月刊「カラオケファン」連載
〜1月号(11月21日発売)〜
40周年の軌跡と円熟の展開〜
五木ひろし 俺の山河は…。

文:スクワットやま  Squat Yame
第14回 阿久悠とともに“歌謡曲の逆襲”

[取材日記] …平成14年5月21日、都内ホテルで潟tァイブズエンタテインメント設立および第1作『傘ん中』発表の旗揚げ記者発表が行なわれた。船村徹が…
「五木さんの旗揚げ、阿久悠との初組み合わせという二重のプレッシャーを感じつつ、アルバム『55才のダンディズム“翔”』の制作に入っています」
 と言えば、阿久悠は…
「五木さんが10週勝ち抜いた“全日本歌謡選手権”とは違った番組を作ろうと“スター誕生”を始めた。吉田正、船村徹、美空ひばりさんのような歌は書くまい、作るまいを信条に35年です。敬意を払いつつ背中合わせで歩いて来たが、クルッと向き直れば意外に近い場所に船村さんがいた。一方、五木さんには昭和57年に『愛しつづけるボレロ』『契り』『居酒屋』を書いたが、ここ最近は書いていませんから新鮮な気持ちで挑戦です。今は子供たちの歌(J−POP)全盛で、大人の歌はやっぱりいいなぁ〜、うまいなぁ〜、大人の恋愛はチャーミングだなぁ〜、と教えてやらなければいけないと思っています。大人の風が吹かない社会は成熟を忘れています。五木さんの新会社には“大人の風の気配”を感じます。このシングル、アルバムが新しい風になれればと思っています」。
 それから6ヵ月後の11月24日、第35回日本作詩大賞」審査会場の大賞受賞ステージに五木と阿久悠が立っていた。阿久は…
「五木さんとは『契り』と『港の五番町』に次いで三度目の受賞です。若者一辺倒の音楽シーンに、なんとしてでも歌謡曲の逆襲をなしとげたい…」。
 翌12月、NHK「公演通りで会いましょう」にウィクリー出演していた阿久悠は、22日のゲストに五木を呼んだ。
「僕の日記帳をひも解きつつ、この1週間の番組を始めています。今日は11月24日の日記を開きます。そこにこう書いています。…10時55分伊東発「スーパー踊り子号」に乗って東京へ。同夜、天王洲スタジオで“第35回作詩大賞”授賞式に出席。この日、僕はこんな歌を詠んでいます。“賞を手に 歌謡曲の逆襲と ほんの一言 口にしており”。当日の受賞インタビューに“達人が作曲し、名人が唄ったのだから良く聴こえるはず”と感謝を込めて言いましたが、実は僕の想いは“歌謡曲の逆襲”をしたかったんです」。
 しばらく耳を傾けてみよう。
「ここしばらく僕たちは、唄う人・創る人共に歌謡曲のプロって凄い!と言うのを見せつけて来なかったのではないだろうか。誰にも真似が出来ない、これぞプロ!という方が何人かいて、その人達が“プロって凄い!”ということを人々に再認識させる仕事を今こそやるべきだと思うのです」
 アルバム・レコーディング中のスタジオで筆者の質問に応えた小西良太郎プロデューサーの言葉を思い出した。
「今の音楽シーンはJ−POPと演歌に二極分化され、その真ん中に本来の歌謡曲が埋没している。しかしここに来てJ−POPがサウンド、リズムに偏り過ぎて、メロディーが痩せ衰え、詞は未成熟のままだから、結果的にどの曲も似たり寄ったり状態で衰退し始めて来た。今こそ本来の歌謡曲の出番。好機到来。そろそろメインの座をJ−POPから歌謡曲に返していただく時です」
 阿久と同じ理念。ふたたび「公園通り…」の五木と阿久に戻ってみよう。
阿久 五木さんはそもそも敵側にいた(爆笑)
五木 僕は五木ひろしデビューから数年、山口洋子さんの詩とプロデュースで走り出していて、その反対側(笑い)にいつも阿久さんの詩を唄われる歌手たちがズラ〜ッといた。年末各賞は、普通だと競合歌手と闘うものですが、僕の場合は阿久さんの詩の世界との闘いだった。これはもう生涯の敵(笑い)と思い込んだものですが、80年代に入って阿久さんからいただいた詩でリリースするようになった。今まで闘い挑む相手として阿久さんの詩を見ていましたから、その詩の良さは実によくわかるんです」(爆笑)
阿久 僕は歌謡曲って凄く大きなモンスターみたいだと思っています。その時代の世界中のいいもの…ジャズ、タンゴ、シャンソン、ロックンロールとすべてを呑み込んで、日本ならではの歌謡曲という独自の歌を作り上げて来た。世界中の音楽で、こんなにスケールの大きなものはないんです。日本が明治維新に西洋文化を貪欲に吸収して数年で近代国家に変わったのと似ています。それでいて遺すべき伝統、風土は失うことなく大切にしている。こうした歴史と特性を有する歌謡曲を、変にジャンル分けしたら先が狭まってしまう。
五木 同感です。僕が阿久さんと闘っていた時代にはジャンルの枠がなかった。子供からお年寄りまで流行歌、歌謡曲だった。美空ひばりさんは“歌謡曲の女王”だったが、いつの間に“演歌の五木ひろし”になっちゃった。日本文化を大事にしつつ、世界のいいものを贅沢に貪欲に吸収して来た音楽、それが歌謡曲でいいと思うのですが…。そういう時代をまた創って行こうという趣旨を込めて“歌謡曲の逆襲”ですね
● …ニューミュージック全盛期の昭和57年に阿久悠と『愛し続けるボレロ』『契り』『居酒屋』を放ち、そして今、音楽シーンを席巻してきたJ−POPに翳りが見えた今年の9月1日発売のアルバム『おんなの絵本』に至るまで、かくして“歌謡曲の逆襲”は脈々と続いている。同アルバムは作詞家8名、作曲家8名、アレンジャー10名。「五木ひろしを意識せず自由に書いてもらった」と小西プロデューサー。多彩さが特徴のアルバムだが、実は歌謡曲本来の貪欲さと自由を奪回しようとする果敢な挑戦でもある。五木ひろしの40年は、まさに闘いの連続だ。 ※なお、『おんなの絵本』は第46回日本レコード大賞・ベストアルバム賞受賞が決定しています。

ITSUKI NOW
 円熟の展開…とサブタイトルが付いた当連載だが、諸活動のみならずリリースも怒涛のごとし。月刊ではタイムリーにフォローするのもままならず、というワケで告知洩れ作品の紹介。10月27日にアルバム『哀愁の吉田メロディを歌う』と『2004五木ひろし全曲集』を同時リリース。「古賀政男の不朽の名作を歌う」と題した日生劇場コンサートで芸術選奨受賞の際のインタビューで、五木はこう答えていた。
「受賞で日本の素晴らしい先人作家の作品を継承して行こうという気持ちに弾みがついた。今後は服部良一メロディー、吉田正メロディーにも取り組んで行きたい」
 有言実行の五木ならではの早々の実現。五木はすでに平成9年10月に吉田正作曲生活50周年特別企画として作品集『有楽町で逢いましょう』をリリースしているが、氏は翌10年6月10日に永眠。7月の御園座公演のビッグショーで“追悼コーナー”も設けていた。継承は繰り返し行なうが肝心。そして現在展開中のオリジナル20曲、歌謡史を彩った名曲20曲の計40曲披露の大阪・新歌舞伎座公演は28日に千穐楽を迎える。


<写真キャプション>
平成14年5月、ファイブズEの旗揚げ記者発表会の阿久悠、五木ひろし、船村徹
10月27日リリースのアルバム『哀愁の吉田メロディを歌う』



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