月刊「カラオケファン」連載 〜7月号(5月21日発売号)〜
40周年の軌跡と円熟の展開
五木ひろし 俺の山河は…。


文:スクワットやま Squat Yama
第20回 「美浜・五木ひろしマラソン」小史

[取材日記] …本誌発行の一週間後は、五木の故郷・福井県で「第17回美浜・五木ひろしマラソン」が開催される。
 昨年の同マラソン前日は昼に五木のワンマンステージ「芸能生活40周年記念スーパーライブ2004」が、夜には恒例の多彩なゲストを招いた「チャリティー・コンサート」が行なわれた。初のダブル・ステージで、美浜町はかつてなく盛り上がった。ちなみに夜のゲストは、ここ数年続いたハロープロジェクトのアイドル陣に替わって因幡晃、杉田二郎、湯原昌幸、山本譲二、石原詢子、テツ &トモ、つんく♂、美浜出身の野球解説者・川藤幸三。マラソンには間寛平と、前年の24時間チャリティー番組で110qを完走した山田花子が参加。五木は親子マラソンの部に、 9歳になった長女と出場した。
 五木のファンクラブ員も全国各地からツアーや個人で美浜に続々と集結。二つのコンサートを楽しんだ後は、宿で若狭の味覚を堪能する大宴会。翌日はマラソン出場の五木親子とゲスト・ランナーを応援し、風光明媚な美浜を散策。表彰式後のミニコンサートを楽しんだ後は、これまた恒例、若狭土産をいっぱい買い込みつつの帰路。
 ファンクラブ員の行動をなぜ紹介したかと言えば、北海道から熊本…と全国からエントリーのランナーと応援の家族たち、ゲスト・ランナーや歌手たち、さらに東京からの報道陣もほぼ同じような行動で、美浜を堪能したに違いなく、実はそうした町の PRこそが、このマラソン大会の主目的なのだから…。

[マラソン大会小史] …ここで五木に「美浜・五木ひろしマラソン」をついて語ってもらおう。
「そもそもは平成元年の僕の結婚を記念し、美浜町の“町おこし”イベントとしてスタートしたんです。開催日も地元・美浜での結婚披露宴の翌日、 6月18日でした。このスポーツ・イベントを通して、美浜町の素晴らしさを全国の皆様にいかに知っていただくか。そのためにマスコミにも注目していただけるよう、当初から多彩なゲストを招いて開催しました。第8回目まで上岡龍太郎さん、間寛平さん、高石ともやさん、そのまんま東さんはじめの芸能人ランナーに集っていただいて、僕も5 kmの部に出場。ベストタイムが28分で、25分をなんとか切りたくて一ヶ月前からジョギングをしたりして大会に臨んだものです」
 第8回目で、早くも約6400名のランナーが全国各地から参加。最も風光明媚なコースの市民マラソンとして全国的な存在になった。同大会には福井県知事も必ず挨拶に立つなど、県を代表するビッグイベントに成長。
 そして平成9年の第9回大会から、同年に若狭湾沿岸を襲った重油禍を機に、災害復興や福祉を応援するチャリティー・コンサートを前夜祭として開催。この時、最も被害が大きかったのは石川県寄りの三国町で、重油除去に全国から集まったボランティアはのべ 27万人。美浜町でもドラム缶1万8千本、土嚢袋2万個分の重油を回収。
 この大勢のボランティアのなかには、2年前の阪神大震災から慰問と復興チャリティー・コンサートを続けている五木と高石ともやへのお返しボランティアとして阪神地区からの参加者が多かったとか。
 五木は重油流失事故の直後に義援金を寄付し、さらにチャリティー・コンサートで応援体制を整えた。当日は三国町の人々もバスで会場にかけつけるなど、ボランティアから人々のあたたかい交流も生まれた。この日のゲストは角川博、高石ともや、牧村三枝子、岩崎ひろみ他。
 そして第1回記念に親子マラソンの部を新設。
「第1回目の時に産まれたばかりの長男を見つつ、あぁ、いつか子供たちとも走ってみたいなぁ、と思っていて、早いものでアッいう間に 10歳、小学年になっての夢実現でした。長男と2キロを走りました」
 第12回からは前夜祭コンサートとマラソン・ゲストにモーニング娘。の保田圭、中澤裕子、前田有紀らが参加。コンサート・ステージはアイドルと演歌歌手、会場も 10代から年配者までが一堂に会して、最近では見ることもできない全世代一緒に歌謡曲を楽しむという、かつての歌謡曲がそうだったに違いない貴重な光景を展開。音楽のジャンル分けが進むなか、美浜に唯一、音楽シーンはかくあるべき、とも言いたくなる素晴らしい雰囲気が現出した。アイドルたちに大声援を送る少年たち、フォークやニューミュージック、そして演歌・歌謡曲ファンの中高年層がここでは和気あいあいで盛り上がるほほえましくも稀有なシーンが毎年展開されるようになった。
「第13回には、ソロデビューしたばかりの松浦亜弥ちゃんが来てくれて、その年の紅白歌合戦に初出場したんです。それから美浜マラソンのチャリティー・コンサートは縁起がいいってことになって…」
 以来、ハロープロジェクトのメンバーが次々に参加。 かくして迎える第17回大会だが、残念ながら昨年 8月に美浜原発事故が起きた。美浜町民は電力会社に不安と怒りぶつけた。五木と共に過去 16年にわたってコツコツと築いてきた“町おこし”の成果が、これで崩れる無念さはいかばかりだったろう。さすがの五木も…
「もう、これで大会は中止かな、と思っていたんです。でも町はこんな時にこそ“美浜は元気です”をアピールしたいんですと熱心に要請してきた。振り返れば、ここまで続いてきたのは“わが町から五木ひろしが出た”という町の誇りと、僕の故郷への思いが互いに強かったからなんです。その気持ちが互いにあるのなら、また最初から歩み出せばいいじゃないか、と思いました。そこで当初のマラソンだけという原点に戻っての開催です。ここまで続いてきたんです。どうせなら第 20回までは続けたい。皆様もこれを機会に、ぜひ美浜の美しい自然や味覚をご堪能にいらして下さい」
 とメッセージ。

ITSUKI NOW 6月3日から27日まで御園座公演。劇場公演は歌謡ショーだけの「歌・舞・奏スペシャル」が新歌舞伎座であったため、お芝居は昨年 9月明治座の「雨あがる」以来の8ヶ月振り。役者・五木ファンに待望の演目は「朝の雪」。
 これは昨年末『雪燃えて』が、NHK金曜ドラマ「最後の忠臣蔵」主題歌になったが、これと同じく「忠臣蔵」四十七士のなかで唯一生き延びることになった寺坂吉右衛門を主人公にした物語。 金曜ドラマは池宮彰一郎原作「四十七人目の浪士」だったが、御園座の芝居は昭和 46年12月にNHK舞台劇として上梓された原作・郷田悳「南部坂後日」。大石内蔵助の命により、南部坂の浅野内匠頭正室・瑶泉院のもとを秘かに訪ねる吉右衛門…。
 この時の吉右衛門を長谷川一夫、瑶泉院を淡島千景、戸田局を三益愛子という錚々たる俳優が演じていた。長谷川一夫から二枚目の演技を学んだ五木のこと、師の恩返しとなる渾身の舞台を見せてくれるだろうと、早くも期待が高まっている。

メイン写真 昨年の「美浜・五木ひろしマラソン」で疾走の五木(サングラスにブルーのシャツ)
サブ写真 御園座六月公演チラシには、寺坂吉右衛門に扮した五木が…


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