『北物語』で“歌謡曲の逆襲”を!
〜五木会報第77号掲載より〜

特別企画「歌謡曲の逆襲」…それは音楽シーンの“メインの座”を再び歌謡曲が奪回する闘い…。
だから今こそ『北物語』大ヒットを!なのです。

 昨年12月27日、NHK「公園通りで会いましょう」ウィークリ−・ゲストの阿久悠さんコーナーに五木さんがゲスト出演し、小田切アナの司会で「歌謡曲の逆襲」について熱いトークが展開された。兼ねてより五木さんは「歌謡曲が輝いていたあのパワー奪回を」と語っていた。小西良太郎プロデューサーも「今が好機到来」と鼻息荒い…。NHKの番組トークに、小西さんへのインタビューを交えて『傘ん中』から『北物語』、さらには6月リリースのアルバム『翔』の作品群に秘められたメッセージや志を、改めてここで明確にしてみたいと思います。(編集部)

 阿久さんは五木さんをゲストに迎えた「公園通り…」冒頭でまずこう語り出しました。「僕の日記帳をひも解きつつ、この1週間の番組を始めています。今日は11月24日の日記を開きます。そこには、こう記されています。10時55分伊東発「スーパー踊り子号」に乗って東京へ。同夜、天王洲スタジオで“第35回作詩大賞”授賞式に出席。僕はこの日、こんな歌を詠んでいます。
「賞を手に、歌謡曲の逆襲と ほんの一言 口にしており」
 阿久さんはこう続けます。
「受賞インタビューを受けた時に、こういう言い方をしたんです。“達人が作曲して、名人が唄ったんだから、良く聴こえるはずです”と。(お二人に)本当に感謝を込めてそう言ったのですが、同時にただ運が良くて受賞したワケではなく、僕の思いとしては、やはり“歌謡曲の逆襲”をしたくてなのですから…」
 番組は、ここで五木さんが登場して作詩大賞受賞曲『傘ん中』を熱唱。阿久さんが受賞前のエピソードをこう披露しました。
「五木さんのリハーサルを客席で聴いていまして“すごく良かったヨ”と五木さんに言いましたら“本番はもっといいですから”と応えたんです。“あぁ、絶対に(大賞を)獲れるな”と確信した」(会場大拍手)
 そして…再びテーマに戻ります。
「ここしばらく、唄う人・創る人共に歌謡曲のプロってホントに凄いんだァ〜!と言うのを見せつけて来なかったのではないだろうか。誰がなんと言っても真似の出来ない、これは絶対にプロだ!という人が何人か居て、その人達が“プロって凄い!”ということを人々に再認識させる仕事を今こそやるべきだと思うのです」
 なぜ今、プロの実力をアピールする“時”なのか?ここで小西良太郎さんへのインタビューを紹介です。
「今の音楽シーンはJ−POPと演歌(及びB級歌謡曲)に二極分化され、その真ん中に本来の歌謡曲が埋没しているんです。しかしここに来てJ−POPがサウンド、リズムに偏り過ぎて(音楽のグローバル化と言ってもいい)、メロディーが痩せ衰え、詞は未成熟のままですから、結果的にどの曲も似たり寄ったり状態で衰退し始めて来ています」
 かつては多くの逸材を輩出して来たJ−POPですが、今は出尽し感があって、出せばナンでもカンでも売れる、と言う時代は去り、本当にいい作品だけしか残らない厳しい時代を迎えつつあると言います。
「一方、演歌及びB級歌謡曲も、カラオケに頼り媚び、相変わらずのワンパターンを繰り返した結果、その世界を狭め、かつ先の発展が見えない状況になって来た。ここで本来の歌謡曲の出番になって来た。まさに好機到来です」
「J−POPにだって、その座をすっかり明け渡したワケではないんです。若者の音楽にも頑張っていただかなければなりませんから“さぁ、どうぞ!”としばしの間、座を譲ったに過ぎず、それが行き詰まったのなら、ここらでメインの座を本来の歌謡曲に返していただきましょうかねぇ…って事です」
 小西さん、大人だから寛容なもの言いです。決して目くじら立てて拳を振り上げたりはしませんが…
「(アマチュアリズムに支えられた)J−POP、(B級歌謡曲及び…)演歌もそれなりに需要があるワケですから、音楽シーンに要らないとは言いません。でもここらで本当のプロの凄さを思い出したらいかがでしょうか…ってことです」
 そうした機運が高まりつつある折りに実にタイムリーな船村徹、阿久悠、五木ひろしの歌謡曲一流トリオが期せずして誕生したのです。ここで再び「公園通り…」に戻ってみれば、小田切アナは、こう質問しています。
「お二人のコンビは80年代からで、70年代は…?」

阿久「五木さんは敵側にいました」(爆笑)
五木「僕は五木ひろしデビューから数年、山口洋子さんの詩とプロデュースで走り出していて、その反対側(笑い)に何時も阿久さんの詩を唄われる歌手たちがズラ〜ッといたんです。年末各賞というのは、普通ですと競合歌手と闘うものですが、僕の場合は阿久さんの詩の世界との闘いだった。これはもう生涯の敵(笑い)と思い込んだものですが、80年代に入ってから阿久さんからいただいた詩でシングル・リリースもするようになった。今までの作詩大賞『契り』(昭和57年/五木ひろし作曲)も、『港の五番町』(昭和63年/五木ひろし作曲)共に阿久先生の作詩です。(※阿久さんは大賞を8回受賞しています)今までは闘い挑む相手として阿久さんの詩を見ていましたから、その良さが実によくわかるんです」(爆笑)
 そして阿久さんは…
「五木さんが“よこはま・たそがれ”で出て来た時に、僕は尾崎紀世彦“また逢う日まで”を書いていて、天下を獲ったような雰囲気(レコード大賞受賞)の最中に彼がこう言ったんです。“僕は辞めちゃうかも知れないけれども、ずっと残るのは五木だよ”って。あぁ、僕には分からないけれども、一流の歌手同士っていうのは何かがわかり合っているんだな、と驚いたものです」
 ここで、歌謡曲が華やかだった時代の賞獲り合戦のエピソードが次々に披露された後、再び本題に戻ります。
小田切アナ「そこに本来の歌謡曲があったと思いますが、歌謡曲とは何でしょうか」
阿久「僕は歌謡曲ってもの凄く大きなもの、モンスターだと思っています。その時代のすべて、世界中のいいものを全部呑み込み、自分に合うものだけを残して、外はペッペッと吐き出すモンスターなんです。具体的に言いますとジャズ、タンゴ、シャンソン、ロックンロール…と呑み込んで、日本ならではの歌謡曲という独自の歌を作り上げて来た。世界中の音楽で、こんなにスケールの大きなものはないんです。これは日本が明治維新に西洋文化をドンドン取り込んで、数年で近代国家に変わったのと似ています。それでいて残すべき伝統、風土は失うことなくしっかり大切にしています。こうした歴史と特性を有する歌謡曲を、変にジャンル分けしたら、先が狭まってしまう。日本語の歌の全部が歌謡曲・流行唄でいいんですよ」
小田切アナ「それだけ懐が深い…」
阿久「えぇ、そしてとても自由な世界。それをやればもっと魅力的になる、と思うことなら何でも吸収していい。これは詩、曲の創り方共に言えることです」
五木「同感です。僕が阿久さんと闘っていた時代には、ジャンルの枠がなかった。子供からお年寄りまで流行歌、歌謡曲だった。美空ひばりさんは“歌謡曲の女王”だった。それがいつの間にか“演歌の五木ひろし”になっちゃった。じゃあ『愛のメリークリスマス』は何なのでしょうか。ジャンル意識なく、歌謡曲と言ってしまえば簡単なのに、どこかがおかしくなって来た。日本文化を大事にしつつ、世界のいいものを贅沢に貪欲に吸収して来た音楽、それが歌謡曲でいいと思うのですが…」
阿久「お互いが世に出た時の音楽シーンは、実に巾広い音楽が渾然としていて、それが自然だった。しかし今はロック系の若者の音楽、大人の歌とハッキリ別れてしまった。元来の大きな土俵に戻らないと、先の発展が望めなくなっているんです」
五木「そういう時代をまた創って行こうという趣旨を込めて“歌謡曲の逆襲”でもあるんです」
 番組はここで阿久悠作詩、五木ひろし作曲の『契り』『絆』や『追憶』(曲は三木たかし)誕生秘話が展開され、『二行半の恋文』の詩にテーマが移って行きます。
五木「プロが本気になれば、こんなに味わい深く、かつ日本文化の深さの醸し出した詩が生まれ、こんなにも凄いメロディーがまだ生まれるということです」
 ここで船村徹へテーマが移ります。小西良太郎プロデューサーは…
「船村さんはひと時代を築いた後、50周年を経てから“さぁ、やるぞ!”と遣り残して来た阿久悠との攻めぎあいをスタートさせた。歌謡曲の“志”をぶつけ合うに最強の相手を選んでの切磋琢磨に果敢な挑戦です」
 一方、阿久さんは…
「僕には五木さんの他に、もう一人意識していたのが船村徹さんで、彼が曲を創りたくなるような詩は絶対に書かない、違う世界の詩を書くゾ!心に決めて30数年やって来たんです。そんな遠いところにいた船村さんですが、グルッと振り向くと背中合わせで彼が居たんです。凄い人とは組んでみたいのが当り前のことでして…」
 小西さんは…
「二人の攻めぎあいをみていますと、それぞれが持つ歌謡曲への“志”のぶつけ合いのような気がします。ですから相手のパワーをはねのけ押し伏せようとする凌(しの)ぎあいではなく、互いの良さを最大限に生かしつつ、自分も主張する相乗効果を求めた“攻めぎあい”が展開された。ここから次々に素晴らしい楽曲が生まれ、その表現者として、五木さんに白羽の矢が立った。これら楽曲群を唄えるのは、彼をおいて外にいないと…。二人の攻めぎあいが今度は三つ巴になって一流のプロ三人による“歌謡曲の逆襲”がまさに好機到来の“時”に実現したんです。」
 最後に五木さんが札幌キャンペーンのラジオ出演で語った言葉を紹介して、締めくくりたいと思います。
「“北物語”が受け入れられなかったら、歌謡曲はさらに難しい局面に入って行くように思いますから、ここで、どうしても大きなヒットが欲しいのです。今、そのためにも僕は頑張らなければなりません」
 …五木ファンの皆様方には五木さんの50代、55歳だから、新会社設立の第3弾シングルだから…とはまた別に、『北物語』にはこんなに大きな意義も秘められていることにも、ぜひ注目していただきたいと思います。
 阿久さんの「歌謡曲の逆襲と ほんの一言口にして…」からも伺えるように、一流かつ大人ゆえの謙虚さから“ほんの一言”しか口に出されないプライド高いトップ・プロの三人です。ここはひとつ私たちファンが声を大にして、大ヒットへ向って限りなく燃え上がりたいと思います。そ〜です、歌謡曲の“音楽シーン・メインの座の奪回”を実現出来るのは、私たちのファン・パワーの他にありません。そして、この闘いは今、始まったばかり…。きっと40周年の来年も引き続いて展開されそうです。
 そこんとこ、ヨロシ〜ク!です。(文:スクワットやま)


                   
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