服部浩子 『波止場』
05年1月29・30日 デビュー15周年シングル、伊豆大島「椿まつり」イベント
18歳の“浩子ちゃん”から15年…。デビューの地・伊豆大島“御神火大使”就任
今年デビュー15周年でその記念シングル『波止場』を昨年秋発売の服部浩子が、1月29・30日に伊豆大島で開催の「椿まつり」オープニング・イベントに参加した。
服部のデビュー曲は平成2年2月の『御神火月夜』。当時18歳。島の観光スポットでプロモーション映像を撮ったり、唄ったり…。同島は三原山噴火の全島民避難から4年後で、島は噴火の復興事業と年々衰退の観光集客が大テーマ。そこに可愛い新人歌手が島の歌でデビュー。加えて3月には芸能界復帰の都はるみも島を訪れるなど島は新旧の“大島がらみ歌手”で華やいだとか…。
伊豆大島はここからもわかる通り昭和3年の『波浮の港』に端を発して、『島の娘』『』大島おけさ』『』燃ゆる御神火』、さらに島倉千代子『東京の人さようなら』、藤島恒夫『アンコなぜ泣く』、昭和33年の都はるみ『アンコ椿は恋の花』…と歌謡曲ヒットと共に観光集客に成功した歴史を有している。
そんな歴史を踏まえた島の皆さんが18歳の可愛い服部浩子『御神火月夜』を愛さぬワケがない。あれから15年経ったが同曲をカラオケナンバーにする“浩子ちゃん”ファンは多い。服部浩子は島への気持ちをこう語っている…
「以来、5年目、10年目と節目・節目に島に呼んでくださって、今回が15周年。伊豆大島の観光振興のお手伝い“御神火大使”の大任もおおせつかりました。これから機会ある毎に全国の皆様に大好きな大島の自然、料理、心あたたかい方々をPRさせていただきます」
29日午後便のジェット機で大島に降り立った服部浩子は、元町港船客待合所の「椿まつり・夜祭る」会場でミニコンサートを開催。今はママとなり、さらに大きくなった癒し系パワー発揮の歌唱で会場をあたたかく包み込んだ。約300名の会場のあちらこちらから「浩子ちゃん」コールが湧き上がる。
翌日は“御神火大使”任命式、そして「江戸みこし&あんこパレード」のテープカット、パレード参加。式典で藤井町長は…
「大島町制50年、椿まつり50回目、江戸みこしパレード30年、そして服部浩子さんがデビュー15周年。大きな節目の年に就任の御神火大使です。共にさらに大きく羽ばたいていきたく思います」
服部浩子は島滞在中の食事中、また打ち上げのお店で『御神火月夜』のデュエット希望者続出のモテモテ。いかに愛された存在かを物語っていた。
★このイベントが決まるちょっと前のこと、某から「島の観光課の誰かを紹介してくれないか」の問い合わせがあった。あたしは泉津の哲ちゃんに連絡し、彼の同級生で今は観光課長の某を紹介してもらった。そのあとのことは、あたしは知らない。まぁ、話はトントンと決まったのだろう。で、当日の取材の夜のこと。食事が済んで服部浩子が言った。「永年、私を応援してくださっている方のお店に行きましょう」。そこへ行けばマスターがあたしを指さして「おぉ!」と叫んだもんだ。彼とは山本譲二の大島キャンペーンの際にお世話になり、夜も彼の店で譲二さんがマイクを離さず唄いまくった店なり。その後、島に行けば犬の散歩中のマスターとよくあった。で当夜のこと。盛り上がる最中に商工会会長が来る、議長さんが来る。で、皆さんとあたしはすでに顔なじみ。その時になって服部浩子一行は「オヤッ」という顔であたしを見始めた。結局一行が宿に戻っても、あたしひとり拉致されて呑み続けるハメになった。このイベントのそもそもに、島の哲ちゃんが関与していたことは誰も知らない…。ちなみに哲っちゃんちの呑み小屋カウンターには、カメラマン田村仁氏が撮影で連れてきたさだまさし、吉田拓郎、伊勢正三、ル・クルプ、大川栄策などの寄せ書きがビッシリ。
服部浩子 『倖せ通りゃんせ』
懐かしき昭和20、30年代歌謡曲の味わい青春スターのような“浩子ちゃん”