●遊び編●

釣り、ダイビング、ゴルフ、テニス、バーベキュー、裏砂漠探検、温泉…。
さらには木工、庭作り…と島は“遊び”の天国。
アクセス途中で、今度は何をして遊ぼうかしら、と迷うほど。
が10年経てば寄る年波には勝てず。次第に“遊び”も定番化です。


<釣り>余りに恵まれ過ぎた環境に執念がなくなった。が、オカズ釣りには困らない。

 仕事・仕事の重症ワークホリック最中の35歳の時のこと。フと仕事が一斉に片付いて、閑をもて遊んで行った釣堀が人生を狂わせた。…?。そこはなんと!“箱師”と呼ばれるヘラ鮒師たちの巣窟で、工業デザイン界の巨匠・栄久庵憲司さんが会長の“変”な倶楽部があって、釣り後の喫茶店談話で栄久庵先生があのヒゲをなでつつ今日の餌に粉末を混ぜたは煮干の腸で、その乾いた白腸の美を語れば、老哲学者がバニラエッセンスを1滴加えるアイデアが浮かんだ経緯を現象学的分析で語り、エッチング画家がハリスを底に5ミリ這わせた際の揺らぐ曲線美を語るといった狂気的世界の仲間にはまり込んじゃった。むろんウキも仕掛けも手作りが当たり前。
 やがてヘラと同じく繊細さが要求されるクロダイ釣りから海釣り全般に趣味が広がった。今にして思えば、これが高2から3年間続けていた山登り以来忘れていた野外遊びの甦り。夜中に車で出発し、朝マズメまで仮眠しての磯釣りにも熱中した。
 大島ロッジ完成で絶好の釣り環境を得たが、かつての熱中を経たせいか、いや、環境に恵まれ過ぎてだろう執念がなくなったぁ。先にいた釣人のクーラーボックスに釣果がなけりゃ、なんでぇ〜、と竿も出さずに引き上げる。竿を出して1時間釣れねば即中止の淡白釣り。釣りが初めての女の子を泉津港のタカベ釣りに連れて行ったら、夢中になってねぇ〜、「もう帰ろうよ」と何度言っても聞く耳持たず、鼻頭にツブツブの汗を浮かべて、その可愛いかったことよ。
 夏の堤防アジ釣りは女房の楽しみだ。入れ食いにアタシは針外し専門だ。秋は同じサビキ仕掛でムロアジの入れ食いで、これは干物になる。秋から冬はブタイが鍋になる。今度はメジナ釣りの醍醐味を女房に教えなくてばといけねぇ〜なと思っている。
 メジナと言えば隣りのロッジ主人で、料理が趣味と口を滑らせたばっかりに、島に来ていれば小生いそいそと磯場に行く。そんな夜は見事な腕を発揮しての刺身と寿司が我が家に届くことになっている。美味しい魚を釣るにはやはりボート所有か。何故か女房殿は小型船舶1級の免許持ちで、小生は4級。ボートを持ちたいが貧乏一家には夢のまた夢でございます。
 ちなみに大島の古歌には、こんな歌がある…
「三月四月はたかべが大漁/五月六月はいさきが大漁/七月八月は棒受(むろあじ、さば)が大漁/九月十月はさんまが大漁/霜月師走は大いか大漁…」


※島の友人から昔のこと、「引っ掛け釣り」でイカを軽トラの荷台一杯獲ったという話を聞いたことがある。数年前(2002年だったか)、波浮で大型の飛魚が投げ釣りで入れ食い状態を見た。マグロが釣れ盛っているの情報で釣りサイトを見たら一人何尾も揚げている写真が紹介されていた。鯨だって海岸近くで見ることもある。海は依然神秘です。時折、釣りサイトを見ると楽しいです。

※07年夏前に大島がアオリイカのエギング天国だと突然知った。ルアーと違って日本生まれの「餌木」を改良した「エギング」ってぇのも気に入った。で、ネットで専用のロッドとリールを買った。エギも各種買った。ロッドはダイワの「INFEET EG83MHI(エメラルダス)」で、リールはダイワの「カルディアKIX2506(浅溝タイプ)」。道具を揃えていざと思った時は真夏で、エギングのオフシーズン。で、ルアーにも手を伸ばすことにした。真夏の岡田港で観光の若者たちが「おじさん、ありゃなんだ」と騒いでいた。上から見るとオタマジャクシのお化けのような群れだった。見ていると彼らがツツゥと一斉に同方向に動いた。変ったその形はアオリイカに間違いなく、フフフッ、産まれたばかりの可愛い奴めと思わずつぶやいた。秋からのエギングが楽しくなってきた。「エギングコーナー」でも新設しましょうかねぇ。エギング、ルアー共にあの臭いコマセと縁を切れるのがなによりもいいですね。








<スキンダイビング>
演歌歌手のキャンペーンで覚えたスキューバダイビング。
ロッジの壁には長・短の愛用モリが2本…

 これもヒョンなことで熱中した。十数年前に某演歌歌手の年間キャンペーン企画を頼まれ、自分がやりたいスポーツ十種を彼にトライさせ、それを取材ネタにする企画を考えた。事務所もレコード会社もノッて、思わずほくそ笑んだ。乗馬、ヨット、フェンシング、スキューバダイビングとさまざま続いて最後が決死のスカイダイビング。毎回その世界の名だたるコーチを付けて、対談記事も配布した。
 で、ダイバーの凄腕を探していたら変人に遭遇した。通称サメさん。まぁ、仕事は三浦半島の磯で歌手に水深1bでボンベ付きマスクを装着させ、浮上せぬよう足で踏みつけてのラジオ収録。司会者が 「○○さんが今、水深10mの海中で歌を唄います」のヤラセで無事終了。おっと、そう言えばこのキャンペーンをマスコミに発表すべく、第1回目のチャレンジ「トライアルバイク」の映像を用意。大した歌手ではなかったものの、企画が当って超満員の記者が集ったものの、ビデオのトラブル処理中に一人二人と記者が消え、やがて誰もいなくなっちまった。ど・どうしてぇ〜?と調べてみれば、岡田有希子がサンミュージックのビルから飛び降り自殺したと。彼女のデビュー曲から新曲毎にプロモート企画書で稼がせていただいた経緯もあって、怒ることも出来ず、誰もいなくなった記者会見場で彼女の冥福を祈ったことを思い出した。
 話を戻そう。演歌歌手のキャンペーンが終わった後に、サメさんにプライベートでダイビング特訓を受けることになった。サメさん、こう言ったもんだ。
「パディだかナウイだか、あんなトコのライセンスなんか取ったらダメだ。泳げなくても潜れますぅ〜、冗談じゃねぇ、ショップなんてぇのは、客が来たら数十万円が来た位にしか思っちゃいねぇんだ。俺は素潜り10m潜れない奴にはボンベも背負わせないよ」。
 で、毎週のように南伊豆に出没してハードなテント合宿。素潜り10mが出来るようになれば、今度は片フィンであの岩まで泳いで来い、ウェイト二人分持って立ち泳ぎしてろ、海底にスキューバセットが3箇所隠してあるから素潜りで辿って来いなどなど…。で、サメさんはこの間にひとり素潜りで全参加者分の伊勢海老やアワビを手掴み、魚をたくさん突いて来る。
「獲っちゃいけないんじゃないスかぁ〜」
 と問えば…
「バカ野郎、潜りは昔っから獲物を採ることでだんだん上手くなって行くんだァ!」
 魚は突く、サザエ、アワビは獲る…の師匠に教えを得たもんだから、つい大島でも頑張っちゃうのであります。が、寄る年波に勝てず。今はプカプカ浮かんでいるだけが好きなのであります。ま、時折はニコチン・タール漬けになった肺の膠着化防止に、水圧変化による肺の圧縮・膨張反復運動のために愛用の銛を手にすることがありますけれども…。ちなみにアタシは国家試験の「潜水士」免許(サルベージ作業が出来る)と、外国で潜るのに必要だってぇのでナウイのオープンウォーター持ってます。話を戻して、大島のツキンボーは3〜4bの長い柄が特徴で、これを使いこなすのはなかなか難しく、アタシはトリガー仕掛けで2bほど銛柄が飛び出すヤツを愛用している。
 サメさん、今頃どこで何しているのかなぁ、サメに食われてなければいいが…。


※島にはサメが出ます。「コンちゃんのツキンボ・ワールド」の怖い話をどうぞ…。

※これはサメさんたちと、してはいけない遊びをしたときのこと。南伊豆でボンベ背負って獲ったことがあるんですよ。イセエビを…。水深約10b。その海底に5bくらいの穴がポッカリ開いていて、そこへ潜って行くってぇ〜と、壁面が細かい岩盤層みたいになっていて、そりゃ〜もう、目がテンになるほどグルッとイセエビの陳列棚じゃありませんか。20数年も前のことですが、今もその光景を覚えています。えぇ、獲ったんですよぅ。前方で脅すとビビッと後に逃げますから、左手で脅して右手で逃げたところをチャッチすんです。もう、時効ですね。



<ゴルフ天国・大島>打ち放しの練習場良し、ショートコ−ス良し、
小湧園ゴルフコース良し…。えッ、ツブれた!

 新社会人時代は麻雀全盛で、これイヤだったネ。麻雀やらぬと変人扱い。やがて猫も杓子もゴルフで、これもイヤだったね。得意先友人が、気が向いたらやってくれよとゴルフセットを置いていき、ゴルフバッグが事務所玄関に放置されて数ヶ月…、幾つもの仕事が一斉に片付いてポケーッとしていたら、年長社員が
「ネ、打ち放しに行きましょ」
 と魔の囁き。初めてクラブを握って打てるはずもなく、てこずる様をせせら笑うように隣りのオバさんがナイスショット連発で血が一気に逆流した。不思議なものでゴルフを始めると本業外のゴルフの仕事も舞い込んだ。会員権業者のPR誌、スポーツ紙のゴルフコラム、ゴルフ週刊誌の連載…。たむろっていた飲み屋でもコンペが恒例化の大変なゴルフブームの到来。
 大島通いを始めて、島が思いもかけぬゴルフ天国なのに驚いた。待ち時間と世界一高額な都心の練習場に比し、アサヒ牧場の打ち放しは何時だって空いているし千円で籠一杯のボール、加えて海に向って打つ爽快感。ショートコースも完成した。また歴史ある大島ゴルフコースも、本土では数ヶ月前から予約を入れないとまわれないがものが、明日回るよの電話1本でOKだ。
 島のコースを回り始めて、島民のゴルフ上手に腰を抜かした。ゴルフ天国の環境に育まれてシングルがゴロゴロいるじゃん。
 島のコースじゃ…みたいなことをよく聞くが、とんでもない。小湧園大島コースは日本初のゴルフ場、かの英国貿易商・グルームさんが作った神戸の六甲コースにそっくりなのです。ゴルフエッセイストの故・夏坂健氏がよほどのコネがなければ回れぬコースゆえ、取材許可がおりたこの機会にお前も同行せよと仰せつかって六甲でラウンドしたことがあるが、手作り、元の地形を生かした至難のアンジュレーション、谷越え、打ち上げ、打ちおろし多数で、まったく大島と同じ感じのコース。1番でティーアップすると六甲コースに立った時の感慨、日本人最初のゴルファーになった気持ちになってワクワクする。だから島ではゴルフの原点…あるがままを厳守。姑息にいいライ求めてドロップするのは見苦しい。
 そして今、都心の練習場や近郊コースが不況で閑古鳥が鳴き、値引き合戦で客を引いている(新宿の自宅マンション郵便受けには、いろんなコースの平日4500円なぁ〜んてチラシが投げ込まれていたりします)から、逆に大島コースに割高感が生まれた。と思っていた平成12年12月、東京に来た島の友と酒を飲んでいて、ゴルフをやらぬ彼が何気なくこうつぶやいた。
「島のゴルフ場、つぶれたよ。入口に鎖が張ってあって、もう入れない」
 青天の霹靂、衝撃。なぜ?どうして?これからどうするの?


<2003年10月現在の状況>
波浮の簡保会館?を買い取った「ほっとセンター波浮」経営の会社が運営しており、プレイ代(1R)¥11,525 プラス(0.5R)¥2,100 大島町在住者¥9,425 で全ホール、セルフカート。電話は「大島ゴルフコース」04992−2−9300




スタック、幻の池、そして砂漠下山ゴルフの思い出…。また立ち入り禁止の魔境が呼んでいる。

「ナイスショット!」
 白球がドロー系の弾道を描きつつ青空を突き抜け、緑ならぬ真っ黒の火山粒フェアエウェイに落ちて行く。今度はオレの番。両手で火山粒をちょこんと盛ってティーアップ。眼下に広がる裏砂漠の異様な風景を眺めまわしてからスタンスを固めてテークバック。右足がググッと砂にもぐってスイングがぐらつきスライス系になる。4人が最初のショットを終えて、全員がジムニーに飛び乗る。巨大な波のようにうねる黒い砂丘を幾つか超えて第2打ポイントへ。目標と定めた雑草をピンに見たててのアプローチ・ショット。
 これを繰り返しつつの裏砂漠下山ラウンドで、出入り口まで戻って見れば火山粒にボールもクラブ・フェースもザラザラの傷。バカをやったもんだと笑いこけながら、異様な光景広がる裏砂漠を振り返った。
 観光客が眺める御神火茶屋から望む三原山の裏側に、裏砂漠と呼ばれるかくも異様な別世界風景が広がっているんです。真っ黒な火山粒砂漠が大波をうってどこまでも続き、その奥を探検すれば奇岩巨岩の溶岩壁が立ちはだかる。時として霧が湧き、轍を見失えば車はスタックをまぬがれないし、方向感覚を失って遭難する危険もあり。想像を絶する神秘の魔境が大島にはあるのでございます。むろん立ち入り禁止の立て札があるが、魔境は人を惹きつけてやまない。
 裏砂漠“探検”で忘れ得ぬ思い出は、軽ボックスで行ってスタックしての必死の脱出と、霧が満ちる幻想的な雰囲気のなかで最終地点の幻の池を見たこと、そして前記のバカな裏砂漠ゴルフ大会。
 昔の資料を見れば、島民とて6月1日のミハラサン、オヤマイリだけが年に1度許された三原山登山。魔境の誘惑も年に1度くらいがいいかもと思っています。













<テニス>… には、ホロ苦い味がする。

 2001年春、斜め前ロッジのSちゃんが熾烈な中学受験を凌ぎ、見事に有名中学に合格して、実に1年振りの家族揃ってホッとひと息の島滞在。Sちゃんとは小学1、2年生からの付き合いで、島で一緒になればウチの子で、両親と離れてウチでお泊まり。可愛さは変わらぬが早、中学生である。聞けばテニス部に入るとかで「ママに福祉会館のコートでテニスを教えてもらうの」と言った。
 これを聞いて、あれは確か7年前か…と思い出した。わが息子も大学生となってテニス部に入るからと、わがロッジ奥のコートで猛特訓した。5月か6月のムッとする暑さのなかでのハードな練習で、彼はこの時に才がないと自覚し、テニス部からバイク部に移籍。爆走一途となっちまった。あれは息子と共に島に渡った唯一のこと。
 息子とテニス練習をする1年ほど前からテニスに夢中だった。中年のテニス好きグループが遊びに来るようになって「ペンション101」のハードコートを借りての激しい練習の渦に巻き込まれたのだ。運動不足でヒーハーと息切れ甚だしく、これを機に都内のスクールにも通ったもの。
 我がロッジ周辺は、ちょっと古い観光地図を見れば「テニス村」と記されており、よく見ればかつてコートだったに違いない荒れた地が何ヶ所もあり、島はテニスで盛り上がった時代もあったのだなと知る。で、わがロッジ奥にも、荒れかけた3面コートを有するテニス民宿があった。玄関にオーナーの若き時代に名プレイヤーだったことを物語る表彰状やトロフィーが飾られていて、一升瓶抱えて挨拶に行くと「整備もしていないコートゆえ、勝手に使ってもいいよ」の嬉しい言葉。確か「ペンション101」のコート使用料は数千円で、タダの専用コートを確保してなお練習に励んだもの。そのうちに波浮の福祉会館のハードコートが数百円で借りられるを知って、そっちでやるようになった。
 話は再び今…。中年のテニス好きグループのリーダー格・某は、音楽業界では名の知れた御仁だったが、あちらこちらに借財を残して行方不明。木枯らしの季節になると、一体どこで何をしているかと安否が気がかり。ロッジ奥の3面コートには、大きなログハウスが建った。そしてわが息子は社会人3年目で生き方に迷っており、私立中学合格を決めたSちゃんは希望に胸をときめかせている。で、アッシはと言えば、シコシコと老い仕度。庭いじり好きのジジィに成り果て申した。



<野遊び・磯遊び>…知らずの若者がわがロッジに遊びに来る。
そんな彼らには、リース作りと焚き火を教えるといい。

 時として、まったく野遊び未体験の方がわがロッジに遊びに来ることがある。中高年は都会育ちでもガキのころはけっこう原っぱで一生懸命遊んだ体験をしているから、アウトドアなどと言う必要もなく焚き火の仕方も、ナイフを使うことも、小魚釣りも、そう、一升瓶に米入れて棒で突くなんて終戦時代の体験もあるから、田舎暮しのイロハは身につけているもの。庭の雑草取りもすすんでやってくれたりするんであります。
 で、困るのが今の若者。リゾートとはほど遠い藪か林かわからぬ中に建つわがロッジに来て、どう遊んでいいのかわからない。ロッジ前がいい磯だが、ここでも遊べない。で、車にラジカセ積んで持参のCD持って砂浜に行くのが定版パターン。帰って来ればラジカセに砂が舞い込み使い物にならず。声をかけなきゃ何をしていいのかわからず、退屈だと抜かしやがる。
 10年もそんな彼らの姿を見続けていれば、彼らを夢中にさせる術も身につけた。女の子ならリース作りを伝授する。手袋与えて、まずは蔓の収集に行く。立派なリースを作りたい欲が出て来ればしめたもの。いい蔦を求めてどんどん藪に入って行く。リースが出来たら、リース掛けに程よい形の流木拾いに海岸散歩。男なら滞在中は焚き火ストーブ係りと決めて、決して火を絶やすなと申し渡す。鉈、斧、チェーンソーによる薪作り、火起こし、管理におおかた夢中になってくれる。
 食に興味がありそうだと思ったら、磯でシッタカ、周囲で明日葉採りを命じる。狩猟・採集本能が芽生えて来て、ロッジ生活に意欲が出て来ると、今度は釣りに行きましょうよ、なんて抜かす。これには生返事でごまかすのがいい。彼らは釣りに“仕掛け”が必要なことがまったくわかっていない。愛すべき若者なら、仕掛けを作ってやって、竿さばきを教えてやるが、決まって仕掛けをオマツリさせる。根がかりして強引に引っ張るから浮子も外す。もったいないから真冬じゃない限り海にドボンと飛び込んで、回収に行くことになる。
 そんな彼らと何年後かに会ったりすると「あの時のリース作り、楽しかったわ」「今でも、あの時の焚き火を思い出します」なんて言ってくれて、あぁ、邪険にしなくて良かったなぁ、と思うのであります。




<浜の湯>疲れた身体を癒してくれる温泉がある。
露天の湯から見る夕陽の美しさに、思わず拍手


 大島には遊び、働いた後に温泉で身体を癒せる歓びがある。お気に入りは海に面した長根浜公園の露天風呂・浜の湯。昭和61年の三原山噴火後に元町の学校プールが突然熱くなり、こりゃ〜温泉だってことで出来たのがこの露天風呂と聞く。当初は入湯料200円でいつも混み合っていて、湯に浸かる島の老人がこう言っていたもんだ。
「町営事業で唯一黒字はここだけじゃ…]
 と。これに味をしめて出来たのが平成11年春オープンの浜の湯近くのスパリゾートっぽい立派な施設・御神火温泉で入湯料1,000円。これを機に何故か浜の湯も400円に値上げされた。しかし役場の期待を裏切るようだが、御神火温泉には入る気がしない。なぜって、浜の湯の夕陽眺めつつの露天の解放感に勝るものは他にない。
 近所のロッジ住人は浜の湯が嫌いだ。週末は海から上がってきたダイバーがいっぱいで湯がかなり汚れているはずだと言う。で、彼らは銭湯っぽい青木温泉に行く。でも他の人が何と言おうとアッシは浜の湯が大好きだ。夏の週末を外せば混むこともなく、島民老人たちの会話に耳を傾ければ島の昔話や噂が聞けたりして実に面白いし、雨の露天風呂の情緒もまた良し。
 行けば、湯に浸かったり石の上に寝そべったりでダラダラと長居する。ってぇのは夕陽の沈む瞬間を見届けたくてである。秋から冬がベストシーズンで、その夕陽の美しさは例えようもない。ビルとビルの隙間からでしか夕陽が見えない都会生活者にとって、この厳かで壮大な宇宙のドラマにはただただウットリ。涙がちょちょ切れるほどに感動させられる。そう、ここからは夕陽にシルエットとなった富士山も見え、すこぶる絶景なのであります。
 浜の湯に浸かる度「あぁ、大島っていいなぁ〜」と呟いているアタシがいます。

★このコーナーを読み直して思うのは「あぁ、すっかり遊ばなくなったなぁ〜。あんなに好きだった釣りもスキンダイビングも滅多にしなくなったし。歳をとったのだろうか…」と。で、よくよく考えてみたら、これは歳に関係なく、遊ばなくなったワケに思い当たった。当初は若いスタッフと一緒だから遊びが中心。で、かかぁと共に週末大島暮しをするようになって、アタシひとりが遊びに行こうとすれば「アレが出たら怖い、コレが怖い」で、かかぁが留守番を嫌がるんです。それでも斜め前のロッジ一家がよく島に来ていた時分は、同家の「ソラちゃん」が家の子で我がロッジ滞在だったから、結構ひとりで遊びに出かけられたんです。で、「ソラちゃん」が中学生になって、一家も滅多に島に来なくなると、例えば夕まずめを狙った釣りにアタシが出かければ、帰りはもう真っ暗になるワケで、かかぁは「それまで一人は怖くて怖くて。行っちゃぁ〜、イヤ・イヤァ〜」ってんだ。もうひとつ、潜りに行かなくなったワケにも思い当たった。煙草を止めて2年余。すっかり太ってダイビングスーツが着られない。これは新調すれば解決ですが、前記解決策としては、かかぁの友達同行で島に行くしきゃないようなんです。どなたか、アタシが釣りに行く時、ゴルフに行く時に、かかぁを預かってくれる方がいませんかねぇ〜。



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