●最終章●

週末暮し人は、島民にとって、宿にも泊まらぬから観光客以下の存在か・・・。
余計な事は言うなの声も聞こえるが、へぇ、島が大好きなもんで、これは独り言でござんす。

週末大島暮しの外野席から、島の明日を案じてみれば…

 住民票なしで選挙権なし。余り出歩かないから島の諸行政とのかかわりもなし。ロッジ周辺には島民住居もなく、道だって10年間未舗装のまま。新聞をとっていないから折り込み広報誌も読めず。地域の寄り合いもないから、適当にやっているがゴミ出しの決まり事も分らぬ離島の僻地。島のお役人さんとの接点と言えば唯一おまわりさんで、年に1度か2度巡回に来て「マムシにやられたら遠慮なく110番しなさいよ」なんて言ってくれる程度。あとは固定資産税の通知が東京の自宅に届くくらいか…。
 島に少しは貢献かと自負するのは東海汽船への売り上げ。多い年には数日滞在で年間滞在合計60日で1年の六分の一。その都度、友人知人同伴だから大貢献だ。島は一度来ればもう結構の観光客ばかりを当てにしないで釣り客、ダイバー、そしてワシらのようなリピーターを大事にした方がええのとちゃうかいと怒っていたら、東海汽船が「伊豆七島クラブ」を作ってくれて20%引きになった。島民割り引き25%に匹敵で準島民扱いの気分。
 最近便利になったなぁと思うのがインターネットで、順延されていた夏の元町花火と縁日が明日開催ですヨに、同日夜に慌ただしく旅立った。昨日カンパチが釣れ出したヨで、さっそく仕掛け作り…とリアルタイム情報を大いに活用させてもらっている。また噴火後の公共事業の嵐も10年経てひと段落とかで落ち着いた島に戻りそうで、これまた大歓迎です。
 一方、島の店で飲んでいると、あれは観光関係の人たちなンだろうね、
「島に“客”が来ねぇなぁ〜」
 なんて熱心に愚痴っている姿をみかけたりする。聞き耳立てていれば…
「今日の船で降りたのは十数名だぜ。その内、二割は島の人だぜ」
 観光客が、かくも激減して大問題になったいるんです。が、この解決は難問だ。離島ブームがピークを迎えた昭和43年の年間来島者は84万人で、2000年は約30万人弱に落ち込んでいる。外野席から見ていると、従来型の観光施策からの脱皮努力がどうにか伺えて、いずれはその先の大テーマになろう、島自体がいかに魅力的になれるか、に取組むことになるだろう、と思っているんですが…。


大島の人々は…個性的、自立性と多様性に富み、反骨精神とプライドも持っている。
だから「挙“島”一致」はままならず・・・

 庭の手入れとのんびり寛ぐだけの暮らしだから、島民とのコミュニケーションが少ない。とは言え狭い島のこと、顔なじみもいる。で思うに島民は皆と言っていいほどにクセ者揃い、一筋縄ではいかない御仁ばかり。これは誉め言葉で、別の言い方をすれば誰もが個性的で、それぞれの人生をしたたかに生きている。もっと誉めれば自立の成熟が伺える。
 これはきっと東京が企業べったりのお仕着せ人生を歩まざるを得ないサラリーマン中心の社会なのに比し、企業数が絶対的に少なく、自営者が多いためかもしれない。また行政・文化的にも常に本土を横目に見ての批評眼が育まれて(
※昭和17年4月に柳田国男が『伊豆大島方言集』に書いた「編集者の言葉」にも、こんな文がある。…伊豆大島の男たちは老壮の別無く、揃いも揃ってよく世間を知って居ることも珍しい…)個性的、自立的、多様性に富んだ上に、総じて反骨精神とプライドをしたたかに秘めている。敗戦翌年の主権在民を掲げた独立想定の暫定憲法も大島ならではのものと思いたくなって来る。この判断が嘘だと思うなら、試みに島民に島の悪口を言ってみるがいい。即「じゃ、出て行けよ。来ンなよ」が返って来るのは必至。
 加えて集落毎に歴史風土も違うから、そのまとまりの悪いこと。ハタからみると僅か人口1万だから「挙“島”一致」でまとまるのも容易と考えたいところだが、それは本土者の浅はかさ。ミスあんこコンテストの会場には十数人が集うだけだし、野焼きフェスティバルの記念シンポジウムに錚々たる学者がパネラーで参加したが聴衆は僅か十数人。都はるみ野外コンサートに8000人の島民が熱狂なんて新聞に書かれていたが、これも嘘八百で大挙して来島のはるみさんの追っかけファンを加えて約4500名か。「挙島一致」には遠く及ばない。アッシの知り合いも誰ひとりとして観に行っていないもんなぁ。かくいうアッシも取材陣のひとりで、メーカーが8000名にしといてくださいでマスコミがこれに従っただけで、何とも媒体の情けなさよ。
 さらに島のビッグイベントだろう冬のカメリアマラソンの参加者約500名で、秋の読売パブリックマラソン参加者も約200名。これも山本譲二がスターターをした時のメーカー側スタッフのひとりだったので知っているが、なんとも寂しいイベントだった。ちなみにここ5年ほど五木ひろしの故郷・美浜町で行われマラソンを取材しているが、参加ランナーは実に5000名余で、彼等を応援する人と五木ひろしファンを加えて6〜7000名の大活況。町がマラソンランナーで溢れ、民宿も超満杯だ。五木ひろしが多くの芸能人ランナーを連れて来ることもあろうが、町民こぞっての「挙町一致」で臨んでいる。
 一方、島じゃ何をやっても「われ関せず」。
「へぇ、そんなイベントあったの」
 と付和雷同せぬ御仁揃い。
 なかなか一つにまとまらない1万人島民が、もしひとつにまとまっってコトを興したら、先の暫定憲法じゃないが疲弊し閉塞した日本に活を与えるドデカい事を成しそうだがと、時には夢を見ることもあるが…。




島には、もうひとつの国、もうひとつの日常的要素がある。再び、王国宣言を期待する

 終戦の翌年で日本国憲法施行の前年、1946年(昭和21年)に“伊豆大島共和国”の暫定憲法が採択された。これは同年1月21日、GHQ(国連国総司令部)により大島が日本の行政から切り離されての島民自主暫定憲法で、3月22日のGHQ指令修正までの間の「平和主義と主権在民」の幻の憲法。
 これを例に出すまでもなく、離島には“もうひとつの国”の可能性とイメージが秘められている。交付税に依存しているとは言え…だ。21世紀を迎えた今、元気溌剌なのが自然共生型の新たなライフスタイル作りを目指す鴨川自然王国。代表は歌手・加藤登紀子のご亭主で藤本敏夫氏(2002年7月31日没、享年58歳)。インサイダーの高野孟氏も加わってえらく元気に盛り上がっている。小説では村上龍著「希望の国のエクソダス」の不登校中学生たちASUNAROが建ち上げた野幌市が話題。
 唐突な書き出しだが離島・大島には“もうひとつの国”の魅力的イメージがあって、実際「出入“島”」するには港か空港の数カ所しかなく、ビザならぬ乗船券、搭乗券のチェックを通過しなければならないし、これら乗下船には警官の目も光っている。島に通い出した当初は、海で封鎖された環境ゆえに犯罪者皆無。ロッジにも車にも鍵なんかかける必要一切なしと言われて腰が抜けるほど驚いた。さすが昨今は悪戯が多くなってきたから鍵をかけた方がいいとの忠告を受けるものの、殺伐とした都会からほど遠くない島で、まさに“もうひとつの国”の感が濃厚なのであります。これはもう夢の島に間違いなく、陳腐な行政、疲弊し閉塞した現代社会からのしがらみや圧迫から逃れて“もうひとつの国”へ行く開放感と魅力は、“もうひとつの日常”体験でもあります。
 バカだから、途中で何を言わんかわからなくなっちまったが、島に行く・離島に行く・島で週末暮しをするってことは、潜在的にこの解放感を求めているところもけっこうあるような気がするんですね。現実的には都や国にぞっこん依存していて、観光客激減で悲鳴を上げているけれどもさ、それらをちょっとどっかに置いて、思い切って夢でも見るように遊んでみてもいいように思うンだ。
 大島共和国の再宣言、楽園国(島)宣言かなんかしちゃってさ、島全体をテーマパーク化して遊ぶようなことをしちゃった方が解決策になるんじゃないか、みたいなさ…。いったいアッシは誰に向って何をノー天気なことを言っているんだろうね。




最終章… 夕陽にスタンディングオベイション

 秋から椿咲く春までのシーズンが好きです。島が深い落ち着きを取り戻し、庭の雑草も旺盛力をひそめ、焚き火ストーブもベストシーズン、そして夕陽の美しさよ。
 浜の湯から眺めれば、夕陽が沈むのは伊豆半島の先端あたりか・・・。まず太陽が落ちて来ると二等辺三角形の形で海がキラキラと黄金色に輝き出す。サンセット瞬間は宇宙が大きな息をフッと呑み込んだように太陽がググッと沈み込む。瞬間、天空が暗くなり、今度はパァ〜ッと橙色の夕焼けが広がって行く。ちょっと右に目をやれば、富士山のシルエットもクッキリと浮かんでいるではないか。あぁ、絶景・絶景かな・・・。
 その時間は、だいたい庭用具の片付けか今宵の薪の準備をしていて、女房は夕餉の仕度の真っ最中。さぁ、手を休めようと声掛け合ってベランダに立って夕陽を見る。本格的にサンセットを楽しもうという気になっていたら、間違いなく浜の湯にいて、ほどよい熱さの湯に野良仕事に疲れた身体がしびれるように癒される快感を堪能しつつ、その瞬間を待っている。息も出来ないほどのクライマックスは約30分間。この瞬間は悠久の時の流れのドラマ。息を呑むばかりのその瞬間に見入れっていれば、意識も解放されていて、あぁ、これが至福かと思ったりする。そして我に返って、夕陽にスタンディングオベイションです。

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