森昌子カヴァーアルバム『あのころ』
(宣材・解説チラシ原稿)

昔はポニーキャニオンで宣材のコピーなどを書いていたが、
まったく久しぶりの宣材仕事でした。

(1) 港が見える丘
1947(昭和22)年/平野愛子
●昭和21年、NHK「のど自慢素人音楽会」開始。翌22年、連続放送「鐘の鳴る丘」主題歌『とんがり帽子』が大人気。レコードの統制価格が 35円になってビクター戦後最初のヒット曲が平野愛子『港が見える丘』だった。
●その声は“濡れたビロウド”と称されて歌謡曲ブルースの先駆け。翌年に『君待てども』もヒット。作曲の東辰三の子息は作詞家・山上路夫で、森昌子『お嫁にゆきます』などを作詞している。
●同年他のヒット曲は『夜のプラットホーム』『東京ブギウギ』『星の流れに』など。
★船の汽笛と雑踏のSEにトランペットのイントロ。森昌子のジャジィーな歌唱にモダンなレトロ感が満ちて“大人の味わい”です。

(2) 
いいじゃないの幸せならば
1969(昭和44)年/佐良直美
●東大封鎖など学園紛争に機動隊出動。新宿西口地下広場のフォークソング集会も警察の力に消えた。若者が挫折感を覚える一方、東名高速道路は全面開通し、街ではボウリングブーム。
●佐良直美は2年前のデビュー曲『世界は二人のために』でミリオンヒット。その年から紅白歌合戦に連続 13回出場し、司会を5回務めた。森昌子も佐良の紅白司会で4回出場。ちなみに森昌子の紅白司会は昭和59年と60年だった。
●巷には時代の挟間を象徴するかの『黒猫のタンゴ』や『今日でお別れ』などがヒット。
★明るいラテンテイストの煌くサウンドに、森昌子の“泣き語り”風歌唱の対比が見事。グッと胸を打ちます。

(3) 
赤ちょうちん
1974(昭和49)年/かぐや姫
●オイルショック翌年のヒット曲。長嶋茂雄が巨人軍を引退し、コンビニ第1号店が開店。ユリ・ゲラーの超能力と小説「かもめのジョナサン」がブーム。
●かぐや姫は南こうせつ、山田パンダ、伊勢正三。前年の『神田川』大ヒットに続いて発売されたのがこの曲。共に「漫画アクション」連載の上村一夫原作「同棲時代」を彷彿させる楽曲。
●この年のヒット曲は森昌子『おかあさん』の他に『宇宙戦艦ヤマト』『結婚するって本当ですか』『精霊流し』『母に捧げるバラード』など。
★南こうせつは青春の“ほろ苦さ”を唄っていたが、森昌子は歌詞通り女の立場で、語り歌唱からドラマチック歌唱の展開で胸を揺さぶる感動作に仕上げています。

(4) 
夏の日の想い出
1965(昭和40)年/日野てる子
●東京オリンピック翌年のヒット曲。この年は前年の「みゆき族」に続いて「アイビー族」が出現し、エレキギターが大ブーム。日野てる子は、昭和 37年の全日本ハワイアンコンテストに優勝し、昭和40年の同曲大ヒットで紅白歌合戦3年連続出場。カップリングはその2年前に越路吹雪が唄っていた鈴木道明楽曲『ワン・レイニー・ナイト・イン・トウキョウ』を収録。
●同年のヒット曲は他に『柔』『涙の連絡線』『さよならはダンスの後に』『綱走番外地』『函館の女』など。
★森昌子は和製ハワイアンの特徴というべきスチールギターに合わせて語尾(助詞)を揺らしつつ抜く唱法で、ムーディーに余韻を広げています。

(5) 
悲しみは駆け足でやってくる
1969(昭和44)年/アン真理子
●“明日という字は明るい日とかくのね”の詞は本人作詞。「ヒデとロザンナ」の前に出門英と本名の佐藤ユキで「ユキとヒデ」を結成。その後にソロ歌手、アン真理子になった。歌手、作詞家、女優としても大活躍。同曲は佐良直美『いいじゃないの幸せならば』と同じく学園紛争に挫折した若者の喪失感が漂っている。
●同年他のヒット曲は『恋の奴隷』『人形の家』『長崎は今日も雨だった』など。
★森昌子「スタ誕」初代グランドチャンピオンになる2年前のヒット曲。デビューを夢みていた森昌子にとって、アン真理子は眩しいスター歌手の一人だったに違いない。今、森昌子は同曲を“ちょっと悲しい音色”で唄って、新たな魅力を発揮しています。

(6) 
想い出まくら
1975(昭和50)年/小坂恭子
●沖縄海洋博開催。足利銀行の女子行員が2億円横領して男に貢ぐ。戦後初のマイナス成長。小坂恭子は前年の第7回ポプコンで『恋のささやき』グランプリ。翌年の第2弾シングルがこの曲でミリオンヒット。アップテンポのピアノ弾き語りで畳み込むよう唄っていた。
●同年の他のヒットは『およげ!たいやきくん』『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』『シクラメンのかほり』『北の宿から』など。またこの年、森昌子は映画「花の高2トリオ 初恋時代」で桜田淳子、山口百恵と映画出演。
★五・五・七の韻の繰り返しをアップテンポで展開する楽曲を、森昌子は歯切れ良く、かつ緻密な情感を込めた歌唱で聴かせています。

(7) 
悲しくてやりきれない
1968(昭和43)年/ザ・フォーク・クルセダース
●解散記念の自主制作アルバムより『帰って来たヨッパライ』の大ヒットで、1年だけプロ活動を展開。第2弾『イムジン河』が発売禁止で、次に発売されたのが『悲しくて…』だった。平成 16年の井筒和幸監督映画「パッチギ!」が当時の“フォークル”状況を描いて、全編に『イムジン河』が流れ、オダギリジョーが『悲しくて…』を唄っていた。“フォークル”は翌年の『青年は荒野をめざす』で解散。
●この年は川端康成がノーベル賞を受賞したが、3億円強奪事件、学園紛争、マラソンの円谷幸吉選手自殺、十勝沖地震があり、『受験生ブルース』『ブルーライト・ヨコハマ』などの暗い歌のヒットが多かった。
★森昌子は喉を絞め気味の抑えた歌唱で、今までにない新たな音色で唄っています。

(8) 
雨に濡れた慕情
1969(昭和44)年/ちあきなおみ
●ちあきなおみのデビュー曲。翌年の『四つのお願い』ヒットで紅白歌合戦に初出場。72年『喝采』で日本レコード大賞受賞。演歌、フォーク、シャンソン、ジャズなど幅広く歌い、女優やタレントとしても活躍していたが 1992(平成4)年に夫の郷^治と死別後は一切の活動を停止して“伝説の歌手”になっている。
★アップテンポのマイナー調の楽曲を唄う森昌子は、ちょっと陰のある“いい女”のイメージ。黒っぽいドレスでアイシャドーも濃い目の森昌子がいるようです。そんな森昌子をステージでも観てみたい…。

(9) 
星影の小径
1950(昭和25)年/小畑実
●終戦から5年目、森昌子誕生の8年前の楽曲。焦土と化した日本に歌謡曲が明日の希望と復興への勇気を与えてくれた。同曲発売の翌年に第1回目のNHK「紅白歌合戦」開催。小畑実は 1942(昭和17)年の『湯島の白梅』で人気歌手となり、『勘太郎月夜唄』『薔薇を召しませ』『長崎のザボン売り』など次々にヒット。『星影の小径』は洗練された楽曲に甘い歌声を乗せたロマンチックな名曲で、多くの歌手が好んでカヴァーしている。
★森昌子は原曲のジャージーなスローナンバーを忠実に唄って素敵な余韻を広げ、アルバム最終曲にふさわしい仕上がりです。
(解説 スクワットやま)

 これを書いた後で、森昌子にこのアルバムについても訊いた。こう語っていた。…昭和歌謡曲やフォークの名曲100のリストアップから、私の思い入れ濃い9曲を選んで新アレンジで録音しました。どの歌もよく知っていて、よく唄っていた楽曲ばかりで、選ぶのが大変でした。“唄入れ”は考え過ぎると小細工が入りますから、ファアーストインプレッションを大事にした歌唱組み立てで、レコーディングも数回で仕上げました。偶然にも1曲目は母がよく唄っていた歌で、最終曲は父が大好きだった歌になりました。




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