月刊「カラオケファン」連載 〜5月号(3月21日発売号)〜
40周年の軌跡と円熟の展開
五木ひろし 俺の山河は…。

文:スクワットやま  Squat Yama
第18回 新曲『ふりむけば日本海』
 

[取材日記] …今年最初のインタビューは1月19日だった。五木はこう切り出した。
「五木ひろし『よこはま・たそがれ』から 35年目の今年、偶然だがその原点に立ち戻る状況になっているんです。昨年秋に正月番組の収録で、五木寛之先生とご一緒して…」
 五木の芸名は作家・五木寛之から…は周知の通りだが、二人はなんと 35年目の邂逅で、これも巡り合わせの妙。番組で出会った二人が積もり積もった互いの想いをぶつけ合えば“一緒に歌を作りましょう”と盛り上がるのも自明だったのだろう。
「11月の新歌舞伎座の最中のこと。僕はホテルに持ち込んでいるキーボードで作曲しました。まずは原点、『よこはま・たそがれ』と同じく三連符と決まって、メロディーは流れるようにスゥ〜っとできた。それに五木先生が詞を乗せて下さった。千穐楽前日に先生が突然見えて“どうでしたか”と。この言葉ならメロディーもこう変えてと始まって、先生はレコーディング・スタジオに5回も来て下さった。二人で創り上げた楽曲です」
 流れるようなテンポとメロディーに情景が浮かんで来る。
 ♪なぜに こうまで 意地を通すのか 時代に背をむけて〜
 五木ひろしが原点の三連符なら、その詞も作家・五木の原点をふりかえるよう。全編、青年のリリシズムが漂っている。五木寛之は「第二のふるさとは金沢」と言う。業界紙記者や作詞などさまざまな職を転々とし、 60年代の刺激的なカルチャーに背を向けて東京から日本海の街・金沢で“人生を降りた男たち”の物語を書き始めた。
 35年目の出会いが、それぞれの原点・青年時代に誘ったのだろう。作家・五木は昭和 41年『さらばモスクワ愚連隊』の文壇デビューと同時に空前の人気作家になった。飛行機や新幹線、タクシーの移動中、さらには歩きながらも原稿を書き、そうした全作品が若者を熱狂させた。まさに時代の寵児。
 五木ひろしは、作家・五木デビューの5年後、「全日本歌謡選手権」に三谷謙の名で背水の陣で挑んでいた。その才能に惚れた山口洋子のプロデュースで、彼は五木ひろしの芸名、『よこはま・たそがれ』でひのき舞台に躍り出た。
「山口さんは当時、野球選手や作家が集う銀座のクラブ“姫”のオーナー・ママで、その関係で当時の人気作家、五木寛之さんと生島治郎さんにあやかって“歌のベストセラー歌手”を目指すべく“五木治郎”と命名されたんです。共に二人は昭和 46年の直木賞受賞で人気絶頂。でも他のレコード会社に“五木四郎”さんがいてまぎらわしい。“いいツキがヒロシ”で五木ひろしになったんです」
 そう山口洋子さんから聞かされていた五木だったが、昨年秋の邂逅で…
「芸名の件は山口洋子さんか、彼女の文学の師・近藤啓太郎さんからか、逐一報告があって、僕の名を差し上げたことになっているんです」
 と歌手・五木は作家・五木から初めて名付けの裏のエピソードを聞いた。そのころ作家・五木は金沢から横浜に移住していて、彼は巷に流れる『よこはま・たそがれ』を聴く。以来、二人は互いに名を間違われる体験多々。
「ラジオの仕事で地方都市に行った時でした。色紙を持った青年がサインをして下さいと。で“五木ひろし よこはま・たそhがれ”と書きますと“あっ、新しい小説のタイトルですね”と言う。 NHK紅白歌合戦で山川アナが五木寛之と言って慌てて言い直したこともありました」。
 一方、作家・五木も講演会などに“五木ひろし”と書かれるなどのエピソードも持つ。作家・五木は、時代の表皮にこだわった流行作家ゆえに、時の流れと共に消える宿命を持ちながら、何度か休筆をしながらも骨太の長編作歌に変貌した。歌手・五木も文字通り“流行歌手”ながら 35年間トップランナーとして走り続けてきた。
「互いにそれぞれの世界で頑張ってきたからこそ 35年を経て会えたのです。だからこそ価値大の出会い。それぞれの代表曲になるような楽曲を創りましょう、と気合も入ります。僕ならではのメロディーと歌唱、そして五木先生ならではの詞。タイトルだけでも、先生の世界がどこか感じられるでしょう」
 かくして生まれた『ふりむけば日本海』。歌手・五木には若狭の海があり、作家・五木には金沢・内灘の海がある。春夏には穏やかな海も、冬になると吼えだす。街をも荒涼にする。そんな日本海を胸に抱いた二人が、それを今ふたたび確認し合ったのがこの新曲なのだろう。さらに五木はこう語る。
「先生は72歳、僕は56歳。でもまだまだ互いに燃えるようなパッションを胸に秘めている。50周年への第一歩が、この原点に立ち戻った作品で走り出せるなんて、なんと素晴らしいことだろう、と思っています」
 楽曲が原点なら、プロモーションもまたかつての歌謡曲がそうだったように、作家と歌手が手を携えてジックリ取り組んで売って行こう、と二人は約束し合っていると言う。五木の脳裏には『よこはま・たそがれ』のころ、作詞・山口洋子、作曲・平尾昌晃と共に横浜・伊勢崎町を繰り返しキャンペーンした懐かしいシーンが甦っているのだろう。
 『ふりむけば日本海』はダブル五木によるマルチでロング・プロモーションが展開されそう。今年を代表する息の長いヒット曲になりそうだ。

ITSUKI NOW  2月4日、五木は東京・霞ヶ関の環境省に小池百合子環境大臣を表敬訪問し、自然環境保全を目的にしたプロジェクト「 Green Earth21」の構想および具体展開案の説明をした。
 同プロジェクトの実行委員会会長の元総理大臣・海部俊樹と共に大臣室を訪ねた五木は同実行委員長。五木は構想と具体展開案をこう報告した。
「私は自然豊かな福井県育ちだが東京に出て来て40年です。その間に日本、アジアの緑は少なくなって来た。今は3人の子の父親です。人類の財産“地球の緑”を次世代に遺すべく長年考えて来た構想が固まりました。私は歌手ですから音楽仲間と共にチャリティーコンサートを開催し、集まった資金で植林や山を管理するプロフェッショナルを育成したい。今年は 5月21〜22日に南阿蘇村の熊本県野外劇場“アスペクタ”でコンサートを行います」
 出演は八代亜紀、島津亜矢、堀内孝雄、岡本知高、華原朋美他。次年度からはモンゴル、韓国、中国開催を予定…と発表。<メイン写真キャプション>ジャケット写真<サブ写真キャプション>「 Green Earth21」構想と具体案を小池環境大臣に報告した五木委員長と海部委員会会長



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