月刊「カラオケファン」
〜8月号(5月21日売り号)掲載〜
40周年の軌跡と円熟の展開
五木ひろし 俺の山河は…。

文:スクワットやま Squat Yame
第8回 古賀メロディーは特別なんです

[取材日記] 昨年の五木は取材する側にとっても“大忙し”だった。それほどに充実した一年だった。札幌で、レコード店で、そしてラジオ・キャンペーン。3月14日の55歳誕生日には横浜アリーナでコンサート、4月の美浜マラソン、5月明治座公演、6月は三宅島復興応援歌『望郷の詩』発表と船村徹・阿久悠と組んだアルバム『翔』リリース、7月御園座公演。その千穐楽直後に自身のレコード会社からクラシック・レーベル誕生発表会。8月に『逢えて…横浜』キャンぺーン、そして9月が日生劇場「古賀政男の不朽の名作を歌う」コンサート。
「僕は30代のころからこう思ってきたんです。いろいろな経験を積み重ねた50代に一番いい歌、仕事ができるとはず。その50代の真ん中、しかもラッキーナンバーが重なる55歳が最も輝いた年になるだりうと。さぁ、僕は走り出しますから、皆さんも息切れせずに付いてきて下さいよ」
 五木は、こうファンにメッセージしていたが、取材する側もヒィヒィ〜と音を上げた。日生劇場初日の前日、9月2日夕方からのランスルー(通し稽古)が公開取材になった。というワケでその日の朝は久し振りにのんびりしていたら、そうは問屋が卸さなかった。事務所から緊急指令の電話で叩き起こされた。
「今から社長が古賀先生のお墓に初日のご挨拶にうかがいます。駈けつけて下さい」
 ファックスから送り出された地図を片手にバイクに飛び乗った。異常冷夏だったが9月に入って遅れを取り戻すかのような灼熱残暑が続いていた。目的地は甲州街道の京王線・明大前駅近くの築地本願寺和田掘廟所。ひと足早く着いた私は、汗を拭いつつの墓地散策から、こんな知識を得た。築地本願寺は江戸時代初期に建立されて振袖火事で焼失。佃島の門徒が海を埋め立てて現在の築地に再建。今度は関東大震災で崩壊し、この和田掘に移転。一方、築地にはあのちょっと奇異な感もする古代インド洋式が建立された…と。
 五木には関係ない“うんちく”のようだがそうでもない。実は五木のお芝居の稽古場は、築地本願寺本堂の右側に建つ「第一伝道会館」奥の「振風道場」に決まっていて、お芝居関係者にはおなじみの名刹。
 さて、五木は到着すると古賀政男先生のお墓に直行。墓石に刻まれた文字は大響院釋正楽・享年73歳。五木はお墓の掃除をして香華を手向け、そして数珠を手に長い時間、合掌したままだった。

[古賀政男との出会い]…五木と古賀政男の直接的な出会いは『よこはま・たそがれ』から2年後の昭和48年12月31日、第15回日本レコード大賞の帝国劇場ステージだった。『夜空』の大賞発表と同時に会場は感動の坩堝と化した。五木の感涙。そして会場の誰もが苦労を重ねて這い上がってきた彼の栄冠を祝福した。涙にぐちゃぐちゃになった五木に、賞状とトロフィーを授与したのが同大会運営委員長の古賀政男だった。
「おめでとう」
 古賀の眼も濡れ、涙声だった。年が明けて間もなく古賀メロディー・アルバム制作の話が盛り上がった。同企画を快諾した古賀は五木のレコーディングに会った。
 日生劇場コンサート前の記者会見で、五木は29年前の同アルバムについて、こう振り返っていた。
「古賀メロディー・アルバムを制るというのは、歌手にとって憧れ、ステータスだったんです。僕たちの世代は古賀メロディーで育ち、古賀メロディーが弾きたくてギターを手にしたんです」
 そして五木の古賀オリジナル楽曲『浜昼顔』誕生秘話が、五木の著書「ふたつの影法師」に書かれている。
「アルバムの『花の白虎隊』には間奏に詩吟パートはあるんですが、先生は“五木君ここはこう歌うんですよ”と歌って下さった。そして当時のプロデューサー、山口洋子さんが先生に“ぜひ五木に曲を作って下さい”とお願いしたんです。そのころは専属作家制度があって他社所属の歌手にオリジナルを書けませんでしたが、コロムビアの管理楽曲ではなかった古賀メロディーと寺山修司作詞をもって誕生したのが『浜昼顔』でした」
 同曲は昭和49年7月1日発売のアルバムに先駈けた6月18日にリリース。山口百恵『ひと夏の経験』に肉薄する50万枚の大ヒット。翌50年12月に出版された五木著「涙と笑顔」に古賀政男は以下のメッセージを寄せている。
「彼に対してあれこれアドバイスすることはありません。すでにでき上がっていて、今さら何もいう必要はないでしょう。ぼくは彼のために、意表をついた今までにない曲を書いてみたいと思っています。そしてそれを恐れずどんどん歌ってほしいと思います。ぼくもやっと健康が回復しましたから、もう一度花を咲かせ、どんどん書いてあげたいですね。新しい曲を。彼は『浜昼顔』のふしのやわらかい感情を実によくとらえて歌ってくれた、若いのに本当にいいアーティストです。ぼくの余生を賭けてもいいとさえ思っています」。
 そこまで五木に意欲を燃やしていた古賀だったが、その3年後、昭和53年7月に逝ってしまった。

●…ながい合掌から顔を上げた五木は、周囲のスタッフにこう言った。
「名曲継承はいわゆるカヴァーなんですが、僕にとって古賀メロディーは特別なんです。子供時分から憧れ、そしてギターでメロディーに親しみ、先生の晩年にオリジナル『浜昼顔』をいただいた。ですから今回のコンサートは単なる名曲継承ではなく、ぼくも先生の作品世界の片隅に棲んでいる、そんな気持ちがあるんです」。
 五木は古賀政男のお墓に深々と頭を下げると同廟所に眠るもうひとりの偉大な先達、服部良一先生のお墓にも心をこめて合掌。五木の名曲継承はまだまだ続きそうです。


ITSUKI NOW  五木ひろし待望の芸能生活40周年記念シングル『アカシア挽歌/雪燃えて』6月2日リリースが決定です。2曲併記。両曲共に作詞は荒木とよひさ、作曲は弦哲也。『アカシア挽歌』は哀愁に満ちたメロディー、ロマンチックな詞。舞台は北の町、漂うは甘美な追憶…。ムーディ歌謡とひと言では片付けられない味わいがあります。その声その歌唱は紛れもなく“いぶし銀”で、ここに満ちているのは40周年ならではの“時”を経て醸し出される芳醇さ。その滋味、極めて濃厚です。大樹アカシアが放つ芳醇で甘美な香り、大きな優しさ、存在感にも注目です。
 一方『雪燃えて』は壮大なスケール感、ドラマチックな展開です。燃え上がる情念と冷徹な雪の原野風景が融合する妖しくも神秘的な情景が現出します。雪便りが届くころ、感度のサビフレーズを何度も聴きたくなってくること必至でしょう。 6月23日には同じく40周年記念アルバム2タイトルが発売決定です。『新宿駅から40年〜五木ひろしオリジナル40』『五木ひろしが歌う!“にっぽんの歌”40』。各CD3枚組、カセット2本組です。

<写真キャプション>
メインフォト 『浜昼顔』レコーディング時の寺山修司さんと古賀政男先生。両氏共に一世を風靡して今は故人…。
サブフォト 昨年9月の日生劇場初日前に古賀政男先生のお墓に香華を手向ける五木ひろし



Enka「扉」に戻る