石川さゆり 五月明治座公演 「長崎ぶらぶら節」予告

「さゆり倶楽部」37号掲載

第一部:長崎ぶらぶら節
第二部:石川さゆり オン ステージなんだか

なんだか「長崎ぶらぶら節」はさゆりさんのために書かれたような…それほどの“はまり役”。
五月四日明治座初日、七月の新歌舞伎座をお楽しみに!


 芸事に秀でた芸者・愛八が、郷土史学者の古賀十二郎と一緒に埋もれた長崎の歌を探しに行く物語。なかにし礼さんは、愛八復刻CDの『長崎ぶらぶら節』ライナーノーツに、この小説執筆の動機をこう書いています。
「歌と風土との関係についてじっくり考えてみようと思い立った。民謡のCDを北海道から順に聴いて行って九州に至った時に『長崎ぶらぶら節』という歌を聴いた。(略)耳についてはなれない歌いっぷりの人がいた。その人は、三味線の弾き語りでとつとつと、なんの飾りっ気もなく歌っていた。私はこの声と歌に衝撃に近い感動をうけた」
 かくして氏の愛八さん調べがスタートし、「オール読物」に同小説を発表。単行本化のために大幅に加筆していた最中に仲良しのさゆりさんに逢った。それは平成 11年10月26日のNHK「歌謡コンサート」でのこと。その日は「なかにし礼・大ヒット曲集」特集。さゆりさんは氏の作詞『風の盆恋歌』を大熱唱。楽屋で二人は仲良くカメラに収まって、会報 12号に掲載されている。この時、氏は「長崎ぶらぶら節」についてさゆりさんに熱く語っていたに違いない。
“石川さゆりで、いつかきっと…”
 二人の間でそんな約束が交わされたような気がする。だって芸事に秀でて芸者姿が似合って歌がうまいと言えば、反射的に浮かぶのはさゆりさんをおいて他にいないでしょうから。翌年 1月、直木賞受賞。その直後からあれよあれよという間に映画、テレビ、舞台化の慌しい展開。そうした嵐が通り過ぎるのを待っていたかのように、たっぷりと機を熟してついに夢の実現です。その間にさゆりさんは愛八を演じるにふさわしい歳になっていました。
 歌芝居「芝浜〜落語より〜」の稽古に続き、二月中旬より三味線の猛稽古を開始。一方、なかにし礼さんも劇中歌『歌、この不思議なもの』を作詞。マキシシングル制作に入ったとか…。いよいよ夢の舞台の始まりです。『長崎ぶらぶら節』『浜節』そして劇中歌…。さゆりさんの舞台に期待が高まります。

<「長崎ぶらぶら節」映画・舞台豆知識>
 初出は平成10年7月号「オール読物」。単行本にあたって大幅に加筆され平成 11年11月に文芸春秋社から刊。直木賞発表が平成12年1月14日。同年9月には早くも東映・深町幸男監督で公開。東映京都撮影所に巨大な遊郭セットを作り、長崎ロケでは「長崎おくんち」再現。出演は吉永小百合、渡哲也、高島礼子、原田知世、藤村志保、いしだあゆみ、尾上紫…他。この映画の観客動員数は全国で 114万人。吉永小百合はブルーリボン賞主演女優賞、日本アカデミー賞・最優秀主演女優賞を受賞。
 続いて4月21日にテレビ朝日でドラマ化。出演は市原悦子、藤竜也他。放送文化基金賞でテレビドラマ番組賞、女優演技賞とATP賞も受賞。そして舞台は平成 13年11月の帝国劇場で佐久間良子、古谷一行、松坂慶子、高峰ふぶき他の出演で公演。
 平成15年には長崎・梅園身代り天満宮に文学碑も建立されている



明治座公演レポート 06年5月4日〜30日
(一)長崎ぶらぶら節 (二)石川さゆりオンステージ


「さゆり倶楽部」38号掲載

なかにし礼 原作
一、長崎ぶらぶら節
脚本・演出/金子良次 音楽監修/日々野糧

二、石川さゆりオンステージ
日比野糧/構成・演出

真摯かつ端整な本格芝居で大きな評価

 明治座五月公演が連日大盛況で千穐楽を終え、一ヶ月のインターバル後、7月1日より大阪・新歌舞伎座公演に突入。公演を振り返ってみよう。
 公演一部の「長崎ぶらぶら節」はナレーションに誘われ、10歳の愛八が網場から日見峠を越えて行く幕前芝居でスタートし、舞台は一気に“あれから 40年…”。
 幕が開けば、そこは「東京大相撲」巡業小屋前の賑やかなシーン。応援の前相撲たちのふがいなさに怒った愛八が舞台中央に登場すれば「さゆりちゃん、待っていました」の大声援。愛八は町芸者と肩がぶつかっての大喧嘩。仲裁に入ったのが長崎学の古賀十二郎(近藤正臣)。
 ひと目惚れした愛八は粋な芸者姿で都都逸入り『恋は天下のまわりもの』(同曲もなかにし礼作詞曲)。粋で洒脱に艶っぽく、さらに酔狂な座敷芸が続く舞台ですが、脚本・演出はあくまでも愛八の古賀先生への愛、歌探し、無償の愛を描くことに真摯かつ端整な演出。山芸者と町芸者の総揚げシーンでの愛八の土俵入りも真剣。それもそのはず、北の湖理事長直伝の雲竜型。会場から
「ニッポンイチィ〜」の大声援…。
 古賀先生と歌探しを開始した愛八に「歌は節と言葉の二つの翼で空を飛ぶ」の先生の言葉に、ファンは大納得。歌探しから 3年、二人初で最後の泊り込み歌探しの旅で『長崎ぶらぶら節』に出会う盛り上がりは、その夜の“男女の仲”になれぬ哀しいシーンに、会場はすすり泣き。続く命も儚い「お雪」病床シーンでまた涙・涙…。
 終盤は西條八十による録音話(原作はレコーディングシーンがラスト)で、「お雪」を救う報酬を得るも、お百度参りに身体を弱めた愛八が、回復したお雪に、その“お披露目”を伝える古賀先生への手紙を託し「お雪と私の命が入れ替わったとです」の科白でラストシーンの劇中歌『歌、この不思議なもの』へ。それまでの全芝居をここに集約したかの楽曲で感動を頂点に誘います。最後の絶唱「せぇんせぇ〜」は子音の母音化長崎弁。感動の涙を何度も誘う本格舞台に近藤さんも…
「(ニュアンスを)変えて投げると、石川さんはちゃんと返してくれる演技派…」
 で、さゆりさんに大女優の評価は高まるばかり…。

歌のステージは観客圧倒の大感動展開

 二部「石川さゆりオンステージ」。舞台が出演者全員のキャッチボールなら、歌のステージは一人の勝負。声の色、明るさ、向き、距離、大きさ、品、勢い…と自在に変化させつつの歌唱とステージングで、観客を完全掌握。『ホテル港や』後に一部を振り返って…
「明治座は5年ぶり2度目です。劇場公演は“お芝居と歌のステージ”ということなので経験は少ないのですが、“歌探し”をした愛八さんの物語で、私にも取り組めるかなと頑張ってみました。いかがでしたか…」
 鳴り止まぬ拍手。『大阪つばめ』からアコースティック。まずはギター・ヴァージョン『夫婦善哉』から『人間模様』。リズム楽器が加わって『転がる石』。2コーラスからベースとヴォーカルの迫力セッションへ。
「30周年の時に阿久悠先生にいただいたこの曲は30年やってきたからと落ち着かず、これからも転がり続け、時には尖ってみなさい、とメッセージされたようです」
 『滝の白糸』後にメンバー紹介。そしてスタージは雰囲気一変、底抜けに陽気な『さゆりの河内音頭2006』は花道からさゆりさん登場で、会場も手拍子の爆発。
 ここからヒットパレード。『津軽海峡・冬景色』から『酔って候』の会場を圧倒せんばかりの歌唱に「きれいよぅ〜」の掛け声。舞台ではちょっと遠かったさゆりさんが眼前に迫ってくる感じ。さらにア・カペラの新挿入バージョン入り『紫陽花ばなし』から『居酒屋「花いちもんめ」』の腰を抜かさんばかりの説得力満ちた“女将”物語。迫力圧倒をさらにたたみ込む浪曲入り『岸壁の母』の凄さ。『風の盆恋歌』から『天城越え』(曲順変更有り)。
 明治座千穐楽ではフィナーレに全出演者がステージで『さゆりの河内音頭2006』を大合唱。近藤さんが…
「素晴らしい歌のステージに感動して、皆様、お芝居があったことを忘れてしまったようで…」
 いえいえ、お芝居も歌のステージも全力投球。明治座ではさゆりさん7kg痩せたとか。両劇場各43 回で計86公演、約12 万人余を動員。感動をありがとう…。

(キャプション)
期待と不安の初顔合わせ北の湖理事長より土俵入り直伝 25年前『みちゆき博多発』の頃にさゆりさんは横綱と対談をしています 北の湖理事長は「 100点の土俵入りです」

近藤さんと入念打ち合わせ

お芝居すべてが『歌、この不思議なもの』に集約の迫力…




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