原田悠里『母鏡』
25周年第1弾はデビュー曲と同じ、桜田誠一作曲。心から心へ「マン・ツー・マン」歌唱に初挑戦。

 ガットギターとストリングス。しみじみとしたメロディー。原田悠里が最初から最後まで心を抑え、実にていねいに噛み締めるように唄っている。歌うは母への思慕。同曲は 2005年日本作曲家協会「新しい日本の歌フェスティバル」グランプリ受賞曲で、作曲は桜田誠一。
「この作品を唄うことが決まってビックリしました。だって私のデビュー曲『俺に咲いた花』を作って下さったのが桜田先生なんですもの。24年間の旅を続けて、また新たな1年をと思った矢先に再び先生との出会い。これは“縁”なんですね」
 デビュー曲はダイナミックな曲調だったが、新曲はその両極に位置するかの楽曲。彼女にとっては初めての世界。さて、どう唄うか…。
「この歌は“マンツーマン”、心から心へ伝える歌ですね。24年間唄って来て、そんな歌も唄える歌手になりたいなぁと思っていた矢先でした」
 幾重もの“縁”を感じつつのトライになったと言う。何気なく唄えば何気なく仕上がってしまう曲に、いかに魂を宿すか。高音域はクラシック的なきれいさになりがちだが、それでもないだろう。まして演歌の泥臭さとも違うような。原田悠里が辿り着いた結論は…
「奇をてらわず心から自然に発する声、歌唱です。不安だからまずファンの皆様の前で唄ってみました。そうしたら何人もの方の眼に涙が…。あぁ、私の母は健在だけれども、この年代の大半はすでに母を亡くされているんだと気付いたのです。最初はささやかに心の温もりを届けられれば…と思っていましたが、この歌は大変なものを背負っている歌なのだと改めて気付かされました」
 改めて歌とは、歌手とは…を自らへ問うことになったと言う。唄うことは芸だが自己表現でもある。楽曲が言わんとするところをどう表現するか。その際に自身の感性、性格、その時の体調も声に出る。
「レコーディング時の認識と、皆様の前で唄って得て早くも認識が変化した。その意も含め、この歌も自分磨きの楽曲に違いなく、歌手の道は限りがないんだなぁ〜と改めて教えれられました」

<歌唱ポイント> カラオケとは言え、それも自己表現に変わりありません。母への感謝の気持ちをこめててらうことなく、ジックリとていねいに唄って下さい。他人に聴かせることより自分の心に…です。
<キャプション> 今年はデビュー25周年。「今までは1年1作主義でしたが、今年は3作リリースにチャレンジしてみます。むろん3作同時チャートイン。コンサートも全国 25場を目標にします」●カップリングは同じく同フェスティバル参加の、原田悠里と同郷の熊本から応募された衛藤由郎作曲作『川尻岬』。これも唄いだしは『母鏡』同様にしっとりジックリですが、途中から原田の真骨頂発揮で歌い上げています。

『母鏡』
06年1月12日発売
作詞:星野哲郎
作曲:桜田誠一
編曲:蔦将包



原田悠里 『天草の女』
25周年記念第3弾〜完結編は故郷・熊本県天草をテーマにした大スケール作。
14年間あたため…満を持してリリース


パワーではなく「多彩な喉」による滋味深さで…スケール感を表現。これぞ25周年の集大成です。

音色、地声、コブシ…小技を得て初めて唄えた故郷の歌…
 スケール大きな楽曲。そのメロディーも高低差が大きくドラマチックな展開。従来の原田悠里なら“待っていました”とばかりに、得意の音域・声量を十二分に発揮して唄い上げただろうが、そこをグッと抑えて唄っている。抑えたことで、多彩多重な歌唱表現を得て滋味深い味わいが生れている。パワー発揮によらないで、味わい深さをもってスケール感を生む実力派の域…。
「この楽曲は、たきの先生と弦先生が私の故郷・天草をテーマに14年前に創ってくださったんです。でもずっと唄いこなせなかった。私には『木曽路の女』『安曇野』『津軽の花』『氷見の雪』などのご当地ソングがありますが、故郷・天草の歌がどうしても上手く唄えなかった。故郷の歌ということできっと必要以上に力が入ったんだと思います。故郷の歌ですからカップリングでもアルバム収録曲でもなく、どうしてもシングル表題曲にしたく頑張って何度もデモテープを録ってきましたが、その度に OKをいただくに至らない。その意では25周年までの道のりは、この歌を唄えるようになるための過程だったような気もします」
 故郷・天草を後にして鹿児島大学教育学部音楽科入学…。
「私はクラシックをやっていましたから4オクターブほどの音域も声量もあります。ですから小技ではなく大技、ヴォリュームで勝負をしてしまいがちです。今までは大技ではなく微細な技を得るための道のりだったのでしょう。それは第一に地声、第二に音色、第三はコブシでした」
♪船が出る度 泣きじゃくる
 女も昔は いたとか聞いた
 歌い出し2行詞の各後半の低音を、声の出どころを変えるように唄って、気持ちよく響かせている。中低音の魅力とその音色の多彩さを絶賛すれば、音楽科卒ならではの答えが返ってきた。
「地声の低音をいかに響かせるか…がこの歌の勝負どころですから、逃げずに挑戦しました。クラシックのソプラノなど高音域は訓練でいくらでも出るようになりますが、地声の歌唱はとても難しいんです」
 難しい唄い出し。カラオケファンには難し過ぎないだろうかと訊けば…
「美空ひばりさんの低音はとても魅力的ですが、多くのカラオケファンの皆さんがそこも上手に真似ていらっしゃるから、決して難しい歌ではありません。皆様もぜひ挑戦して下さい」
 そして音色の多彩さについて…
「歌は“心で唄う”とよく言いますが、いくら心で思っていても、それだけでは歌は唄えません。心を“音色”に変えつつ唄って歌の心が伝わるんです。それを“心で唄う”と言うのですね。いくら心で思っていても、それを言葉にしなければ他の人には伝わらないのと同じです。言葉に匹敵する多彩な音色表現をもって、歌は初めて人の心に届くのではないでしょうか」
 鹿児島大の音楽科を卒業して、横浜の公立小学校で音楽教師を2年間。そして師と仰いだ北島三郎。ヴォリュームと同時に、多彩な小技も有した大師匠が身近にいる。さらにもう一人、4年ほど前から歌謡浪曲の二葉百合子からも本格レッスンを受け出した。大ヴォリュームに併わせて小技も多彩な両師匠。そうした歩みを含めた 25年間。かくして辿り着いた故郷の歌『天草の女』だった。
25周年の節目の意味と、明日へのチャレンジは…
 ここで25周年を振り返ってもらった。25周年第1弾『母鏡』の昨年1月2日発売日に父を亡くした。
「人生観が変わった1年でした。最も身近な人間の突然の死で、私は初めて“もの想う”人間になったようです。それまではひたすら一生懸命だけの人生で、皆さんに笑われるほどの仕事人間だったのです。走り続けていたことで見えなかったものが見えてきた。私にはまだ見えていない世界がいっぱい拡がっているんだなと気付きました」
 これは前述の歌唱論に通じる。パワー、ヴォリューム一辺倒では大事な何かが抜け落ちてしまう。歌手生活 25年を振り返れば…
「同級生は団塊の世代を追いかける次の年代で、今は中年の落ち着いた人生を歩み始めています。でも私は今も学生時代と変わらずにコマネズミのように走り続けている。あの頃は声楽、ピアノのレッスンに日舞のお稽古もしてアルバイトもして…。今も“明日オーディションを受ける新人”のように落ち着かずに全力疾走なんです。そんな私がやっと『天草の女』で七〜八部で唄えるようになったんです」
 これで落ち着いた歌唱や粋な世界を追求かと思いきや、原田悠里はやはり変わらない…。
「今までが大技で抜けていた音色、地声、コブシなど微細な表現力に挑戦してきましたから、今度は本来の私に戻って4オクターブに近い音域やクラシックで培った喉を発揮で大きな挑戦をしてみたいと思っています」
 落ち着くどころか改めて本領発揮、ダイナミックな全力歌唱で新たな音楽世界を構築せんと意欲を燃やしている。あくまでも原田悠里らしく…のようです。

『天草の女』
07年1月1日発売
作詞:たきのえいじ
作曲:弦 哲也
編曲:蔦 将包

●25周年第1作は昨年1月発売で、母への想い『母鏡』。第2弾は6月発売で、人生・芸道を歌った『いろは坂』。そして完結編『天草の女』は大きなヒットで故郷に恩返しがしたい…と大意欲。● 2月3日に「キングレコード75周年の“演歌祭り”、2月4日にNHK「のど自慢」に出演予定



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