●アクセス編●

“陸続きの週末田舎暮し”にもアクセスの苦労があろうが、
文字通り“艱難辛苦”の壁を乗り越えて成り立つのが週末離島暮し。
まずはアクセスの奮闘物語から…。


<YS−11>
 当初は綴りチケットで意気込んでいたけれど…

 ロッジ新築当初は、羽田発のエアーニッポン(ANK)YS‐11を主に利用していた。思いおこせば、初めて物件を見にパンチパーマの不動産業者と羽田のANKカウンター前で待ち合わせし、YS−11に搭乗。飛んだと思ったら一服する間もなく着陸で、空港を出たらそこは天まで聳えるワシントニア(椰子科)が並ぶいかにも南国離島風情で、思わず叫んだのを覚えている。
「ウ・ウッソォ〜! 渋滞なしでコレかよぉ〜」
 当時はランクルを駆って海へ山へと遊びに出掛けていて、帰りの高速道路渋滞が身にしみていただけに、まさに驚愕的感激。というわけでロッジ完成後は、ANK大島便の20枚綴りだったかのチケット利用で、いつでもバッグに忍ばせて、思い立ったら大島へと意気込んでいた。浮かれていたんですなぁ〜。が、しばらくして綴りチケットに利便性なしと気が付いた。いざ島へと搭乗時間の確認電話を入れると「天候不順で羽田に引き返す場合があります」なぁ〜んて案内が多々あって、そんな不確かなのにわざわざ遠い羽田まで行って、で、島に辿り着けねぇ〜なんてイヤなことだから、雨が降っても槍が降っても確実に島に行ける船便を選びたくなって来る。ってなわけで有効期限内にチケットを使い切れずにもったいない経験をして、羽田空港発のYS―11便にパタッとご無沙汰してしまった。
 が、国産老朽旅客機YS‐11には得がたい味があった。低い天井、狭い胴体、双発プロペラ、それでいて驚くほどのパワフルなエンジンの振動と騒音。テイクオフと着陸の間の巡航飛行、シートベルトを外せる間が10分もなく約40分で大島着。
 目下、島の空港は来るYS−11引退後のジェット化に備えて槌音高く空港拡大工事中。現場を通るたびに、空港脇に手作りログ構えていてガッポリと買収金を手にして南仏プロヴァンスに移住した某夫妻と、東京にマンションを買った“突きんぼ天才”デザイナー某の顔が浮かんで来る。

※YS−11は2002年6月いっぱいまでで、継続機はひと回り小さいDASH8‐300(ダッシュエイト300、YSより8人減の56人乗り)。ジェット化はまだまだ先のことらしい…。



※2002年11月より左上写真、ジェット機B737-500(愛称スーパードルフィン)と、双発機DHC‐8‐300「つばき」が就航。これに併せ大島空港も「大島ターミナルビル」と名称を変えて立派になった。ジェットはそれでも滑走路が短いのか、着陸ん時は思い切ってブレーキすっから、乗客も足ィ踏ん張って頑張らなきゃいけない。キ・キ・キ・キィ〜って感じで無事止まったら拍手をしましょ。
※1日3便中に「特割:6000円」が1便ある。これをうまく利用しましょう。

アイランダー機> こんなに楽しい飛行機は他にない。めくるめく30分よ!

 ANKに乗らなくなって、今度は調布の新中央航空のアイランダー機に乗り出した。これはもうメェッチャ〜楽しい。一般的イメージとしては、軽飛行機の代表セスナに似た11人乗り軽飛行機と言えば分ってもらえるだろうか…。機種名は「ピラタス・ブリテン・ノーマンBN‐2アイランダー」。
 搭乗に当っては体重記入が課せられ、トンボの尻尾にも似た胴体にバランス良く座席が割り当てられる。定員一杯だと、乗客中最も大人しそうな女性がパイロットの隣りに、男なら穏やかな紳士風情を装えばパイロット後部シートに座る栄光に浴することができる。だが待合室でキャッキャと悪ふざけでもしていようものなら、どこかでしっかり観察されていて、トンボの尻の窓もない座席に決定だ。(上の写真は搭乗待合室からカメラをバチバチ撮っていて、こりゃ〜、ヤな客だと思われたかで、ご覧の通りのトンボの尻尾シートを割り振られてしまたぁ)
 さてブルンブルンと飛び立てば飛行高度が低く、眼下を走る車も漁船も、さらには波のひとつ一つさえはっきり見えて「あぁ、空を飛んでいるぅ〜」の実感がビリビリしっぱなしのめくるめく30分。スタッフ抱えていた頃に、いざ全員で大島へとなれば貸切状態で、チャーターしちゃった気分で豪勢気分でございました。
 島が初めてで、往復2万円強の余裕がある方には迷うことなくアイランダー機を薦めたい。胸ドキドキの30分間飛行で大島空港着。まさに瞬時の移動で辿り着く別世界の驚き。これで誰もがいっぺんで大島好きになる。
 YSもアイランダー共に船便に比して約2倍強の料金に加えて、どうしても飛行機に乗れない事情が生まれた。それは…


※2002年秋から、この便も片道6000円の特割料金便が1日1便が用意され、皆、これを選んで乗っている。今もそうか?はご自身でお確かめ下さい。


※ビートたけし著「佐竹君からの手紙」にはこう書かれている。…乗り心地は三十分が三時間にも思えるほど快適で、驚くほどの低空飛行、地上にいる立ち小便オヤジのチンポまで見えるという状態。



<車で熱海、熱海から大島へ>
 
愛犬を伴とする週末大島暮しとなって飛行機を断念

 平成6年春、我が家に唐突に犬がやって来た。
「バーキーを送ったからね」
 と突然のロスからの電話。バーキーはアメリカン・コッカー・スパニエルのメス8歳。息子がホームスティ先で可愛がっていた犬で、ハイスクール卒業で帰国後、彼女は生きる気概をなくしてしまったからというのだ。ほどなくして受取証が届き、成田に連絡すると「犬は着いたが、まだ渡せねぇ〜」と言う。アバウトな米国人のこと、狂犬病の注射を打ってすぐ飛行機に乗せたらしい。結局、4週間も成田に慰留されてから息子と久々の再会。約10万円の保管料を払って、バーキーは桜舞い散る日本で第ニの“犬生”をスタートすることになった。
 留学先の淋しさで彼女を可愛がっていた息子だが、日本に帰れば遊びたい盛り。結局、アタシとかかぁが犬の面倒をみることになる。犬嫌いを表明していたかかぁも、飼えば猫ならぬ犬可愛がり。またこれがえらく可愛く利口なヤツなんだ。
 で、大島である。愛犬を置いては行けまい。ペット同伴が可能な船便利用になった。車を駆ってまずは熱海港へ。ここから高速艇(約1時間)か普通船(約2時間)で島へが決まったパターンになった。バーキーはアメリカでの長距離ドライブに慣れているためか、車が大好きで乗物酔いなし。海が荒れた船内でアタシが真っ青になっているってぇ〜のに、、平気の平左でしっかり寝ているんであります。ちなみにペット料金は子供料金と同じで、こりゃ少し高いのとちゃいますかいなぁ〜。

平成13年3月7日、バーキーは16 歳で逝った。桜が咲く直前だった。今は大好きだった島の庭の一隅で、かつてピョンピョンと飛び移っていたであろう磯岩(上の写真のような姿に似た大きい石を磯から庭に運んで墓標とした)に眠っている。いいヤツだった。誰からも愛されたヤツだった。そんな素敵な思い出をいっぱい残してくれて、アタシらはもう犬は飼えない。きっとヤツ以上の犬はいないから…。今も家族がそれぞれの場にヤツの写真を飾って、彼女への愛は続いている。



<19時間かけて島に辿り着く>
「だから言ったでしょ、陸続きのロッジがいいって」 かかぁの愚痴は耳にタコでございます。

 離島へのアクセス至難を物語るに大変な体験をしたことがあるので、これも記さねばなるまい。
 あれは平成9年の秋のこと。来日中のスタンフォード大卒のリンちゃんを連れて島に行くことになった。リンちゃん、夜の六本木で遊びまくって在日米人の友4名を島に招待すべく、彼らと熱海港で待ち合わせを段取った。ワシらはリンちゃんを乗せて車で出発。早々と出たが、3連休とあって東名高速から渋滞で厚木小田原道路を出たあたりから、車は遅々と進まない。
 焦ったワシらは途中で熱海港に電話し、外人4人組みがいるはずだが、見っけたら先に島に渡るように伝言を頼む。もはや約束の午前便を諦め、最後の午後1時便に希望を託す。どうにか熱海港まであと一歩。だが歩くより遅い渋滞の車窓から、遥か遠く空しく出航して行く最終便も見送った。リンちゃんの眼からツツッーと涙がこぼれた。港に着いたのは東京から実に5時間強。
 ガランとした港から島の友人に電話を入れた。
 「外人4人組みをゲットし、預かっていてくれ」
 待機することしばし。島の友からの電話でクりス君一人をゲット、他はリンちゃんがいないため船に乗らずに東京に戻ったとの連絡。クリスを島の友に預けて、しばし呆然としていたリンちゃんは、東京に戻った友に連絡し、涙を流しつつ今度は夜の竹芝桟橋での再集合を取り付けた。車を熱海港に置き放しにしてリン、妻、愛犬と共に熱海駅から新幹線で東京へバック。東京駅からタクシーで竹芝桟橋へ。約4時間ブラブラと時を過ごして夜10時。クロイ、ピーター、スコット君とやっと合流。12時間かけてやっと大島便に乗り込み、島着が翌朝で延べ時間19時間…。いやはや、グッタリ。
 翌日の夕餉は島の友6名、リンちゃんを含めた米国人5名、我ら夫婦の計13人の大バーべキュー大会。島へのアクセスの大変さに情けない爆笑が何度も繰り返されたのでした。
 愚妻が私の耳元で、凄味効かせた小声で言います。
 「だから何度も言ったじゃないの、陸続きのロッジがいいてっ」
 いつもは耳にタコの愚痴だが、この時ばかりはさすがに応えたねぇ〜。




竹芝桟橋発の夜航便>
 
船室のスペース確保に罵声飛び交う熾烈な闘いに参入。

 車で熱海港、そして大島への船便アクセスが3年ほど続いただろうか。が、これも断念せざるを得ない事情がおこった。
 ある年の秋のこと、4日ほど島暮らしを楽しんで熱海港着。
 「ク・ク・クルマがない…」
 レッカー移動。熱海署に出頭せよの字が路面にあった。熱海港横に駐車場はあるものの、時間いくらの設定だから島に数日滞在後の料金は莫大。何時からか堤防脇の釣り人の車に交えての違法駐車が恒例化。ついに罰金と点数を取られて、車で熱海港までのアクセスを断念した。残るは竹芝桟橋発の夜航便のみ。重いペット籠持参で、夏季と連休前は熾烈な闘いに身を投じることになった。
 長蛇の列に延々と並ばされ、いざ乗船で船室のスペース確保に罵声をくぐり抜けつつ、重いペット籠を携え右へ左へ上へ下へとクタクタになっての陣地取り。船員がペット籠を見つけて怒鳴るね。
 「オイ!コラ。ぺットは荷物置き場に入れろよ」
 「てやんでぇ〜、子供料金ふんだくりゃ〜がって、荷物置き場はねぇ〜だろ」
 でひと悶着。夏なんぞはのっけから船室を諦めてデッキ上へ直行するが、それでも足の踏み場もない難民船様相。罵声、時には喧嘩…。島の穏やかな緑と潮風に抱かれ、安らかなひとときを過ごすべく旅立った人々を熾烈な闘いの場に追い込む東海汽船へ憎悪がこみ上げて来る。クソッ、島の観光なんかどこかへぶっ飛んじまえぇ〜!と思う。運良く船室に潜り込めても激しい闘いの後の昂奮に眠れるわけもねぇ。ウツラ・ウツラと夜を過ごし、グッタリと疲れ切って明けきらぬ陰気な港に着く。気がつきゃ、心は沈んだまま…。
 数年続けただろうか。だんだん大島行きが楽しくなくなって来た。混むこと、席の確保に早々と並ばねばならぬのも原因だろうが、夜航便が楽しくないのは他にも訳があると薄々感じ出した。つまり夜航便にはくたびれて帰郷する黄昏た雰囲気があると。そんな船に明日の島暮しの期待を抱いて乗ること自体に無理があったんだ。不快の謎が解けて思わず膝を打ったね。よぉ〜し!今後は絶対に夜航便には乗らん…と。
 悪態をついたが、それでも島通いが続けられるのは、あれほど混雑していた船でも、島に着けばそれがまったく嘘だったようにひっそりしていて、あの人達は一体どこへ行ったの〜! と人恋しくなるほどに静寂なのです。観光に依存している島の経済、これじゃ食っていけねぇ〜なと思うのであります。でも難民船さながら生きるか死ぬかの熾烈な乗船。絶対にどっかが間違っているのであります。




<ロマンスカー、そして熱海船>
 
陽光浴びた船旅で、再び大島行きが楽しくなって来た…

 我が家から新宿西口までタクシーで ワンメーター。なんとペット料金なしで小田急ロマンスカーに乗り込めるではないか。座席下にペット籠を置き、妻とニヤリと微笑み交わして駅弁を開ける。
「楽しいね〜」
「今度はデパ地下でお弁当を買いましょうよ」
 と会話も弾む。車窓に流れる丹沢の山並みが、季節感を盛り上げる。小田原下車、ペット籠を持っての乗り換えが大変だが、ここから普通線で熱海駅へ。降りたらタクシーなんぞに乗らず、熱海の街をブラリブラリと下り歩く散策が楽しい。熱海港は乗客少なく並ぶ必要もなし。大島まで約1時間の高速艇シーガルでも約2時間の普通船のどちらでもよくて、乗ったらバーキーを籠から出してデッキに出して、共に並んで昼の陽光に輝く海を眺める。初島を左にやり過ごし、やがて緑の美しい島が見えて来る。バーキーがワンと叫び、アッシも「おぁ、わが島が見えたゾ〜」と叫ぶ。おぉ、ここは南仏かの輝く陽光浴びての下船…。
 夜露に濡れた黎明の港へ着の夜航便とは、かくも楽しさが違うのであります。もう、絶対にあの便には乗らぬと改めて思ったもの。で、帰りは逆に大島〜東京の船便がいい。遊び疲れて船室でグッタリ休み「間もなく竹芝桟橋に着岸です」のアナウンスに目を覚ませば、そこはもうネオン眩いお台場、レインボーブリッジの下でやんす。

 
追記 このHPを立ち上げた後、大島から東京への帰便で、島の全景写真を撮るべく出航後にカメラを手にデッキに出たら、なんと200ミリ望遠レンズでわがロッジがクッキリ望めるではないか。その日は3月末でロッジ奥に広がる三原山裾野は仄かに白く、気付けばオオシマサクラの満開で、余りの美しさにファインダーから眼が離せなかった。以来、東京便に乗ったらまずデッキに出て、愛しきロッジに200ミリ望遠でシャッターを切るのが習慣になっている。ファインダーを覗き続ければ、船の進行に従ってロッジ後方の景色が風早岬の灯台、ゴルフコース、やがては三原山…と刻々に変化する様も面白く、いつか洋上から望む四季折々のロッジ写真傑作をものにしたいと思っているのだが…。※ジェットフォイル艇になって、航路が島寄りになって、裸眼で我が小屋が見える。野田浜のちょっと万立よりの鳩小屋みてぇ〜な小さな家が…。

※こんな文章にで遭った。…緑の島の所々が三月下旬なのに山桜のために、粉雪でも積もっているかのように見えるのだ。「春の雪桜」と島人はこの景色を呼んでいる。石井好「南海の稲妻 大和の虹」



<東海汽船が全席指定に、東京〜大島2時間20分の高速艇も就航の大改革だったが…>
 こりゃダメだ。お薦めはやっぱり熱海からシーガルの、これ1本のみ!

 平成13年1月より東海汽船の全航路、全船室の一般席が和室とリクライニングシートで全席指定になった。これで熾烈な席取り合戦から免れた。それまで、何と一人70a角設定だったとか…。そして同年4月20日より東京〜大島2時間20分の高速船便を朝9時発で毎日就航させるの朗報も飛び込んで来た。就航期間は4月20日〜8月31日、9月1日〜10月31日の約半年間。船は平成5年進水の高速艇・アルバトロスで、定員300人。
 大歓声を挙げたが、実情は歓ぶほどの改善ではなかった。この“改善”の裏にはカトレア丸、はまゆう丸の売却があって、絶対的な輸送量低下があった。連休前などは島のロッジ・オーナー達も島に渡れぬとんでもないアクセス劣化が秘められていた。以下は、5月の悲しい連休物語…

 まずは4月上旬、東海汽船へゴールデンウィークの予約電話をかけた。
「東京9時発のアルバトロスに乗りたいのですが、揺れませんか?」
「湾内は大丈夫ですが、湾外に出れば多少揺れますよ」
「大島から新島へ行った家族が、船酔いで死ぬ思いをした…と言っていたが?」
「ですからね、モーターボートの大型と思って下さればいいんですよ」
「って言うと、バン・バンッと波を叩きつける揺れですね?」
「いや、そうした揺れじゃないんですが・・・」
 なんとも歯切れが悪い。不吉な予感がした。
「分かりました。乗らないことにします。熱海からの予約にして下さい。普通船は何時ですか?」
「普通船はありません。高速シーガルだけです」
「エエッ!」
(そう、熱海便や竹芝便で活躍したいたカトレア丸、はまゆう丸を手放したらしいのです。ナンテこった!)
 と言うわけで、4月28日にロマンスカーで小田原、熱海からシーガルで大島着。
 2日後の4月30日、島通いの友が東京からアルバトロスでやって来た。気になる揺れを聞いてみた。
「東京湾の1時間は快適でアッという間…、それから1時間20分が地獄だね。激しいローリングとピッチング。それまではしゃいでいた乗客が次第に黙り込み、やがて次々に嘔吐…。クルーがね、介護慣れしてんだヨ、苦しむ客をテキパキと後部フラットスペースに寝かせて行き、船内は何時しか惨状と化したね」
 聞けば、アルバトロスは瀬戸内海で航行していた船ゆえ、外洋航路は揺れが激しく適さぬと反対した東海汽船社員がいたとかだがクビになったとか…。
 その5日後の5月3日、ロッジ仲間の3人家族が熱海からのアルバトロスで来島。迎えに港へ行くと、下船してくる全乗客が顔面蒼白、地獄さまよっていたかの虚ろな表情…。
 屈強の島の男が、痩せ我慢で怒鳴ったねぇ。
「1時間、ジェットコースターだったゼィ!」
 初老夫妻は余りに憐れな様相。老夫に支えられながら歩く老夫人の目はサンマの白目で、老夫も倒れ込むを歯を食いしばって耐えていた。こりゃ、酷な船だなぁ〜、と思ったねぇ。アッシらが出迎えた家族も下りて来て、奥さんが愚妻を見つけるとワッー!と半泣きしつつ抱きついて来た。
「怖かったぁ〜!」
 中1の子供も蒼白。放心状態。
 島じゃ、アルバトロスで来た…と言えば英雄扱いで、ねぇ、どうだったと質問攻めになる。
 5月6日、帰路もアルバトロスの熱海便しか予約が取れなかった3人家族は、再び恐怖におののき刑場に引っ張り出されるように港に向かった。アッシらはさるびあ丸のリクライニングシートで東京へ。夜、アルバトロスで帰京した家族から電話が入った。
「快適だったワァ。揺れず、滑るような疾走だった」
 そう、海は超ベタなぎだったのです。
 ここで結論。予約日がベタなぎと分かっていたら(この予測は至難)良し、この確信がなかったら絶対にアルバトロスに乗らぬが賢明。
 いやはや、全席指定席化(その裏には大型船2隻減があったんですなぁ)、朝9時発の2時間20分アルバトロス(その裏には恐怖の船酔いが隠されていたんですなぁ)で、島へのアクセスは逆に悪化したのでした。加えて激しい船酔いにあった観光客は2度と島なんかに行くもんかと思ったに違いなく、アンチ離島派を増殖しているようなもので、島への集客減促進。また東海汽船の島内バスも1時間半に1本などの縮小経営で、島が一気に過疎化でした。


※K氏より「かとれあ丸」は伊豆でのお客様減で目下「東京で係船中」で、「はまゆう丸」は三宅島現地対策で稼働中の情報メールをいただきました。




<2002年1月17日、朝日新聞に「大島行き夜行便廃止へ」の大特集>
休日除き/観光客減で起死回生案/超高速船に切り替え1時間45分/冬場の欠航懸念/島民に不安の声

 んまぁ、東京版ですが伊豆大島の記事がこんなに大きく載ったのは「幻の共和国憲法の暫定憲法全文発見」の1997年(平成9年)1月以来でしょうか。ごていねいにも対向頁に「伊豆諸島を東京諸島にしませんか?」の意識調査中との記事、椿まつりのあんこさんの新聞社訪問記事も併せて載る超大特集。
 さて本題。以下、リード文を紹介です。
「…竹芝〜伊豆諸島・大島の大型貨客船が4月から、休日や繁忙期を除いて廃止され、超高速旅客船に切り替わることになった。(略) 大島まで8時間かかった所要時間が1時間45分と大幅に短縮され、便数も増える。減り続ける利用客を呼び戻し、赤字を減らす東海汽船の起死回生の案だが、島民には期待だけでなく、冬場の欠航などに不安の声も上がっている…」
 以下、長文の骨子…。
 昨夏就航の東京〜大島のアルバトロスが2時間20分で、今回導入する超高速船は3隻(愛、夢、虹号)で定員260名、大島を1日2往復、1時間45分で結ぶ。超高速船は大型貨客船と比べると、冬場の欠航が多い(ホントに多いんです)。同社の超高速船と同型船運行の新潟〜佐渡の就航率は通年では約97%だが冬場は低く、昨年1月は66%だった。
「速くなるのは歓迎だが欠航が増えたら困る。貨客船も並行して走らせてほしい」
 と藤井・大島町長は話すが。同社は…
「欠航がそれほど増えることはないはず。各島の人々や農協、観光協会などにも説明して理解を求めたい」
 なお、八丈島などへの航路は従来通り。
 新聞には中古船にカラフルなペイントを施した3隻のイラストも紹介されていた。噂では恐怖のアルバトロス
(ペイントもゴチャゴチャしていて最悪。これらペイントは中古リメイクでしかたがないのか…) そう、ついでに言うが元町港の壁画もオドロオドロの古典幻想系はなんとかならねぇ〜んでしょうかねぇ。深海の魑魅魍魎の世界で、背後に貞子さんが潜んでいるみてぇ〜だ。で、あんたぁ〜、よく見れば猫だって海ん中で死に物狂いで脚ばたつかせているじゃ〜ねぇ〜か。っまたく、どういう料簡の絵なんだろうね。この間も、あれは猫好きな女の子なんだろうね、ママの袖を引っ張って
「ママァ〜、あの猫ちゃん、死んじゃうぅ〜」
 って泣いていたっけ。そんな大壁画が伊豆大島の玄関口に描かれているんですよぅ〜。
 さてアルバトロスは
瀬戸内海を走っていた船で、今度は日本海を走っていた佐渡汽船の中古艇だからそんなに揺れる船じゃない、と聞いているが…。
 で、新聞には肝心の料金説明がない(取材不足)が、噂では6千円を超えるとかで、今度は航空便と大差なくなる(回数券利用)ワケで、飛行機VS超高速船の選択まで突っ込んだ取材をして欲しかったですねぇ。さらに噂だが、生活物資や漁港の築地行き便としても使われて来た大型船がなくなったら困る島民も多く、議員さんが陳情へ…とも聞く。さて、どうなることやら。


※2002年4月から就航のジェットフォイル艇、まさに夢の1時間45分、アッという間に大島です。時速80`の揺れは、船のそれではなく新幹線にも似た小刻みなブルルッという振動で、船酔いとは無縁。乗船記は「島日記」に記してありますので、ご心配の方はご参考下さい。ともあれ11年目にして、島へのアクセスはこれで様変わりです。

※料金はジェットフォイル艇の「竹芝〜大島」間が6200円ですが、「伊豆七島クラブ」(誰でも簡単に入会出来る。入会金2千円で、毎年更新)特典でウィクデーなら40%引きの3720円(チェッ!平成16年から35%に改定で、4030円)、週末は20%引きの4960円ですから、なんとか金曜日出発、月曜日帰京を組み込めば割高感もなく、ま、これにて一件落着じゃないでしょうかねぇ。ただし、連休時などにジェット艇往復予約は2週間ほど前からでないと、なかなか取れないし、ポンコツ艇ゆえに機関故障で運休もままありますから要注意。

※2003年11月22日、行楽の秋の3連休。若い友人たちが仲間に声をかけ合って計6名が我がロッジに遊びに来る計画を立てた。サーフィンをし、ゴルフをし、裏砂漠にも行きたい…と。彼ら6人は当日の朝まで何度も何度も細かくスケジュールを練りあったに違いない。行きのジェット艇は予約できたが、帰りは取れずで熱海便になった。で、当日。幸いなことに雲ひとつない秋晴れ。それぞれ重い遊び道具を肩にするも心を弾ませて竹芝桟橋に集合。全員揃って、チケット窓口に…。「今日は運休です」 「ハァ?」 「運休。ジェット艇は出ません」 「ったってぇ〜」 「運休です」。なんともつれない受付。どうやら波が高くての運休らしい。彼らの落胆はいかばかりだったろうか。東海汽船は、かくも残酷なのであ〜る。期待、驚愕、そして落胆。ツツ〜ッと落ちた涙を拭った奴もいた。若い友人たちはもう二度と島に行きたい、とは言わぬだろう。アタシも、それ以来、島に行こうという気が湧いて来ない。波、エンジン・トラブル…。島で何をして遊ぼうか、なぁ〜んて夢夢想いを深めちゃいけねぇ〜んです。まずは島に渡れたらラッキーくらいに思っていないと、こんな辛い目に逢うんです。夢のジェットフォイル艇だが、島へのアクセスはまだまだ夢状況には至らないのであります。グスンッ。

運賃比較表(東京〜大島)
東海汽船ジェットフォイル艇(1時間45分) ANA 中央航空
6200円 七島倶楽部全航路20%=4960円
※通常期35%から20%,
  繁忙期15%引きに変更(平成16年)      
  
10800円 往復8700円 特割利用 8000円
               
6500円 往復1200円


以上、離島の週末暮しでアクセスがいかに大変か…というストーリーでした。
そんな艱難辛苦を乗り越えて、週末大島暮しを楽しんでいる方がけっこういるんですね。
元気のある方は、どうぞお進み下さい。いよいよ島暮しの世界へ…

物語目次に戻る