月刊「カラオケファン」連載 〜9月号(7月21日発売号)〜
40周年の軌跡と円熟の展開
五木ひろし 俺の山河は…。

文:スクワットやま   Squat Yama
第22回 大自然に響きわたる『山河』の感動

[取材日記] 5月21、22日。五木は自ら実行委員長を務める「GREEN EARTH 21in ASO」の野外ステージに立った。会場は熊本県の南阿蘇村、野外劇場「アスペクタ」。
 これは五木が2月4日に東京・霞ヶ関の環境省に小池百合子環境大臣を表敬訪問し、かねてより構想をねっていた自然環境保全を目的としたプロジェクト「 GREEN EARTH 21」の趣旨、具体展開案を説明して同省の後援を得た、その第1回目イベント。その具体案を簡単に説明すれば、五木が音楽仲間に呼びかけたチャリティー・コンサートの収益金をもって、植林や緑を育てるプロフェッショナルを育成しようというのもの。
 さて、この野外劇場は阿蘇山麓の大草原に巨大な野外ステージが設けられている。 21日は植樹会やエコツーリングで、22日がチャリティー・コンサート本番。朝から小雨降るなかでの公開リハーサル。その最中に観客が続々と集って、雨上がりの夕方の本番には約1万名。出演は熊本出身の八代亜紀、島津亜矢、コロッケ。そして岡本知高、中西圭三、堀内孝雄、華原朋美…と実力者揃いの豪華メンバー。このステージ演出は、元フジテレビ「夜のヒットスタジオ」プロデューサー・疋田拓だったこともあったのだろう、それは見事な構成・演出。ステージは会場を大感動に誘った。そして何よりも、夕暮れの南阿蘇の大草原に響き渡った五木の『山河』の感動は特別だった。
 ♪人は皆 山河に生まれ、抱かれ、挑み、
  人は皆 山河を信じ、和み、愛す〜
 阿蘇の雄大な山々に吸い込まれこだまする同曲は、この日のために作られたかの楽曲に感じられた。改めて“あぁ、素晴らしいオリジナルを持ったなぁ”と感心した。
 その1週間後の5月29日。五木は故郷・福井県三方郡美浜町の「第17回美浜・五木ひろしマラソン」会場にいた。全国からエントリーしたランナーは約3500名。五木は長女と“親子の部”で走ったが、表彰式後の野外ステージで再び『山河』を熱唱した。会場前は若狭の海、背には新緑の山々…。
 ♪愛する人の瞳に 愛する人の瞳に
  俺の山河は美しいかと。美しいかと〜
 この名曲が発売されたのは平成12年(2000年)4月26日だった。

[ 『山河』 誕生の日]  同曲のレコーディングは2月23日から26日に行われた。この時の五木は博多座 3月公演直前で連日「吉良の仁吉」舞台稽古を終えてレコーディング・スタジオ日参。音録りが終わって、唄入れは 26日だった。
 スタジオはいつもと違った緊張感に充ちていた。誰もが、またと出会えないだろう素晴らしい楽曲誕生の瞬間を待っていた。まずは昨日唄入れしたカップリング『旅に出てみよう』に再トライ。気になっていた部分があったのだろう、そのチェックを済ませて五木自ら OKを出した。
 そこに作曲・堀内孝雄が到着。スタジオに完成したばかりの『山河』カラオケがフルヴォリュームで流された。壮大なスケールのイントロ、哀愁を帯びた胡弓の音色…。静かで妙なるメロディーからダイナミックな盛り上がり。圧倒する演奏にミキサー室の全員からため息がこぼれた。五木が自らの緊張を解放するように、こう言った。
「女房がさぁ、“頑張って来て”って言うんだ。そんなこと、今までに一度もなかった。あぁ、早く唄いたいっ」
 五木はひとりマイクの前に立った。すでに自宅で数えきれぬほど聴き込み、唄ってきたのだろう。彼は一気に全編を唄った。演奏だけだった『山河』に一気に命が吹き込まれ、作品の全貌が圧倒する感動をもって迫って来た。目を閉じ、聴き入っていた全員の眼が輝き、絶賛の声が飛び交った。堀内孝雄がボソッと言った。
「今、気付いたんだけれどもさぁ…」
 数ヶ所のチェックで、テイクはたったの3回。スタジオに大拍手が沸き起こった。
 後日、堀内孝雄に作曲経緯を聞いた。
「僕が作曲をする前からウチの社長(現アップフロント・グループ会長・山ア直樹)と五木さんの間で、この曲の構想がねられていたんだ。その趣旨を伝えられていた小椋佳さんから、海外ファックスで詞がが届いた。その日、僕は静岡で撮影だったんだが、その詞から不思議にメロディーが浮かび、ギター持参で旅立った。僕はその日、憑かれたようにギターを弾き続けていた。カラオケ制作のキー合わせで、五木さんに会った。曲の気持ちを伝えたく“まず僕が唄ってもいいですか”と。大汗を流しながらの唄に、五木さんが大きくうなずいた。先日のレコーディングで、僕は五木さんの涙を見た。数回の唄入れで OKが出て、皆で聴き直していた時に、彼の目からポロッと涙がこぼれたのを見たんです。僕はかけがいのない仕事をしたまぁ、と思った」
 『山河』は20世紀最後のNHK紅白歌合戦の大トリとなり、21世紀への橋渡し楽曲になった。以来、同曲は五木の代表曲としてコンサートの度に唄われて来た。作詞の小椋佳も堀内孝雄も、それぞれのステージで『山河』を唄っている。
「僕の歌ということを超えて、幅広く広がって行く楽曲です」
 ♪ふと想う 悔いひとつなく
  悦びの山を 築けたろうか〜
 五木は55歳のバースディ・リサイタルで「あと10年は頑張ります」とメッセージした。彼は同曲の歌詞通り、自らの歌手人生を悔いなく、美しく築くべく、こころ新たに走り出したような気がしてならない。
 故郷への貢献・美浜マラソン。地球の緑を守り育成して行こうとする「GREEN EARTH 21」プロジェクト。さらに名曲の継承…。五木の活動は次第に社会性を帯びてきているように思われるのだが…。

ITSUKI NOW 五木ひろし&石川さゆり「ふたりのビッグショー」の制作発表が吉田正の命日、 6月10日に茨城県日立市の吉田正音楽記念館で行われた。
 これは一部が吉田メロディー、二部が互いのヒット曲という構成で9月1日NHKホールから30日 NHK大阪ホールまで全国14会場31ステージが行われるもの。昭和20年、30年代に多くのヒット曲を余に送り出した吉田メロディーの特徴は、シャレた大人の味。名曲継承に情熱を傾ける五木と石川が、それぞれの艶、色香で歌い継ぐ…。
 記者会見に臨んだ吉田夫人は「主人が五線譜に一曲一曲、夢を託して書いてきた姿を間近で見てきました。今回は紅白合戦で大トリを務めるお二人に唄っていただけるなんて、主人も夢のように感じているでしょう」 五木は「僕が最初に唄ったのは『リンゴ追分』ですが、プロ歌手を最も身近に感じたのは『潮来笠』はじめの5歳上の橋幸夫さんでした。橋さんの歌を通して吉田メロディーに親しんできました。また吉田先生と言えば、吉永小百合さんでもありますが、今回は石川“さゆり”さんと華やかに唄ってみたい」
 記者会見後に二人は吉田正の墓前に「しっかり継承して行きます」と報告した。

<キャプション>メイン写真『山河』レコーディングを終え、会心の笑顔の五木と堀内(写真提供:五木倶楽部)
サブ写真「ふたりのビッグショー」ツアーを吉田正墓前に報告した五木ひろしと石川さゆり。※文中の「吉田正」の「吉」は上が「士」ではなく「土」です。



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