五木ひろし
40th ANNIVERSARY CONCERT
〜2004年2月23日、東京厚生年金会館レポート&芸術選奨文部科学大臣賞受賞・記者会見〜

●五木倶楽部会報81号掲載原稿●

芸能生活40周年記念コンサートツアーは名曲継承と挑戦から得たオリジナル23曲
 五木さんの芸能生活40周年記念「スーパーライブコンサート2004」が御園座・正月特別公演の千穐楽から14日後、2月10日習志野文化ホールからスタートです。さっそく4会場目の東京厚生年金会館ステージ(2月23日)をレポート。
 同コンサートは2部構成で、1部は「永遠の古賀メロディを歌う〜古賀政男生誕100年〜」、2部が「五木ひろしヒットアルバム」。
 1部は昨年9月の日生劇場コンサートと同構成・同選曲。ナレーションも森光子さん。古賀政男プロフィール紹介があって、オープニング曲はギター弾き語りで『影を慕いて』から『酒は泪か溜息か』。ヨナ抜き短音階でコブシも少ない原曲忠実の歌唱です。『青春日記』『男の純情』と初期古賀メロディーで、端正な五木さんの歌唱にピ〜ンと張り詰めた叙情が会場に満ちます。
 次は詩人との出会いコーナー。佐藤惣之助作詞の『人生の並木道』は、音を捨て去るように音程をずり下げながら消えるように唄う「ステル」コブシがポイント。サトウハチロー作詞『目ン無い千鳥』はヨナ抜きでも長音階。五木さんは立ち上がって身体軽快に揺さぶりつつハンドマイク歌唱。再び短音階に戻って野村俊夫作詞『湯の町エレジー』でした。
 昭和>30年代楽曲に進んで上下に揺さぶるコブシ効かせた『人生劇場』、1オクターブ高い音に裏声で滑らかに移行するところが聴き所の『悲しい酒』。ここでステージに古賀政男先生と五木さんのレコーディング写真が映し出されて寺山修司作詞で五木さんのオリジナル古賀メロディー『浜昼顔』をマンドリン弾き語り。最後は会場手拍子満ちて、元気に明るく『丘を越えて』でした。
 30分の幕間後の第2部は「五木ひろしヒットアルバム」。ステージは華麗に一転、フルサウンドのアップテンプ、会場大手拍子で『待っている女』『夜空』。五木さん、原曲忠実のていねいな古賀メロディー歌唱から飛び出して、今度はノビノビとアクションポーズ交えてた真骨頂・五木節。手拍子、拍手、さらには声援も混じって『汽笛』『暖簾』『おまえとふたり』『おしどり』『追憶』。グリグリと会場も興奮状態です。
 ここで初めてのトーク。
 …ここ新宿の厚生年金会館は9年振りです。今日のコンサートは古賀先生の生誕百年と私の芸能生活40周年を合わせた2部構成です。古賀メロディーには特別な思い出があると同時に、流行歌の原点でもあります。40周年に併せ、全国の皆様方に古賀メロディーを改めてお届けしたくツアー展開中です。芸能生活40年は五木ひろしになる前、10代のデビューからです。それから20代、30代…、今は50代。振り返りますと感無量ですが、こうして40周年記念のステージを皆様に聴いていただけることに幸せを感じています。今日は1曲でも多く聴いていただきたく思っています。一昨年から阿久悠、船村徹両巨匠にたくさんの作品を創っていただきましたが、まずはその中から『傘ん中』を聴いて下さい。
 『傘ん中』から早くも和の世界で着流し姿で『長良川艶歌』『細雪』。白いスーツに着替えて『北物語』『望郷の詩』『千曲川』。
 二回目のトークは座ったままで。
 …ここ新宿は思い出深い街です。昭和39>年、東京オリンピックの年に上京し、上原げんと先生の門下生になって間もなく、コロムビアの全国歌謡コンク−ルで優勝。翌40年に松山まさる『新宿駅から』でデビューしましたから。その数ヵ月後、50歳だった上原げんと先生が急逝され、大きな柱を失ってしまって、松山まさるは成功しませんでした。それからポリドールに移って、一からやり直しだと思って一条英一になって『俺を泣かせる夜の雨』で再デビュー。これも花が咲きません。この頃からクラブで弾き語りも始めまして、昭和44年に遠藤実先生がミノルフォンの社長になられて、3度目の正直の意で三谷謙としましたがこれもうまく行きません。ダメな時はすべてがうまく行きません。遠藤先生が社長を辞められて、僕は弾き語りの仕事をしていましたが、10週勝ち抜きの「全日本歌謡選手権」に出て、山口洋子先生にプロデュースしていただき4度目のデビュー。これでやっとヒットしたんです。思い出の芸名のそれぞれのデビュー曲メドレーをお聴き下さい。
 五木さん、座ったままで『新宿駅から』『俺を泣かせる夜の雨』『雨のヨコハマ』『よこはま・たそがれ』を熱唱。そして再びトーク。
 …これほど名前を変えた人は他にいないでしょうねぇ。諦めなかったのは、やはり何とかしてオフクロに楽をさせたかったから…。それでプロになったものですから、成功するまで辛抱できたのだと思っています。どんな人生でも、何かのために頑張るワケです。時に家族のため、ファンの皆様方のため、自分のため…とさまざまですが、オフクロには成功した姿を見てもらって本当に良かったと思っています。
 つい先日、日帰りでしたが福井に行ってきました。僕が一番苦労をかけてきた長姉が今、実家を守ってくれていますが、オフクロとオヤジの墓参りをして、おみやげをいっぱいもらって帰って来たばかりです。ここで故郷がらみの3曲を聴いて下さい。
 歌唱がグッと優しくなって『あなたの灯』から『おふくろの子守歌』、ステージが真っ赤になって、上からの真っ白なピンライトを浴びて『山河』。
 最後のトークコーナーでは
 …5をラッキーナンバーにしていますので、出来ればこのまま続けさせていただいて、いい形で50周年が迎えられたらいいなぁ〜と思っています。あと10年、一生懸命に頑張って行きます(会場大拍手)。今後もデビュー来の2大テーマ、挑戦と継承を追求して参ります。最後に一番新しい歌『逢えて…横浜』と古賀メロディーの原点『影を慕いて』を最後にお送り致します。
 『影を慕いて』は原曲から離れたステージ・アレンジで、それは気持ちよさそうに長音符をどこまでも引っ張って、胸をグラグラ揺さぶるドラマチックな五木節でした。
 五木さんは同ステージ終了後、マスコミの“囲み取材”を受けた後、新曲購入者と握手会でした。なおコンサートツアーは7月まで続きます。

マスコミ“囲み取材”の五木さんコメント…50周年まで名曲継承と新たな歌への挑戦続けます
●多くの歌を歌われましたが選曲が大変だったのでは?
五木 古賀メロディーは4000余曲から、自分の歌も芸能生活40周年の全楽曲からの選曲です。頭を絞って今日の30数曲に絞り込みました。自分の歌はどれもに思い出があり、同時に“あぁ、休まず必死に走ってきた”という感慨があります。
●デビュー当初は大変な時期もありましたが、振り返ると…。
五木 芸名の四つ目“五木ひろし”まで、うまく行かなかった。でも挫折しなかったのは“オフクロに楽をさせたい”という気持ちがあったから。大ヒット後の姿をオフクロに見てもらい、今は子供たちが大きくなって、いろいろわかる歳になった。彼らに今の僕を見てもらうのが楽しみ、励みです。
●デビュー当初は不安がいっぱいだった?
五木 いえ、期待で胸がはちきれそうだった。コロムビアの全国歌謡コンクール優勝でのデビューでしたから…。でも人生はうまくは行かない。いい時期に苦労したと思っています。
●「全日本歌謡選手権」に果敢に挑戦…
五木 最後の最後の大勝負でした。自分で進退の決断が出来ませんから審査員に判断を委ねようと…。
●そして大ヒットです。40周年を振り返ると…
五木 いつも崖っぷちの闘いがあった。それを逆に意欲に変えて来た。自分には平坦な道は似合わない。壁に向かって燃え、意欲を沸かして来た。僕のあのポーズもファイティングポーズ。50周年まであと10年チャレンジします。
●三人のお子様は今、お幾つになりました?
五木 中2と小5と小3です。もうすべてがわかる歳で、その眼で父親を見ていますから、逆にプレッシャーです。大事なステージは必ず観てくれていますし…。
●お子様は歌手になりたい、と申しませんか?
五木 全員が音楽好きで、洋楽も聴けば楽器も弾く。だが“唄いたい”とは聞いていない。きっと“唄うのは父で、聴くのは僕たち”と思っているんでしょう。この仕事は一代、子供たちはそれぞれ違った分野で頑張って、それで僕と勝負して行くんだと思っています。
●今、松山まさるのレコードに数万円のプレミアとか…
五木 僕は“今の僕”を聴いていただきたい。現在、40周年記念アルバムと新曲を6月発売予定で制作中。アルバムはオリジナル40曲と継承したい名曲40>曲の計80曲。記念シングルはぜひ大きなヒットにしたく思っています。
●過去の名前のどれに一番の思い出がありましか?
五木 三谷謙です。この名前で「全日本歌謡選手権」で10週勝ち抜いたのだから…。いつかこの芸名を新人につけてあげたい…。


同コンサートの約一ヵ月後、以下の朗報が飛び込んできました。
緊急速報!!平成15年度(第54回)大衆芸能部門・芸術選奨文部科学大臣賞を受賞
 五木さんはこのほど文化庁の大衆芸能部門・芸術選奨文部科学大臣賞の受賞が決定し、3月16日に同賞が赤坂プリンスホテルにおいて贈呈されました。受賞理由は以下の通りです。
 自身の構成、演出による「五木ひろしライブコンサート」(日生劇場、9月)において日本の歌謡界に多大な業績を残した古賀政男作品に取り組み、創唱者に敬意を表する一方、自身の個性や持ち味を発揮し存在を強く印象付けた。大衆歌謡を原点に、伝統の継承と現代性を追及し実践。常に意欲的であり、精神的な活動を続けている。

演歌歌手として初受賞の喜びを語る…名曲継承と新たな歌へ挑戦…さらに邁進
 五木さんは受賞内示を得て、3月7日「パシフィコ横浜」でいち早く受賞報告の記者会見を行ない、記者の質問に五木さんは以下の通り喜びを語った。
 …夢にも思っていなかった受賞でビックリしました。今年は芸能生活40周年を迎えていますが、この節目の年に何よりのご褒美をいただきました。改めて古賀先生に感謝申し上げ、また生誕百年の先生も喜んで下さっているように思います。9月の日生劇場初日前に墓前に開催をご報告致しましたが、改めて今回の受賞もご報告したく思っています。また受賞理由に"自身の構成、演出による"と明記されているのも大きな喜びです。森光子さんのナレーションでトークなし、原曲忠実を目標にアコースティック・サウンドで貫いた構成。自ら弾き語りをすることで半音ひとつづつの先生のこだわりまで継承することが出来ました。構成・演出、奏者、そして歌い手…、三つが評価されて、今後の緒活動に大きな励みになります。現在、9月の日生劇場と同じ内容で全国コンサート・ツアー中ですが、お客様にもいい報告が出来ます。ラッキーナンバー55歳が終わって2日後、16日の受賞です。「55歳よく頑張りました、56歳の芸能生活40周年を頑張りなさい」と言われたような受賞です。新歌舞伎座公演の最中ですが古賀先生のお誕生日11月18日に生誕地・大川市でコンサートを予定しています。名曲継承は服部、吉田メロディーとまだまだ大テーマがあります。今後も精進、努力を重ねたく思っております。



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