ウェブ考(1)
ホームページやメール、その他パソコン使って「これは!」と思った、あれやこれや…。


<マウスのフン>
 マウスの動きが鈍くイライラしていたら、愚息が言った。「チャン、ちゃんと掃除しているのかぁ〜」。で、開けてみたらボールの動き感知の両側パーツに埃が着いている。「それをなぁ、爪で引っかいてきれぇ〜にすんのよ」。で、そりゃ〜あんまりだと思ったから、版下用ピンセットで付着した黒い埃の駆除。こりゃ、
ネズミのフンですねぇ。えぇ、それでマウスは新品の動きを復活。皆さんも掃除してます?えっ、常識だって。失礼致しやしたァ。
※今はもう、コロコロなし、マット不要のセンサー型マウスを使っている。※最近になってパソコンを始めた某社某社長が手首の腱鞘炎だってぇんだ。「どうしたの?」と訊けば、想い通りに動かぬマウスのグリグリのせいだと言った。触ってみたらフンが溜まっていた。掃除をせずに翌朝手持ちのセンサー型マウスに取り換えておいてやったら眼ん玉を剥いて驚いていたとか。

<日記考:これは酔狂でやってんですから…>

 どんなきっかけで「演歌日記」なる日々を記すことを始めたかは思い出せないが、当初は「自身を晒す」ことに周期的に嫌悪を感じて中断しつつだったのですが、かれこれ丸1年で、今は不思議に「自身晒し」に嫌悪を感じることもなく、これは何故なのだろうかと考えてみたら、日記書くもホンネ晒さぬ術を知らぬ間に身につけていたんですなぁ。まぁ、そのひとつが自らを“半隠居爺”などとコンセプトして、これは明らかに虚構で、加えて江戸っ子でもないのに(あたぼうよ、21世紀に江戸っ子がいるわきゃァ〜ねぇだろう)江戸下町ことばを遣ったり、加えてちょっと下町風「かかぁ」も登場して(皆さん、アタシのつれあいがそんな方だと思って “面白い奥さんですねぇ”なぁ〜んて言うんだが、だまされちゃいけねぇ。ホントはホラ、よくいるでしょ、コメカミにバッテンの膏薬貼っているバアさんが…。アレなんですよぅ、とホントのようなウソをつき・・・)、これもまぁ、創作「かかぁ」で、虚構が多重構造化してんです。えぇ、アタシ自身もどこまでが本当なのかわかんなくなっているんでございますよぅ。だから当然のことホンネなど微塵も吐露しちゃいませぇ〜ん。で、ウソ混じりの日記とは言え定期的にロボット検索されるワケで、例えば4月に1月の日記の打ち損じ(誤植)を知らぬ方から指摘メールされたりすることもあるンですよ。ウェブのこうした特性上、記述には慎重を期さなければならないし、その意味では責任もあるわけで、真面目に取り組んでいるんです。まぁ、サイトも日記もアタシの酔狂…。
酔狂については「もっと遣いたい言葉集」をご参照下さい。
※あたしがウェブサイトを作った時分は、ブログなんてぇのはなかった。正確には普及していなかった。そのうちに、まぁ、あれよあれよとインターネットの世界はブログ(日記)だらけになってしまった。掲示板もブログも見た方の書き込みができるんで面白いんだろうが、あたしは「書き込みなし」の今の形態を維持だ。「書き込み」なんざぁあったら面倒臭いったらありゃしない。あたしは「あたし流」。

<日記公開で禁煙一発大成功>
 でぇ〜じなことを書き忘れた。サイトを作って間もない日記開始から2ヶ月目の2001年6月15日のこと。日記にこう記している。「禁煙8時間達成。目下、血中の一酸化炭素レベルが正常域に戻り、血中酸素分圧が正常になって運動能力が改善した。1日40本、いや3箱ほど吸い続けての、思いつき禁煙です」。えぇ、それが見事に持続して、間もなく(2002年4月現在)丸1年になろうってンです。何故かその頃に1日30ほどのアクセスがあって、誰が見てるかわからぬまま「こりゃァ、ウソはつけめぇ、無様も晒せめぇ」とばかりの意識があったンでございましょう。その後、禁煙3日目、10日目、1ヶ月目でござァ〜い!と報告していて、・・・気がつきゃァ、あんたぁ、禁煙大成功なんですよ。ですから日記(公開)始めて何が良かった?と尋ねられれば、躊躇なく即答「禁煙一発でやんした」。で「デメリットはあったかい?」の質問にも、これまた即答。「へへ・へッ、太っちゃった。こっちの方が難儀だねぇ」

「日記を一生懸命に書いて、日記に情熱をかけていますからね。この気持ちがあるうちはぼくは若い…」(と記しているのは37歳から79歳まで42年間も「断腸亭日乗」を書き続けた永井荷風さん)

<日記は、毎日ちょっとした嘘がつきたくて書いてんですよぅ>

 日記ってホントの事を書いている、と誤解しているムキが多いようですから、ここで改めて荷風さんの日記から数例を挙げることで、日記は嘘を書くことなり…を実証することにしましょう。麻布・偏奇館に移った荷風さんは、さながらヘルマン・ヘッセの晩年のごとく庭仕事を愛したようなことを書いているんです。でも実際は庭に入るのも恐ろしいほど雑草茫々のお化け屋敷みたいだったそう(この頃の荷風さんは老人ぶりたがっていた)です。また関東大震災の時に今アタシが住んでるマンション辺りに末弟・威三郎さんが母同居の新居を構えていて、放蕩・荷風さんは母の安否を心配して訪ねているんですね。無事を確認したが、麻布から歩いて来た荷風さんはくたびれて威三郎さん宅で数日養生。そのうちに母が実家を心配するので威三郎さんの妻・誉津さんと荷風さんが下谷竹町に訪ねることになったんです。その帰路、自警団に取り囲まれたり、披露困憊した荷風さんはなんと!誉津さんい背負われて大久保にやっと辿り帰っているんです。えぇ、荷風さん、自分のそんな無様なことは一言も日記に書いていませ〜ん。放蕩気取ってあっちぃこっちの女んとこ訪ねて甘酒呑んだり、夕餉を食したり…と書いている。念が入ったことに昭和12年、余は今日に至りても彼(威三郎さん)の妻の姓名その他について知るところなし、とも書いている。おぶってくれたのにねぇ。えぇ、日記なんてそんなもんなんですよ。嘘八百…。アタシも毎日なんか嘘がつきたくて日記を続けている。いい嘘がつけたj時は、いい文章が書けた時でもあって、あたしは嘘が下手だなぁと思っている。


<アタシは日記公開なんかぁ、していませ〜ん>
 で、インターネットの日記に云々論議もありましょうが、多くの場合、かなり的外れ論なんだ。これはウェブ・サイトを立ち上げて約2年のアタシの経験から言えば、ちっとも“公開”なんかじゃ〜ねぇんだ。今じゃ石を投げればサイト・オーナーに当るほどに一般化したHPだから、われわれ一般人がどう叫んだって一般人が振り向いてくれるワケもなく、んま、アタシのサイト・アクセスがいい例で、現在は一日約50〜60。で、この数はアタシらの子供時分の1クラスの人数ですから、ま、クラス日記みたいなもんなんですよ。日記まで読んでくれる方は顔見知りか、そうじゃなくても何度かメールし合った知り合いで、それで丁度その数にぴったりなんだ。だからまったく知らない方がコッソリ日々読んでいるってことはなく(読んでくれた方は大体がフフフッ…、読みましたよってメールをくれて友達になったり、相互リンクし合ったり)、だから、これは断じて“公開”じゃなくて、<友達へのおしゃべり>なんだ。だから作家が見知らぬ人を対象に本や雑誌で公開する日記とは基本的に違うんだな。あたしは少なくとも、そう思って書いている。


さらに言えば、あたしのサイト・タイトルは「週末大島暮し」で、それもヤフーなんかに登録していないし、その中でこっそりの日記だから、あたしに関係ねぇ方は容易に辿り着けないようになっている。まっ、知っている方(知人・友人・知り合い))しきゃ〜、アタシの日記には辿り着けねぇ。だからね、もっと本音を吐きたいが、仕事がらみで素性が割れているからホントのところはなかなか書けない。

<更新順>
 ホームページを見ているってぇ〜と、掲示板でも日記でも新しいのがトップにあって、古い文はドンドン後ろに追いやるのが通例なんでございますねぇ。アタシはこの例に反し、
最新更新分が最後なンです。それはフツーじゃねぇ〜よ、と注意して下さる方もいるが、これは分かってやっていることなんだ。こだわるワケは…頁をめくるに従って新しくなるのが普通だと思うし、古いのから最新へ辿り着く間に、フッと古い記述の不満足部分で立ち止まってチョコチョコ書き直すのが楽しいからなんですよう。歳をとってくるってぇ〜と、アレだコレだと代名詞が多くなり、後でアレを思い出したり、調べ直したりするんです。「お前はIQが低いからアレが多いンだよ」と言われりゃオシメェ〜だが、後でアレが分かった時の歓びはなかなかのもの。訪問者にスクロールする手間をかけて申し訳なく思っていますが、まずはアタシの楽しみ優先。好きなやり方でやんなきゃァ続けられないもんね。でね、最近悪い悪戯を覚えちゃった。過去の改ざん、ギャ・ハ・ハ・ハァ〜!

<記号絵文字>
 イヤですねぇ〜。文末に笑ってる、泣いてる、冷や汗を流している…などの記号絵文字のついた文。あれが踊り乱れている掲示板なんか見るとゾッとして即、逃げ出しますぅ。えぇ、10代ギャルがやっているぶんには可愛いんですが、いい大人が文末に絵文字入れたりしていて、これが結構50面下げていたりしてね。こっちが恥ずかしくなっちゃうんです。「
文末に絵文字のオヤジ哀れかな

<インターネットは空っぽ? その1>
 パソコン始める前のこと、「インターネットは空っぽ」だったか、そんな題名の本を読み、さもありなんと思ったもの。読みたい本があるだろうかと大型書店を1時間も探し回ったあげく、結局は買いたい本がなく、虚しく店を出ることも多々。例えば最初の数行を読んで鳥肌が立つ小説なんか滅多に出会えねぇ〜。それを商人が営利目的に、また素人が立ち上げたウェブ・サイトが心を満たし、心を踊らせるとは到底思えない。その意では、いつだってインターネットは空っぽなンだ。

<インターネットは空っぽ? その2>
 人間ってぇヤツは、何でもいいから意識が集中しているか、解放されている時が幸せ、至福なんですねぇ。ですから、その逆の退屈、倦怠に倦んでいる時が不幸せなんです。だからボケーッとネットをさ迷っているだけじゃ、いくら見ても空っぽなんだ。まぁ、エッチ・サイトを見て、グ・グッと意識が立つ(勃つ)ことはあるんでしょうが…。ですから自らテーマを持って、その世界探求にインターネットを駆使すれば空っぽではなく、そこはかなりの知識の宝箱で、にわかに面白い世界が拓けて来るワケで、結局は自分次第ってことですね。で人間は飽きっぽいワケで(飽きないのは、これまたエッチ世界で、エロサイトは永遠に不滅なんです)、持続するテーマをいかに抱くかがポイントなんだと思うンです。えぇ、アタシも飽きっぽいタチですから、常に新たな関心テーマ探しています。で、一度食らいついたテーマのアンテナを敏感にし、飽きない努力も必要なんでしょうねぇ。

<インターネットは空っぽ? その3>
 アタシは今、蔵書をドンドン捨ててい、んまぁ、死ぬ時は数冊ほどがいいかなぁ〜と思っているンです。こうスッキリ出来るのも、インターネット及びパソコンのお陰で、百科事典だってCD1枚だし、まぁ、おおよそのことはネットん中にあるんですね。その意味では、個人発のサイトがもっと多彩に、もっと深化すればいいなぁと思っています。んまぁ、雑誌レベルはすでにネットで充分だし、専門書的(学術的)分野も充実化する一方だろうし、後は有料でもいいから書籍が気軽にネット閲覧できればいいと思うんですが…。音楽も本もダウンロードで楽しむことが普通になって、本屋もレコード店もなくなる時代が、いずれは来るだろうし…。えぇ、すでに調べ事はもうネットが欠かせませ〜ん。

<インターネットは原稿書きに欠かせない その4>
 「空っぽ」なんて書いてきたが、いつの間に日々の原稿書きにネットは欠かせない存在になってきた。あたしの原稿は演歌歌手インタビューがほとんどで、まぁ、皆さんは気軽にお話になるから、原稿を書く段階で固有名詞、年月、タイトル、事象などしっかりと裏をとらないと(確認しないと)書けないん。思い出を振り返ってもらうインタビューなんかでは、ディスプレイの下半分が原稿書きで、上半分が調べ用のサイトスペースになったりする。ふふふっ、今じゃインターネットがなけりゃ、怖くて原稿も書けやしない。昔はどうしていたかと思え出せば、机の上にいろんな資料をいっぱい広げつつ書いていたんですね。

<メール(1)>
 見知らぬ方から、メールをいただく。これ、サイト・オーナーの大きな歓び。一方、顔見知りの別れて二度と逢わぬと思っていた方から「偶然にあんたのサイトに出会って、ウ・フ・フッ」なぁ〜んてメールもあって付き合いが復活する。日頃一緒に遊んでるヤツが、「お前って文章書くんだぁ〜。知らんかったなぁ」と驚きメール。ガキジジイと思ってたんですね。逆にキャツのことをいろいろと書いているが、パソコンやっていなくて永遠に読まぬケースもあろう。会う度に必ずメールしますと挨拶して、一度もメール寄越さぬヤツもいる。チャランポランなヤツだなぁと思っていたら、どうして、なかなか味のあるメール文章で見直しちゃった娘もいる。さまざま面白いんです。で、総じての特徴はベタベタした付き合いに発展しないのがメールの最大の良さで、アタシには「メル友」で事件…は、ちょっと想像出来ぬ。で、結局は仕事中心、主に原稿送りに日々活用。また表紙カラー写真だってメールで送られて来たりで仕事頻度が増している。アタシは電話よりメールの方が断然好き。

<メール(2)>
 アタシは一人仕事で、携帯持たず、留守電も故障のままだから、業務連絡も次第にメール中心になっている。メールをそうやって日常的に使い出してくると、ひと段階違った領域に入ってくる。最近は「F」社のSからの件名が「人妻の悶え」「人妻の告白」「人妻の喘ぎ」「人妻狂乱」などで、中味は堅苦しい業務連絡なのだけれど、アタシの「受信トレイ」はさながらピンクサイトの様相を呈している。これなんか、昔、ファックス全盛だったころに流行った「いかに目立つか」で、毛筆でタイトルをデカデカと書いて送ったりしたもので、それに似て他メールより目立つこと・目立つこと。あと「Re:」で、こっちが送った文が全文送り返されて来るってのイヤですねぇ〜。自分が送ったメールは自分でよくわかっているワケで、それをされると「あんたは、こんな下らないメール文を送ってきたんですよぅ」と言われているようでヤな気分になる。これはきっとマニュアル通りの利用なんだろうが…。アタシもリプレイは便利だからよく使うが、タイトルを変え、送られた文は削除して返送しますね。相手がどんなメールを送ったか忘れ(そんな馬鹿なぁ〜)ている様に感じられる時は、まっ、主要2行位を残して他は削除してから返信します。これが礼儀、心配りってもんでしょう。この辺からも相手の性格が見えますね。あいつはザツだから、きっと家ん中の掃除も行き届いていねぇ〜んじゃない、とか。もうひとつ、メールは文章だから電話より心理が出ますねぇ。あぁ、アイツは今、浮ついているな、くたびれているなぁ、いつもより誤字打ち間違い多いから、とか。結構、文の背後が見えたりして面白いのです。

<匿名性:その楽しさがガラガラと崩れる時>
 Web遊びは、ハンドル使用の匿名ゆえの楽しさがある。あたしのハンドルは「スクワットやま」で、いつの間にか「境界亭やま」になった。その謂れは言わぬが花ってぇ〜もの。そもそも「週末大島暮し」で立ち上げたサイトで、島は人口1万・世帯数4千だから、すぐどこの誰だか分かっちゃうワケで、これじゃつまらねぇからテキストにも匿名性を留意した。で、サイトで知り合った方々とは、ハンドルのまま交流深めた後に遠慮がちに互いの本名を晒しあったりする。一方、はなっから本名、年齢、住所、電話付きの署名メールいただく場合もあって、これはパソコン始めたばかりの方か年長者が多いが、見知らぬ方への突然メールの正しき礼儀に他ならず、礼には礼でしょうから、こちらも本名、住所入り署名になって、ここで密かに楽しんでいた匿名性がガラガラと崩壊して行くんですねぇ。えぇ、仕事の場合は別ですが、インターネット遊びは匿名でいいと思うンですよ。でも仕事より遊びの方が真剣なンですよねぇ。でも、この匿名性で悪さするヤツがいるから、そこが難しい。

<ハンドル:それは狂歌名に似て…>
 ハンドルは「あだ名」だから、ハンドルネームは「あだ名の名」。まっ、和製英語ですね。で、インターネットのハンドルをみると江戸時代は1700年代後半(化政期)の狂歌全盛期を想起しますね。当時の主だった狂歌名を列挙すると下級武士・徒歩の大田南畝が四方赤良(よものあから)、杏花園(きょうかえん)、蜀山人(しょくさんじん)など。駿河小島藩の江戸詰用人・恋川春町は酒上不埒(さけのうえのふらち)、湯屋経営の大野屋喜三郎が元木網(もとのもくあみ)、その細君は知恵内子(ちえないし)、旅館経営の石川雅望が宿屋飯盛(やどやのめしもり)、画家の酒井抱一が尻焼猿人(しりやけのさるんど)、吉原妓楼経営の村田市兵衛は加保茶元成(かぼちゃのもとなり)、蘭学者の桂川甫斎は竹杖為軽(たけつえのすがる)。そのほか…朱楽管江(あけらかんこう)、浜辺黒人(はまべのくろひと)、大屋裏住(おおやうらずみ)、手柄岡持(てがらおかもち)、山手白人(やまてのひろひと)、大飯食人(おおめしくらんど)、土師掻安(はじのかきやす)…等々。彼らはこれら狂名で交際したが「連」なども盛んで、まっ、オフ会も活発で、そこから次々に狂歌を発していた。で、たとえば御徒衆だったり用人だったり妓楼や湯屋経営だったりする方がむしろ「世を忍ぶ仮の姿」とうそぶいて遊んでいたんだ。その結果、武士だ町人だの枠を超えた活発な交流が生まれた。ねっ、どこか狂歌全盛だった1700年代後半とインターネット時代と似ているでしょ。で、問題はハンドルから文化が生まれるか?ですね。あの時代は「狂歌」「戯作」「黄表紙」「浮世絵」と百花繚乱だった。

<今はメールは仕事のみ>
 いつからかスパムメール、ジャンクメール洪水で、誰もがアドレス非公開になった。一方、仕事は原稿も写真もメール入校中心で仕事の大事なツールだから不純なメールに侵食されぬようにひた隠しにしなきゃならなくなった。アドレス入り名刺を渡した相手が、ウィルス不用心の輩だったらこれも迷惑を被る。個人情報の流失もありましょうから、インターネットをやっていれば「性善説」なんか軽くぶっ飛んでしまう。便利になったが自己防衛も怠れない。

<アクセス>
 よしゃ〜いいのにカウンターなんか付けちゃった。「アクセス向上委員会」などあって、数字上げるのに多くのオーナーが躍起になっている。某社に辞めたスタッフが立ち上げたサイトがあって、中味は更新忘れた廃墟だが「掲示板」だけが生きていて、これでカウンターが結構カチカチ動いている。また一度、某掲示板に書き込んだばっかリに、さぁサとばかりに、書き込みやキリ番ゲットを煽る全員メールが送られて来たりして、数字上げるに血まなこオーナー(管理人)もいる。カウンターが微塵も動かぬは淋しいもンだが、上記2例のように内容伴わずに数字重ねるも虚しい。で、アタシのサイトへのアクセスは一日60くらいだから、この位が丁度いい数で、個人ごと晒す日記もあるわけで、それ以上あったら恥ずかしくてやっちゃァ〜いられねぇ。えぇ、時に自己嫌悪から「サイト辞めようかなァ〜症」になって、で、立ち直るは「これ、書きたぁ〜い」がある時で結構矛盾。もう絶対に辞めたと思って更新せずの日々があり、そんな時に小さな町会神輿に出会って、「セイヤ・セイヤ」と忘我陶酔の女担ぎを見ていたら、何故かジーンと涙が出て来ちゃって「これ、書かなきゃ」と思って復活したんです。えぇ、それ書きませんでしたけれどもね…。
神輿担ぎの「セイヤ・セイヤ」は「精を出せ、精を出せ」の略で、昭和天皇即位の時の神輿で「セイヤ」は略式だから「ワッショイ」に統一して、最近になって「セイヤ」が復活したんですって。(「宵越しの銭〜秋谷勝三老人聞き書き…より)
富岡八幡宮例祭(深川八幡祭り)は “ワッショイ・ワッショイ”です。子供の頃の板橋の神輿も“ワッショイ”でした。
某サイトでキリ番をゲットしてハワイ土産の写真立てをいただいたことがある。亡き愛犬「バーキー」がそこに収まって、パソコン脇からアタシを見守ってくれている。

<原稿書き>
 日々の仕事が原稿書き。原稿用紙と万年筆捨て、衝動買いしたワープロに切り替えたのは昭和50年代後半(1980年代半ば)ころ。以来、富士通の親指シフト「oasis」一途で20年余…。何台も乗り替えた「oasis」だが、最後の600(マックみてぇにレイアウトが出来た最上機)がついにままならなくなったのを機に、平成12年(2000年)2月にウィンドウズへ切り替えた。不便この上ない「Word」だが、慣れるより仕方がなくて今日に至っている。で、一日の大半をWordで原稿書き。そして今はもう「原稿」なんて言わないで「テキスト」なんて言うんだね。DTP前の写植時代は「ネーム」なんて言っていたが…。いつも「テキスト」書きが仕事だから、ノラずにイヤイヤ書いている時もあれば、根気が続かず飽きて来ればホームページビルダーを開けて、チョコチョコと自身のサイトをいじっては、また仕事に戻ったりする。「毎日、更新ですかぁ」と驚かれることもあるが、同じパソコンに向かっての気分転換があってこそ、仕事の「テキスト」書きも順調で、その逆にサイト文をいじったりして頭が動き出すのを待ったりするんです。ですからね、少しも難儀なんかじゃねぇ〜んです。

サイトのテキスト量にビックリする方が時にいて、そんな方に限って「お話が得意」と気付いちゃった。ってことは、アタシはお話がからきしダメの寡黙派だから、文章は饒舌なんだとわかった。…と記したら「ウヒャ〜、あんたぁが寡黙だってぇ〜」とかかぁが腹ァ抱えて笑い出したぜ。でも、これ一理あって、某が余りにお話が上手だから、そのまま書けばそれで作家よ、と言えば「イヤ、書くとなると、話すようには参らぬのだよ」と言った。難しいもんだねぇ。

<テキスト文体>
 ってぇもんで、その「テキスト」文体ですが、最初に書いた「週末大島暮し」他は、口語体っぽく、ハナっから東京弁混じり文体で、そんならそうと、さらに東京弁磨いて(?)みようかなぁ、というところなんです。アタシは祖父の代からの東京で、その元は埼玉らしいから生粋の江戸っ子ではないんですが、
「しと(人)がさぶい(寒い)っていってんだから、しばち(火鉢)へ、し(火)入れて持ってこい。空を見ろ、おし(日)さまがでてねえだろ」のクチで、子供の時分に立たされて「ひ」が言えるように、ずいぶん特訓させられたのを覚えている。生まれ育ちが板橋だから、近所に職人たちもいて、きっと下町風東京弁で、おふくろが浅草の芸者衆にお茶(江戸千家/2003年“大江戸八百八町展”をみたら習い事の番付表があって、江戸の茶道は断然トップで江戸千家だった)、お花(古流)なんか教えていたりの影響もあっての花柳界の匂いも届いていて、で、大人になって書く仕事始めたもんだから標準語しか使えなく、半隠居でサイト遊びやって、にわかに懐かし東京弁が使いたくなって来たってワケ。で実はうろ覚えで、古今亭志ん生はじめの落語CDを聞くか、本を読んで勉強するとか、マジに勉強してみようかなぁと思っているのでございます。果たして、精度を増すことが出来ますでしょうか・・・。

「東京下町ことば」を2001年12月にサイトオン。2002年2月に「ふるさとの方言」にリンク。

2003年11月に、こんな文章を見っけた。 …安田:僕は子供のころから一人称は「ぼく」で育っているでしょう。ところが下町へ行ってうっかり「ぼく」なんて言うと笑われるんですよね。「なんたってお前さんは “ぼく” ちゃんだかねって冷やかされる。子供のときは「おれ」だし、ちょっと一人前になれば「あたし」、丁寧に言えば「あたくし」ですね。「わたし」って言うのは田舎者ですよ。東京の人間は使わない。僕は今でも嫌いだね、「わたし」って言うのは…。安田武(1922年東京生まれ。思想家)

これはどっかに書いたが、アタシが音楽関係で取材した方のなかで、気持ち良く「アタシ」連発はテイチクEの飯田久彦社長(昭和16年、東京生まれ)だった。で、「父は白木屋・呉服売り場の出で…」とどっかで言っていて、ありゃぁ〜!これはどっかで聞いたことがあるなぁ〜と思い出せば、林えり子著「宵越しの銭〜東京っ子ことば〜秋谷勝三老人聞き書き」の秋谷老人が、白木屋に長年勤務の方だった。むろん、秋谷老人も「アタシ」だった。

<ワープロからパソコン切り替えのホントのワケは?>
 原稿書くだけなら、新たなワープロ買えばいいワケですが、それがどうしても出来ぬワケがあったんです。それまでの税理事務所にお引取りいただきましたもんで、自分で決算やんなくちゃならなくなったからなンです。パソコンならDTPスタッフが使っていたマックが2台あったンですが、パソコンで「弥生会計」で経理と言えばウィンドウズで、どうしようもなくパソコン始めたんです。だからウィンドウズを買って、最初に取り組んだのが「弥生会計」で、えぇ、もう死にもの狂いの格闘でした。今も年に一度、決算報告と確定申告の時期(GW直前の4月末提出)になると、アタシ、発狂すンでございますよ。1年に1度のパソコン「弥生会計」をどなたか安いギャラで手伝って下さる方はいませんかねぇ。

<図書館検索>
 インターネットで居ながらにして蔵書検索、レファレンス・サービス(必要な資料や情報を必要な人に的確に提供するサービス)が受けられる図書館が増えつつあって「これぞ、インターネットの醍醐味」(本来、ここからネットが発展した)です。東京都中央図書館をよく利用していて、「幻の…島の新聞」にレファレンスをかけたら、国会図書館はじめ方々に調査して下さって「ウェブサイトの週末大島暮しが一番詳しいようです」と何と!アタシのアドレスを教えてくれた。で、最近は市町村の図書館も徐々に充実しつつあって、歩いて数分の新宿区立・大久保図書館へネット検索したら「井伏鱒二全集の第6集に伊豆大島の章」があると教えてくれて、さっそく借りに行った。ネットでなければ絶対に出会えぬ本、文章、資料に今日も巡り会いました。
※今ではグーグルの「ブック検索」なんて便利なものも誕生している。

<半隠居>
「Inkyo Wolrd」 なぁんてコーナー作ってぇるくらいですから、本格隠居に至らねど半隠居に間違いはない。「演歌日記」読まれている方は、そりゃウソだ、結構忙しそうじゃねぇかと思われましょうが、現役の頃は、幾つも仕事が重ならぬとやる気も起きなかったワケで、今じゃ、今日は何をして過ごそうかしらと暇もてあそぶ事がよくあるんです。で、若者は街で忙しいほどに遊べばいいし、壮年は仕事熱中がいいし、隠居こそがインターネットを楽しむ最適世代なんじゃないかと思うんですね。で、実情はってぇと、自分よりグッと若い方、年上の方とは出会うですが同年配には出会わない。“半”隠居なんて中途半端、世間にはないのかもしれませんねぇ。でも改めて、アタシのスタンスは「半隠居」でござぁ〜い。
※でね、野暮を承知でネタ明かしすれば、アタシはサラリーマンじゃないから定年退職も退職金もねぇ〜ワケで、ずっと働かなきゃならねぇ〜んです。

<携帯は今で、ホームページは過去志向>
 2002年10月23日の朝日新聞「ひと」欄に永六輔さんが載っていて「パソコンしない。携帯持たない」の見出しがあって、フッとこう思った。携帯ってぇ〜のは“今”のための道具なんだ。「今、ここにいるが…」「明日はこうして」と時間レンジが「今」を軸に使われるツール。一方、パソコンのホームページは時間レンジが広く、アタシのように郷土史、下町ことば、11年にわたった島暮しなんかを記すに向いている。歌手のファンサイトだって過去の足跡調べに熱が上がったりで、ジックリ取り組み志向があるんだ。で、アタシは携帯持たずで、これは慌しく今を生きることを拒否していて、パソコンはやるから今より過去が面白いってことかもしれない、と思った。うん、例えば本。現代作家のもんなんて読みてぇ〜もんそんなにないなぁ。明治・大正、昭和初期の未だアタシが知らない作家との出会いの方がおもしれぇ〜し。あなたは「携帯する、パソコンする」でしょ。そのココロは…。

<遺言 死後5年間はサイトを維持せよ>
 一昨日ウォーク、昨日ランして頭ふたたび活発で、今夜、湯入りながらグッドアイデアが浮かんじゃった。「死後5年間はサイトを維持せよ」と息子に遺言してさぁ、サイト見た人からメールなんか来てさぁ。息子が、こう返信すんのよ。「このサイト・オーナーは3年前に死んじまってるんですがねぇ」で、「げ・げぇーっ」と驚く様を、あの世から楽しもうって企て。思わず膝叩いたアイデアで、これ、冷静に思えば今月号「文藝春秋」の特集が「遺書80人魂の記録」で、これが脳裏にあってのひらめきだったんだね。

<我がホームページ考…増殖するリンク>
 かつて毎週末通った伊豆大島への熱き想いを綴った「週末大島暮し」をもってスタートしたサイトだったが、生業の演歌仕事も加えてオフィス要素をプラス。さらに徒然思うことなどを記す「半隠居暮し」も構築し、でもサイト登録名は相変わらず「週末大島暮し」で、何がなんだか分からねぇ多重構造になってしまったぁ。思うにこれはホームページの最大特徴・魅力であろう「リンク」ゆえの増殖で、これは極めて人の意識に似て、あれからこれへ、追憶から原初体験へ、さらには遥か宇宙への糸をも紡ぐ限りない働きに似ているから、次から次へ増殖を求めて来る。目下はこの誘惑に身を任せつつのアメーバ−的増殖を楽しんでいるのだが、果たしてどこへ行ってしまうのだろうか。そんなサイトで、この更新(この文)まで見て下さる方がいるとすれば、それはもうお友達に他ならず、感謝するのみ。

<掲示板考>
 HPを立ち上げた当初は「掲示板」設置の誘惑に何度も足がふらついたもンだが、やっぱり設けなくて良かったなぁ〜と思っている。「掲示板」があれば、アクセスの活発化は自明だろうが、アタシ好みではない輩の占拠もあるワケで、そんなのを我慢してまでやりたかねぇ〜。よく出来た掲示板を観察してみれば、オーナーは学級委員よろしく、そこに集う人々に気配り、気遣いがあるワケで、あぁ、そんなのアタシに出来るワケもなく、一番したくねぇ〜ことだ。さらに言えば「掲示板」のあるサイトは、主コンテンツに見向きもしなくなるのも自明だろうし。まぁ、そこまではしたくないってことですね。

フとした時に、自分のサイトの過去に書いた文を読み直して、アッと気付くことがある。この<掲示板考>もそうで、そう、アタシが学級委員的なことが嫌いなのは、えぇ、小中時代はかなり学級委員やっていて、あれは中学のころ。ま、ガラの悪い地域の中学で、そこで育ったアタシもガラは悪く、まぁ、みぃ〜んな不良少年、不良少女だったんだ。で、熱血漢のあれは「佐藤先生」だったが、クラスがまとまりねぇ〜のは学級員のおめぇ〜が悪いと、いきなり凄い勢いで殴られたことがあるんだ。いってぇ〜、何にイライラしていたか今もそのワケは分からないんだけれど、数メートルぶっ飛ばされたように記憶している。以来、フン!とばかり、そいから尚のこと、人の面倒みる学級委員的なことに嫌悪感持っちゃったんだ。アァ〜、そうだ、そうだ。それが嵩じての組織嫌いで、サラリーマン生活も4年しきゃ耐えられず、早々にフリーランス人生歩くことになったんだなぁ〜と、還暦間際になって初めて気付いた。あぁ、こりゃ〜、大発見だ。

アタシが掲示板を作らぬのに業を煮やした大島通い仲間のハマちゃんが、平成15年10月に掲示板だけを作ったので、これを「週末大島暮し」扉にリンクした。自分でやらずに(無責任に)他人が作ったものを利用する。これってグッドアイデアでしょう。そしたら、この掲示板からコンちゃんの「ツキンボ・ワールド」なる立派なコーナーが生まれた。掲示板も使い方次第、かつまた管理人次第。まぁ、半年ほど掲示板遊びをしたがもう止めた…。

<増殖するリンクが新たなテーマを生んで…>
 自宅マンション7階ベランダから箱根山が見える。窪地の4階建て戸山ハイツの何棟もの屋根も見える。箱根山は江戸時代の尾州侯屋敷庭園の玉圓峰で、ハイツ建つ窪地は池の跡。変貌続ける東京ド真ん中の貴重な江戸時代の名残。またここら一帯は広大な戸山ヶ原でもあって、明治の頃に「戸山ヶ原アパッチゴルファー」(大島歴史探偵団に写真入りで記している)が出没したエピソードも残している。明治・大正の画家、作家らの本を読めば戸山ヶ原の自然に感嘆する箇所などに出会って、それらも随時記して来たから、気がつきゃ「戸山ヶ原」話題が幾つか貯まった。「ここまでくれば一丁、戸山ヶ原の歴史まとめなきゃあ〜るめぇ」ってワケで、未だリンク繋げぬがホームページビルダーの中には「戸山ヶ原伝説」なる郷土コーナーも進行中。コリアン・タウン化しつつある我が街の懐かしき郷土史。とは云え、尾州侯屋敷も謎多く、さらに戦時中になれば軍医学校跡地から大量に発見された人骨の731部隊関係まで及ぶワケで、さてどこまでやりましょうか…と迷っているが、遊んでないでさっさと仕事しなさいよの声も聞えるワケで、さて、どうしましょう。
2002年3月3日に「戸山ヶ原・戸山荘伝説」のタイトルでサイト・オン。ロマンの裏には暗い歴史もあるワケで「裏戸山ヶ原・戸山荘伝説」もポチポチ書いているが、こちらは筆がなかなか進まねぇ。

<ネットで買い物>
 最初にネットで買物をしたのは「古書(古本)」だった。新刊はほとんど読まず(今の作家で読みたい人がいなくて…)、古本にばかり手が出る。幸い近所の高田馬場に古本街があってここを散策の本探しが楽しい。新宿図書館も全9館で図書検索ができるのでこれも大いに利用している。これらで手に入らぬと古書ネットのお世話になる。ネットオークションにはまったく関心がないから見たこともないが、それでも欲しい物が時折出てくる。平成19年2月に「ムカデ避け蚊帳8畳用」をネットで買った。これは底のある完全密閉式で、これなら裸で心おきなく安眠出来る。大島週末暮し16年になるがこれはもっと早く買っておけば良かったと思っている。それほど快適・安心の逸品なり。同年夏、突然に餌木でアオリイカを釣るエギングに興味を持った。新しい趣味は本から入るあたしのこと、まず本から初心者用ロッドやリール調べ。だが候補の商品を求めて上州屋の池袋、新宿、渋谷店に行ったが知らぬロッドばかりで、これではラチが明かぬとネット購入を決めた。「ダイワ INFEET EG83MHI(エメラルダス)」と「ダイワ・カルディアKIX2506(浅溝タイプ)」。商品名を覚えるだけで舌を噛むマニアックな釣り世界。そう、「伊豆大島 エギング」検索で片っ端からコピーして「私用年間アオリイカ釣果極秘ノート」を拵えた。これなんかもネットならではだろう。さて、実際に釣れるかどうかは神のみぞ知る…。




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