月刊「カラオケファン」連載
〜10月号(7月21日売り号)掲載〜
40周年の軌跡と円熟の展開
五木ひろし 俺の山河は…。

文:スクワットやま  Squat Yame
第10回 五木の人気を不動にした『千曲川』

取材日記]…熱心な五木ファンは春に若狭湾に面した五木の故郷・美浜でマラソン大会応援と前夜祭コンサートを楽しみ、夏は軽井沢プリンスホテルでサマーディナーショーを楽しむのが恒例化している。今年は7月19日開催。ファン倶楽部バスツアーの一行はまず長野県・戸倉上山田温泉の千曲川ほとりに建つ『千曲川』歌碑見学を経て軽井沢プリンスホテルにチェックイン。
 というワケで本誌発売の7月21日は、五木の追っかけ取材の筆者も取材疲れを癒しつつ撮影フィルムの整理をしているときだろう。
「軽井沢サマーフェスティバル」は、ほぼ隔年開催で今回が6回目。振り返ると6年前の夏の記憶は強烈だった。ファンを乗せたツアーバスが全国から続々と『千曲川』歌碑前に集結し、その数なんと9台…。「歓迎!五木ひろし千曲川」の文字が現われる仕掛け花火も打ち上げられ大歓声が河原に轟いたもの。
 ちなみに“千曲川”は、日本一長い川・信濃川の上・中流部にあたる長野県内214kmの名称。“うんちく”をもうひとつ…、昨年夏に1市2町合併で「千曲市」が誕生している。
 そう、6年前のディナーショー翌朝のティーパーティで、五木はこう熱く語っていた。
「今、音楽シーンは数百万枚のヒットが多発しているが、これは若者層に著しく偏った音楽状況で、本来の歌謡曲が埋没している。これではいけない、歌謡シーンに本来の姿を取り戻そうという意向で昨年暮(平成9年)の“紅白歌合戦”大トリに再び『千曲川』が選ばれたんです。同曲は『よこはま・たそがれ』から5年目、昭和50年の曲で、紅白異例の2度目のトリ楽曲になりました。今こそ若者の音楽に負けない歌謡曲のヒットを目指してがんばらなければいけないと思っています」。
 そして4年後の軽井沢は、自らのレコード会社ファイブズエンタテインメント旗揚げシングル『傘ん中』発売直後で、オリコン演歌チャート1位、総合チャート26位の最中だった。さらに2年後の今年の軽井沢も、五木の闘いは飽くなく続いて6月2日発売の芸能生活40周年記念シングル『アカシア挽歌/雪燃えて』が総合初登場16位でヒット中。
 最近の五木へのインタビューで、彼はいつもの柔和な表情を一変させ語気強く言った。
「今度こそ大きなヒットが欲しいんだ。結果が欲しいんですよ」
 若者たちの音楽が衰退し、ヒットチャートに歌謡曲が上位ランクインをし始めている。好機到来。加えて同シングルは50周年への新たな第一歩。今こそ大ヒットを…である。
 久々に意欲むき出しの56歳の五木に、『よこはま・たそがれ』ヒットで闘志みなぎっていた23歳の顔が浮んできた。

『千曲川』誕生まで]…昭和46年、『よこはま・たそがれ』大ヒットでひのき舞台に踊り出た五木は、年末各賞受賞と紅白歌合戦初出場後、握りしめた拳を隠しつつ、こう公言した。
「僕はこれを今後5年間続けます」
 当時は“1曲ヒットしただけで、なにをバカなことを言っているんだ”と笑われたそうだが、五木は公言通りにヒット連発。年末各賞の連続受賞は言うまでもなく、3年目の『夜空』で日本レコード大賞・大賞受賞。5年目の昭和50年4月に日本人歌手初の日本武道館昼夜2回のリサイタル成功。そして6月1日にリリースしたのが『千曲川』だった。
 五木は同曲誕生をこう振り返っている。
「猪俣公章メロディーのなかでもズバ抜けていましたが、特に山口洋子さんの思い入れが強かった曲です。山口さんは信州が大好きで、軽井沢に別荘もお持ちだった。そんな思いを千曲川に託された。僕にとっても都会的な歌と故郷の懐かしい土や風を感じさせるような叙情的な歌の両面をいかに出して行くかがテーマだっただけに願ってもない楽曲でした」
 メロディーの説明が続く…
「最初は“音域の広い歌だなぁ”という印象だった。発売後にゴルファーの青木功さんと初ラウンドした折りに“あの歌はとてもいい歌で、でも実際にうたってみると難しい。最初に低く出るところをちょっと高めに出ると、その後の高音が出なくなっちゃうんだ”と言っていた。普通の歌謡曲ですと1オクターブ半か2オクターブ弱で収まるんですが『千曲川』は2オクターブ強ありますから…」
 演歌風に唄えば『北国の春』風になり、さわやかに歌い過ぎると『四季の歌』風になってしまう。その狭間に位置するめずらしい歌、すなわち叙情演歌ですと言う。当初はレコード大賞『夜空』とその4年後のミリオンセラー『おまえとふたり』ほどには注目されなかったきらいもあるが、叙情演歌の息は永い。ロングセラー化で実に81万6000枚の大ヒットになって五木人気を不動にした。また冒頭で紹介通り「紅白歌合戦」2度、しかもトリと大トリ楽曲というまれな運を有した楽曲になった。それだけではない、と五木は言う。
「気がつけば5年連続の紅白出場、その5年目が昭和50年、1975年。そう言えば『夜空』は第15回日本レコード大賞・大賞。以来、僕はラッキーナンバーを“5”にし、また有言実行で歩み出すことにもなったんです」
 五木はその後、『契り』で第15回作詞大賞、『長良川艶歌』で第15回日本歌謡大賞。最近では自らのレコード会社「ファイブズエンタテインメント」(5's)を設立し、その旗揚げシングル『傘ん中』で第35回作詞大賞を受賞。

 …そして今、55歳の円熟を迎えた平成15年度の芸術選奨文部科学大臣賞を受賞し、115枚目のシングル『アカシア挽歌/雪燃えて』がヒット中…。
“歌謡曲の座”奪回の象徴にもなった『千曲川』は、なにやら五木の強運の神ならぬ“守り歌”のような気もして来る。で、そんなパワーを有した『千曲川』は、五木の今までの115のシングル中、4行詩3番までの数曲あるかないかの短い詞で、これも興味深い…。

ITHUKI NOW
 6月2日発売の40周年記念シングル『アカシア挽歌/雪燃えて』は、6月14日付けオリコン初登場で演歌チャート1位、総合16位。同12日のフジテレビ「メディアみたもん勝ち!ゼルマ」の「オーバー30」(30歳以上層の気になる新曲ベストテン)ではサザンオールスターズ、平井堅、宇多田ヒカルの各新曲に次ぐ4位で滑り出している。五木はこうコメントしている。
「40周年記念シングルは50周年への第一歩です。そのためにもぜひヒットをと思っています。作曲の弦哲也さんは今までの節目・節目にヒット曲を作ったくださっている。五木ひろしになって10周年に『人生かくれんぼ』、20周年の平成3年と4年に『おしどり』と『べにばな』。だから40周年楽曲こそは…と互いに胸に秘めていたんです」。
 40年前、弦哲也は田村進二で、五木は松山まさるだった。共に新人歌手で苦戦を強いられていた仲。そして今ノリにノッている弦メロディーと五木歌唱の『アカシア挽歌/雪燃えて』からが眼が離せない。

写真@は、長野県・戸倉上山田温泉の千曲川ほとりに建つ「千曲川」歌碑。最近、メロディー付きになった。
写真Aは、6月1日の浅草ビューホテルでも40周年記念曲『アカシア挽歌/雪燃えて』発表会の荒木とよひささん、弦哲也さん、前田俊明さん。

※この原稿は6月15日入稿で「軽井沢サマーフェスティバル」は予測で書いたもの。実際のツアーはディナーショー翌日の帰路に歌碑見学でした。ついでに紹介すれば今年の「軽井沢ホテル・ディナーショー」の目玉企画は元憂歌団のギタリスト・内田勘太郎さん、ジャズピアノの国府弘子さんをゲストに迎えたジョイント・コーナーでした。



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