月刊「カラオケファン」
〜5月号(2月21日売り号)掲載〜
40周年の軌跡と円熟の展開
五木ひろし 俺の山河は…。

文:スクワットやま Squat Yame
第5回 全日本歌謡選手権に挑戦

[取材日記」 五木ひろしが自らのレコード会社「ファイブズエンタテインメント」を設立し、その旗揚げ記者発表をしたのが平成14年5月21日だった。音楽評論家・小西良太郎プロデュースで阿久悠作詞、船村徹作曲によるアルバム制作過程から生まれた『傘ん中』が、新会社の第1弾シングルとなって6月26日にリリース。翌27日、名古屋・御園座公演「歌・舞・奏スペシャル」千穐秋。五木は休む間もなく同曲プロモーションに動き出した。7月4日はラジオ・キャンペーン。局から局への移動にバイクを駆って追っかけ取材をした。
 TBSラジオ「平尾昌晃 マイソング・マイウエィ」収録。平尾昌晃は五木を抱きしめるように迎えた。御園座初日を明日に控えた5月31日に母・松山キクノの訃報。哀しみに耐え気丈に務めた一ヶ月公演…。平尾が五木の手を握りつつ述べるお悔みの真情は、周囲のスタッフにも伝わって胸を熱くさせた。収録本番。その冒頭の会話は…。
「あの頃、お母さまは50代で、五木ひろし当初の節目・節目には必ずいらっしゃいましたから、僕も思い出が尽きません。それにしてもあらためて芸人はつらいなぁ〜と思いました。お母さまが亡くなっても休演ままならず。御園座一ヶ月公演をしっかり務められました。でも、名古屋だったから…」
「…お通夜に駈けつけられた。ほかの地にいたら、それもかなわなかった。オフクロは最後まで僕のことを考えてくれたようです」
 悲しみを振り払いように、平尾は言った。
「さぁ、 20世紀最後の紅白歌合戦大トリの歌『山河』を聴かせて下さい」
 狭いスタジオに持ち込まれたキーボードの演奏に、五木も沈んだ気持ちを吹っ切るように唄い出した。DJマイクを前に、両の拳を固めて座ったままの大熱唱。間近で見守るスタッフの誰もに鳥肌が立った。平尾は次に『ひばりの佐渡情話』を要求。ほとんどア・カペラ。しっとりと情感満ちた歌唱は、ここが無機質なスタジオだということを忘れさせた。余韻を楽しみながら、平尾は言った。
「いいなぁ〜。ちゃんと“ひろしの佐渡情話”になっている」
 ここから同じく船村徹作曲の新曲『傘ん中』へ。進行もツボを得ている。数人が入れば、もう身動きもできぬ狭いスタジオにキーボード一つ。それで五木に次々とライブ熱唱をさせるなんてことができるのも平尾昌晃ならではだろう。収録を終えた二人は再び長い握手。彼らの胸には32年前の出会いがよみがえっていたようだった。
[平尾昌晃との出会い]…16歳で上京し、その数ヵ月後に早くもチャンスをつかんだ五木だったが、そこからが試練の始まりだった。デビュー2作目『恋の船頭さん』を遺して、恩師・上原げんと先生が急逝。無理をした浅草国際劇場ワンマンショー。このころから五木の夢は無残にしぼんでいった。家賃が払えない、食う金がない、パチンコの玉を拾う、質屋通い、テレビ局の食券を握りしめて歩き出す…。
 やがて五木は夜の新宿、銀座で弾き語りを始めた。酒と女と男の世界。夢と欲のはざまに奈落もある。生きる闘いに疲れ、すみかに戻れば傷を癒してくれる年上の女性もいた。瞬く間に過ぎた5年…。だが、こうした生活も五木には決して無駄ではなかった。少年は不純な部分を抱え込みことで大人になって行く。また大人の世界がそうして成り立っていることを知って、強靭さも身に付ける。“クラブの弾き語りで生きて行くのも悪くないかなぁ…”
 そう思い始めたころ、五木の心を激しく揺さぶった一本の電話。デビュー当初から目をかけてくれていた福井放送・奥野谷ディレクターが、耳元でこうささやいた。
「全日本歌謡選手権に出てみないか?」
 その日本テレビ系番組は再起を賭けたプロ歌手たちがアマチュアに混ざって審査を受ける過酷なもの。 1回に7名が出場して3名が次週へ。最終の 10週勝ち抜きで栄冠と再チャンスを掌中にする。もし素人に負ければ、プロ歌手であることを返上しなければならない。“さぁ、これであきらめて地道な人生を歩むがいい”。容赦ない審査員の辛口批評も評判を呼んでいた。夢をあきらめるか、再起に賭けるか…。悩み迷うこと2週間。五木はついに決断した。
「これでダメだったら、もう夢は見まい…」
 がけっぷちのエントリー。
 第1週目の会場は大阪・藤井寺市民会館。彼が選んだ曲は『噂の女』。クラブの弾き語りでイヤというほどに唄って来た楽曲だったが、五木の緊張はいかばかりだったか。カメラリハーサルを終えて本番待ちの会館喫茶店。彼は、目に入るすべての人が敵に見えた、と言う。鎧で身を固めたようにガチガチになっていた五木のテーブルにフラッと座った男がいた。かつて一世風靡したことをおくびにも出さず、ひょうひょうとした風情で世間話をし、風のように立ち去った男を見送りながら、五木はそれまで身構えていた緊張がスッと解けていくの感じた。そして迎えた本番。その男が言った。
「君ぃ〜、なかなかいい素質を持っているじゃないか…」
 ゲスト審査員平尾昌晃だった。
 2週目の会場は同じく大阪の豊中市民会館だった。兄の薦めた楽曲『目ン無い千鳥』で勝ち残り決定。その直後の同会館廊下で、五木はその後の歌手人生を左右することになる二人目の恩人に出会うことになる。その人はこう声を掛けてきた。
「あなたはプロだと聞きましたが、どこの会社ですか」
「はい、ミノルフォンです」
「お名前は?」

 「三谷謙です」
 五木の運命が、変わろうとする瞬間だった。ジッと五木の目を見つめたその人は、山口洋子だった。

ITHUKI NOW
 五木は目下「スーパーライブコンサート2004」の全国展開中。今年は芸能生活40周年で、ファンクラブ「五木倶楽部」が主催する記念イベントも多彩に計画されています。もしあなたが五木ファンなら、今が入会の絶好のチャンス。そこで「五木倶楽部」入会ガイド。入会金は3000円、会費は1ヶ月1250円。五木倶楽部の最大の特典は24頁の大充実会報「HIROSHI」が年4回に発行されること。そうです、当欄執筆の「スクワットやま」が入魂編集。他に2ヶ月に1回、最新スケジュール表も発送。倶楽部主催イベントも活発で、現在3月14日に東京・よみうりホール「オールリクエスト・コンサート」が、7月19・20日に軽井沢プリンスホテル「サマーディナーショー&ファンの集い」を、秋には行楽を兼ねたイベントを計画中。そのほか会員特典はさまざまありますが、特筆すべきは“五木の輪”を合言葉に会員同士が実に仲が良いことでしょう。入会と同時に五木ひろし応援の楽しさと友達の輪が一気に広がります。
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<写真説明文>
@全日本歌謡選手権で 10週勝ち抜きを決めたシーン。司会の長沢純さんにマイクを向けられたが感きわまって…
Aファン倶楽部主催のディナーショー風景




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