『秋のメルヘン』
05年5月25日リリース
「さゆり倶楽部」33号掲載
『秋のメルヘン』
作詞・吉岡治
作曲・大野克夫
編曲・萩田光雄
カップリング『春夏秋冬・酒ありて』黄桜企業CFソング
作詞・浅木しゅん
作曲・新井利昌
編曲・宮崎慎二
今、求められている歌。今、私が唄うべき歌ってなんだろう。
殺伐さ増す社会にあって人々は、人が人を想う純な心の大切さ、
またそこに、安らぎを見出しているのではないだろうか…。
それはドラマチックなフィクションではなく、
青空の広がり、爽やかな風にも似た…澄みきった心の世界。
私はこの新曲を、そんな風のように唄ってみたい……石川さゆり。
さゆりさんの昨年秋発売『一葉恋歌』に次ぐ新曲は、5月25日リリース『秋のメルヘン』。衝撃・話題作と言っていいでしょう。
まずはジャケット写真。光を浴びたさゆりさんのナチュラル・ショット。2年前の『人間模様』でも洋装を披露でしたが、それはどちらかというとセレブ風で、今回は爽やかな“素”の感覚。白いシャツに薄いピンクのブラウス。ひょっとすると下は洗いざらしのジーンズだったのかもしれません。
光と共にスゥ〜ッと通り抜ける風を受けている。まさにデビュー以来の画期的ショット。この写真の必然を誘ったのは、言うまでもなく新曲『秋のメルヘン』。吉岡治作詞、大野克夫作曲、萩田光雄編曲。
爽やかでクリアーなピアノ、ソフトなストリングスでイントロが始まります。
♪白いシャツ 麦わら帽 海の轟(とどろ)き もう一度 遠花火 出逢った夏が甦るなら
体言止め。これら名詞群から水彩画で描かれたかのような、ちょっと懐かしい夏の情景が浮んできます。その爽やかなメロディーは、どこか井上陽水『少年時代』のよう。過ぎ去った想い出の日々が甦って…
♪まるでメルヘン〜
と結ばれます。そして…
♪ちゃんと食事はしてますか
野菜も嫌わず食べますか約束した
フフフッ。今度は生活感満ちた台詞でどこかさだまさし風…。そして私たちは衝撃を受けます。
♪携帯に灼きつけた
貴方の笑顔が眩しくて
メール打ちます天国へ
『一葉恋歌』で一葉フリークになったさゆりさんファンは、ここでフッと同曲の3コーラス目を想うかもしれません。
♪その袖にまつわる蝶は
まだ慕う化身のわたし
樋口一葉が亡くなったのは24歳。逝く直前の“奇蹟の十四ヶ月”に代表作を次々と発表。病魔に冒されて死を予感した一葉は、慕い集う若き文士たちに、こう言ったもの。
「私は蝶々になって皆様のお袖にまつはりますわ」
明治29年11月末に没。悲しみにくれた青年文士たち(斉藤緑雨、戸川秋骨、上田敏、平田禿木、馬場孤蝶、天野天知ら)は、やがてめぐる春の野辺をそぞろに歩けば、そこに舞う蝶に樋口一葉を想ったに違いなく、その時の青年たちの“純”な胸のうちはいかばかりだったろうかと…。
吉岡治さんはそんな『一葉恋歌』を書き下ろした後に、さゆりさんに時代と主人公を変えて、こんな素敵な詞を書き上げたのです。
前段が長すぎましたが、ここでさゆりさんに新曲について語っていただきましょう。
「“今、何を唄うべきか”そんなことをスタッフと語り合って、今求められているのは素直で純粋な心。それによる爽やかな安らぎ、あたたかさではないだろうか、という答えにたどり着いたんですぅ。ますます殺伐とする社会。そんななかで例えば韓流「冬ソナ」が、なぜあれだけのブームになったか。また今、逝った方を慕う手記や小説などが、若者たちの間でベストセラーになっているのはなぜか、を考えてみると、そこには人が人を想う心、純愛、そんな気持ちを素直に認めて、そこに安らぎを得ようとする動きがあるように思うんです」
さゆりさんは穏やかながら、どこか凛とした口調で語り続けます。
「私の歌には情念がうねり、歌い上げ、大見得をきるような楽曲があります。切羽詰まったドラマチックなフィクション世界…。でも、それらに比し、今求められているのは、誰もが日常のなかで心静かに、秘めるようにして人を想う気持ちだと思います。心のなかで永遠に大切にしたい、そんな“純な心”が、今求められている歌、私が今、唄うべき歌なんじゃかなぁ〜と思うんです。それは永遠の純愛かもしれないし、逝ってしまった人への愛なのかもしれませんし…」
そんなコンセプトが固まって、吉岡先生は師・サトウハチローさんの言葉を思い出されて“今こそ滓の残らない歌を”と思ったそうです、とさゆりさんは言う。印象的なフレーズ創りに頭をひねる作詞家が、逆に歌を聴き終わって言葉ではなく、爽やかな気だけが心に残るようにという難しいチャレンジをされた、と言います。
ちなみに吉岡治さんは昭和9年生まれ。20代でサトウハチロー主催の木曜会に入り、童謡の勉強を始め、後に歌謡曲の作詞家になっています。そのサトウハチローが師と仰いだのは西條八十。サトウの童謡や詞はどこまでも純で甘美です。しかし彼の父・佐藤紅緑共に私生活はかなりの不良で破天荒だったとか。
かくして素晴らしい詞が上がって、今度は作曲…。
「作曲の大野克夫さんは、ハマクラさん(浜口庫之介)のような、これまたてらいのない、それでいてあたたかくシンプルなメロディーを求めて下さった。今までに『沈丁花』『春一輪』『朱夏』を作曲してくださっている大野さんならではの優しいメロディーです」
さゆりさんは“こうした制作過程のネタばらしはしたくないのですが…”と、ちょっと恥ずかしそうに語って、さらに続けます…。
「詞がフィクションとノンフィクションの境界線に揺らいでいます。ですから主人公は20代でも40代でもよくて、その関係も恋人、兄妹、夫婦、親子でもよくて…、要は誰もが心のなかで大切にしたいと想っている、そんな純なシチュエーションなら聴く人次第で変化していいんだと思います。狙いは、そんな心の大切さのアピールなのですから…」
そして、自らの歌唱について…
「青空のような清々しい広がり、風のような心地よさや安らぎ、そんな感じで唄いました」
さらに、ここまで言います。
「ですから、ここには石川さゆりの色、匂いもいらないのかもしれません。歌謡曲・演歌、ポップスの枠も必要なく…」
さゆりさんはかつてCF曲としてリリースした『ウィスキーが、お好きでしょ』が当初は匿名で、次にSAYURI、最終的に石川さゆりの名を出したことを振り返ります。つまり同曲は現実、生身から昇華された純粋な心のクローズアップで、結果的に光や風にも似た匿名性があって当然、と言います。
“滓の残らない詞”なら、ヴォーカルもまた一切のてらいなく、風や光のように唄いたい。
「あっ、風が吹いている。気持ちいいわぁ。私の歌声が、そんな爽やかな風のように感じていただけたらうれしんです」
そんな声、歌唱をも有しているのがさゆりさんの凄いところ。最後の再び自身を納得させるように主旨を繰り返します。
「荒廃し殺伐とした世情です。そんな時代に求めらているのは人が人を想う純粋な心ではないでしょうか。そんな気持ちをもって爽やかに生きてみたい…。この曲にはそんな情景と爽やかな気が満ち、そう生きてみましょうよ、というメッセージもこめています」
かくして『秋のメルヘン』は世代を超え、歌謡曲・ポップスの枠を超え、さらには石川さゆりさえも越え、とことんクリアーな世界を構築。ってことは、そうです。世代を超え、音楽ジャンルを越え、石川さゆりを越えて…限りなくヒットの大きな大きな可能性を秘めた画期的な楽曲なんです。
同曲を真っ先に支持する人々は、もしかしたら『世界の中心で、愛をさけぶ』『天国で君に逢えたら』『さくら』などの純な心の小説に感動した
20代女性たちかもしれません。いや、韓流の純愛ドラマに熱中したオバさま方かもしれません。さゆりさんファンの皆様、どう思いますか…。
なお、カップリングは黄桜CFソングとしてTVで流され大好評だった『春夏秋冬・酒ありて』。まったりした日本情緒と溢れんばかりの艶。“こんなにいいオンナは他にはちょっといない”。ここには、そんなさゆりさんがいます