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●序章●

おいおい、もう10年かよぉ〜と、これを機に週末大島暮しを振り返るHPの
立ち上げを思い立って書き出したら、んま、次から次へ枚挙にいとまなし…
夜、大好きな薪ストーブを赤々と燃やしつつ、何杯目かの焼酎を手にフと吹き抜けの天井と壁を見上げれば、当初は木の香り充ち、生っぽかった木肌だが、いつしか見事なべっこう色に輝き出しているではないか。
「あぁ、もう10年経つのかぁ〜」
ログハウスもいいなぁ〜と、メーカーに問い合わせたら木材輸入に半年かかると言われ、せっかちな性分で待つことが出来ず。結局、その数年前の渡米でレイクタホで借りたスキー・ロッジの写真と、それを模したボール紙設計模型をカッターナイフで指を切りつつ完成させ、それを島の大工に託し“新建材一切なしだよ”とひとこと添えた注文で建ててもらった。改めて、それで良かったのだと思っている。ログの重厚な存在感とはちがって、林の中にひっそり建つひょうひょうとした感じがアタシにぴったりじゃないかと(ホントかいなぁ〜)。
目を閉じると、週末大島暮し10年のあれこれがよぎる。はしゃいでいた時期があり、バブル崩壊後の生活変化があり、島を去った友がいて、結婚して疎遠になったヤツがいて、海外移住したヤツがいて、他の島へ浮気したヤツもいた。島の景色もずいぶんと変わった。公共事業という名の自然破壊のすさまじさよ。
去年、眼前の借景にしていた防風林が造成されてピンクと黒のデカイ家が建って「オォ〜・マイ・ゴット!」と絶句した。
先月、冷蔵庫が壊れて買い換えた。
昨日、五つ目のランプが切れたシャンデリアの電球も、テーブルの上に椅子、さらに木箱を乗せての絶妙サーカス技で、すべての電球を取り替え、ついでにガラスも磨き込んだ。
10年を経た週末大島暮しには、もうワクワクする期待感はないが、べっこう色に見事に染まった木肌のように、我が人生にしたたかに染み込んでいるようでございます。
※天井写真にシーリングファン(天井扇)が写ってんでしょ。で、あれはファンの下にイヤらしいシャンデリアみたいのが必ずくっついているんだ。で、何年もかかってそれが付いていないシンプルなのを見っけたんだが、今度はそれをどうやって取り付けたらいいのかわかんないワケで、これまた数年間放っぽっていたんだ。で、スルスルとどこまでも伸びる梯子を持っている友人が出来て、彼に取りつけてもらったんだ。だがちょっとずさんな作業でファンが斜め状態で回るもんだから、まるで勢いを失ったコマが軸を失ってフラフラ揺れるみてぇ〜にまわるんだ。見ているってぇ〜と、ちょっと怖くてスリルがある。加えて右まわり、左まわりで対流が変わって冬・夏の切り換えになるんだが、もうどっちがどっちだかわかんない。よしんば(※あとに「とも」「ても」などを伴い…かりに、たといの意)わかってもスイッチの切り換えがもうできない。そんな間抜けが至る所にあるロッジなんですよぅ〜。海を臨むベランダの窓(室内からは吹き抜けの高い位置の窓)の鍵もハシゴがなけりゃ〜施錠できないんです。
※建ってくれたのは泉津のTちゃん。今もTちゃん親切にしてくれて、彼んチでいただく島料理の旨いこと・旨いこと。こりゃ〜、幾ら払ってもいただけない珠玉の美味。目下はアタシよりカメラマンJ・Tさんがが足繁く通っている。ニューミュージック系大御所たちがここを基地にずいぶんとジャケット写真などを撮っている。ウソだと思ったら、Tちゃんチの海に突き出たベランダの呑み処へ行ってみな。彼等のサインがカウンター横板にびっしり書かれているから…。
プロフィール替わりに…つらつらと大島ロッジを建てたいきさつと、
週末大島暮し10年を振り返えれば、あぁ、わが人生のあやうさ、もろさよ…
10年前を振り返ると「あぁ〜、ちょっと衝動的に建てちゃったなぁ〜」と思う。20代後半からのフリー暮し。40代でスタッフ7名を抱えた。フリー暮しを気ままに続けて来た男に社長業が務まるワケもない。若いスタッフの仕事を眺めれば、ジリジリとしてストレスが溜まる一方。任せた仕事も奪い取るみたいに(きっとヤな上司だったんだ)しての仕事・仕事・仕事。そんな狂気的日々に、ついに喉まで欲求不満がこみ上げて来て、都会脱出願望がムクムクと湧いて来た。
振り返れば高2から3年間は名門山岳会所属(東京白稜会)の山男だったじゃないか。高3の時は甲斐駒冬季北壁隊遭難の遺体収容も体験した。ヘラ鮒、海釣りにも夢中した。スキーもやった。崖よじ登るトライアルバイクにも入れあげて、ランクルの助手席はずして競技車を積み込んで転戦もした。おぉ〜、ポンコツ24フィートクルーザーを真鶴に置いていた時期もあれば、ダイビングに熱中した時期もあるではないか…と思い出した。
えぇ〜い、仕事一途はもうやめたッ!と思ったら不動産広告コピーの「海一望」に惹かれていた。で、伊豆や房総の手頃な物件を探しに何度も出かけたが、行ってみりゃ〜、クネクネと山道を登って木々の合間から僅かに海が望める山中の傾斜地ばかり。で、これが結構な高額。時はバブル絶頂期。こりゃ〜手が出ねぇ〜や、と諦めかけていたころに新聞折り込みチラシの怪しい・怪しい大島物件。坪8万、安いじゃん。で、羽田からYS−11に乗り込んだら、一服する間もなく大島で、防風林を抜けた地が物件で文字通り眼前に磯の海。サザエやアワビがゴロゴロいそうな磯で、一気に惚れ込んだ。
が結局は、都心の自宅マンションと賃貸マンションの事務所二つに大島ロッジと、四つの“家”を維持する我ながらおぞましいノルマを背負うことになった。約5年間は若いスタッフと共にはしゃぎまわった週末大島暮しでストレス解消。やがて島の友が出来、この地の相場は坪3万がいいとこだぜぇ〜。後の祭りだったが、後悔しても始まるめぇ。騙された話に花が咲けば、悔しさ殺して聞く耳持たずを貫くより他はない。
やがてスタッフと別れ、再びフリー時代の自宅兼仕事場だけのシンプルな生活に戻って、今度は女房と愛犬を伴とする落ち着いた週末大島暮しが始まった。気付けばロッジ建築の10年ローンも終わって、島に行っては汗を流しつつの庭仕事。終の棲家の準備に怠りないと思いきや、都会暮しも捨てがたい。まして食い扶持稼ぐが音楽ギョーカイとあって、街を離れるわけにもいかない。
都会の住居は、西新宿の高層ビル群と歌舞伎町を間近にし、擦れ違う人々の言葉が異国語だらけの通称・国際通り商店街近く。日々、コリアンタウン化が進行でマンション・エントレス壁に貼りだされたゴミ出しルールにはハングル文字、中国語、タイ語、英語、日本語掲示があって、日本人より異国住民の方が多く、それはアンドリュー・ヴァクスのバークの世界か、馳星周「不夜城」のように気を張りつめていないと生きては行けない。
そんな戦慄と緊張の都市生活とゆったりした島の対極する生活をもって精神的バランスを維持しつつ、今やどちらかを失うと窒息する両棲類にも似た気持ちで週末大島暮しを続けているのでございます。
※写真は平成3年(1991)、新築時の2階べランダ施工シーン。当初はここに露天風呂を拵えて、内風呂なしだったんです。で、それが女性陣に発覚し「んたくぅ、なにをバカなことを考えてんのよぉ〜。ヌーディスト・ロッジでも作ろうと思ってんでしょう」ってことで、そのプランは立ち消えになってしまったんだ。でも、そう言ったからこそデェ〜くのテッちゃんが腐らぬように防腐剤を圧力注入処理した板で拵えてくれて、普通なら7、8年でボロボロになるだろう雨ざらし木製ベランダだが、平成15年(2003)の今でも大丈夫…。
※造成される前の当地は「ワット」の畑だった。
当初は掘っても掘ってもワットの球根が出て来たもんだが、今では五月の連休時期に10株ほどが清楚な白い花を咲かせ風に揺らいでいる。インターネットで調べたが「ワット」の名では検索出来なかった。あれは菖蒲か水仙系か…。
06年5月19日のこと。その花はワットソニア・アルバと判明。 大島の家の辺りは今時分になるとグラジオラスに似た清々しい白い花が咲く。平成3年に建った時は辺り一面、この白い花が揺らいで、それはきれいだった。庭を掘ればゴロゴロと球根が出て来てよく捨てたもんだ。うろ覚えながら、家が建つ前は「ここはワット栽培をしていた」と聞いたような。で、ネットでワットを調べてもヒットせず、15年間不明のままだった。あたしの社名はスクワットで、その由来はスクッと立ったワットの花がきれいで「スクワット」と嘘ぶいていたりもした。数日前のこと。リンクの「駅」写真日記を見たら、家ん近くのワットの写真が載っていて、その花の名がわからんのだが・・・と書き込んだら、それは「ワットソニア・アルバ」だろう、と教えてくれた。アヤメ科で、アルバは白の意。和名は檜扇水仙(ひおうぎすいせん)。ワットソニアには白ばかりでなくピンクなどもあるのを知った。15年ぶりにナゾが解けた。カイカ〜ン!(写真は「駅」の「伊豆大島写真日記」の5月14日から転載)
※大島の我が地に耳をすませば、弥生人の雄たけびが聞こえる…
考古学にはまったく興味がないが、暇を持て余していた某日のこと、「大島町史」をひもとけば我が地が弥生人の営みのあった由緒正しき?地だったと記されていてビックリ、腰を抜かしてしまった。現住所はつまらぬ名だが、ここには「ケイカイ」なる別称(どういう意味なんだろう?誰か教えてぇ〜)があって「弥生時代のケイカイ遺跡」が認められているんであ〜る。以下、町史より…。
「弥生人は、縄文時代とは無縁の土地ケイカイに前期に住み着いてから中期を経て、後期まで継続する。いずれも、長期に亘る安定した集落を形成していた」
とある。ウム、耳をすませば「ウヒャヒャ〜!」とばかりに打ち寄せる波に向かって弥生人の雄たけびが聞こえて来るではないか。以下、ケイカイ遺跡について書かれた部分を拾い列挙すると…。
「大島に弥生人が最初に住み着いたのは、ケイカイと下高洞遺跡で、新島では田原、渡浮根の各遺跡がある。伊豆諸島中のパイオニアたちの活動の開始であった。(中略)下高洞、田原、渡浮根では縄文時代最後の華を咲かせるように賑わいをみせていたが(中略)、縄文文化が伝わっていなかったケイカイにも“遠賀川式土器”は飛び込んできた。微量な出土とはいえ、下高洞とはやや趣を異にし、さらに新しいもので、受容者もまた縄文人世代から、すっかり弥生人になりきっていた可能性が高い。(中略)伝播経路はいうまでもなく海路が利用された。(中略) すなわち弥生式土器が東京都下では、一番最初に大島・新島に上陸した可能性が高いのである」
おいおい、我が地から関東へ弥生文化が広がったのかよぉ〜。だが、待てよ。弥生文化と言えば稲作だろうが?
「しかし、弥生文化の基盤をなす稲作は大島、新島では実現しなかった。そのころの稲作技術はさほど高くはないためで…、漁労生活が中心だったのだろう。(中略) 下高洞遺跡付近やケイカイ付近の自然環境は、縄文時代とは変わらなかった。やはり清流豊かな場所に生活の拠点をおいたことは、以前とは変わっていなかった。この水を利用して、稲作に何度も挑戦したに違いないが、水田を作ることはできなかったのだ。しかし野草は豊富であった」
おぉ、清流豊かだったとは、こりゃ〜驚いた。
「泉津の名のごとく付近には山からの水が涌き水となって潤い、かつ比較的平坦地が広がっていることである。大久保、ケイカイ両遺跡の付近も同様であった」
んまぁ、そんなスゲェ〜歴史を有した地だったんと、後でわかったのでした。坪3万を8万で買って「あぁ、騙された」と思ったが、んまぁ、めでたし・めでたし…としましょ。
※サンセット・パームラインがソルトロードに変わる日
激変する我がロッジ周辺環境だが、平成15年夏、海から我がロッジに入る防風林がまたまた伐採・造成されて、製塩工場が出来るそうな。噂によると外にも製塩工場の建設予定があるとかで、島一番の美しい道路、サンセット・パームラインがソルトロードに変わる日も近いようだ。何百メートルかの井戸を掘って、深層水を汲み上げる算段なんだろうが、自然破戒の替わりに温泉でも掘って、周辺住民へサービスしていただきたいもんだ。10数年、自然そのもののだった環境が、かくのごとく人の欲の手が加えられているんです。んったく、島は何が起こるかわからねぇ〜。
※唐突に「ケイカイ」の意がわかる。これは驚いた!
2004(平成16)年1月15日、東京は自宅の仕事机に向かっていて、10数年間に亘って疑問だった「ケイカイ」なる地名の意が唐突にわかってビックリしてしまった。たまたま辞書で「けいかい」を引けば「境界」で、あっ、そうか!「キョウカイではなくケイカイ」なんだと閃いちゃったんだ。そう言えば、あの海岸道路沿いに、風化した石柱が建っていて、おぼろげながら判読すると「元村・岡田村境界標」の文字。そうです。「ケイカイ」は「境界」なんです。こんな事が居ながらにして唐突にわかったりするんですねぇ。ちょっと興奮した。※法律業界では「遺言」を(イゴン)、「境界」を(ケイカイ)という読み方をするそうです。※と言うことでアタシのハンドルも「境界亭やま」になった次第。