●日本初のオートバイレースの謎●

大島町便覧をみていたら、昭和39年に日本初のオートバイレース
行われるとあった。思わず、なんじゃコレ!思った…。

 昭和60年の大島町便覧を見ていたら「昭和39年8月、日本最初のオートバイレース行われる」とあった。「ウ〜ム、こりゃ何んじゃ」と思った。図書館から帰宅して調べてみれば「浅間火山レース」の第1回開催は昭和30年(1955)で、昭和34年には第1回全日本モトクロス大会が、昭和37年にはスズカサーキットがオープン。で、大島のオートバイレースの記録は残されていない。いったい大島でどんな“日本初オートバイレース”が行われたのだろうか?八重洲出版「浅間からスズカまで」を読んでみると、昭和37年に熱海・十国峠で3年間、翌39年10月に静岡県・丸野山高原で全日本モトクロス大会が行われており、大島町便覧の初レースとやらは、その2ヶ月前のこと。謎が深まるばかりである。大島町便覧を編集された方、教えてぇ〜!

 で結局、誰も教えてくれずに2年が経過し、ついに「島の新聞」昭和39年8月15日発行号でこんな記事を発見した。同紙の見出しは「若さが爆発!オートバイ火山レース 15・16両日三原山裏サバク」で、本文は以下の通り…。
 広大な三原山裏砂漠に若さが爆発するオートバイ火山レースを展開し、これを中心として各種の催しを行ないモータースポーツの一大祭典とする第一回大島モータースポーツフェアが十五、六両日大島で開かれる。参加者は十五日朝九時、夜九時竹芝初の東京船、十六日の熱海船や伊東船で続々と来島する。十五日は夜七時から大島自然公園野外劇場で前夜祭を開きキャンプファイヤー、コーラス、ダンスパーティー、映画、サッポロビール早飲み大会などにぎやかな行事をくりひろげ、十六日は九時から十二時までは裏砂漠の特設コース、(一周三キロ)でモーター競技を行なう。五〇CCクラス(四周)九〇CC(五周)一二五CC(六周)ニ五〇CC(八周)椿レース(大島在住者、一周)火山レース(CC制限なし)などの種目で争われる。大島の火山モーターレースとして名物の年中行事にする予定。主催は日本モーターサイクル協会関東地方本部と東京都観光連盟。
 以上が全文だが、その後の「島の新聞」には開催の模様を記した記事はなく、果たして本当に行なわれたのだろうか。少なくとも大島の年中名物行事にはなっていない…。で、まだ謎は残りますねぇ。



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