●船村徹・阿久悠・五木ひろしの「ダンディズム」を聴く会●
〜会報79号のサイト・ヴァージョンとして収録〜


『翔』発売前日の6月24日、渋谷のジャズバーで開催

 アルバム「五木ひろし55才のダンディズム『翔』〜船村徹・阿久悠とともに〜」発売前日の6月24日午後1時、渋谷のセルリアンタワーホテル東急の2F「JZ Brat’」で、<ダンディズムを聴く会>が開催された。
 まずは小西良太郎プロデューサーが開会挨拶。
「本来なら、こうした会の挨拶は社長がするもんですが、社長は五木さんですから、私が最初に挨拶することになりまして…」
 と会場を和ませた後に、氏はアルバム『翔』が秋に中国リリース計画進行中で、北京に行かなければならないんだが…とビッグニュースを披露。五木さんがステージオンして『傘ん中』から『夢二風』 『青春の砂』を披露。ここでナレーションが流れます。
「船村徹71歳、阿久悠66歳、五木ひろし55歳。1年8ヶ月の制作期間を経て14曲完成です。阿久さんから変化球、チェンジアップとさまざまな球が投げられて、これを船村さんがバチッと受けとめ、最後に五木さんが楽曲に生命を吹き込みました」。
 さらに続きます…。
「昭和20年代、船村徹は荒れて野良犬のように過ごしていた。盟友・高野公男さんと創った『別れの一本杉』で世に出たのが昭和31年秋。この頃、阿久悠が上京した…」
 ナレーションに導かれるようにして船村、阿久両氏もステージオン。バックミュージシャンの演奏に誘われた船村さんが『遠い日』の最初のフレーズを唄い出し、五木さんが引き継ぎます。船村さんは…
「今日から僕は五木君の前唄です」
 で会場は大爆笑。船村さんは改めて、今回のそもそもから語り出した。
「阿久先生とはずっと一緒にやりたいと思っていたが、いい機会がなかった。五木君は自己管理に厳しく、常に若々しく伸びのある声を維持し、その表現力は言うまでもない。ぜひ一度組んでみたいと思っていた。そんな二つの願いを小西さんがきいてくれた。阿久さんの1曲1曲を受け、次はどんな球を投げて来るのだろうかと期待と不安に慄きつつ…。そう、松井選手がメジャーリーグのバッターボックスに立つ気持ちが分かるような、そんな感じで1曲1曲を創って来ました」
 これを引き継いで、阿久さんは…
「船村さんへの思いは一冊の本にもなる(ほど大きい)。船村さんのヒット曲が出た時、僕は未だ19歳の大学1年生だった。歌謡曲で大ヒットを出す方は50歳位なんだろうと勝手に思っていたから、僕とそれほど変わらぬ歳に大ショックを受けた。僕は作詞を本職とする時に、こう決めたんです。船村さん、美空ひばりで完成された世界には手をつけないでおこうと。そこにないものを創ろうと。そんなワケで船村さんは常に遠い方のように思って来たが、実は歳もそんなに離れているワケではなく、敵と思っていたものの気付けば背中合わせに居たんです」
 そして今回のコラボレーションについて…
「投げる方の気持ちを見透かされるのもイヤだし、その程度かと思われるのもイヤですから、大変な思いで書いたんです。癌の手術後の不思議な高揚感の中でたくさん書いたのが良かった、と思っています」
 ここで阿久さん、若い女性司会者に…
「凄い貧乏って、どんなのだと思います?」と逆質問し、こう続けます。
「『遠い日』の歌詞に♪畳一枚千円の部屋に寝そべり見る夢は…とありますが、これは6畳の家賃が6千円で、1万円を送金してもらって6千円は払えませんから、まさに畳一枚千円の生活だったんです。でも少しも苦ではなかった。それが当り前だと思っていたんです。で、あとで “あぁ、これは貧乏なんだぁ〜” と気付いたのは石原慎太郎が出て来て、ヨットに乗っている学生達もいるんだと分かってから」(爆笑)※阿久悠さんと石原慎太郎都知事の二人は、先日の都民ひろばでの五木ひろし三宅島復興応援歌『望郷の詩』発表イベントの時に、都が発信のテレビで長時間に亘る対談をしています。司会者は…
「両先生共に素晴らしい実績を残されていて、頂点を極めたと思ったら、まだまだ先があると語っておいでです」
 これに応えて、船村さんは
「先日、阿久さんからさらなる二編が私の許に届いています」
 に、阿久は
「嬉しいんですよ。僕の詩にどれだけの力があるか、それを試せる現場にいられることが嬉しいんです」
 二人のトークに五木さんも加わります。
「私も今までに随分たくさんの歌を唄って来たが、今回ほど一つの詞、ひとつのメロディーの存在の大きさ、大切さを認識させてもらったアルバムは他にない。これはきっと、僕もいい年齢になって来て、やっと阿久さんの詩、船村さんのメロディーにそんな気持ちで対峙出来るようになって来たんだ、と思うと同時に、誠に歌手妙味に尽きるとアルバム制作になった。一編一編の詞が有する奥深いドラマ。剛速球あり変化球ありで投げつけられる球をどう打ち返したらいいか、そんな大プレッシャーを感じ続けたレコーディングだった。普通ですと、唄入れは多くて5テイクですが、今度ばかりは、あぁ〜、こう唄えばこうなる…とキリのない深さで、何度も再トライさせられました。この約2年間近い制作期間は、まさに真剣勝負でした」
 五木さんは続けます。
「55歳はきっといい年代になる…そう、20代後半の頃から思って来まして、今回の素敵な出会いを得ました。改めて夢は見るべき、見ていて良かったなぁ〜、幸せだなぁ〜と思っています。両巨匠の攻めぎ合いに若造が参加できた歓び、改めて船村メロディーの巾の広さを知った歓び、阿久さんの詞の奥深さを再認識しての歓び…。それでもなおチャレンジを飽くなく続けるお二人には大きな刺激も受けております」
 再びナレーション…。
「無頼の青春を過ごされた殿方にとっては、特別の思いが込められるようです」
 で 『かあちゃん』 『白いパラソル』へ。会場はシ〜ンと聴き込みます。ナレーション…。
「ヒットするには皆様に唄ってもらうことも肝心です。しかし、それだけで本当にいいのでしょうか、と三人は危惧します。聴いてもらう、何かを感じとってもらう…そんな願い、祈りをこめて世に問うアルバム『翔』です。どんな波紋を広げていくことでしょうか」
 終演後の囲み取材で、五木さんは記者の質問にこう応えていた。
「今日24日はひばりさんの命日です。船村先生の数々の名作が浮かんで来ます。そんな日に、こうして先生に前歌まで唄っていただいて(爆笑)、忘れ得ぬ発表会になりました。また両先生のあくなきチャレンジに刺激され、私も歌手としてさらに大きな目標、夢に向かって走って行こうと思っています。このアルバムを一人でも多くの方に届くよう頑張ります」
「2年近くかかって、ようやく発表です。いまドキドキした高鳴りを感じています。これは単にアルバムというより1曲1曲に二人の思い、奥の深いが込められているんだと改めて思っています。55歳の歌い手としての責任がどこまでまっとうできるか。アルバムの出来については阿久、船村両先生も満足していただいていますし、僕自身にとっても満足、自信作です。14曲の1曲1曲をじっくり聴いていただきたく思います。また三人組んでせめぎ合ったことに誇りを感じています」。


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