月刊「カラオケファン」
〜7月号(4月21日売り号)掲載〜
40周年の軌跡と円熟の展開
五木ひろし 俺の山河は…。

文:スクワットやま Squat Yame
第7回『名曲継承は、かくして始まった。

取材日記]…五木は昨年9月の日生劇場「古賀政男の不朽の名作を歌う」を機に、あらためて自らの2大テーマが「新しい歌への挑戦と名曲継承」にあると再確認し、これを前面に打ち出した活動を展開している。新しい歌への挑戦といえば、最近では阿久悠・船村徹両巨匠と共に“歌謡曲の逆襲”を賭けて発表された作品群だろう。五木はその勝負曲『北物語』のプロモーション最初の地を北海道・札幌と決めた。昨年1月22日リリースの2日後、五木は札幌に飛んだ。千歳空港マイナス9>度。雪景色を車窓に札幌へ直行。最初の出演がSTVラジオ「喜瀬ひろしのときめきワイド」。喜瀬はこう口火を切った。
「夕方6時から、ここSTVホールで公開録音の新曲発表会です。この極寒の朝6時からもう熱心なファンの皆様が待っています。札幌をキャンペーン最初の地に選んだ理由をお聞かせ下さい」
 五木は言った。
「32年前、『よこはま・たそがれ』が最初に火のついたのが札幌でした。縁起の良い地から『北物語』のキャンペーンの口火を切りたかった。空港を出たらピリピリッと寒さが身にしみ込んで、なぜか懐かしさを感じました」
 歌手は誰でも最初のヒット曲誕生の状況、体験の数々を良く覚えているもの。我が歌手人生の成功原点ここにあり、と思うからだろう。改めて『よこはま・たそがれ』ブレイクの昭和46年の五木の動きを振り返ってみたい。そこからライフワーク“名曲継承”のそもそもも浮かび上がって来るに違いないだろうから…。
初ヒットの軌跡]…『よこはま・たそがれ』の発売は昭和56年3月1日。2月末から山口洋子、平尾昌晃を交えて横浜、川崎でキャンペーン開始。3月23日には故郷・福井でプロモーション。当時の状況が克明にレポートされている和田稔(福井新聞社)著「五木ひろし賛歌」(“五木ひろしの10年”として同紙連載文に加筆して出版された五木ひろし最初の本)によると、…県内レコード店10軒の最近1週間売れ行き第7位。この時すでに札幌の有線放送リクエストが1位に踊り出たと書かれている。3月26日付の福井新聞「ふくいのヒット・レコード」で10位。1週間後の4月2日付で『知床旅情』に代わって堂々の1位に躍進。追ってオリコンも1位になった。
 8月1日、福井市文化会館の歌謡ショーに出演した五木は、ここで8月20日発売の『長崎から船に乗って』をいち早く歌っている。9月3日付「ふくいヒット・レコード」で同曲9位。同紙では早くもNHK紅白歌合戦の下馬評に五木初出場確実と記していた。
 そして急きょ決まった9月25日の「日劇」初ワンマンショー。五木はファンクラブ誌に、当時を振り返って、こう語っている。
「ヒット曲が『よこはま・たそがれ』『長崎から船に乗って』2曲だけで1時間強のステージを1日3回1週間。“よこはま…”を1ステージで3回唄って、その間に歌謡曲の名曲を唄いました。でも僕の心配は選曲ではなく、果たしてお客さんが来てくれるのだろうか、楽屋に花が集まるのだろか、だったんです。惨めな気分はイヤですから、マネージャーに“花を買っておいて下さい”なんてことを頼んでいるんですね。で、初日は台風。あぁ、またも無残な結果に…と思っていたら、各界から花が続々と届いて、楽屋に入りきらない。開演前の舞台ソデから客席をのぞけば、三階の奥までドアが閉まらぬ超満員。今度は心配性の僕のこと、これは僕の歌を聴きに来てくださったお客さんではなく、僕の後に美空ひばりさんとかのステージがあるのでは…と。前座歌手時代の苦労がワッと甦って来ました」
 6日間の観客動員で新記録を達成。自著「涙と笑顔」では、こんな失敗も披露されている。
「リハーサルでオーケストラボックスにズズズゥ〜っと滑る感じで落ちちゃったんです。ドーンと落ちたり、セリに落ちていたら再起不能だったかも。本番では股旅姿で三度笠をポ〜ンと空中にハネ上げて調子よくミエをきる場で、あごひもが解けずにモタモタ。“斬られて死んでいる”役者さんが見かねてムックリ起きてきてひもを解いてくれたんです。ホッとひと安心したら、今度は合羽を脱ぐのを忘れ、また“死んでいる人”に取ってもらって、会場はヤンヤの大喝采。自分でも笑い出しちゃって…」
 そして同ステージで唄ったナツメロ、股旅もの楽曲を中心に2枚目のアルバム『股旅歌謡/流転』を11月1日にリリース。これが“名曲継承”の始まりだった。
再び取材日記]今から3年前、平成13年初夏。カラオケ誌記者としてテレビ局食堂の一画で五木を取材。彼は“えっ、記者はお前かよぅ”と意外な顔をしつつも、テーマ“新世紀に入って”の意気込みを語ってくれた。そして最後に久々にリリースしたばかりの股旅アルバム『雪の渡り鳥』(三波春夫さんの追悼3曲収録)について熱く語り出し…
「僕は『よこはま・たそがれ』の年に『股旅歌謡/流転』を出しているんだ。それまでの股旅と言えば東海林太郎さんから橋幸夫さんまで、やや平板な歌唱だったんですよ。そこでもっと男っぽく、もっと粋に、もっとノリの良く…と股旅名曲に肉薄していったんです。ですからあのころから僕のライバル歌手たちも“五木の股旅は認めるより他にない”と絶賛してくれたもんです」
 おそらく寝る間もないほどに忙しかったに違いないブレイク最中に、かくのごとく探求心を惜しまぬのが彼の真骨頂。こうして出発した彼の“名曲継承”だが、自らギターを弾き、作曲もするようになって次第に先達が残した譜面の細部のこだわりにも注目するようになって行った。そして今、彼はこう言う。
「譜面を見れば、半音ひとつに原作者のこだわりがわかるんです。だから名曲継承は原曲通りが鉄則です」
 名曲継承33年目の今年3月、その真摯な姿勢が認められて芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した。

ITHUKI NOW 
 3月16日、五木は文化庁の芸術選奨文部科学大臣賞(大衆芸能部門)を受賞。同賞は第54回目だが演歌歌手受賞は初。受賞理由は以下の通りでした。…自身の構成、演出による「五木ひろしライブコンサート」(日生劇場、平成15年9月)において日本の歌謡界に多大な業績を残した古賀政男作品に取り組み、創唱者に敬意を表す一方、自身の個性や持ち味を発揮し存在を強く印象付けた。大衆歌謡を原点に、伝統の継承と現代性を追求し実践。常に意欲的であり、精力的な活動を続けている…。
 五木は受賞の喜びを、こう語っている。
「芸能生活>40周年の節目の年に何よりのご褒美をいただきました。あらためて古賀先生に感謝し、先生も喜んで下さっているように思います。受賞は名曲継承だけではなく構成・演出、アコースティック奏者、歌い手の三つが評価されたようで、大いに励みになります。名曲は服部、吉田メロディーとまだまだ継承して行かなければならない遺産がたくさんありますから、今後も精進、努力を重ねて行きます。55歳が終わって2日後の受賞です。“55歳よく頑張りました。56歳の芸能生活40周年も頑張りなさい”と言われたようです」。

<キャプション>昭和46年9月25日の「日劇ワンマンショー」のポスター <NOWの写真はコンサート・ポスターで、そのキャプションは…> 芸術選奨文部科学大臣賞の受賞理由となったステージを目下継続中



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