石川さゆり★新春トーク
2004。私は今、最も充実した時を迎えている…。
〜さゆり倶楽部 第28号掲載(12月5日:府中の森芸術劇場 コンサート前に取材)〜

●さゆり倶楽部スペシャル
新春ロングトーク 2004…私は今、最も充実した時を迎えている…

新年おめでとうございます。昨年中は格別のご支援を賜りありがたく厚く御礼申し上げます。
 一昨年の30周年が一区切りで、10年続いた青山劇場も昨年はお休みさせていただきました。そんなワケで去年はちょっと緩やかなスケジュール…と思っていましたが、秋の新歌舞伎座1週間ステージを含めて、例年よりコンサートがちょっと多かったように思っています。私自身、今、コンサートがとても楽しいんです。併せてたくさんのオファーをいただき「やれるだけやらせていただくわぁ〜」そんな感じ…。
 ここで皆様方に私のコンサートについての考えをお話してみたいと思います。

●コンサートに私なりの空気感が出来て、ライブの醍醐味に魅了されている私…

 皆様に“生のステージ”で歌をお伝えするというのは、私の音楽活動のなかで最も大きなウエイトを占めています。“生のステージ”は、今の私を表現し、今の私を聴いていただける貴重な場。時間的制約のあるテレビやラジオで自己表現出来るのはほんの一面、しかも一方的な情報です。それに比し、コンサートは会場に来て下さったお客様方と共に作り、共有する“空気感、ライブ感”があります。皆様から送られて来るエネルギー、それをいただく私、そして私も一番良いエネルギーを出せているように思います。
 この空気感やエネルギー交換こそがライブの醍醐味。ですから同じ選曲構成でも会場毎に、いえ、一瞬一瞬に“気”が変化して、これはもう一筋縄では制御出来ない不思議な魔物…。結果的にどう頑張っても百点キープは望むべくもなし。その難しさがステージの楽しさ、怖さ、面白さです。私は今、そんなコンサートが楽しくて…。
 私、おしゃべりが得意ではありませんでした。司会者なしの“ひとりコンサート”をするようになったのが平成4年、歌手生活20周年の時からです。当初はしどろもどろもいいところ。皆さんも私がちゃんとおしゃべりが出来るのか…と固唾を呑んでいらした時も…。当然のこと、会場には緊張が張りつめて…。そんなステージをご記憶の方もいらっしゃると思うんですぅ〜。
「あの頃は肩ぁ〜凝っちゃってぇ〜」
 あなた今、お笑いになりましたね。いじわるな方!!
 あれから約10年です。今は皆様が石川さゆりのところ(コンサート会場)に遊びに来て下さって、私なりにお迎えをする“空気感”みたいなものが出来てきたかなぁ〜と思えるようになっています。
 歌い手は歌を唄うことが仕事ですが、ただ唄えばいいのではなくて、その時々の“生の石川さゆり”の声や気持ちを歌に託して、それで皆様方にどれだけ楽しんでいただけたか…そこが大事だと思っています。ですからコンサートが終わってお帰りになられる時に「あぁ、楽しかったぁ〜」だけではなく、石川さゆりという歌い手はあんな事をこう感じる女性、人間なんだぁ〜、とそこまで分かっていただくライブ・パフォーマンスが出来たらいいなぁ〜、と思っています。皆様、最近の石川のコンサート、いかがでしょうか?
 えぇ、そう実感出来るようになったのは、ごく最近なんです。例えば“アッ、次は何を唄うのだっけ”と戸惑っても“あぁ、困っちゃったぁ〜”という気持ちをそのまま楽しんじゃえ。そんな“生の私”を素直に出してもいい…と思えるようになってから。
 そんな気持ちになれたのは“ひとりコンサート”10年余だけではないように思います。やはり40代半ばになって得たものが大きいようです。
 ちょっと前まで「どういう風にしゃべったら格好がいいのだろうか」など、ちょっと構え過ぎたり、考え過ぎていたところがあったと思います。今は人間って完璧じゃないんだ。迷ったり、困ったり、そんな“隙間”があって当然。それも皆さんにお見せしてもいいのでは…。『人間模様』ではありませんが ♪ただの人間…ですものね。
 そう思うと何故か感謝する心も大きくなって来るから不思議ですね。私は歌を唄いながら10代、20代、30代を経て、今は40代半ばになって…
「唄い続けて来たからこそ、こうして皆さんに逢え、しかも自分の好きな歌やおしゃべりを聞いていただける、見ていただける。あぁ、幸せだなぁ〜、楽しいなぁ〜。これは感謝しないといけない…」
 とも思うようになっています。
 そして先ほど申しましたステージと客席間のエネルギー交換によって生まれる緊張感と寛ぎ、静寂と躍動、孤独と共感、哀しみとはしゃぎ…、さまざま“気”が変化する妙の楽しさ。これはちょっと言葉では表現できない気配変化の妙で、この揺り揺らがうまく行きますと至福ですね。この辺の醍醐味って、ちょっと計算では出来ない魔力…。フフフッ、そんな領域をちょっと覗き出しているんですよぅ〜。
 去年はお休みした青山劇場ですが、あのステージは会場の“気”までしっかり作り込んだ演出がありますが、そうではなく、いわゆる通常コンサートでそれが出来つつあるなぁ〜と思っています。

●『人間模様』のあたたかさ、身近さは“隣りのオバさん”にあらず…

 今年は、そんなワケでコンサートにさらに力を入れて行きますが、併せて楽曲作りにも全力を注ぎたく思っています。目下は皆様のご支援をいただいて『人間模様』が好調ですから、さらなるヒットを目指して邁進です。同曲をコンサートで唄っていますと、会場の空気がポッとあたたかくなるのが分かります。大人の方々が「そうなんだよねぇ〜」と、今まで思っていたことを歌が代弁してくれてホッとする、そんな気持を共有し合うあたたかさだと思います。
 昔、レコードをもっと売るには楽曲もキャラクターも大衆路線でなければダメ!と言われたこともあります。でも、それはちょっと違うな、と思っています。『人間模様』が有した“身近さ、あったかさ”は前述した通りカラオケしやすいとか、隣りのオバちゃん的な親しさとは、ちょっと違いますもの。
 歌い手を含めた芸能界が、いつの間にか「隣のお姉さん」「隣りの妹」「隣のオバちゃん」が歌い、しゃべっているような感じになって来て、それがまた今の時代風と好まれているようです。でも私たち世代が芸能界にデビューした頃は、「隣りの…」ではなくスターという垣根があってこその歌手でした。そこが崩れたら、なんだか日本の芸すべてが崩れてしまうような気がします。
 えぇ、別に難しく考えないで下さい。例えば歌舞伎を「隣りのオジさん」が演っていたら変でしょ。あれは梨園の中の厳しい継承修行から培われた芸あってこそ素晴らしいのであって…。そうした垣根が崩れたらみぃ〜んな野暮になってしまいますよ。
 その意味で、私は芸を磨き込むことに真摯な努力を怠らない歌い手を貫いて行きたいと思っています。
 昨年のコンサートで、私は“飢餓海峡”の杉戸八重さんの朗読をさせていただきました。不器用にしか生きられない一途な女性・杉戸八重さんだって、一見は隣りのオバさんです。しかし、その心をいざ表現しようとすれば、それは表現者に委ねられるワケです。歌い手・石川さゆり(映画では女優・左幸子さん)の勝負です。歌い手って、そういうものだと思います。皆様だってきっと私に「普通のオバさん」になって欲しいとは思っていないはず…(笑い)。
 ちょっと話が難しくなって来ましたが『人間模様』が「隣りのオバさん」的な親しさ、身近さと誤解されやすいものですから敢えて説明させていただきました。 さて、ここで新しい楽曲作りについてお話させていただきます。

●今の私をどう歌で伝えて行くか…。その私が今、グリグリ変化していて、また 新たな段階に入ろうとしているみたい…。

『人間模様』は松下プロデューサーに代わって第1曲目です。1曲目は、お互いに探り合いの部分があるワケで、その意味では今年からが勝負だと思っています。かなり面白い領域にまで踏み込んで行けるのではないかと、楽そみにしています。
 楽曲で一番大事な点は“今の私を歌で皆さんにどう伝え、感じていただけるか”だと思います。これもいつも言っていることですが、私は歌い手・石川さゆりでありつつ、ひとりの人、女性としてもしっかり生きて行きたいんです。そうしないと歌い手・石川さゆりの歌は成り立たないと思うから…。どっちも大事なんです。だから私は10代、20代、30代、40代半ば…その時々の歌を精一杯に唄って来れたのだと思う。
 とは言え、正直に申せばけっこう難しかったぁ〜。子供も産みました。離婚もしました。子育ても大変でした。
 そうそう、今年、子供が成人式なんです。一昨日のこと。区から「成人の集い」のお知らせハガキが家に届いて、一人でそれを見ていたらシミジミとして来て、涙が出て来ちゃった…。
「あぁ、二十歳になったんだ。子供を卒業したんだなぁ。親に卒業式はないけれども…、ずっとずっと親は親で、子は子なんだけれども、あぁ、元気に怪我もなく、そんなに横道にもそれずに、ちゃんと大人の入口まで育てたんだ。育ってくれたんだぁ〜」
 と述懐。妙にうれしくなってジ〜ンとしたんです。それと同時に…
「あぁ、そうよ。私は歌でこの子を育てて来たんだ」
 という自負も沸いて来ました。片親というか、ある意味ではひとりで両方やって来て、でも母親っていうのは子にとって身近でいなければいけないでしょうから、皆様ご存知だと思うのですが、娘が小さい頃は日帰りの仕事でなければお受けできないんです、と断って来たんです。皆さんに本当にご無理を言って、それを通して来たんです。子供の成長に従って、一泊ぐらいの仕事はいいかなぁ〜。子供が留学している間は、一ヶ月公演もお受け出来ますと…。そうやって子供との生活を大事にしながら、歌もしっかり唄って来た…。
「そうかぁ、私も卒業式じゃないけれども、としてはひとつの区切りなんだ」
 そう思ったら…
「あぁ、また自分の好きなことがなにかひとつ出来そうだなぁ〜」
 と思ったんです。その時に浮かんだことは、やはり「もっといいステージが出来るかな」と「もっと素敵な楽曲が創れるかな」ということ。それが今の私なんです。
 もうひとつ、子供の成長に関わる話をしましょう。私は去年まで12月は23日で仕事終わりだったのです。24日と25日は子供と家でクリスマスだったから。それが去年のこと、娘はこう言ったんです。
「おかあさん、今年から私はお友達とクリスマスやるから、おかあさんはおかあさんでクリスマスやっていいよ」
 って…。もう家の中、クリスマスの飾り付けが目一杯出来ていて、その中でポツンとひとり、娘の言葉を何度も噛み締めつつ、すっごく寂しかったんです。子供が親離れしていて、私が子離れしていなかったと気付いて…
「よし、わかった。来年からクリマスセ・ディナーショーをやろう」
 そう思ったんです。で、平成15年は初めて24日、25日もディナーショーやるんです。(※24日:大阪全日空ホテル、25日:幕張プリンスホテル)
 そうして生きている私を含めて“今の私”。そんな私を新しい歌で表現出来たらいいなぁ〜と思っています。

●子離れして、私は今、新たらしい自分探しを始めているように思う…。

 いろいろお話して来ましたが、コンサートも楽曲作りも、そして子離れもして、今、歌い手・石川さゆりはなんだか新しい扉を開けつつあるような気がするのです。娘が成人の扉を開けて歩み出したように、私も新しい世界に歩み出したような…。
 まっ、そうは言っても新年早々から何かを始める、いきなり突っ走るというワケではありませんが、そうした心の変化と共に音楽諸活動がよりいい感じになって来たら…と思っています。
 歌手生活32年目の今年、30年余ひとつの道を歩み続けて来たことの面白さや意味とかの、何かが見つけられそうな気もしています。きっと10年でも20年でもなく、30余年唄って来て初めて掴める何かがありそうな気がしているんです。そして改めて、長く歌って来たこと、歳を重ねるってこともいいものだなぁ〜、そう思っています。そしてここにある“今”をもっと・もっと大切に生きていきたいなぁ〜と思います。
 今、歌い手の世界を見ますと、男性は50代、女性は40代の方々がとてもいい仕事をなさっているような気がします。殿方のことは分かりませんが、40代の女性って、自分のやって来たことの良いも悪いも自分で受け止めて(責任をとって)、ここまで来たという自負と自信を得た年代だと思います。それが言い過ぎなら、迷いつつもここまで歩んで来て、さて、ここから次に何が出来るだろうか…と新たな模索を始める年代かなぁ〜と思います。未だ枯れる所まで行きませんからね…。
 以前、子供の学校のお母さん方と話をしたのだけれども、お母さんたちは主婦でやるべきことをやって来て、子育ても一区切りして
「あたしだってもう一花咲かせるわよ」
 って。それが女性としてなのか、若い時にやっていた仕事を再び復活させたいという意もありましょうし…。そうして生きて来た、生きているという手応えを再び確認してからオバアちゃんになりたいっていう、そういう年齢なのかなぁ〜と思います。
 えっ、実にいい顔になって来たって。それがちゃんとステージにも出て来た。これからが石川さゆりの一番美味しいところの始まりですって。まっ、褒められているのか、叱られているのだか…。えぇ、この調子で行けばオバアさんになってもいい歌い手ですって。いやですよ、そこまで果たして唄っているでしょうかねぇ〜。
● ● ●
 新年早々から長々とお話をしてしまいましたが、本年もなにとぞ倍旧のご指導ご鞭撻のほどお願い申し上げます。
                                                             平成十六年元旦
                                                                
石川さゆり

「五木★さゆり」に戻る