月刊「カラオケファン」連載
〜11月号(9月21日売り号)掲載〜
40周年の軌跡と円熟の展開
五木ひろし 俺の山河は…。

文:スクワットやま  Squat Yame
第12回 独立を飾った「おまえとふたり」

[取材日記] …五木のライブは楽しい。“休みなく”と言っていいほどに活発なステージ活動だが、観る度に新鮮な感動がある。ライブ形態を大別すれば劇場公演、通常コンサート、公開番組、そして各種イベントだが、それらが実にアイデア豊かなのだ。ちなみに最近例を挙げれば…。
 昨年9月の日生劇場コンサートは明大マンドリン倶楽部が参加で、五木もマンドリン初弾き語り。12月の『逢えて…横浜』カラオケ大会の審査中ミニステージは普段着でメガネのアットホーム感覚。その11日後のクリスマス・ディナーショーはボブ佐久間・指揮の管弦楽団で格調高きフォーマル衣装。今年の御園座正月公演は50名の津軽三味線・大合奏で観客のド胆を抜いた直後に黒地に金糸銀糸でだらりの帯の24名もの芸者衆登場。4月の美浜マラソン前夜祭は多数ゲストとの爆笑トークでステージ進行。7月の軽井沢サマーディナーショーはスライドギターの内田勘太郎、ジャズピアノの国府弘子とコラボレーション。オーケストラともジョイントすれば、肌も露なダンサーと激しく踊り、琴の演奏で艶っぽい舞いも披露する…。
 かくも多彩なステージだが、最もシンプルなアコースティック・コンサートもすこぶる好評である。最近では平成14年秋から翌春にかけて全国ツアーが行なわれた。楽器構成はヴァイオリン、ピアノ、アコーディオン、ドラム、ウッドベース、そしてギター。五木はこのアコースティック・サウンドを時にさらに薄くしてア・カペラのように唄う。水を打ったように静謐な会場に、低くやがて朗々と歌い上げる“黄金の五木節”が聴衆の身体に沁み込んで珠玉の一体感を生む。五木は、そのステージでこう言った。
「20数年前になりますが、木村好夫さんとの出会いからアルバム“ひろしとギター”シリーズが始まりました。これをステージで出来ないだろうかと始まったのがこのコンサートです。弾き語りが僕の原点ですから、この形が一番落ち着いて出来るステージです」
 ここで注目すべきは、同アルバム・シリーズがラスベガス「ヒルトン」ショーの3年目、昭和53年から始まったということ。ショービジネスの本場で華麗なステージをどん欲に吸収すると同時に、その両極にあるシンプルなアコースティック世界をも追求していて、それが“苦界への船出”とまで言われた五木独立の大ピンチを救うことになるとは、誰が気付いていただろう。

[独立を飾ったミリオンヒット] …『よこはま・たそがれ』から5年間“賞男”の異名をとるほど破竹の勢いにあった五木だったが、昭和51年から3年間に及ぶラスベガスショーを行なうことで苦境に負い込まれた。活動の場をアメリカに求めたことで年末各賞から弾き出され、ファンも去り始めた。
 五木のカンは鋭い。…キックボクシングの野口プロなら、日本チャンプの次は世界チャンプへ挑戦と考えるのが当然だが、歌謡曲は勝ち負けの世界とは違う。また、この頃から一人の作詞家の枠内に収まっているのはいかがなものだろうか、とも思う。野口プロ、山口洋子の許からの旅立ちが心のなかでくすぶり出した。
 昭和54年1月、野口プロから五木のセクションを独立させて野口企画を設立。さらに7月5日、野口プロと山口洋子と別れて株式会社五木プロモーションを設立。独立に際しての苦労、経緯に興味をお持ちの方は五木の自著「渾身の愛」をどうぞ…。
 さて、育ての事務所や作詞家から独立すれば世間の風当たりは厳しく、それはマスコミが書く“苦界への船出”に違いなかった。その通り、五木のヒットはパタッと止まった。苦悶の最中、ディレクターに誘われたのがひのきしんじだった。彼はこう振り返る…。
「僕は五木さんより数年早く歌手デビューしていて松山まさるを知っているんです。僕はその後に表舞台から裏舞台へ移って、FM東京“ステレオ歌謡バラエティ”をやっていたんです。そこに五木さんがゲスト出演して“やぁ、ここにいたのか。僕のディレクターをやってくれないか”と…」
 だがヒットが出ない。フリーディレクターがヒットを出せなかったらクビだろう。五木に呼び出された彼は、そう覚悟したという。
「そしたらね、思い通りに仕事が出来ていないんじゃないの。遠慮せずにもっと思い切ってやってごらんよ、と言ってくれたんです」
 しかしひとたび落ち込んだ勢いは容易に戻るものじゃない。五木もひのきもお手上げ状態の時に“ウム、これがいいんじゃないか”と白羽の矢が立ったのが『ひろしとギター第二集』のために作られた『おまえとふたり』だった。これでもか・これでもか…と作家陣を次々に変えた作品作りが続くなかで、原点のアコースティック楽曲がスゥ〜と人々の心に染み込んで、思いもしなかった大ミリオンセラーになって、五木プロモーション設立の華々しい旗揚げになったのだ。
 五木は平成8年9月5日に『おまえとふたり〜木村好夫追悼アルバム』をリリースしたが、その際にこう語っている。
「今は亡き木村好夫さんと僕は、歌手と作曲家という関係を超えて、ギターを通して深い絆で結ばれていたんです。一緒にアルバムを作り、一緒にアコースティック・コンサートを展開して来た。二人のギター・アンサンブルさながら僕たちの心は深く通じあっていたんです」
 今も五木は自らの原点が故・木村好夫と共に追求したアコースティックの世界にあることを知っている。迷った時に帰る世界があるから、彼は新たな試みに果敢に挑戦することが出来るのだろう。
 ちなみに五木のステージ構成・演出家は松園明。彼のアイデアの冴えは鈍ることがない。彼こそが、今も円熟の大展開を繰り広げる五木ひろしのもう一つの名である。

ITUKI NOW
 本誌発行日から5日後に明治座9月公演が千穐秋を迎える。五木の珠玉舞台と評される山本周五郎原作「雨あがる」で、初演から16年振りの再演。そして歌謡ショーは9月1日発売の芸能生活40周年記念のオリジナル・アルバム『おんなの絵本』収録曲と40年のヒットソングで構成のステージだった。
 アルバム『おんなの絵本』はジャケットが上村一夫の絵。作詞家8曲家が五木を含めて8名、編曲者10名。プロデューサー・小西良太郎が「五木ひろしを意識しないように…」というポリシーで発注、制作したバラエティー満ちた全16曲収録。
 前アルバム『55才のダンディズム』が阿久悠・船村徹で文学性を求めたなら、今回は直木賞狙い…と小西は言っている。“五木ばなれ”を目論んで、もう一回り大きめの「五木ひろしの世界」を作ってみた…とも述べている。未だの方はぜひどうぞ。
 11月2日〜28日は大阪・新歌舞伎座公演。これは芝居なしの「〜歌・舞・奏スペシャル」。歌い、舞う、奏でるを題したこのステージで構成・演出家=松園明の冴えたアイデアに期待だ。

●スクワットやま 生涯「取材・取材だったなぁ〜」と思っていたら「取材させてくれ」という方が現われた。テレビ東京の番組を制作していると言う。「おぉ、演歌のテレビ東京じゃないか」と興奮したが演歌ではなく「週末島暮し連絡船物語」取材とか。ふふっ、断った。
●キャプション 昭和54年7月、五木プロモーション設立。そして8月22日に東京・南青山で事務所開き
          ニューアルバム『おんなの絵本』



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