月刊「カラオケファン」
〜12月号(10月21日売り号)掲載〜
40周年の軌跡と円熟の展開
五木ひろし 俺の山河は…。
文:スクワットやま Squat Yama
第1回 あ〜、誰にも故郷がある

[取材日記]五木ひろしを取材していると、年に一度は彼の故郷・福井県三方郡美浜町を訪ねることになる。町と五木が展開する一大イベント「美浜・五木ひろしマラソン」取材。約5千名が参加する市民マラソンと、その前夜開催のチャリティー・コンサート。今年の開催は4月19、20日だった。
 平成15年、五木ひろし55歳、マラソンが第15回大会。加えて美浜町制50周年で、その記念に立派な美浜町総合体育館が完成し、同コンサートが柿落しイベントになった。彼のラッキーナンバー5が重なって、美浜町はまさに「五木ひろし2days」。
 両イベントについて語るべきことは多いが、ここではその前夜祭コンサートがアイドルと演歌の枠を超え、かつての歌謡曲がそうだったように世代融合で盛り上がっていることを報告しておきたい。今年はハロー!プロジェクトのメンバー7名と演歌陣3名がゲスト出演。いつの頃からかJ‐POPと歌謡曲・演歌が二分化し、どこか歪んでしまった現在の音楽状況だが、ここには他では見られぬ歌謡曲本来の世代の壁なしの盛り上がりがある。
 五木ひろしを取材して8年、美浜を訪ねること8回…。ゲスト歌手、ファン、そして取材陣もこうして、若狭湾に臨む美しい町・美浜にいつしか魅了されて行く。五木は初めて訪れたゲストや取材陣に決まってこう語りかける。
「素晴らしい故郷だろう。この海、この緑…」
 その美浜取材で忘れられない思い出がある。4年前の芸能生活35周年の「第11回美浜・五木ひろしマラソン」でのこと。取材陣よりひと足早く美浜に乗り込んだ私は、5月15日の前夜祭当日の朝から行なわれたNHK「課外授業“ようこそ!先輩”」ロケ現場を取材した。撮影は、五木が美浜町の実家から数百b先の弥美小学校へギター片手に向かうシーンから始まった。彼は音楽室に集う小学6年生たちの緊張を解くために、まずこう言って生徒たちを笑わせた。
「みんなも知っている通り、僕の家はそこだから、学校の始業5分前のベルが僕の目覚まし時計だったんだ。でも何故かいつも遅刻してねぇ〜」
 彼は生徒ひとり一人の名を呼び上げて出欠をとった後、黒板に大きな字で“夢=目標”と書いた。そしてメグロ製バイク、キャプトンに跨る父の勇姿パネルを手にすると、静かに語り出した…。
[少年時代]…今から41年前のこと、僕が君たちより1学年下、小学5年生の頃の話からはじめようと思います。この写真は父・松山鶴吉の当時の写真です。その頃にこんなにすごいバイクを持っていた人は珍しかったんです。皮ジャンだって恰好いいでしょう。
 母と父は18歳と27歳で結婚し、その12年後、昭和23年3月14日に僕は生まれた。すでに姉は11歳、次の姉が8歳、兄が4歳で、僕は末っ子です。父は鉱山技師で、僕が生まれたのは京都で、次にマンガン鉱石が採掘されていた三重県に移転。やがて鉱山の仕事が衰退して母の故郷・美浜に移って建築用石材を扱う仕事を始めた。京都、三重、そして美浜移転当初の我が家はちょっと豊かな生活をしていたらしいんです。というのも僕は未だ赤ん坊で記憶がない。姉たちが末っ子の僕に“良かった頃”をいろいろ話してくれるんです。 でもバイクに跨る父の写真をよく見てみると、ちょっと渋い表情をしている。石材の仕事がうまく行かなくなっていたのかも知れない。仲が良かった母と父も、いつしか諍いが続くようになっていて、僕が5年生の時に父が出奔した。
「ちょっと出かけてくる。いい子でいろよ」
 父は、ひとり家にいた僕の頭をひとなぜして出て行くと、それきり家には帰って来なかった。それから女手ひとつで一家を支える母の厳しい生活が始まるんです。小さな田畑はありましたが、それだけでは一家が食べてはいけない。母は田畑の仕事以外に男たちに交ざって土方仕事も始めます。朝から晩まで休みなく働き通しの母の姿を見て、僕は決意したんです。「母に一日でも早く楽をしてもらうため、僕は絶対にスター歌手になってやる」 それが僕の夢、目標となって大きく膨らん行きました。
 …五木は一気にここまで話すと、生徒たちを笑顔で見渡した。息を詰めるようにして聞いていた生徒たちもホッとざわめく。五木先生の微笑が生徒たちに解け、やがて五木先生は、こう言った。
「さぁ、ここでみんなの夢や目標を聞いてみようかなぁ」
 歌手を夢見る生徒が4人いた。五木先生は再び語り出します。
「母の苦労を見て、僕は歌手を志しましたが、僕が歌を好きになったのは父の影響なんです」
 教壇脇に置かれた昭和30年代の蓄音機に歩み寄った彼は…
「父は家にいる時は閑さえあればこの蓄音機で当時のレコード、SP盤を聴いていました。みんなも聴いてみたいかい…」
 五木は、古びたSP盤を蓄音機にセットし、ゼンマイをグルグルっと回し、慎重に針を落した。聴こえて来たのは、若き美空ひばりの歌声だった…。

[ITHUKI NOW]
 五木ひろしは今、新歌舞伎座10月公演の千穐楽間近…。今年の五木の劇場公演は5月が明治座「喧嘩安兵衛」、7月が御園座出演20回記念で山本周五郎生誕百年「噂の小平太」、9月が日生劇場で古賀政男生誕100年のスーパーライブを終えてい、この新歌舞伎座を加えた4劇場で計162ステージ、計244,523名を動員。むろん劇場公演の間に通常コンサートもあるわけだから、およそ年間50万人は動員だろう。一方、レコード制作では大意欲アルバム『55才のダンディズム 翔〜船村徹・阿久悠とともに〜』を発表する一方、9月3日に『永遠の古賀メロディを歌う〜』リリースで先達の歌謡曲継承も怠らぬ。シングルも『北物語』『望郷の詩』『逢えて…横浜』がプロモート中。また自身のレコード会社「5's」にクラシックレーベルを設け、9月3日に『渡部基一plays石原裕次郎〜北の旅人〜』をリリースと、まさに八面六臂。「息切れしないように付いて来て下さい」と五木は言う。そんな彼のすべてを捉えるべく連載のスタートです。

 写真は日生劇場ライブコンサートのステージ



「五木★さゆり」 に戻る