北原ミレイ 『女友達』

『ざんげの値打ちもない』『石狩挽歌』から35周年シングル…

35周年に、女性の誰もがカラオケしたくなる秀作との出会い。
歌から歌へ、耳から耳へとヒット予感…
 

 何年かに突然、巷にヒットの輪を拡げる可能性を有した楽曲が誕生する。北原ミレイは歌手生活 35周年に、そんな素敵な楽曲に出逢った。
 女友達に恋を譲って…♪悲しみに乾杯!ミディアムテンポのバラードで、シャンソン・テイストの楽曲。ちょっとハスキーでコブシもビブラートもなしの“純・昭和歌謡”の味わい。カラオケ好きの女性なら、ドレス姿でピンスポットを浴びつつ唄ってみたい誘惑に、マイクを持つに違いない。そこに浮かぶのは、大人なのちょっとシャレたほろ苦いシーン。
「浜圭介さんが奥様(奥村チヨ)さんに書かれた『終着駅』のような曲を…とお願いしたんです。ジワッと上がってはスゥと下がる語りの妙を生かしたメロディーです。 35年間も唄い続けてきたからこそ、こうして淡々と唄えたのだ思います」
 昭和45年のデビュー曲『ざんげの値打ちもない』が大ヒット。 5年後に『石狩挽歌』大ヒット。阿久悠、なかにし礼の代表曲。
「デビュー曲は笑うな、喋るな、俯いて暗く唄え。昭和歌謡の華やかな全盛にあって、隠花も咲いていますよと『圭子の夢は夜ひらく』などのマイナーな歌にも脚光が浴びてのヒットでした。すでにポリープで割れていた声がいいと言う。術後、声が溢れるように出て、ニシン漁の荒廃した情景を歌った暗い『石狩挽歌』がヒット。でも世は中3トリオなどアイドル全盛期に入っていました」
 時代の影を唄った大ヒットを有したことで、以後の歌手人生はままならない。
「苦渋の時を経て、やがて与えられた歌ではなく、自分が唄いたい歌を求めて制作スタッフに参加。5年ほど前から、私の唄いたい楽曲になって来て、ついに巡り会ったのが、この曲です」
 自分の唄いたい歌を自ら求めるようになって、プロモーションや着物姿の演歌陣とは一線を画し“今の北原ミレイ”の種を蒔き、ファンを育てて来た。
「制作に加わってみれば世間も見える、売れなきゃダメというハングリー精神も生まれます。私いま元気、意欲満ちています」
 楽曲との出会いは決して偶然ではなかったのだ。カップリングは『 rf(リフレイン)ブルー』。これまた団塊世代のハートを揺さぶるに違いないバンドネオンの響きも懐かしいタンゴ。北原ミレイ…その名、その声、その歌唱に懐かしさを覚える団塊世代が今、この両曲にもろ手を上げて「待っていました」と飛びつく絵が見えてくる。懐メロ歌手から今、北原ミレイが時代のスポットライトを再び浴びそうだ…。

『女友達』
06年5月10日発売
作詞:たきのえいじ
作曲:浜圭介
編曲:若草恵


取材後の6月3日、松原健之君の取材で、彼が出演に横浜公園のイベントに行った。彼の他に二人の演歌歌手が出演していて、その一人が北原ミレイだった。『石狩挽歌』を唄いだしたら、ホームレス風酔客が「ババァになったなぁ」と言い、「お互い様よ。あたしは今年が35周年でまだ60歳前だが、兄さんはあたしよりずいぶんふけているねぇ。お幾つですぅ」とやり返していた。あぁ、そう言えば今年春の墨東花見ウォークをしていた時も、公園イベントに「日吉ミミ」と共に彼女の名があったなぁ、と思い出した。そのステージは観なかったが「あぁ、こういう所でも歌ってんだ」と思ったものだ。その後、NHK「歌謡コンサート」をはじめ他でもテレビ出演していて、その活動の巾の広いこと。ぜひヒットを再び!と願わずにいられない。

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