55才ハッピーバースデーコンサート「と・も・だ・ち」 in 横浜アリーナ
〜会報77号に掲載〜

 2003年3月14日(金)、五木さんの55歳を祝うコンサートが横浜アリーナで開催。お祝いに駈け付けたゲスト約50名、ファン1万2千名…。一部はゲストを迎え、二部はワンマンショー。五木さんはここで55歳宣言「これからの5年間が大勝負の時期。悔いの残らぬよう邁進します。ファンの皆様のため、仲間のため、家族のため、そして僕の歌を楽しんで下さる全ての方々へ…唄い続けます」

●一部は各界から約50名のゲストが次々に祝福の登場… 
 新横浜駅から徒歩5分。大きな長方形の建物の中に一歩足を踏み込むと、片辺がステージで、アリーナ席と3辺二階席、そしてモワァっと霞がかるほどに広大な空間(12000名収容)が広がっていた。
 
16時、開演。ひな壇になったステージにミュージシャン。オープニングは五木さんの「じょんがら三味線」演奏。ステージ横左右上部の巨大スクリーンに五木さんの表情がアップで映し出され、早弾きに大拍手。その演奏を“じょんがら三味線の松橋姉妹”が引き継ぎます。五木さんはストライプのスーツで再登場。松橋姉妹の三味線をフィーチャーした『夜空』熱唱。そして『傘ん中』から『北物語』へ。会場は一気に盛り上がります。
 ここで実行委員長・堀内孝雄さん、そして中澤裕子さん、加藤紀子さんが登場。
「今日は五木さんの誕生日ですから、司会進行は私たちが務めます。五木さん、どうぞお座りになっていて下さい」
 中澤さんが美浜マラソンや『旅立つ君に』レコーディングを語り、加藤さんが五月・明治座出演を語り、堀内さんが公私共々の仲…と、それぞれが五木さんとの交流を紹介後、「モーニング娘。」が呼び込まれます。メタリックのシルバー・パンツ、ブルー・ジャケットの12名。若さ炸裂のダンスをしながらの『LOVEマシーン』では、メンバーに誘われて五木さんも、練習しただろうフリを合わせて参加。そして新曲『ひょっこりひょうたん島』を披露。会場に12名の大コーラスが響き渡って、華やいだ雰囲気が充ちます。
「これからもずぅ〜っと、私たちのお父さんになっていて下さぁ〜い」
 の飯田圭織さんに…
「14歳のメンバーから、そう言われれば納得だが、飯田君(21歳)には、お兄さんと呼んで欲しかったなぁ〜」
 と五木さん、苦しいボヤキ…。続いて「ハロー!プロジェクト」のメンバーもお祝いに駈け付けた。松浦亜弥さん、藤本美貴さん、ココナッツ娘のアヤカさんとミカさん、和服の前田有紀ちゃん、メロン記念日のメンバーが登場。一人ずつ、五木さんにお祝いの言葉…。ここで「さぁ、全員で1曲唄いましょ」で、堀内さん指揮で総勢21名の童謡『花』の大合唱…。
 次に登場は、コロッケさんで『契り』を唄いつつの「五木さんロボット」を披露。会場は大爆笑の連続。次に登場はDA・PUMP。
「沖縄からの若造を呼んでいただきありがとうございます。五木さん、55歳のお誕生日おめでとうございます」
 に、五木さんは…
「ウチの長男とワイフが大ファンなんです」
『Com’on Be my Girl!』から彼等ならではのヒップホップ・アレンジ『夜空』を披露。五木さんは4人一人一人に抱擁で感謝。
 ステージはここから和の世界…。着物姿の香西かおりさん、長山洋子さんが登場。
「おめでたい席で唄われる“南部俵つみ唄”を二人でプレゼント致します」
 五木さんも太鼓で参加。共に民謡で鍛えた二人の歌声のパワフルなこと。♪あぁ〜 めでたいなぁ〜 めでたいなぁ〜 五十五歳の誕生日…の即興も入ります。
 堀内さんの呼び込みで今度は西川きよしさん、松方弘樹さん、吉幾三さん、川中美幸さん、落合博満さん、横浜市長・中田宏さんがステージに登場。西川さんが…
「五木さんとは“よこはま・たそがれ”がヒット中に僕がやっていました番組“しゃぼん玉プレゼント”に出演いただいてからのお付き合いです」
 と語れば、松方さんは…
「でも私が一番永いお付き合いでしょう。デビュー前からですから」
 と上原げんと門下生時代を語り、最後に…
「五木の名をもっともっと大きな名前にして下さい」
 とエール。
「子供が同級生で、松山一家と家族ぐるみのお付き合いをさせていただいています」
 と挨拶したのは中田宏・横浜市長。
「私がもの心ついた時から一番有名な“ひろし”が五木さんでした。でも私の仕事は“横浜を黄昏させない”ことですから、ぜひ“よこはま・きらめき”を唄って欲しいんです」
 川中美幸さんは…
「先輩は失敗を恐れず、守りに入らず、常にチャレンジの人です。これからも後輩を引っ張り、勇気を与え続けて下さい」(川中さんは後日の別件取材時に、2階で観ていたが音がこもってゲストが何を話しているか分からなかった、と言っていた)。五木さんに
「有言実行で三冠王を獲られ、そこに共感しての大親友です」
 と紹介された落合さんは…
「僕は四つの球団に移ったが、五木さんはその度に移籍先のチームの応援をしてくれた」
 ここで堀内さんが、ちょっと緊張気味に
「撮影の合間を縫って駈け付けて下さいました」
 と渡哲也さんを紹介。真紅のバラを抱えて登場した渡さんのカッコいいこと。
「家は近所ですが、なかなか会えません。僕はこういう仕事(映画)ですから、五木さんの情景が浮かんで来る歌唱が大好きです」
 それまでステージ上でゲストをお送りする役を引き受けていた吉さんが最後に残って、しばし五木・吉の爆笑漫才を展開。
「自由気ままに世界のどこかで休養中の吉さんですが、わざわざ一時帰国して駈け付けて下さった。関西大震災復興の応援歌として吉さんからもらった『ひとりじゃないから』を二人で唄いたいと思います」
 堀内さんが、森繁久彌さんからのお祝い書状を披露し、「次に超ビッグな方です…」 ステージをノッシ・ノッシと揺るがしつつ現れたのはハワイアン姿のKONISHIKIさん。
「五木さんにハワイのトラディショナルな曲“エイネイ”をフラダンスと、ココナッツ娘のコーラス付きでお贈りします」
 一部フィナーレは「ハロー!プロジェクト」の全員が再登場し、30年前の『あの素晴らしい愛をもう一度』から、ゲスト全員で五木さんに『ハッピーバースデー』の大合唱プレゼント。休憩は30分間…。


●二部は55年間の半生を振り返りつつのワンマンショー
 二部オープニングはボブ佐久間さんの指揮で『山河』大熱唱。タキシードの五木さんは
「55歳の誕生日は、この命を授けてくれた母のいない初めての誕生日です。55年の半生を振り返りつつ唄ってみたいと思います」
 スクリーンに子供時代の家族写真、若きお母様の写真が紹介され、少年・五木を語るナレーションがあって…『ヨイトマケの唄』。故郷の美しい写真に流されたナレーションは…
「五木ひろしは、レコードを集めていた父の影響で歌好きの少年になった。父は呑み出すと、決まって我が子に唄わせた。五木の歌を聴くのが父の楽しみだった…」
 そして、五木さんはこう語り出します。
「ある時、母が入院した。病院に見舞いに行くとお菓子の入った紙袋があって、輪ゴムが巻かれていた。僕はそれをパチン・パチンと弾きながら、オフクロのために『りんご追分』を唄ったんです。それが僕の最初の弾き語りだったのかもしれない…」
 五木さんは実際に紙袋を手に輪ゴムを弾きながら台詞入り『りんご追分』熱唱。広大な会場は水を打ったよう。再びナレーション…
「歌が好きになったのは父の影響だった。だが五木が小学5年生の時、父は置手紙ひとつで出奔した。それから母の苦労が始まる。五木少年は母を楽にさせたい、と歌手の道を決意した。姉を頼って大阪へ。音楽学校で学んだのち上京したのは16歳の時だった…」
 会場の手拍子で『ああ上野駅』。スクリーンに「コロムビア全国歌謡コンクール」男子の部・優勝の写真が写り、昭和40年のデビュー・ジャケット写真、キャンペーンの様子が映し出されます。五木さんはギターを抱え…
「新曲を出す、売れない。名前も変える、売れないんです。そんな時期に新宿のサパークラブでギター弾き語りのアルバイトを始めました。同じ店でピアノを弾いていたのがボブ佐久間さんです。ボブさん、ちょっと昔話しましょう」
 ボブさん、指揮者位置から五木さんの横のピアノに移動。暗い控え室で食べた「まかない飯」、一晩2千円(ボブさんは、当時のサラリーマンの月給が1万8千円ほどの時代でしたと…)のギャラ、やがて銀座、赤坂、六本木…と流れた青春の思い出。五木さんは…
「当時、唄っていたムード歌謡をギター弾き語りで唄ってみましょう」
 ボブさんのピアノが絡んで『たそがれの銀座』『ラブユー東京』『コモエスタ赤坂』。ナレーションは
「でも五木ひろしは夢を諦めることは出来ませんでした。何故って、母に楽をさせたかったから…。彼は最後の挑戦とばかり全日本歌謡選手権に挑みます。そして見事10週勝ち抜き…」
 静かに…ボブさん指揮のオーケストレーションされた『よこはま・たそがれ』が流れます。スクリーンには晴れやかな23歳の五木さん。そして5年後のラスベガスの写真。五木さんは『待っている女』から英語詞で『好きにならずにいられない』。
 ナレーションは、ラスベガス3年間の挑戦後の不振時期を経て、事務所独立と同時にリリースした『おまえとふたり』がミリオンセラー達成でした…と語り、五木さんは同曲熱唱。その後は五木さんとお母様、結婚式、子供たちを交えたファミリー写真が次々に紹介され、五木さん、新たな旅立ちです。ここで『パパとあそぼう』。五木さんは…
「30代の頃から、さまざまな経験を積み、一番いい歌が唄えるのが50代、その真ん中の55歳が勝負の年と言い続けて来ました。そして今日、55歳の誕生日を多くの方々に祝福いただいています。改めて僕を支えて来て下さったファンの皆様、友達、両親に感謝申し上げます」
 と語って『道』の大熱唱。
「今までは母の笑顔のために唄って来ましたが、これからは子供たちのため、家族のため、そして僕の歌を喜んで下さるすべての人々のために唄って行きます。今日が新しい五木ひろしの第一歩だと思っています」
 そして再び『山河』。それは2年前の紅白大トリをも上回る大歌唱展開で、会場はクライマックスへ…。一部に出演されたゲストが一人ずつ五木さんにバラのプレゼント。最後に、五木さんとガッチリ抱き合って、感涙に咽ぶ堀内さんの表情がスクリーンに映し出されます。五木さん、感動の涙をこらえつつ55歳宣言とも言える語り出しました。
「様々な人生がありますが、僕は歌と出会い、歌の道をひたすら歩いて来た。本当に良かったと思っています。今、55年目の人生を歩み出しますが、それまで僕は実に大勢の方々と出会って来た。これが僕の心の財産、宝です。今日のコンサートは、ただのバースデーですが、それをこういう形でやらせていただきましたのは、多くの友人やスタッフに支えられて今の私があるという、その姿をファンの皆様方に見ていただきたく、楽しんでいただきたく開きました。今まで55歳の誕生日を大きな目標にして来ました。そして55歳からのこれからの5年間は、僕の最後の大勝負の期間だと思います。これからの5年間を悔いなく歩めたら、僕は多分、思い残すことはないだろうと思います。もうひと踏ん張り頑張ります。ファンの皆様のために、友達のために、家族のために、この世に生を授けてくれた父・母のために…。それが僕の運命(さだめ)だと思っています。思えば、子供のころからいろいろな事があった。家を出て行ったオヤジがいて、22年前に母がオヤジのお墓をつくり、今はオフクロもそのお墓でオヤジと共に眠っています。私はそんな二人から命を与えられました。その命を大切にしつつ、歌を唄う道をひたすら歩いて来たのが私の人生です。これからも精一杯がんばって唄って行きます。 皆様、長時間ありがとうございました。今日から新しい旅立ちです。皆様におきましても、さらに素晴らしい旅立ちがありますように、最後に『旅立つ君に』を聴いて下さい」
 また終演と同時に行われたマスコミの囲み取材で、五木さんはこう応えていました。
「今日は50代の皆さん方に、このコンサートを観て“50代っていいなぁ〜、さぁ、がんばろう”と思ってくれるキッカケにもなればいいなぁ、という意もこめての開催です」
 そして、来年が40周年ですと問われ…
「今年、来年で、ぜひ大きな結果を出した。55万枚の大ヒット曲を出したい。そういう気持ちでがんばって行けば、いい結果につながる…と思っています」
 興奮の残る会場を出ると、横浜は“たそがれ”を越えて、すっかり夜の港街でした。

このコンサートは5月15日にNHKハイビジョンで、6月15日にNHK衛星第2で放映され(ナント!両番組とも15日です)ます。
なお、この日の収益金一部はNHK厚生文化事業団に寄付されます。



                 
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