すことが決まっています。青山劇場が終わってから、一気に同アルバムの制作に突入したく思っています。
 現在考えています構想は、青山劇場の音楽会と同じく、阿久悠先生と吉岡治先生に詞を書いていただこうと思っていますが、そのテーマを詰めたりするのもその頃からになるでしょう。
 そしていよいよ迎える30周年ですが、目下はこのアルバムのことしか決まっていないんです。本来ならこの時期にはもうビッシリと決まっていてもいいのでしょうが、余りに今年が忙し過ぎて、まだ来年の事を考えられる状況ではありません。
 えぇ、スタッフはもう考えてくれているのですが、私がそこにまだ入っていけない感じなのです。というワケで、30周年については新年号でドーンと打ち上げさせていただきますので(笑)、それまでお待ち下さい。
 まずは青山劇場の音楽会、そして今年も年末にディナーショー・スケジュールがびっしりと決まっていますで、これらステージをお楽しみいただきたくお願い申し上げます。
(9月5日・談)



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