月刊「カラオケファン」連載
〜12月号(10月21日売り号)掲載〜
40周年の軌跡と円熟の展開
五木ひろし 俺の山河は…。

文:スクワットやま  Squat Yama
第13回 極上の休日、ハワイ暮らし

[取材日記] …今年8月13日、五木は5年振り、6回目のハワイ・コンサートを行なった。今回は初のディナーショーで、会場はシェラトンホテル・ワイキキ。ミュージシャンは日本から8名、現地から12名、計20名の大編成。オープニングの『夜空』から、会場は「ヒロシィ〜!」の大声援が飛び交った。五木は…
「ハワイに来る度にどんどん友達が増えて、今やすっかり第二の故郷です。1週間前にハワイに着いて、ゴルフ仲間とワイアエラCCでプレイをしましたが、その際に“冬のソナタ”がハワイでも大人気とか。さっそく東京に電話して主題歌の譜面を用意させました」
 歌いながら各テーブルをまわるコーナーでは、五木の頬にチュゥをする方が続出し、日本より数倍の熱狂シーンが展開。無理もない、5年前のコンサートから一日も早く次回開催を、と要請されながらNYテロの影響でやっと実現。待ち焦がれていたのだ。
 見て来たような事を書き…とお思いでしょうが、ステージ制作のスタッフに取材し、ライブ収録のMDも入手。これでまぁ、同行取材した気分でファン倶楽部会報に長文レポートをしたためた。
 ちなみに五木の同ディナーショーのチケット代は100〜150ドルでハワイ一高額。5年前のNBCホールでの2日間コンサートもマイケル・ジャクソンと同料金の75ドル。ハワイでも人気、料金共にナンバーワン・アーティストだが、五木のエライところは利益のほとんどをチャリティー。今回も日系の方々が建てた病院、長女が産まれた病院、ホノルル市に各1万ドルを寄付。5年前は確か計4万ドル寄金だった。五木のハワイへの愛は、いわゆる芸能人のハワイ好きとはレベルもスケールもちょっと違う。

[五木のハワイ物語] …五木の初ハワイは“五木ひろし”になって3年目の昭和48年だった。母と二人の姉、スタッフと共に4泊6日。五木は毎朝「さぁ、ビーチに行こうよぉ」と各部屋を起こしてまわるほど楽しんだという。彼の書「渾身の愛」にはホノルル空港で歓迎のレイに埋もれそうな母・キクノを抱き上げる五木のはしゃいだ写真が掲載されている。苦労して掴んだスターならではのぜいたくを掌中にし、溢れんばかりの五木の笑顔がある。
 以来、五木は毎年ハワイ旅行を恒例化。それから7年後の昭和55年9月に最初のハワイ公演2日間を実施。旗揚げしたばかりの「五木プロモーション」は『おまえとふたり』『倖せさがして』『ふたりの夜明け』連続ヒットで計200万枚を記録し、再び五木の黄金時代に突入していた。ハワイコンサートはその後も数年置きに開催。そして平成元年6月2日、挙式と披露宴後に6泊8日のハネムーンに出発。むろん旅先はハワイ。この時は生まれて間もない長男を同行。
「今まではゴルフ中心でしたが、結婚して子供が生まれてから落ち着いたハワイ暮らしがしたくなって…」
 平成2年にハワイの丘陵地にローマ神殿かと見間違うほどの豪華別荘を購入。彼のハワイ好きはますます嵩じ、この頃はファン倶楽部も毎夏ハワイツアーを企画。
 平成6年、現在の海沿いの別荘に移転。同年10月5日、ハワイのクィーンズ病院で長女誕生。五木は当時こう語っている。
「日本が猛暑でハワイの方が快適だった。出産の予定日が10月10日だったので、このままハワイで産む方が良いだろうと。僕は仕事で帰国し、6日朝のこと、大阪のテレビ番組「乾杯トークソング」収録のために新横浜9時48分発の大阪行き新幹線を待っていた時に電話が鳴ったんです。“おめでとうございます。女の子が産まれました”。思わず“やったぁ〜!”と叫びました。収録を終え、その日の夜に成田を飛び立ってハワイ滞在2日のとんぼ返り。その日は私たち夫婦の結婚(入籍)記念日、かつ私のオフ日に合わせた誕生でした」
 平成9年夏、筆者も五木倶楽部ハワイツアーに同行取材。ホノルル着が朝でホテル・チェックインまで市内観光。ここでガイドさんが「あの山の中腹の立派な建物が五木さんの最初の別荘」と“名所”観光ガイド。同ツアーはカウアイ島プリンスヴィルホテルまで行ったが『紫陽花』ジャケット写真は同ホテルのテラスで撮られたものだった。ホテルのゴルフコースでコンペも行なわれたが、平成元年のハネムーンにママに抱かれていた長男が早9歳で、パパ仕込みのステディなスイングで大人顔負けのナイスショットでラウンドしていたことを紹介しておこう。
 五木は日系の方にこう語ったことがある。
「ブラジルもそうですが、日系の皆さまは現代日本人が失ってしまった日本人ならではの心を大切になさっています。日本は今、外国の音楽に影響された若者たちのポップスが全盛だが、日本には英語には訳せない情緒あふれた日本の言葉があって、これをメロディーに乗せた歌謡曲・演歌があります。ここには日本の心が満ちています。その意味では日本の歌謡曲を最も愛していらっしゃるのが皆様でしょう…」
 美しい南国リゾート、ゴルフ天国、そして失われつつある日本の心を大事にする日系の人々…。五木がハワイを第二の故郷とする気持ちが十分にうなずける。
 かくして極上のハワイ休日を楽しむ五木だが、そこで新しい音楽を生むのも彼ならではだろう。35周年記念シングル『再り会い』は、同年正月にハワイで五木に偶然遭遇した鈴木淳・悠木圭子夫妻と田川寿美が、五木の海辺の別荘に誘われ、その感動を胸に夫妻がハワイで一気に仕上げた楽曲だった。名曲『山河』も堀内孝雄がその誕生秘話をこう語っている。
「小椋佳さんが詞を書き、僕が曲を書く前からハワイの別荘ご近所さんのウチの山崎(アップフロント・グループ会長 ※崎の大は立)と五木さんの間で作品構想が練られていたんです」
 美しいハワイのサンセットを眺めつつ、五木はまた新たな構想を生むに間違いない。

ITUKI NOW
 芸能生活40周年もいよいよ佳境。マルチ展開の様相を呈して来た。8月31日にNHK出版から「五木ひろし 〜ファイティングポーズの想い」出版。五木56歳の半生に世相、歌謡史が詳細紹介で資料的な仕上がり。9月1日にオリジナル・アルバム『おんなの絵本』発売。10月6日にはデュエット企画、ユカリ&ひろし『大阪ナイトスキャンダル』発売。大西ユカリは「『居酒屋』より売れたらどないしょう!」と言っているとか。11月2日〜28日が大阪・新歌舞伎座公演40周年スペシャルで、歌だけのショー。デュエット曲と同劇場公演で大阪の盛り上がりに注目。
 一方、記念シングル『アカシア挽歌/雪燃えて』も絶好調。NHK金曜時代劇「最後の忠臣蔵」主題歌に『雪燃えて』が決定で11月5日よりスタート。なお、アルバム『おんなの絵本』収録の『雪燃えて』はアルバム・ヴァージョンで五木本人が津軽三味線を弾いている。真っ赤に燃えたステージに雪舞って、五木が津軽三味線を弾くステージを、紅白でも観たい!の声が次第に高まっている。

●スクワットやま 五木の最初のハワイ別荘は平成2年の丘の中腹、ローマ神殿風の豪華建築から4年後に海辺に移転した。アタシの伊豆大島ロッジは平成3年建築で台風が来ると飛ばされそうな海辺小屋だ。ちなみに大島とハワイ島は昭和37年に姉妹島盟約を締結。

<キャプション>
昭和48年、初めてのハワイ・ホノルル空港で母を抱き上げた五木。今は悲しくも懐かしい思い出に…。
『雪燃えて』熱唱の五木


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