●大島の埋蔵金伝説…三話●

大島にもあった埋蔵金伝説。ダイバーのみなさん、頑張ってお宝発見してちょ〜だい!

 大島町史によると昭和32年(1957)一月、岡田沖海中から小判103枚、一分金62枚を発見とある。HP「The Treasure Japan」には「埋蔵額=小判九十枚、一分金四十三枚。埋蔵地=伊豆大島沖。背景=昭和32年、伊豆大島の漁師が水深十五bの海底から小判八枚を引き揚げ、これを聞いた島民が競って探し最終的に小判九十枚、一分金四十三枚が発見された。この大島沖には寛文年間の功天丸、宝永年間第二伊予紋丸、元文年間の明神丸の三隻が宝を積んで沈没しているという」と紹介されている。大島はダイビングが盛んで、ショップもたくさんある。皆さんは、この埋蔵金伝説に詳しいかも…ですね。小判拾っている方がいたら、お話を聞かせて下さいね。

 で、昭和35年5月5日の「島の新聞」に後日談が紹介されている。見出しは「黄金の夢いまは水のあわ 拾った小判代は四十九万円」 以下本文… 海底から小判が出る、と時ならぬ小判ブームでわきあがった岡田港も、あれから二年。拾得した小判百三枚、一分金六十三枚はその後どうなったであろうか。三十二年一月三十日から二月十四日まで、のべニ週間、三隻の潜水機船が出動して従事したのであったが、その後は解体されていまはない。届け出された小判は警察署の手から都の文化財保護委員会へ提出され、一応文化財の指定を受けて買い上げが決定、その通知も昨年末、岡田漁協を通じて各出漁船に伝達され、金額が決まらないまま今日に至ったが、このほどようやく四十九万円が渡されるという。これは法律に基づく「所有者がないときは、発見者と発見土地の所有者が分配する」という解釈によってなされたもので、発見場所が海底だから土地の所有者は国だろうということになり国が半分、岡田が半分ということになったもの。拾得したときの景気はどこへやら慰労金だ、祝いだと騒いだため経費がかさみ、四十九万円もらって三隻の漁船で分配しても配当もない船もあり、赤字だという船もあって、いま悲喜交々の岡田といったところ。しかし決定した四十九万円もまだ未到着ときては、なおさら腹の虫のおさまらないというところ。

ウム・ム、昭和11年に元町前濱海岸でもゴールド・ラッシュがあった!

「島の新聞」昭和11年2月16日号によると、元町前濱海岸でもゴールド・ラッシュがあったと記されているではないか。やっぱり、大島は宝島だったんだ。見出しは「ゴールド・ラッシュ 砂金ならぬ二朱銀脈」 以下、本文…。
 元村前濱海岸で砂金ならぬ眞物の古銭が掘り出され、この数日間、正にゴールド・ラッシュを現出している。去る12日、元村在住の某君が東湾食堂下海岸左寄りの波打ち際の小砂利の中に光ったものがあるので拾ってみると二朱銀や一朱銀、天保銭等で砂利をかき分けると後から後から忽ち時価数円が掘り出され、之が評判となって付近にいた朝鮮人のモグリ女達が一緒になり手に手にバケツやザルを携えての宝探し、此の数日毎日十数人が水びたりになって騒いで居るが最低七八十銭から四、五円位までの稼ぎになると…。之は明治末年の元村大火の際、土地の習慣で其の焼け出された家財や焼灰を捨てた処なので、それが昨秋来の再三の嵐に洗われ自然に掘り出されたものとみられており、時節がら朗らかな話題になっている。
 なぁ〜んだ、と嘆くなかれ。これでも、楽しい話じゃありませんか。

昭和27年(1952)「もく星」号墜落現場に散った大量の宝石が三原山・裏砂漠に…

「私の知らないうちに、林田はすぐに三十人ばかりの人を連れて大島に渡り、三原山の飛行機墜落現場に宝石を探しに行っているのです。あとから聞いたことですが、現場の砂を篩(ふるい)でふって、宝石を一粒、一粒、探し出すという作業だったそうです。(中略)。そのとき、だれかが砂の上にしゃがんでモジモジしていたので、引きあげかけた他の者が、何をしているのか、ときくと、しぶしぶ拾った三カラットの宝石を出したそうです。(中略)。だが、問題はまだつづきます。“もく星”号が墜落して一年目に、大島の現場では地もとの人も出て犠牲者の一周忌の法要が行なわれたそうです。そのとき、現場から少しはなれたところに小川があるそうですが、その川べりから青年団の人かもしれませんが、だれかが何やら光るものを見つけた、それがあとになってわかったことには、私がブローカーの林田に渡した十三カラットのスター・サファイアだったのです。(松本清張「風の息」文藝春秋刊、松本清張全集48「風の息」151〜152頁)
 この道は御神火茶屋方面から波浮港へ抜ける間道らしい。「今でもこの斜面に宝石が落ちているのですよ」と新聞社の方がふりかえり、言葉をついで、「捜してみませんか」と先にたって斜面を降りはじめたのにひかれ、私は立ち上がった。二十年近い年月を経ている今、唯一の女性乗客である宝石商相善八重子の所持していた宝石があるとは。まさかと思いながら半信半疑で砂の斜面へ踏み込んだ。(同全集配本月報で新聞掲載の挿絵担当となった杉全直(洋画家)のエッセーより)



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