月刊「カラオケファン」
〜6月号(3月21日売り号)掲載〜
40周年の軌跡と円熟の展開
五木ひろし 俺の山河は…。

文:スクワットやま Squat Yama
第6回 『よこはま・たそがれ』誕生

[取材日記]…五木ひろしの取材を約8年…。故郷・美浜を訪ねること8回をはじめ、この間に五木ひろし55歳の人生、芸能生活40周年の節目の地、人、逸話、楽曲に出会ってきた。今までの連載5回分もそうした取材日記をひもときつつ書いてきたが、五木ひろしの名付け親で、デビューから8年にわたって五木のプロデュース兼作詞家として辣腕を発揮した山口洋子と五木の“からみ”にはなかなか出会わなかった。
 しかし、山口洋子はその8年後から銀座のクラブ「姫」のオーナーマダムに併行しながら作家活動に入っていて、昭和59年に「プライベート・ライブ」で吉川英治文学新人賞、翌60年に「演歌の虫」「老梅」で第93回直木賞受賞。その後、病床にあったりリハビリ生活を余儀なくされるも作家活動を展開で、多数の著作に五木ひろしについて記している。
 片や五木も最初の自伝「涙と笑顔」は山口洋子プロデュース時代の本で、巻頭に氏の同題詩を載せている。平成3年、五木ひろしになって20年の年に出版された自著「渾身の愛」巻末にも「オマージュ」として「なみだ」と題された山口洋子の文章を掲載など氏との密接な関係が表明されていた。ちなみに、この「なみだ」は「私はあなたに三度、思いきり泣かされました」の書き出しで、一度目は『よこはま・たそがれ』が一位になったとき、二度目が『夜空』でレコード大賞受賞のとき、三度目がラスベガス公演の成功のとき…と記され、最後は「“永遠の歌の旅人”五木ひろしの行く手に光明あれ、と」で結ばれていた。
 だが、それから9年後の平成12年10月に出版された山口洋子著「生きていてよかった」を読むと「…何しろ彼は、私の名からいつも逃れたいと願っている歌い手なのだ」など五木への辛らつな記述があったりして、アララッと思ってしまう。五木はステージでデビュー当初の思い出を語れば“山口洋子先生”を語ることしきりなのだが…。
 どうしたのかしら…と胸をシクシクさせていた平成14年秋に、五木と山口洋子の“からみ仕事”がようやく巡ってきた。同年10月23日リリースのアルバム「五木ひろし〜作詞家『山口洋子』を歌う/作詞家生活35周年特別企画」に当って、事務所からこんな電話とファックスが入った。
「社長が山口洋子さんについていろいろ語っているインタビュー記事がありますから、これを参考に書いて下さい」
 そこには五木の山口洋子を師と仰ぐ熱き想いが記されていた。五木の心の広さや深さ、感謝する気持ちが充ちていて、シクシクしていた胸がほっこりとあたたかくなってきた。
[山口洋子との出会い]…全日本歌謡選手権に出場の五木を山口洋子は、こう見ていたという。
「ほかの出場者とまったく気迫が違っていました。彼が前にしたマイクが、まるでナイフのように感じられるほどに、真剣勝負の気迫が伝わってきました」
 五木の気迫と歌唱力に魅了された山口洋子は、五木が4週、5週と勝ち進む間に素早く動き出していた。遠藤実からミノルフォンレコードを引き継いだ徳間康快社長と懇意にしていた彼女は、徳間社長の有力新人探しにこう言った。
「何を言っているのですか、お宅の会社には三谷謙という素晴らしい歌手がいるじゃありませんか」
 山口洋子は、五木の10週勝ち抜きを待たず、所属をキックボクシングの野口ジムにし、ミノルフォンレコードで再プッシュ体制を固め、野口社長、徳間社長をそろえた席に五木を呼び出した。話はトントン拍子で進み、作曲は平尾昌晃に白羽の矢を立てた。そして平尾が山口洋子の詞から選んだのが『よこはま・たそがれ』。編曲は竜崎孝路。唄入れは2回のテイクでOK、20分足らずで終了した。
 新曲誕生を秘め、五木が10週目に唄ったのは、それまでの意地と誇りを賭けた『雨のヨコハ』。最も辛口批評と定評の淡谷のり子先生が絶賛した。
「今日の歌唱は、最高にすてきでしたよ」
 10週、約2ヵ月半の真剣勝負を闘い抜いた五木は、大阪の姉の家で二日間虚脱状態で、床から起き上がれなかったという。
 昭和46年3月1日、五木ひろし『よこはま・たそがれ』リリース。以来、五木は山口洋子のプロデュースの許、破竹の勢いでスターダムを上り詰めることになる。
…事務所よりファックス送信された資料を読むと、五木はこう語っていた。
「山口さんは、その頃から『新しい歌へのチャレンジと先人の遺した名曲の継承が貴方の使命です』とおっしゃっていた。また土の匂いのする抒情歌、和の叙情、ポップな歌謡曲…と、実にさまざまな歌で五木ひろしの可能性を引き出してくださった。“今度は五木ひろしに、こういう歌を唄わせよう、こんなことをさせてみよう”と、燃えるような情熱で全スタッフを引っ張ってくださった。ラスベガス公演を実現させたのも山口さんでした。『よこはま・たそがれ』から5、6年の間にやれることはすべてトライして来たように思います。今、僕が40周年を迎えられるのも、その時期の経験があるからこそです。同時に僕は、山口さんのプロデューサーとしての発想、手腕を学ばせていただいた。後に僕が自身をプロデュースし、さらに後輩歌手のプロデュースもするようになったのも山口さんのおかげです。僕のプロデューサーの師は山口洋子さんです」
 そして五木は芸能生活40周年の今も“新しい歌への挑戦と諸先輩方が遺した名曲継承”をテーマに掲げている。

ITHUKI NOW
 現在「スーパーライブコンサート2004」で全国ツアー中の五木は、その合間を縫って芸能生活>40周年記念シングル、記念アルバムを制作中。その後の活動で決定済は4月18日の「第16回美浜・五木ひろしマラソン」と、その前日に美浜町総合体育館で開催の「チャリティー・コンサート」。劇場公演は9月に明治座公演で、演目は5回目の再演「雨あがる」、11月は大阪・新歌舞伎座で「歌・舞・奏スペシャル」の予定。
 美浜マラソンの前日に行なわれる「チャリテー・コンサート」は、平成9年のタンカー重油被害の復興協力に端を発し、回を追って充実。当初は芸能人ランナー中心のゲストだったが、次第に豪華になっている。ちなみに昨年のゲストは後藤真希、藤本美貴、前田有紀、メロン記念日の4名、堀内孝雄、香西かおり、長山洋子。五木ならではが呼べる他では実現不可能なキャスティング。さて、今年のゲストは果たして?お楽しみです。

写真説明文
@『よこはま・たそがれ』レコーディングで山口洋子さん、平尾昌晃さんと…
A毎年、演歌・アイドル共の世代縦断コンサートが展開です



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