月刊「カラオケファン」連載 〜8月号(6月21日発売号)〜
40周年の軌跡と円熟の展開
五木ひろし 俺の山河は…。

文:スクワットやま Squat Yama
第21回 構成・演出家 “松園明”という男 

[取材日記] …ゴールデンウィーク最後の5月8日、五木は東京近郊も八王子「そごう」屋上特設ステージで『ふりむけば日本海』キャンペーンのミニコンサート &握手会を実施した。会場は約800名。その大半がCD購入で握手会に参加。楽曲の良さに加え、こうした地道な活動の継続もあってのことだろう、同曲はオリコン演歌チャート2、3位を 10週キープ(原稿執筆時)で快進撃中…。
 そのステージで五木は、6月3日からの御園座公演を紹介しながら、こんなジョークで会場を笑わせていた。
「うちの会社で働いている女子社員が先日こう言うんだ。“社長、数年働いてきて五木さん関係の大事な方々にもお会いしてきましたが、コンサートの構成・演出をなさっている“松園明”さんには、まだ一度もお目にかかっていないんです。いったい、どんな方なんですか”ってね。ウフフッ…」
 熱心な五木ファンにはヤンヤの喝采だったが、会場の約半分はこのジョークがわからない。そう、何を隠そう“松園明”は、五木ひろしが構成・演出家になった時のペンネーム。この男が実はとても厳しいヤツで、五木に次々と過酷な指令を発するのだ。例えば…
「次は一人楽器演奏会のコーナーを設けます。20種以上の楽器に挑戦してください」
「じょんがら三味線の早弾きソロをしていただきます」
「2部のオープニングはベリーダンスです」
「次回ステージはトークなし40曲熱唱」
 松園明とは、いったいどんな男なのだろう。五木ひろしに聞いてみた。

[松園明の軌跡] 五木はこう語ってくれた。
「松園明が登場したのは今から20年前…。僕は昭和57年から劇場公演の芝居と歌のステージを昼夜別構成でやり始めたんです。そのうちに歌のステージの一方をプロの構成・演出家にお願いし、一方を自分でやるようになって“松園明”の名乗ったんです」
 本名の松山と松竹と新歌舞伎座の今は亡き創業者・松尾國三氏から“松”を、御園座から“園”を、明治座から“明”をいただいての命名とか。手許にある昭和 60年の明治座パンフを見ると、昼が“一本刀土俵入”で、夜が“上州土産百両首”。そして昼夜別の歌のステージ共に“松園明:構成・演出”になっている。
「そう、その夜の部が<艶“歌・舞・奏”>。「歌・舞・奏スペシャル」はその時から始まっているんだ」
 自身の歌のステージを自分で構成・演出するには良い悪いの両面があるという。他人に委ねれば、自分では考えもしなかったアイデアに出会って、それにチャレンジする楽しさがある。一方、自分で演出すればステージの自分を見ることができない。だが、五木には優秀なスタッフがいた。
「音楽面ではボブ佐久間と京建輔さん、美術は妹尾河童さん、日舞は花柳芳次郎さんが僕を支えてくださった。僕のやりたいこと、アイデアを具現化してくれる優秀なスタッフとのチームワークがあったのです」
 当時の劇場パンフには、松園明を支えた彼らの原稿が掲載されている。それら文の一部を要約紹介すると、妹尾河童は…
「真夜中に舞台の奈落からフルートの音色が聴こえた。お化けじゃないだろうが…と恐る恐る行ってみれば寸陰を惜しんで練習する五木さんだった。五木さんにそう指示を出したのも、舞台デザインに的確な注文を出すのも松園さんだった」
 花柳芳次郎は
「同じスタッフが長年関わり続けているとマンネリに陥り易いが、松園さんは常に新しい工夫をもってくるから、我々スタッフも緊張し、新たな発見をする」
 京建輔は
「歌あり舞あり楽器演奏ありという三つのエンタテインメントを一人でやり遂げるエンターテイナーは五木ひろしさんの他には存在せず、松園明はそのすべてを熟知している」
 ボブ佐久間は
「例えば『夜空』。劇場用、コンサート用、ディナーショー用、ある時はダンスナンバーに、クラシカルに、ロック調に…と一体どれだけの編曲をしてきただろう。ついに私の“引き出し”は底をついたが、松園明の貯水湖には満々の水が溢れている。二人の戦いは限りなく続く…」
 再び五木は語る。
「そうしているうちに、松園明が本当に育っちゃった。皆が松園のどこを認めてくれたかと言えば、彼は五木ひろしに一切の妥協をしなかったからなんだ。普通、本人が構成・演出をするっていうのは、苦労せず楽をしたいからなんだが、彼は“エッ、そんなことまで五木ひろしにさせるの”という闘いに常に挑んでいるんだ」
 かくして凄腕となった松園明は、五木ひろしの構成・演出の枠を飛び出すこともまま。高橋英樹の新高輪プリンスホテルのディナーショー、田川寿美の新宿コマ劇場の構成・演出も彼の仕事だった。そして昨春の芸術選奨文部科学大臣賞の受賞は、その前年秋の日生劇場コンサート(古賀政男作品の継承)の自身による構成・演出も高く評価されてのことだった。
「そんなことから舞い込んで来たのが、今春全国9会場ツアー展開の“美しき日々・コンサート”の構成・演出です。日韓のアーティスト、映像、俳優、オーケストラ、監督が一堂に会してのプロジェクト。ドラマや各アーティストの音楽・映像を観る、聴きまくっての 2部構成・演出。僕のステージなら主スタッフ10名と打ち合わせればいいのだが、ここでは打合わせを召集すると 40名余が集まる大所帯。結果は初日の記者会見に同席のイ・ジャンス監督から“パーフェクト”の賞賛をいただいた。後でボブ佐久間より“寄り合い所帯でまとまりがなかったが、五木ひろしの構成・演出で一気に統率感とチームワークが生まれた”と報告されました」
 松園明(五木ひろし)の構成・演出・プロデュースの仕事は今後さらに幅を広げそうだ。

ITSUKI NOW 61日、アルバム『永遠の道標 五木ひろし「美空ひばり」を歌う』がリリースされた。
 4、5歳で初めて唄った歌が『リンゴ追分』だった五木にとって、美空ひばりは歌い手として常に“道標”だったと言う。今年は美空ひばりの 17回忌。“自らの男性ファルセットでひばりさんの歌に挑戦するには今をおいて他になし”とばかりにコロムビアMEに許可を求めて、門外不出の楽曲群の扉が初めて開らかれた。
 加藤和也がスーパーバイザーとして参加。五木が選曲した12曲は数え切れぬほど唄ってきただろう『リンゴ追分』や『悲しい酒』。そして五木ファルセットが聴きどころの『哀愁波止場』『ひばりの佐渡情話』『みだれ髪』。加藤和也の父、かとう哲也作曲の『人生一路』、五木の恩師・上原げんと作曲の『港町十三番地』、遠藤実メロディー『哀愁出船』。他に『真赤な太陽』『ある女の詩』『愛 燦燦』『川の流れのように』。
「ひばりさんの思い出と感謝の気持ちを込め、入念に喉の調子を整えて少しでも近づけるように頑張りました」
“継承と挑戦”を二大テーマに歩んで来た41年の歌手人生だが、その両テーマに同時に挑んだ究極のアルバム。演歌・歌謡曲ファン必聴盤と言えよう。

メイン写真「美しき日々・コンサート」の構成・演出中の五木ひろし
サブ写真(下)五木ひろしが美空ひばり12楽曲に挑戦した話題アルバムのジャケット



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